第15話 巣別れの予感

 当たり前が当たり前でなくなる日が来る。それは確実に訪れる未来であり、逃げることのできない現実である。

 そうだ。天に輝くあの我々の太陽は、あと五千年もしないうちに膨張を始めるだろう。

 恒星の一生が終わるということは、その恒星を太陽と戴いてきた惑星もまたその生涯を終えるということだ。太陽系そのものが死ぬ。

 正直なところ、これは全く意識したことがなかった話なのだが……我々人類が本当にこの太陽系……この地球から生まれた生命であるのかは誰も知らない。確証もない。技術や文明が進歩して、太陽の寿命が尽きかけていることを知って、では我々の祖先はそこまで長く繁栄できた種族だと自覚して良いものなのだろうか?

 四十億年ほど前には、巨大爬虫類の世界があったという。何らかの理由で彼らの天国は消滅し、哺乳類が世界の主となり人類が誕生する。しかし果たしてそこからずっと切れ目なく、我々の時代が続いていたのか?

 過去の人類が遺した記録は驚くほどに少ない。五千年程度で歴史は追えなくなり、遺跡すら痕跡だけで確たるものは見つからなくなる。それでも、人類の即席らしきものだけは見つかる。それが連続した歴史上のものなのか、それとも先史文明とでも言うべき異種生命体によるものなのかを知らしめる資料はない。

 ならば我々人類こそが、長期に渡ってこの地球で繁栄してきた種であると思ってよいのではないか?連続性が不確かなのは自然環境の変化や大規模な戦争などで記録が途絶えただけで、そのたびに人類は再起して今に繋がっているのではないか?それはいささか乱暴に過ぎる楽観論であったが、それに縋るくらいに人の心は弱い。

 正直、この惑星に生きる正当性について私はあまり興味がない。例えば我々の先祖がこの星の先住民を殺して移住してきた侵略者であったとして、だったらどうだと言うのだ?他惑星にまで進出するような文明がそこまでするのなら相応の理由もあっただろうし、先祖の決断を否定したところで今さら何も変わることはない。そんな過去があったとしても、今それを証明できる材料はどこにもない。


 そう、どこにもない。


 発展した科学は、地中・海中に限らずこの惑星内にある過去の痕跡を全て調べ上げた。そのための時間はあった。いや、むしろそこに時間をつぎ込むことこそが、我々の願いであった。

 繋がらない歴史というのは、人類の存在を根本から否定し兼ねない。我々こそがこの惑星に生まれた生命であるという確証が欲しい。我々は、根無し草ではない。だからこそ学者連中は、先住民族の痕跡がないか必死に調べ続けていたのだ。

 他星系の宇宙人と出会えれば、何かヒントを貰えるかも知れない。我々の宇宙開発は、単に生活圏の拡大だけではなく、アイデンティティの確立という目的まで持つことになった。比較的環境の似ている火星や木製・土星の衛星に期待をした時期もあった。しかし、調べても調べても真実は見つからない。どこにもない。我々が純正地球人であるという証明が、どこにもない。


 そう、どこにもない。


 科学技術がいかに発展したとしても、無から有を取り出すことはできない。というかできなかった。少なくとも我々の科学力では不可能だった。極限まで効率を高めることと、無から有を生み出すことは全く概念が異なるわけで、一定量のエネルギーからそれ以上を生み出すことは、我々の科学では結局不可能だった。

 亜空間へのゲートを開くことはできた。亜空間航法、つまりワープも制限付きながら実現した。亜光速で飛ぶ宇宙船も実用化した。ワープと組み合わせて、銀河の辺境にある我々の太陽系を離れて別の島銀河へさえ飛ぶことができる。

 だからこそ欲しかったのだ。我々こそがこのマディウス銀河太陽系の人類であると、胸を張れる証明が。どこかで異星人に出会った時に名乗れる名前が。

 自分に自信を持てない人類は、技術を発展させ力を伸ばし夢を育てながら、母なる太陽系から一歩も動けず無為に時を過ごして来た。ぐずぐずしている間にとうとう、太陽の寿命が来てしまう。

 私からすれば、そんな些細なことで人類が数億年も足踏みしたどということの方が信じがたかった。むしろ何らかの原因で滅びた星に、私たちの祖先が移住してきたくらいの方がさっぱりする。辿れなくなった歴史の先の生命体がどんなものであったとしても、そんなものを気にする必要がどこにあるのだろう?

