第17話 決戦は放課後

 「あーかったるー」

 リョースケはコンクリートの床に、だらしなく腰を降ろしたままダルそうに言う。

 「なんかこう、カッキーン!と人生変わるようなこと、ねーかなー。空から美少女が降ってくるとか」

 「授業中の学校の屋上で、何もあるわけねーだろ」

 隣に寝転ぶシンヤは、さらにダルそうに答えた。

 「学校フケる度胸もなし、授業サボるくらいしかできねー俺たちはこんなもんよ」

 「その小ささがさらに嫌になる」

 穏やかな日差し。五月の午後は過ごしやすい。校庭でどこかのクラスが体育の授業を受けている声と笛の音が聞こえる。遠くの空を飛行機が雲を引いて飛んでいくのが見える。音楽室からピアノと合唱の声も届く。

 「なーシンヤ」

 「あー?」

 「クラス委員の横山、あいつお前に気があるってよ」

 ショースケはクラスメイトの顔を思い浮かべながら言う。クラスで一番背の低い、一番やかましい、まるで小動物のような女の子。

 「そうなんか」

 「美咲がそう言ってた。あとほら、俺とお前が授業フケてもお前にだけ怒るじゃん」

 「あー?俺が嫌われてるだけじゃねーのそれ」

 「ううん、結構マジらしいぞ。女子の間じゃ、応援団組むとか」

 「なんだかな」

 シンヤは上半身を起こす。

 「横山、なんか勘違いしてんじゃねーの?俺は別に特別でもなんでもないし」

 「そりゃ俺にだってわかんねーよ。でも一応、友人としては情報共有しとかねーとさ」

 「お前は美咲とどうなのよ」

 リョースケと美咲は家が近所で、幼稚園からずっと同じ学校に通っている。通っているだけで、同じクラスになったのは幼稚園以来、この高校二年が二度目だ。

 「なんだろな、あんまり意識したことねえ。近所だから付き合いがあるだけで、幼馴染イベントとか一切なかったからな」

 「なんかもったいないよなお前ら。なんでずっと組違ってたの?」

 「しらねーよ」

 リョースケは苦笑する。

 「幼馴染がずっと一緒で想いを秘めてて、とかさ。ありそうでありえないからドラマや映画になるんだろ?だいたいあいつ、彼氏いるはず」

 「うっそ!?」

 「見たこたないけど、確かバイト先の先輩。あいつ前にブレス見つかって担任に取り上げられそうになってたろ。あれをもらった相手」

 「あらら、フラグ立たずじまいか」

 「いいんでねーの?てか、別に意識なんかしたことねーって」

 青い空に白い雲。だらだらと流れる時間。ろくでもねーよなとリョースケは思う。

 「六限なんだったっけ」

 「英語あたりじゃなかったか」

 「パスだな」

 シンヤがため息をついた。

 「なんで一つの星でいっぱい言葉があるんだよ。めんどくせー」

 「それな。あーでもあれよ、うちの親戚が青森と沖縄にいるんだけどさ、両方のジジババ会話になんねーんだぜ。方言強すぎでさ、同じ日本語かっつーくらいよ」

 「青森と沖縄って、お前のとこすげーな」

 「盆と正月がほんと大変だったよ、ここ数年は俺行ってねーけど」

 リョースケはコンクリートの継ぎ目から生えている、まだ短い雑草を引き抜く。

 「あーあ、ちょっと眠くなって来たわ」

 「俺も。腹いっぱいだと眠いよな」

 シンヤとリョースケは心地よいそよ風の下、目を閉じる。放課後までここで寝てしまおう。




 シンヤの両親は、マディウス銀河系移民調査船の乗組員として母なる大地を旅立った。体感時間数年の航海中に恋愛関係、そして夫婦となったふたりが、船体トラブル起因で不時着したこの惑星住民への帰化を決めるまでにさほど時間はかからなかった。

 不時着から数年後に、妻マリンナが妊娠したからである。

 これはきっと、この星で生きて行けと言う導きだとマリンナは確信した。夫サーテルも同意した。この子はこの星の子として育てたい。

 白い肌、青い瞳、アッシュグレーの髪。北方リスケル人の特徴を色濃く持つ夫婦に対して、この地球の国連は北欧地域への帰化を提案してきた。人の印象は見た目が大きい。少しでも溶け込める土地が良いだろうと言う判断だったが、夫妻が検討の結果最終的に選んだのは日本だった。

