第24話 七十二号の憂鬱

 精霊工学の発展は、予想もしない方向に伸びていった。

 結局、空間中の精霊力は減少したまま回復しなくなり、いくら集めようとしても集まらない状態になってしまったのだ。

 そこで今度は、人間が持っている精霊力を利用する方向に研究はシフトした。これは俗にいう精神力、ゲームでいうならマジックポイントに相当する力で、普通に活動している人間ならそれなりの量を持ち合わせている。

 一晩寝れば回復するとは言っても人の精霊力はやはり少なく、また消費しすぎると精神的にくたびれて行動不能になる。

 なので、人の精霊力を抽出・分析するシステムを応用して、脳波の代わりに機械の制御を行う研究が始まった。割と古くから提唱されていた脳波コントロール・システムだが、脳波そのものが微弱で増幅してもノイズが多かったり、そのプロトコルについても解析が全く進まなかったりと概念より先には進めていない状況だった。が、割とダイレクトに意思の在り様を示す人の精霊力は、機械に対する指示に馴染んだ。ただしこちらも思考ノイズが入りやすく、精霊力のみでのコントロールでは意図しない動作をするケースが多発したために、手や足でのコントロールを補佐するサブシステムとして開発が進んだ。

 マディウス銀河人がもたらした軽量・強靭な新合金素材により乗用機械の小型軽量化は進み、また精霊工学の進歩に伴って複雑な装置の操縦も安易になっていく。

 そうして介護用にと開発された装着型のパワーアシストスーツは、単位時間当たりの労働力改善に大いに役立ったし、そのスーツの防塵・防水性能を強化したものは土木・建設工事の現場に投入されて目覚ましい活躍を見せた。

 だが、その強力さ・簡便さ故に、犯罪にも使われるケースが多発し始める。そこで警視庁は一般の警官や機動隊向けにもアシストスーツの導入を決定した。パトスーツお巡りさんの誕生である。

 「やっぱりこうなりますよね」

 アシストスーツを着た犯人による、深夜間帯のキャッシュ・ディスペンサー機襲撃犯事件の動画ニュースを横目で見て僕は言う。

 「昔のアニメにもありましたよね、警官もロボット乗って対抗するやつ」

 「まあ便利なものは大抵、犯罪にも使われるからな」

 先生も呆れたように言う。上半身だけの安いアシストスーツなら五万円も出せば買える。自転車と同じように販売店での登録は必要だけれど、免許はいらない。家庭内の作業から、ちょっとしたフォークリフト代わりにも使えるのでここ最近かなり売れているらしい。

 「外装をいじって、昔のロボットアニメのコスプレするのも流行ってるらしいですよ」

 「いいじゃないか、コンビニ襲うよりよっぽど文化的だ」

 先生はサブカルにどれくらい通じているのだろう?コスプレなんて言って判るのだろうか?

 「米軍はあれをコアにした装甲歩兵なんてものをもうすぐ実戦投入するらしいしな。補給物資を運ぶのに使ってる陸自が平和に見える」

 「米軍は強さイコール正義みたいなことありますからね。侵略宇宙人がいるわけでもなし、急ぎすぎてるとは思いますが」

 侵略宇宙人。現在、この地球が公式に接触した異星人はマディウス銀河人のみだ。貯金箱のあれは先生がどこにも報告せず個人的に追い払ってしまったので、たぶん知る人は少ない。だから今のところ、友好的な異星人としか接触していないことになる。あくまで、公式には。

 「それで、今日僕は何の用で呼ばれたんですか?」

 「おおそうだった。おーい、もういいぞ来なさい」

 先生は店の奥、居住スペースの方に向かって怒鳴る。つっかけを履いて出て来たのは、二十代くらいの若い女性だった。

 「……どうも」

 そっけなく言って彼女は軽く頭を下げる。白いポロシャツに青いジーンズ、髪は軽く茶色がかったボブで化粧は薄目。

 「シホ七十二号だ」

 「七十二」

 ふん、と彼女は横を向いた。あまり態度がよろしくないけれど、これはパートナー以外だとこうなるんだろうか?うちのシホが他人につんつんしているところなど見たことが無いのでよく判らない。