 船団を作り、旅をしながら移住先を探すというアイデアはもう千年も前から検討されていたが、ぐずぐずと迷った挙句に実行できずにいた。確実な移住先をまず探すべきだというのが反対派の意見で、ならばどちらもやったらどうかという案が出るのは当然のことだ。まだ余裕があるのならいざ知らず、あと五千年と期限を明確にされてしまえば、もう逃げ場はない。

 「しかしね」

 享楽主義を売りにする芸能人は言う。

 「五千年先って、そんなに差し迫ってますかね?」

 学者はその数字が、宇宙というスケールにおいてほんの僅かな期間であると知っている。しかし市井の人間には百年ですら永遠に近い響きを持つのだ。

 どちらの論も理解できる。だが、ミクロとマクロを同時に語ることは不可能だ。苦肉の策として、統一政府は外銀河四方面に対し、亜空間航行可能な移住調査船を出発させることを決定する。亜光速航行とワープを繰り返して移住可能な惑星を探し、その情報を持ち帰る。片道切符の船団方式では不安だという意見に最大限配慮したという話だが、どちらかと言えば学会へのガス抜きだ。

 調査船の定員は二百名。全長二百メルテ、全幅百メルテ、全高六十メルテにも及ぶ巨大な宇宙船には様々な施設・設備も用意され、航海中の乗員にはなるべく地球と同じ環境が用意される。

 計画を知った一部は、これが規模を小さくした移民船であることを容易く見抜いた。ただの調査船なら冷凍睡眠とワープを駆使すれば生活環境も二百名の乗員も必要ない。

 その乗員は基本的に一般公募で集められたが、どの船も定員を満たすことはなかった。それでも老若男女様々な志願者が定員の七~八割は集まったので、計画は無事進行することになる。

 「私はね、タシロ副長」

 新品のキャップを被り直し、隣に立つ副長に話しかけた。

 「民間航路の船員で、こういう半ば軍艦のような船を暑かったことはないんだ」

 「おっしゃることは判ります」

 お互いに真新しいユニフォームがまだ似合わない。

 「自分も副長を命じられましたが、軍にいたと言っても事務畑です。人の統率なんて、とてもとても」

 「お互い素人ってことだな、よろしく頼む」

 「こちらこそ」

 出発の一か月前から、ブリッジ要員の顔荒らせと訓練が行われた。一般公募者の中かに経歴や適性などによって役割が振り分けられて、必要な研修がお皆割れたのだ。とは言え、食料の生産から廃棄物の処理まで基本はオートメーション化されており、マニュアル片手でも問題なく操作できるレベルの装置が用意されていたので、単に役割意識を強調するくらいの意味しかなかった。

 こうして四隻の移民調査船はその体裁を整えて、気たるべき出発の日を待つ。二か月後に迫る新年に、この地球圏を飛び出すのだ。



 「船長はどうして志願なさったんですか?」

 航路計算要員のチムリル・ナリーナが自分の操作パネルから目を離さずに訊いてきた。ブリッジ内の計器とデータのチェックはほぼ終了しており、プログラムのメーカー修正が長引いたチムリル一等航海士担当分以外は完了している。私は彼女の作業が終了次第ブリッジ全体のバックアップ・アーカイブを作成する作業のため残っている。つまり広いブリッジには今、二人しかいない。

 「政府からはあまり歓迎されない計画だとききましたけど」

 予算の無駄遣いだという話は一年前から出ていた。学会も計画そのものの遂行を歓迎はしたものの、縮小された規模については苦言を呈している。

 人類の命運をかけるには思い切りの悪い、中途半端な規模だからだ。

 「他にすることもなかったから、かな」

 「あらあら、そうなんですか」

 他にすることがないというのは、まあ確かにそうだった。妻には早くに先立たれ、娘は少し前に嫁いでいった。計画参加の報奨金はそこそこの額なので、まだ話もない孫への贈り物にもなる。

 「まあね。それに、地球人は太陽系からずっと出ようとしなかった。外の世界を実際に見られるチャンスだ、これを逃す手はないと思ったのさ」

 「そうですわね」

 チムリルはくすくすと笑う。

 「宇宙は新たなフロンティア、と言いつつずっと地球に引きこもってきましたものね」

 「そうだな」

 月面に生活可能な拠点も作った。火星の気圧を人工的に引き上げ居住可能にするテラ・フォーミングも二世紀をかけて成功した。ラグランジュ点にスペースコロニーも建設したし、小惑星帯から資源衛星を引っ張って来て資源不足の解説もした。

 それでも結局、人類は地球に留まったのだ。

 「多分、志願した人々はみんな同じことを考えている。きっとこの旅は、人類の未来というよりも……個人個人が生きるための出発だと」

 「あたしもです。きっとこの旅の先に新しい何かが待っている気がしてならないんです。こんなに胸が高鳴ったのは、たぶん初めてです。みんなそうだと信じていますわ」

 誰かが行かねばならぬ、誰かがやらねばならぬ。もし傍観するだけでなく、挑む機会が与えられたのなら。その決断を下ぜる環境があったのなら。

 「だがね」

 陶酔したように言うチムリルに私は言う。

 「残る人も必要なんだ。私たちが移住先を見つけて戻るまで、人類の形を守る人々も必要なんだ。それは勇気や自覚じゃない、日々の生活で守るんだ。例えるにはちとバランスが悪いが、人類という車輪の両輪なんだよ」