 「言語体系が、似ているのです」

 小型の翻訳機を使わずにサーテルはそう言った。

 「見た目もそうですが、言葉も大事です。我々の母語リスケル語と日本語は、文法のルールも単語の構成要素もよく似ています。ですので」

 そうしてふたりはリスケル系日本人、佐山悟と佐山満里奈となった。




 背中が痛いな、とリョースケは思った。屋上で寝たまでは覚えている。だけどコンクリの上に直で寝るのはイマイチだな。

 上半身を起こして伸びをする。隣にシンヤの姿はない。

 「ん?」

 周囲を見回す。シンヤはとうに起きて、給水タンクの囲いに腰掛けていた。

 「おう、起きたか」

 「……背中痛え」

 「俺もそれで起きた」

 シンヤは笑う。

 彼は容姿端麗眉目秀麗。街を歩けば振り返る女の子も多かった。だが、それは彼にとって単に鬱陶しいだけでしかなかった。

 どうして自分は他と違うのか。肌も目も髪もみんなと違うのはどうして。幼稚園から帰るなり母にそう泣いて問うた彼を母はやさしく抱きしめた。

 いいこと、人はみんな違うのよ。私たちはちょっとだけ、その違いが大きいだけ。みんな違う、そしてみんな同じ。この地球の人間なのよ。

 それでも彼の容姿は人の目を引いたし、それが好意だろうが悪意だろうが彼には邪魔だった。何も知らないくせに、知ろうとしないくせに。

 中学生になり、学校の図書室で過去の新聞アーカイブを閲覧してみた。そして、漂着した宇宙船の乗組員が日本に帰化をするという記事を見つける。やっぱり違ってたんだ、そういうことだったんだ。俺は地球人じゃない。ショックは受けたが、その分納得もした。どうして違うのかという問いの答えは得られたからだ。それでも両親は溶け込もうとしている。

 それからシンヤは、周囲に壁をつくることをやめた。肩肘張ることをやめた。それでも煩わしい事は色々とあったが、むしろ違いを自ら受け入れることで周囲の空気も変わったような気がした。

