第19話 悔恨と決意
地球温暖化、化石燃料、そして国家的、民族的イデオロギー。
二千二十七年に始まった第三次世界大戦は、異星人よりもたらされた技術体系の導入によって戦争そのものの形を変えた。
軽量かつ強靭な新合金はフレームと装甲になり、小型で強力な蓄電池は各種機体の駆動をより自由自在にするモーターを実現した。
ロシアと欧州連合が国連を離脱後にアメリカとイギリス、そして日本は国連の決議を支持してイスラム圏と対立。こうして世界を三分して始まった第三次世界大戦は結局、ロシア・欧州連合の勝利という形で集結はした。その結果国連という組織の権威も信頼も失墜し瓦解する。米英は言うまでもなく、国連軍の平和維持活動支援を名目に参戦した日本も国際的な評価は暴落し、二級国として扱われることとなった。
戦いの傷も癒えぬ二千三十五年、第三次大戦においてその力を温存していたアフリカ諸国が連合して宣戦を布告した。これが後に第四次世界大戦と呼ばれる戦いで、その戦力は主にヨーロッパやアメリカに向けられた。つまりは奴隷貿易の復讐とでも言うべき戦いで、後にモノクロ戦争とも呼ばれることになる、人種間抗争の中でも最たるものとなった。
第四次大戦勃発前に鎖国を宣言して対外チャンネルを絞っていた日本は、大きな被害こそ受けなかったものの、元々全ての資源の自給率の低さから、その活動を大幅に縮小して今に至る。
しかしそれでも日本という国家が消滅しなかったのは、青木ヶ原樹海の地下に眠っていた特殊鉱石のおかげである。古来より力石として珍重されてきた石英質のその石は、パワーストーンと呼ばれてアクセサリーの材料になったりオカルトのネタとなったり、新興宗教の箔付け等に使われたりもしてきた。
微弱な電磁波を発し続けているというその鉱石が、人の意思を増幅する効果があると発見したのは東埼玉大学の桜木健一郎博士で、研究と実験の過程で命を落とした愛娘の名前から新物質はノゾミニウムと名付けられた。
精製された純度の高いノゾミニウムを情報伝達系の周囲に配置するだけで、その効率が大幅に上がる。日常生活に必須な乗り物にも、兵器にもその効果は覿面だった。このノゾミニウムの存在で、日本は海外からの圧力に屈することなく存在し続けられたのである。
「というわけで、今や世界は滅亡の危機に瀕している。判るな若いの」
裏道の居酒屋で、老人は泡の消えたビールを一口含んでそう言った。
「判んねぇよ」
ぬるくなった日本酒のべっとりとした味は不快だな、と思いながら青年は答える。
狭い店内には壮年の大将と、客は二人。たまたま独りで飲み始めた青年に、カウンターの隅にいた老人が声をかけて来たのだ。
「戦争があったのは誰だって知ってる。お陰でどこの国もボロボロで、もう十年も復興に四苦八苦してるのも周知のこった。でも滅亡の危機ってのは違わないか?」
「データってのは分析しないと意味がないんじゃよ若いの。知っとるか?全世界での、出生率の異常な低下が起きとることを」
「出生率の、低下?」
つまみの玉こんにゃくの煮付けを一つ、指でひょいと口に放り込む老人。有線放送から流れる古い演歌は、もう何十年も前の歌だ。
「自然出生率だけじゃない。移植用のクローンすらまともに育たんし、養鶏も養豚も魚の養殖すらうまくいかんようになっとる。おかげで来年には、流通する食肉はみんな合成タンパクになっちまうかも知れん」
「それまだ決まった話じゃないだろう?」
「このままだと決まりじゃよ。だからこその計画じゃった」
けっ、と胸糞悪そうに言って老人はコップに残ったビールを飲み干し、瓶からまた注ぐ。残っていた量はコップ半分にも満たず、老人は舌打ちをして飲み干した。
「余所の国は必死に隠しとるが、どこの国も実情は同じじゃ。草や木すら生えない土地もある。この地球そのものから、生命の力と呼ぶべきものが失われているんじゃ」
「じいさん……それはいったい?」
「それなのに、まーだあちこちで小競り合いをして命を浪費しておる。だから儂はやらねばならなかった。まだこの世界は、滅びるわけにはいかんのじゃ」
老人はズボンのポケットからしわくちゃの千円札を取り出してテーブルに置くと店を出て行った。
「変わった人でしょ」
店の大将が笑いながら、空き瓶とコップを片づける。
「なんなんだい、あのじいさん?」
「昔は偉い学者さんだったって話ですよ」
しわくちゃの千円札を伸ばしながら大将は続ける。
「おいらも詳しくは知らないけれど、なんだか夢みたいな研究に没頭して学会から追放されたって話ですよ。悪酔いするといつもそんな話ばっかりして周りに絡むんでね」
「夢みたいな研究?」
「なんでも並行世界がどうとか、幸福量保存の法則だとか。あのノゾミニウムの研究にも手を貸したとか言ってましたけどね、それでちょっとづつでもお金が入るって。ちぇ、また足りないな」
「なるほどね」
青年は言って残りのコップ酒を飲み干し、会計を済ませて店を出た。酸性雨注意報の出ている夜空は灰色に曇ってはいたが、雨の降る気配はなかった。
念のために持ってきていた透明ビニール傘を傘立てから抜き取って、青年は駅の方へと歩き出した。
輪廻転生。仏教で語られるそれは、繰り返す中で悟りに至れば抜けられる修練の輪だ。魂は限りない生と死を繰り返して真理へ至るという。