 「さすがです船長」

 チムリルは感心したように言った。

 「いや、これは錠前座星雲銀河方面担当の、アレスティア船長の受け売りさ」

 私はあっさりネタばらしをする。

 「アレスティア船長って、元外宇宙方面軍大佐の?」

 「あいつとは古い友人でね。あいつは軍、私は民間で共に宇宙船に関わって来た。お互い、これを逃したらもう先はないしな」

 統一宇宙軍の傘下にある外宇宙方面軍。それは名ばかりの組織で、月軌道よりも外側に出ることは決してしない軍隊だった。有事に備えるのが仕事で、手段を目的化した組織だと軍内部からも揶揄される存在だったのだ。そんな組織で、大佐まで勤め上げるのはどんなに辛抱が必要だっただろうか。

 「今回、結構軍人さんの志願も多かったそうですよ」

 「そうだろうな。人類の敵はもう宇宙人くらいしかいないと言われてもう何世紀も経つけれど、異文明も謎の生命体も現れなかった。軍人がただトリガーを引く最終判断装置になって久しい……そういうのじゃなく、軍に奉職した本当の意味を求めているんだろうな」

 「働きアリって、一定数は働かないらしいんですよ」

 等々にチムリルが言う。

 「彼らは調整弁で、交代要員でもあるそうです。でもあたしが言いたいのはそれじゃなくて、あれ?その、なんだっけかな」

 「巣別れかな」

 私は苦笑しながら、首を捻るチムリルの後ろ姿を眺める。

 「そう、それです。新しい女王アリ候補たちが慣れ親しんだ巣を後にして、新天地を目指してどこか別の群れの王子アリと旅立っていく。本当はきっと、そういう計画の方が良かったんじゃないかって思うんです」

 「それは総本部の方でも揉めたんだそうだよ。だから、計画として両方の性格を併せ持つように調整された。定員二百名っていうのは、そういうことさ」

 別に箝口令も出ていないので、私はさらっと口にする。

 「そうしたら、クルーの中からお相手見つけないといけませんねあたし」

 「そのあたりは個人の裁量かな。だけど我々は帰る、帰ることを第一目標としたんだ。それさえ忘れなければ、船内での恋愛は自由だよ。不貞にならない限りはね」

 「ブリッジ要員以外とはまだ会ったことないんですよ、素敵な人がいるといいな」

 「そうだな。いい相手がいれば、航海に張り合いも出るだろう」

 ぽん、と勢いよくタッチモニターを叩いてからチムリルがこちらに向き直る。

 「船長、航法コンピュータのプログラム更新とデータ再登録、試験座標による経路計算シミュレート全て正常です」

 「ありがとうチムリル君。ではこれよりブリッジ内システムのバックアップ及びアーカイブ作業に入る。君は退室してよろしい」

 「最後まで付き合いますよ」

 ウインクするチムリル。

 「すぐ終わるから、待つほどじゃないよ」

 ホログラフ・モニターの明滅点にいくつか触れる。シーケンスバーが伸び、その下の数字が百パーセントになる。

 「ほら、こんなもんだ」

 「えーっ、あたしたちの作業量とずいぶん違いませんか?」

 「そりゃシステムだけだもの。データとキャッシュとログは常にバックアップされてるから」

 「なんか不公平感があります」

 むくれるチムリルに私は苦笑する。

 「そうは言っても、役割分担というのはそういうものだよ。さっきの話じゃないけど、働きアリと兵隊アリに女王アリ、全部揃ってアリの巣だ。仕事そのものは違っても、目指している場所は同じ」

 「ふふっ、納得したふりをしておきます船長」

 「構わんよ」

 私はチムリルのいたずらっぽい笑顔につられて笑い、ブリッジ内の照明を落としていく。非常灯と、モニターの少ない灯りだけになる。

 「さあ退室だ。ブリッジ内の予備作業は今日で完了、あとは出発一週間前まで自由行動が許可される」

 「はっ」

 敬礼をするチムリルに、私も敬礼を返す。

 「しばらく地球には帰れない。楽しんできなさい」

 その言葉は多分、チムリルでなく自分に向けて言ったんだろうと私は思う。ひょっとしたらもう戻ることのない旅路になるやもしれない。

 だが、それでも。

 出ていくチムリルを追い、私もブリッジから退出した。もうすぐこの船が私たちの生きる場所となる。人類の命運を乗せた船になるのだ。



 統一歴三千百七年、こうして地球から四方の銀河に向けて、四隻の調査船が飛び立った。彼らの行く手に広がるのは、ただ無限の大宇宙。星々はただ、静かに瞬いていた。





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