 「あれだな、寝るなら段ボールとか確保した方がいいな」

 リョースケが苦笑しながら、背中や尻からホコリを払う。

 「なんか肩がゴリゴリするわ」

 リョースケとつるむようになって三年。中学の頃に通っていたゲームセンターで話すようになり、およそ先入観とは無縁の地平から話すリョースケはかけがえのない友となった。

 「そろそろ六限終わるかな」

 「あと十分」

 「もうちょいか」

 鞄も教科書も全て教室に置きっぱなしだ。持って出れば帰り放題なのにな。帰り放題って日本語おかしくないか?とシンヤは一人笑う。

 「何よ、何笑ってんの?」

 「いや、なんでもねー。ちょっとバカなこと思いついただけ」

 「ふーん。まああれだよな、荷物持って来ればいつでも帰れたんじゃね?好きな時に。好きなだけ帰り放題」

 ぷっ、とシンヤは噴き出した。

 「うわおっ、なんだよ」

 「いや、俺もそれ考えてたの。帰り放題ってそもそも日本語おかしくね?」

 「全くだ」

 笑い会っているうちに、六限終了のチャイムが鳴り響く。これから簡単な掃除とショート・ホームルームだ。戻るならこのタイミング。二人は階段を降りて教室に向かう。

 「あっ佐山くん、午後どこ行ってたの!?」

 教室に入るなり、クラス委員長の横山がびしっと指を差して怒鳴った。

 「いやまちょっと、用足しに」

 「無断欠席いると北沼先生すっごく授業テキトーになるんだから、迷惑なのよ!」

 「そうなの?知らなかったな」

 「いないからでしょ!」

 「ごもっとも」

 飄々と受け答えるシンヤはすげーな、とリョースケは感心する。

 「だからせめて掃除に戻ってきたんだけど、いらなかったかな」

 「い、いるわよ!早く始めて!」

 しかしここに恋愛感情なんて挟まる余地があるのかね、と思うリョースケに美咲が近寄ってくる。

 「また屋上?」

 「うん、まあ」

 「鍵かけるって話も出てるみたいよ」

 「ならどっかにまた場所見つけないとな」

 「いいから、ほら」

 美咲が差し出した箒を受け取り、しぶしぶ掃除を始めるリョースケ。美咲の右手首に、細い銀のチェーンをあしらったブレスが、袖口からちらりと覗いた。

 正直な話、幼馴染と言われてもリョースケにその実感はない。ただの近所の女の子。ただ歳が同じだけの女の子。そんなのはそのへんにいくらでもいる。

 意識なんかしねーよ。そう考えることがかえって意識に繋がるということを、リョースケはまだ自覚していない。

 恋愛とか彼氏彼女とか言われても、わっかんねーよとリョースケは思う。好きな事を好きなようにやるだけで手いっぱいで、誰かのことなんか考える時間はない。でも高一の夏を過ぎたあたりからそんな空気があちこちで生まれ、噂になり、そしてそんな現場を目撃もした。

 シンヤは見た目があれだからモテるだろうな、とは思う。見たことはないけど、あいつには五つ上の姉さんがいると聞いたことがある。さぞかし美形なんだろうな。

 「手が止まってるんだけど」

 ちりとりを構えて待つ美咲の、冷ややかな声がリョースケの意識を現実に引き戻す。

 「お、おう」

 「また変なことでも考えてたんでしょ」

 「あ?ああ、ちょっとロシュの限界について」

 あわててごみを掃くリョースケ。

 「まあなんでもいいわよ、ほら」

 美咲が右手を差し出す。リョースケは箒を渡した。袖口にきらり、と光が揺れた。




 リョースケは部活動をしていない。文芸部に籍を置いてはいるが、これは廃部回避のために籍だけだもという悲痛なお願いを受けてのものであって、自分で何かを書くということも本を読み耽るということもしない。

 放課後のグラウンドで様々な部が動き回っているのを人気のない教室の窓から眺めて、リョースケはひとつため息をつく。

 「どした?」

 シンヤだ。さっき教室を出て行ったのにと思いつつも、リョースケは窓の外から視線を動かさない。

 「なんも、てか先帰ったんじゃねーの?」

 「それなんだ」

 背後からの声が若干真剣な色を帯びていることに気付いて、リョースケは後ろに向き直った。

 「どした?」

 今度はリョースケが問う。

 「これだ」

 シンヤがすっと差し出したのは、白い封筒だった。表には何も書かれていない。

 「下駄箱に入っていた」

 「おいおいおいおい」

 一気にリョースケの顔が下卑る。

 「青春かよおい!青春くんかよおい!」

 「いや、問題は中身なんだ」

 封筒の中から折りたたまれた便せんを取り出すシンヤ。

 「中身ってまさか、実は果たし状だったとかか?」

 「いや」

 すっと広げる。そこには、【もっと真面目に】という文字が細い明朝体で印刷されている。

 「……ナニコレ?」

 リョースケは言って封筒を手に取る。飾り気のない封筒に、差出人の情報はない。

 「わからん」

 困ったようにシンヤは言う。

 「こんなことして誰か得するのか?」

 「どうだろ。横山なら面と向かって言うだろうし」

 「お前よりは真面目なつもりなんだけどな」

 「そりゃ奇遇だ、俺も常々そう思ってる」

 なんでこいつとこんなにウマが合うんだろう。リョースケはシンヤとのことを考えると、どうしても最終的にその疑問へと行きつく。隠し事だってほとんどない。こうやってお互いに相談を持ち掛けることも頻繁にある。まあ親友ってのはそういうもんだろうな、結論はいつもそう出る。

 「まあ続くようなら調べる必要はあるんじゃね?それ一通じゃなんとも」

 「そっか、そうだな。ほんじゃ俺帰るわ」

 「おう、またな」

 教室を出ていくシンヤを見送って、リョースケはまた窓の外に目線を移す。ぎっちり勉強してからスポーツまでするなんて、エネルギー有り余ってんななどと考えながら。

 「岸本くん、まだ残ってるの?」

 若干非難のニュアンスが籠った声がする。横山だ。リョースケが振り返るとそこには当然のようにクラス委員の横山と美咲と、あともう一人誰だっけ?とリョースケの記憶で顔と名前の一致しない女子の計三名が立っていた。