時空間連続面への干渉実験をしていた北枕博士は、その実験の失敗時に並行世界の存在を知り……そして並行世界間にある生命の輪廻についても知ったという。だが彼の言う荒唐無稽な死生観や一向に開かない並行世界へのゲートなどに興味を持つ者は皆無で、彼が声高に主張すればするほどにその存在は黙殺され、忘れられていった。
「じゃが、もうお判りのはず」
北枕博士は静かに口を開いた。
「崩れてしまったバランスをこちらに引き戻す。それしかこの世界を救う手立てはない」
高級料亭における政治的密談というものは、この時代においても頻繁に用いられていた。もはやルーチン、形骸化していようとも業界の流れというものは容易に変わるものではない。
「資料から判断するに、その論は正しいと思える。だが世界がそれで納得はせんでしょう」
北枕博士の向かいに座るのは外務大臣だ。現状、二流国扱いされる日本の外交現場は限定されていて、その出番はほとんどない。
「それにこのデータはいささか整い過ぎている。まるで結論が先にあるように思われても仕方がない」
与党幹事長が不愛想にそう続ける。
「乏しい資材とエネルギーを費やして、効果が判るのが数年先では話にならんよ」
「だがしかし、儂の論に希望を見出したからの呼び出しではないのかね」
「そ、それはそうだが」
「まず救うべきは国民だ。この日本が救われる様を見れば、諸外国も耳を貸すだろう。儂はこの世界を救えるのなら悪魔にだってなる。そう覚悟したからこその提案だ」
沈黙が一室を支配する。
「しかしそれは……桜木博士は知っているのかね?彼は向こうの」
「彼は儂が説得する」
北枕博士はぴしゃりと言う。
「だがこの際、個人の感情などどうでも良い。余力のあるうちに仕掛けねば、この世界は内輪同士の共食いでジリ貧だ。崩れたバランスの中であがいても解決にはならない」
「修羅の道、ですな」
総理大臣が沈痛な面持ちでそう言った。
「……当面は伏せて、結果を観察するのが良いだろう。正直なところ、国際世論がこの企画に耳を貸すとは到底思えない。ならばせめて、秘密裏に日本の国力だけでも第三次大戦前のレベルにまで回復させないと意味がない」
「儂もそう思う。世界丸ごと救うなどとは烏滸がましい、せめてこの国だけ救えれば良い。どうせ残り少ない命だ、泥くらいいくらでも被る覚悟だ」
ぐいっと猪口の中身を飲み干して、北枕博士は大きく息を吐いた。
「どこの国も、日本にちょっかいをかけるまで回復していないのは不幸中の幸いだ。国防軍から志願者を募れば人員も問題なかろう。精神的な負荷は高いだろうが、軍人なら命令に従うだろう。デバイスの準備も問題ないが、一つだけ懸念がある」
「ゲートを開くエネルギーの確保ですか」
エネルギー庁長官がため息をつく。
「ゲート掘削装置の効率は、国土倍増計画時とほぼ変わっていません。転移させる者の能力によって、維持できる時間にはどうしてもバラつきが出ます。せめて火力発電が使えれば、稼働時間も伸びるのですが」
「高効率の石炭火力炉はあっても、燃やす石炭がない。近海のメタルハイドレートは国民生活の消費分を賄うのに精一杯で余力はない。やはり不安定だが、当初の計画通り太陽光や風力で補うしかないな」
経産大臣が天を仰ぐ。
「全世界的に、エネルギー政策は失敗したのでしょうな」
「だからこそ」
北枕博士は立ち上がる。
「やらねばならんのだ」
希海が生きていたら何というだろうか、と桜木博士はもうこの世にいない娘の笑顔を思い出して悔やむ。
青木ヶ原樹海に眠る、富士山噴火の溶岩帯。そこに含まれる結晶体には可能性がある、と彼女は目を輝かせていたものだ。
人の思いは時を超え、時間を超える。それは彼と愛娘が身を以て知らされた事実だ。
「済まないとは言わんぞ。儂はこの日本の日本人としてやれることをやるだけだ」
「私には……反対する資格はありません。私と娘は、この日本に命を救われたのですから」
ぎりっと歯の軋む音がする。
「君の作ったデバイスの動作確認も終わった。後は順次実践投入するだけだ、初回は明後日に決まったよ」
「そうですか」
「効果については宮崎の実験場で確認する。明後日だ、君も見に来るかね?」
「いえ、私は」
「そうか」
北枕博士はぽん、と桜木博士の肩を叩く。
「儂の個人研究室には、昔作った次元跳躍機の試作機がある。向こうの偵察にも使っていたものだ。来週には分解廃棄する」
それを聞いて、桜木博士ははっと顔を上げた。
「博士、それは」
「儂にはこれくらいしか出来ない。判ってくれ、誰もがギリギリの決断を迫られているんだ。これは計画の発案者として決して抱いてはならない感情であることも理解している。だが儂は日本人だし、君もまた日本人だ。互いに、互いの信じる日本に殉ずる機会は与えられるべきだと儂は思うのだよ」
「北枕博士……」
「話はここまでだ。桜木君、もう会うことはないだろう」
「色々とありがとうございました、北枕先生……」
固く握手を交わした二人は、それぞれ別の道を歩む。二日後、北枕霊三博士が国防軍のヘリで宮崎入りをした頃、桜木健一郎博士は都内で消息を絶った。そして実験結果について成功であると確認をした後、北枕博士はプロジェクトの責任者を辞任して野に下った。全ての責任は自分にあると言い残して。
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