 「こらシホ、お前が話をしたいというから来てもらったんだぞ」

 「それはそうですが……なんだか急に馬鹿馬鹿しくなってきて」

 「どういうことだね?」

 顎に右手をやる先生。シホ七十二号は両手を腰に当てて僕を見る。

 「だっておっさんじゃないですか」

 「いやまあ確かにおっさんだけどさ」

 「おっさんなんか大嫌い!嫌い、嫌い、嫌い!」

 突然癇癪を起して地団太を踏み、泣き喚き始めると七十二号に僕は驚いた。驚くしかなかった。うちのシホがここまで激しい感情を見せたことはなかったからだ。

 「まあ落ち着きなさい」

 先生がシホの背を撫でながら、ゆっくりとまた店の奥へと連れて入って行き、しばらくして一人で戻って来た。

 「やれやれ、昨日はもっと若いのに来てもらったんだが、その時も同じ感じでな。若い男なんか嫌いとブチ切れおった」

 「なんですそれ、みんな嫌いなんですかね」

 「あれはどうも今のマスターとの交流に不満があるみたいでな。余所のマスターに会いたいというからこういう場を作っているのに、いつもああなる」

 「若くてもおっさんでも拒否っていうのは」

 僕は少し考える。

 「例えば老け専とかショタコンの可能とか、もしくは百合」

 「そのへんも事情聴取で無いという結果になってるんだがな。初期設定にはなくても、自然に獲得する形質の場合もあるから一応調査はしとる。

 性癖なんてそんなものだよなあと僕は思う。誰もオタクになろうと思ってなるわけじゃない。気付いたらなっているのだ。だからひょっとして、と思ったわけなのだけれど、違うのか。

 「実は女性型のシホ・シリーズだけでなく、男性型のミノル・シリーズにもマスターとの生活がうまく行かなくなるケースが増え始めていてな」

 男のエイチ・イーはミノルっていうのか。僕は初めて知ったそのどうでもいい知識の扱いに困る。

 「ちょっと調子に乗りすぎて、シリーズの量産をし過ぎたお陰でデータのまとまりがつかずに困ってるわけだ。だからうまく行ってるマスターと会わせてみようという実験なんだが」

 「それは、シホ同士を会わせた方がいいんじゃないですか?」

 「それがな、うまく行っていないシホは他のシホに対してて敵愾心を持つんだ」

 敵愾心。

 「さすがに取っ組み合いの喧嘩などはせんが、無視して一言も口を利かなかったり、挑発して怒らせようとしたり。どうにも行動が読めなくてな」

 「先生」

 僕は少し理解できたような気がする。

 「たぶん七十二号が僕や別の人に噛み付いたのは、僕たちにうまくやってるシホの影を感じてるからじゃないんですかね」

 「ふむ?」

 「七十二号って、彼女は大学生くらいの年齢設定ですよね」

 「そうだな」

 「うちのシホは、モデルのアイドルが今十三歳なのでそれより下ですよね」

 「うむ」

 「だとしてですよ」

 僕は一つため息をついた。

 「うちのシホは割としっかりしているように見えますが、それでも時々抜けたことをしたり、知識が追いつかなかったり感情の処理がうまくできないことがあります。それでもあの見た目ですし、僕もいい歳だからそれなりに余裕を持って相手ができるわけですよ」

 先生は顎鬚を撫でまわした。

 「つまり君は、七十二号の見た目と精神に釣り合いが取れていないことが原因ではないか、と言うのだな」

 「そんなところです」

 僕は柱の陰に七十二号が隠れて、こちらを見ているのに気づいた。

 「彼女は成績優秀な大学生そのものといった風な外見です。でも研究所で過ごした時間や受けた教育が大差ないなら、みんなあの見た目に引きずられて優秀さを求めてしまうんじゃないですかね。外見と内面のギャップ、それとマスターの精神年齢との組み合わせが、うまく行くか行かないかの差じゃないかと思います」