 「用事がない生徒は速やかに下校するのよ」

 「へいへい」

 鞄を手に、席を立つ。

 「じゃあまた明日」

 用事がないと言われれば確かにない。ただ時間を潰したかっただけなんだから、それは俺の部屋でもいいんだよなとリョースケは思う。

 高校マまでは自転車で十五分程度。少し回り道をすれば大規模ショッピング・モールもある。そこにある様々な店舗でアルバイトをする生徒も多く、意外なところで知った顔に出会うこともあった。

 なので、リョースケはそこへは行かない。

 買い物がしたいわけじゃない。だけど、孤独を感じたいわけじゃない。他人は他人、知らない他人でいい。互いに必要以上に触れ合わない関係でいい。

 だからリョースケはいつも、ショッピング・モールから離れた書店……あれが出来る前はこの街で一番大きかったその書店に本を見に行っていた。巨大な商売敵ができて尚健闘を続けてはいたが、やはり客足は衰えている。むしろその減り具合がリョースケには好ましかったが、自分勝手な思いであることは承知している。

 店の前に自転車を停める。ぎゅいんというスタンドのばねの音が若干大きくなってきた気がする。今日は何か新刊出ているかな、とリョースケが思った次の瞬間、彼の目は一転に釘付けになった。

 店の自動ドアがすっと開き出て来た女性。アッシュグレーの髪、白い肌、青い瞳。清楚な佇まいと身のこなしにリョースケは目を奪われた。

 あっ、どっかで見たことがある気がする。その流麗な横顔に、確かに何か見覚えがあるような気がする。いやそんな記憶の底を浚うようなもんじゃないだろ。

 シンヤと、そのかーちゃんに似てるんだよ。

 リョースケは早鐘のように鳴る鼓動を自覚する。すっげー綺麗だ、綺麗ってのはこういうことを言うんだ。初めてシンヤの家に遊びに行って、かーちゃん見た時の衝撃もすごかったけどこれはまた別格だ。

 彼女が書店の紙袋を自転車の籠に入れ、颯爽と去って見えなくなるまでリョースケは呆然と立ち尽くしていた。そして結局書店に入ることもなく、ぼんやりと家路を辿っていった。色々考えようと思ってもどうにもならない。なるほど、これが恋なのかも知れない、とリョースケは思った。




