第23話 竜の夢
竜を拾った。
今にも雨が降りそうな六月の夜。闇の中、街灯の小さな光に照らされた段ボール箱の中で小さな竜が鳴いていた。黒マジックで「ひろってください」と箱に書いてある。
体長二十センチにも満たないけれど、翼も生えた赤いドラゴンが箱の中でぴいぴい声を立てている。
ああ、捨てドラゴンか。
竜の飼育は難しい。世話には愛情が必要だというけれど、育たずに消える。
死ぬのではない、消えるのだ。
竜は別の世界から、卵の状態でこちらにやってくるとされている。雑木林や河川敷の草むらを一時間も探せば、孵化前の卵を見つけられるだろう。
だから、竜の飼育にチャレンジしたい人は卵を探して孵化させる。鳥のヒナのように、最初に見たものを親と思って懐くからだ。
体色や体形に色々な種類はあるものの、基本的に竜は賢く穏やかな性格をしている。だから、犬や猫と同じ感覚で飼うことはできる。それでもペットとしての竜がメジャーにならないのは、消えるからだ。
飼い主が愛情をもって接すれば百年は生きるという竜。しかし大抵の竜は三か月もしないうちに尻尾からその存在が希薄になり、消える。
成長しても一メートルを越す体長にはならないという竜だけれど、千八百五十二年にイギリスのとある伯爵が生涯かけて育てた竜は体長五メートルに達し、その記録は未だ破られていない。
僕は箱に近寄って覗き込む。
ああやっぱりだ。尻尾の先が半透明になっている。おおかた近所の小学生が飼い始めたのはいいけれど、飼い切れずに捨てて行ったんだろう。あと半日もしないうちに消えてしまう。消えた竜はどこに行くんだろう。自分たちの世界に帰るのだろうか。
箱の中で、古びたバスタオルの上でその竜はぴいぴい鳴いていた。愛情を、接触を求める鳴き方だ。
かつて人と竜は共に暮らすこともあったという。神話、伝説、物語。日本の民話に出てくるドラゴンはデザイン違いの龍だけれど、同一の存在かどうかまでは知らない。
僕は竜の首の後ろをつまんで持ち上げてみた。竜はぴい、とひとつ鳴いて黙る。小さいが均整の取れた姿の赤い竜。あとしばらくで消えるだろう竜。
まあいいか。
僕はほんの気まぐれで、竜をつまんだまま安アパートの部屋へと戻った。ゴミ袋と万年床が迎える僕の城。
竜を台所のシンクに置き、湯を出して軽く洗う。気持ちよさそうに目を閉じる竜。僕も子供の頃、何度も竜を飼ったものだった。
祭りの露店に並べられた竜の卵はどれも不思議な模様で子供達の歓心を引いた。そのへんに転がってる卵とはわけが違う、これはアメリカのイエローストーン国立公園で採取された特別な卵だ。今日ここだけの特別販売、さあ買った。
今でこそインチキ商売だと判るけれど、当時の小学生はその絵の具で彩られた卵に魅力を感じて少ない小遣いを投入し、後で親に怒られたものだ。
土汚れが落ちたので、タオルで水気を拭く。鱗はすべすべで引っかかりはない。背びれもまだ生えていない、幼い竜だった。
あれからもう三十年以上経つのか。小学四年の夏休み、友達と連れ立って早朝の雑木林にかぶと虫を採りに行ったことがあった。その時に、卵から孵化した直後、そのまま光って消える竜を見た。あの神秘的な光景はまるで夢を見ているようだった。
割きイカをつまみに缶ビールを飲みながら、僕は竜にちょっかいをかけてみる。指でつついたり顎の下ををくすぐったり。竜はぴいぴい嬉しそうに鳴き、右手にじゃれつく。
飼い主は、消えるところを見たくなかったのかな、と思う。
恐らく、透明化の兆は二、三日前からあっただろう。竜は消えてしまう寸前まで愛情をねだる。その最後の瞬間に耐えられないと思って、捨てたのだろうか。
僕は割きイカの小片を竜に与えてみた。勢いよく食いつき、咀嚼し、嚥下する。人間が食べるものなら基本的には何でも食うが、さほど量は食べない。
竜の頭を人差し指で撫でると、竜は目を閉じてくるくる喉を鳴らした。喜んでいる。ゆっくりと頭を撫で続けていると、次第に竜の体全体が透き通って来た。
ああ、いよいよだ。
竜は畳の上で丸くなり、僕の指の動きに喉を鳴らす。
さようなら。
次の瞬間、指の先に触れていた存在が消えた。僕は缶に残ったビールを胃に流し込み、簡単に片づけをして照明を落とし、万年床に潜り込んだ。
その夜僕は夢を見た。
立派で大きなレッドドラゴンの背に乗って、大空高く飛ぶ夢だった。少年の僕は、どこまでも続く青い空と水平線の彼方を目指して、竜の背中に乗り飛んでいた。
陸地はどこにも見当たらなかった。目を凝らすと、同じ方向を目指してさまざまな色や形の竜が、その背中や首に、それぞれ希望に溢れる少年少女たちを乗せて飛んでいるまが見えた。
どこまでも高く、遠く……
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