 七十二号は身じろぎ一つせず僕を真っすぐに見ている。

 「成る程」

 博士は深く息を吐く。

 「うちのシホは僕と見た目の年齢差があるのが判っているから、理解できないことを僕によく尋ねます。僕はある程度の方向は示しても、適当なところで考えるのをやめるように言ってそこからは自分で考えさせるようにしているんですが。彼女くらいの見た目になってしまうと、マスターに対してうまく言葉にできない感情のことなど質問できないんじゃないですか?そうやってフラストレーションを貯めこんでしまう」

 「確かにそうだな、外見年齢に応じた精神教育というものは、そもそも考えてなかった」

 「精神に限りませんよ」

 僕は言う。そう、知識と精神は共に成長するものなのだ。

 「知識だって、知識として知っているだけなのか経験としても知っているのかで全然違います。シホだけで生活するならともかく、誰かと共に暮らした時に、経験がないと応用も利かなくてそれもまたストレスになると思います」

 柱の影の七十二号がこくこくと頷く。

 「成る程な。いや恐らくそういうことだろう、確かにそうだ。教育カリキュラムは君の言う通り、シリーズ内で区別しとらん。記憶の印刷機がまだ完成していない以上、そこも考えるべきだった」

 「記憶の……印刷機ですか?」

 何か不吉な影を感じて、僕は低く問うた。

 「人格のコピーが最終目標だが、今は最低限の知識をインストールできんもんかと研究してるグループがいるんだよ。大がかりな睡眠学習機みたいなもんで、あまり信用としらんが」

 「また物騒な。そんなの人間相手に使ったら大変ですよ」

 「ハセガワ君、危惧する君の気持は判る。だが今や、エイチ・イーに関する研究開発は国策なんだよ。形を変えた軍拡競争だ、一部の国ではもうヒトゲノムの編集を始めたと聞くしな。止まれないんだ」

 「それはあれですね」

 僕は、古い特撮番組を思い出していた。

 「血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ」

 「……超兵器R一号か」

 あっ、先生は出展を知っている。僕は飲用したことを内心恥ずかしく思ったが、先生の口調が決して僕を揶揄するものではなかったので、多少なりとも救われた気がした。




 部屋に帰ると、シホはタブレットでアニメを見ながらプリンを食べていた。

 「あっ、おかえりなさい」

 立ち上がろうとするシホを手で制して、僕は洗面所に向かって手洗いとうがいをする。例の感染症の大流行以来、これがなんとなく生活に手違勅している。

 「おじさまのご用事はいかがでした?」

 「ああ、無事済んだよ」

 シホの声に答えて、僕は洗面台の照明を落として居間に向かう。

 「おかえりのチューは?」

 「そんなのしたことないだろ。どこで覚えてくるんだ」

 「えへへ、漫画です」

 そう言えば、少し前からシホが月刊の少女漫画雑誌を欲しがるので、仕事帰りに買ってきているのだ。どんな漫画が載っているのか読んだことはないのだけれど、しょうもないな。僕は内心苦笑して、ソファーに座ってプリンを食べながらアニメに見入るシホの隣に座った。

 「なんでアニメって、敵も味方も軍隊なのに命令を守らないんですか?」

 画面の中では、攻撃せずに待っていろと言われたはずの若手が、功を焦って攻撃を始めていた。

 「そうしないとお話が進まないからだよ」

 「見ていてやきもきするんです。それで命令違反の罰も受けないし」

 「多少強引なところもまた味だよ。恋愛漫画だってそうだろう?」

 シホは動画を一時停止して僕の方を見る。

 「はい、あーん」

 プリン片を載せたスプーンを僕の口に近づけるシホ。僕はそれを受け入れる。甘さが口の中に広がる。

 果たして本当に、僕たちは上手くやれているんだろうか。多少なりともぶつかったとして、それは一概に失敗とは言えないんじゃないだろうか。人と人との関係に、正解なんてないんじゃないだろうか。

 「もひとつ、あーん」

 されるがままにプリンを食べさせられながら僕は、憑き物が落ちたようにさっぱりとした顔で帰って行く七十二号のことを思い出していた。

 心と科学、精神と技術。人とその知恵が目指す地平は、いったいどこにあるのだろうか。

 再びアニメに興じだしたシホを眺めながら、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。



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