 「シンヤ、一生のお願いがある」

 放課後、リョースケは思いつめたようにシンヤの前に立った。

 「おいおい、お前今まで何回転生した分まで頼んだっけ?」

 冷やかしたように言うシンヤも、リョースケの様子がいつもと違うことに気付いた。

 「……まあ話してみろよ」

 「お前の姉ちゃん紹介してくれ」

 「ちょ」

 突然のそれにシンヤはずっこける。

 「昨日本屋で見かけた。俺は運命を感じたんだ」

 「まてまて落ち着け」

 「俺も悩んださ、だがお前になら、兄さんと呼ばれてもいい」

 「だから落ち着けっての、姉貴はもう結婚してる」

 「えっ」

 ずーん、とリョースケの目の前が真っ暗になった。

 「短大出てすぐに結婚したんだよ。来年にゃ子供も産まれる。俺もうおじさんだよ。高校三年でおじさん確定」

 「そんな……俺の初恋は、始まる前から終わってたってことかよ」

 「はいご愁傷様」

 「うわっ」

 驚くリョースケ。いつから聞いていたのか、冷ややかに美咲が口を挟んできた。

 「おっ、お前には関係ないだろうリア充め。ブレスでも磨いてやがれ」

 「あんたらと比べたらほぼみんなリア充ね」

 「ちくしょう馬鹿にしやがって!今に見ていろ!」

 叫んで教室を飛び出していくリョースケ。シンヤは止めようかと腰を浮かせたが、脱兎のごとく駈け出したリョースケの姿はもうそこにはなかった。

 「あーあ、しょうがねーな」

 呆れたようにシンヤは言う。

 「姉貴もまた罪作りな」

 「お姉さんってスミレさんでしょ」

 「知ってんの?」

 「うん、バイト先の元先輩。就職してもたまに連絡くれるんだ。美人で優しくて、いい人よねー」

 「外面はいいんだよな。うちじゃ暴君なんだぞあれで」

 「家族なんてもんなものでしょ」

 「そうだろうなあ」

 言っている間に、とぼとぼとリョースケが戻って来た。鞄を置いて出て行ったので、戻ってくるだろうことは予想の範疇だった。

 「うん良し、判った」

 きっぱりとリョースケは言う。

 「俺はこれを糧に、一回り大きな男になった」

 「何もしてないじゃない」

 「うるせえ黙れ美咲」

 「そうだぞ山本美咲。リョースケが俺に頼むのに、どれだけ葛藤したことか。まあ探りを入れる前にいきなり紹介してくれってのはいささか拙速だが」

 「うるへー」

 リョースケの様子がいつも通りなので、シンヤは少し安心する。

 「じゃああれだ、失恋記念においちゃんがおごってやろう、ナガシマ商店で食い放題だ」

 「しゃあ、駄菓子ヤケ食いじゃあ!」

 ちょっと行った先にあるナガシマ商店は老夫婦が営む昔ながらの駄菓子屋兼雑貨屋で、暇な学生がたむろする場にもなっている。置いてある駄菓子は高くても三十円がいいところ。

 鞄を手に出て行こうとする二人に、美咲は慌てて声をかける。

 「あっ、ちょっと待って」

 「ん?まさか高校生にまでなって買い食いするなとか言わんだろうな?」

 「そうじゃないの、リョースケちょっとまって」

 「おれ?」

 リョースケとシンヤは顔を見合わせる。シンヤはふっと笑って手を振る。

 「じゃ俺先出てるわ。校門のとこで」

 「おう」

 遠ざかっていく足音、そしてひとつため息をつく美咲。

 「これでよし」

 「何が?」

 ふふん、と美咲の顔が緩む。何か悪だくみをしている顔だとリョースケは直感する。

 「狙いはシンヤか」

 「ご名答」

 「……横山?」

 「そそ」

 リョースケは何か記憶にひっかかったものを感じる。

 「そういや、昨日シンヤの下駄箱に怪文書が」

 はぁ、と大げさに肩を落とす美咲。

 「そうよ、それも横山さん」

 あきれ顔で額に手をやって、美咲は手近な椅子を引き寄せて座った。

 「ラブレター書きなさいって言ったのに、後から文面読んでびっくりしたわよ。やっぱりあんたたちも怪文書だと思ったのね」

 「しかも肉筆じゃなくて印刷だったしな。何かの暗号文か怪文書としか思わんだろう普通」

 「だからね、もう直に告白しなさいって焚き付けたのよ」

 「おいおいいいのかよそんな無責任に。何かこう、イベントとかを利用して仲を深めるとかしなくていいのかよ」

 「そりゃあね」

 座ったまま足をぶらぶらさせて美咲は続ける。

 「秋の文化祭とか冬の修学旅行まで待つ手もあるとは思ったけど、それまで耐えられないなんていうんだもん」

 「まあずいぶん先だしなあ」

 「リョースケみたいに、結婚されてからってのはお話にならないし」

 「うるへー」

 こんなに気安く話すようになったのはいつからだろう?存在を知っているくらいの幼馴染、近くにいるのは幼稚園以来、この四月が久しぶりだったはずなのに。

 「まあ確かにシンヤは目を引くよな。一緒に遊びに行っても、それは判る。ものすんげー見られるもんな」

 「綺麗でカッコいいからね」

 「でもあいつ、そういう風に見られるの嫌いなんだぞ」

 リョースケは、あの小柄なクラス委員のことが少し心配になる。

 「あいつは両親が帰化してからの子供だから、他の家族と違って向こうでの名前がない。見た目は違うけど、中身はただの日本人でただの高校生なんだ。だから」

 「そんな話もするんだ」

 美咲はじっとリョースケを見つめる。

 「俺とあいつは親友だからな」

 押し黙る二人。と、美咲がぽんと手を叩いた。

 「よし、じゃあそろそろ様子見に行ってみる?」

 「もうちょっと待ってみようぜ。なんかこう、スムーズにいく様子が想像できん」

 「否定できない……」




 時は少し遡る。

 リョースケと美咲を教室に置いて、昇降口に向かいながらシンヤは一人ニヤけていた。うまくやれよ山本美咲、お前がリョースケ狙いだってくらい、俺には判るんだぜ。すっぱりフリーなのが判った今が絶好のチャンスだ。失恋記念日が幼馴染との熱愛記念日になるなんてドラマチックじゃないか。

 と、下駄箱に人影が見えた。緊張の面持ちで立っているのは、クラス委員の横山だ。

 「おう委員長も今帰りか」

 「さっ、佐山くん、あのね、ちょっといいかな」

 「ん?」

 シンヤは来た道を振り返る。リョースケと美咲の姿は見えない。

 「ああいいよ、リョースケ待ってるから、来るまでな」

 「あのね、どうして佐山くんは、その、授業サボるの?」

 「あー、いやでもたまにだよ。今日だってちゃんと出たよ」

 なんだまたお小言か。たぶん担任あたりから事情でも聞けと言われてるんだろうな、とシンヤは思う。

 「なにか理由はあるの?」

 「はっきりした理由はないなー。ただなんとなく」

 「岸本くんに、無理に付き合わされてるとか?」

 「あいつはそんなことはしないよ。ただ波長が合うんだ、だから一緒にサボることもある。別に四六時中一緒にいるわけじゃないよ」

 「そ、そうなんだ。ならいいんだけど。クラス委員としては気になって」

 もじもじとする横山は初めて見るな、とシンヤは思う。

 「それでね、あの」

 そこまで横山が言った時、下駄箱の影から姿を現す三人の姿。上履きの色で、上級生だとシンヤには判った。

 「はい、クラス委員さんはそこまで」

 「えっ」

 「君二年C組の佐山信也くんでしょ?君に話があるんだよ」

 ずい、と乗り出す長身の女子。

 「写真よりずっといい顔してるじゃん」

 「ねえねえ、これからお姉さんたちと遊びに行こうよ」

 「楽しいよー」

 「結構」

 シンヤはぴしゃりと言う。

 「これから約束があるんで。行こう横山さん」

 「ちょっと待てよ!」

 「しつこい!」

 伸びる手を払って、シンヤは上級生をキッと睨みつける。氷のような鋭い眼差しに、彼女たちは思わずたじろいだ。

 「さあ行こう」

 横山の手を取って、シンヤは再び教室への廊下を歩きだす。

 「なっ、なんだよ気取っちゃってさ、宇宙人が!」

 手を握る力が強くなる。横山千恵は彼の横顔が初めて見る絶望に彩られていることを感じた。



 「あれっどうしたんだよ」

 リョースケは教室に入って来た二人を見て言う。険しい顔をしたシンヤは左手に横山の左手をしっかりと握り、そして連れられてきた横山千恵は今にも泣きだしそうな顔をしている。

 「オーケー落ち着こう。まずは武器を床に置くんだ」

 無論誰も武器など持ってはいない。これはリョースケのジョークだ。シンヤははっとして、握りしめていた横山千恵の小さな手を解放する。千恵はその左手に右手を添えて、胸に置く。

 「いや、俺はその、すまん横山」

 「ううん、いいの」

 美咲がそっと千恵に寄り添う。女子は女子に任せればいいな、とリョースケはシンヤに向き直った。

 「で、どうするんだ」

 「どうって、何が」

 「何って……あれ?」

 シンヤと横山千恵の顔を交互に見比べるリョースケ。しばしの沈黙の後、彼はぽんと手を叩いた。

 「よし判った。美咲、ちょっとこい」

 リョースケは美咲を連れて教室の隅に移動し、ささやく。

 「あれ本題言えてないぞ」

 「みたいね、下駄箱で何かあったのかも」

 「じゃあここで」

 「だね」

 二人はくるりと振り返って、作り笑いを浮かべる。

 「ち、ちょっと俺たち用を思い出したから」

 「あとで校門で待ち合わせね!」

 そそくさと立ち去るリョースケと美咲を見送って、ようやく横山千恵は口を開く。

 「な、なんか変な二人、だね」

 「なんだろうな、あれ」

 あきれたように言うシンヤの表情にさっきの絶望の影はなかったので、千恵はほっとする。

 「そういやなんか話が途中だったよな」

 どきり、と千恵の胸が鳴った。このタイミングで告白なんて出来るんだろうか?さっきみたいに拒絶されやしないだろうか?でも言いたい。言いたくない。言わなきゃ始まらない、言えば終わるかも知れない。ぐるぐると様々な思いが巡る。

 「あっ、あのね」

 「うん」

 「私、佐山くんのことをね、もっと知りたいの」

 それは千恵が必死に考えた言葉だった。

 「佐山くんの考えてることとか、思ってることとか、感じてることとか。佐山くんはみんなと一緒にいても、なんだか一人遠くを見てる気がして。だって私、去年も同じクラスだったんだよ。覚えてないでしょ」

 「そうだったんだ」

 シンヤは目を閉じて思い出してみる。けれど、去年のクラスメイトと言われても思い浮かぶ顔はない。

 「これが恋とか愛だなんて、私ちっとも思ってない。全然甘くも酸っぱくもないんだもの」

 ゆっくりと目を開ける。目の前で必死に胸の内を語る少女の存在を意識したのはやはりこの春だ、とシンヤは思う。遠慮なしにずけずけとものを言う委員長。

 「でもね、仕方ないじゃない。こういう風に感じてこういう風に表に出すのが私なの。もういっぱいいっぱいなの」

 シンヤはふっと笑って、涙目になっている横山千恵の左の瞳からそっとその涙を掬う。

 「言いたいことは判ったよ」

 「えっ」

 暖かさを指先に感じた。真正面から、自分という個人にぶつかってきてくれたことが何より嬉しいとシンヤは思う。

 「横山さん、俺たち付き合おう」




 「どうなったかねあの二人」

 一向に現れない二人を待ちながら、リョースケはぼやく。

 「地雷踏まなきゃ目はあると思うが」

 「地雷ってなに?」

 リョースケはやれやれといった風に言葉を返す。

 「シンヤのやつ目立つだろ?ガキの頃から、見た目でアレコレ言われ過ぎたみたいで、拒絶反応がすごいんだよ。安直にカッコいいとか素敵とか言われるともうすんげーの」

 「あーやっぱりそうなんだね。お姉さんもそう言ってた」

 「凡人には想像もできん悩みだな」

 「でも、ちょっと判る気もするな」

 遠くを見つめる美咲。

 「自分が望んだわけでもないところで色々言われるって、ストレスだよ」

 「かも知れん。お前も俺と幼馴染がどうとか言われて、嫌な気になったこともあるだろ」

 「それはないかな、別に何があるわけじゃなし」

 「ま、お前がそれでいいならいいけど」

 ひょっとしたら俺と美咲がくっついてたルートもあったのかも知れないな、とリョースケは思う。思ってはみたが、あまりうまく想像はできなかった。

 「俺も新しい恋を探すぜ!とか考えるようになるんだろうかね。なんだかよく判らんな」

 「探さないの?」

 「なんだよ、お前は余裕綽々だな」

 「そんなことないよ、いつもひやひやしてる」

 そう言う美咲の横顔は薄く微笑んでいるように見えて、一瞬リョースケはどきっとする。

 「横山さんのことがね、ちょっと羨ましいんだあたし」

 「ほう」

 「自分の気持ちを打ち明ける勇気を持てるって、すごいよね。あたしもね。色々相談に乗ってもらったりお守りまで貰ったりしても、全然駄目なんだ。なんでだろうね」

 言って美咲は右手を天に伸ばす。袖口から細い銀のブレスが覗く。手を戻し、美咲は左手でそのブレスを大事そうに撫でる。

 「どうしたら勇気が出ると思う?」

 「わからん」

 リョースケはきっぱりとそう答える。

 「俺も今日、シンヤに頼むかどうするか悩みまくった。授業なんてほとんど聞いてなかった。だからサボることも忘れてたくらいだ」

 「あっきれた、真面目にいると思ったらそんな理由だったのね」

 「だけどな、最後は自分がしたいようにするしかないんだよ。俺はそう思った。出来る範囲で出来ることをするしかないんだよ。当たり前っちゃ当たり前だけどさ」

 「そうだねえ」

 「割と遠慮しない所がお前の欠点だけど、そこは長所でもあると思う。だから好きなようにやってみたらいいんじゃないか」

 「なるほど了解」

 ぴょん、と一歩ほどジャンプして離れ、美咲は振り向く。

 「リョースケ、あんたあたしと付き合いなさい」

 その時、校庭の方から金属バットの鋭い打撃音が響いた。ああ、確かにカッキーンと来たな。顔を真っ赤にする美咲を見て、リョースケはそう思った。





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