第13話 魂の石

 ドワーフ女にも髭はある。

 それは下卑た冗談であって、要は斧をブン回し酒を飲み豪快に暴れるドワーフに性別なんざ関係ないだろうと言う揶揄だ。人間からしたらドワーフなんてその程度の認識でしか見られていないってわけだけれど、だからと言って取り合うことはしない。

 あたしは別に自らの種族を恥じることはないし、そんな揶揄も立て板に水で受け流すことにしている。だいたいが、そんなことを言う連中なんてほぼ役立たずと決まっているからだ。

 あたしはもう何年も上質の鉱石を探して旅をしている。自分が思い通りに、思い切り振るえる斧を自分の手で鍛えたい。だから旅に出た。地元で取れるミスリル銀では満足できなかった。もっと軽く、もっとしなやかに。風も切り裂けるような斧を作りたいんだ。

 そんな斧が完成したとして、そこから先の事は全く考えていない。魔王がいるわけでもなし、戦争があるわけでもなし。だけど、人間の倍はゆうに生きるドワーフとして生を受けて、その時間を無為に過ごすことはしたくなかった。

 だから旅に出た。

 あちこちのドワーフ集落を巡って判ったことだが、あたしみたいな感じで旅に出る者は案外多かった。というかかなりいた。目指す方向性には若干の違いがあるものの、特に家を継ぐでもない者はかなりの割合で旅を志していた。なるほど、種族全体としては人間に遥かに数で劣るドワーフ族が、冒険者としては普通にうろうろしているのはそういうことか、とあたしは納得した。

 「あたしは剣を打ちたいんだ」

 知り合ったばかりの女ドワーフは焼き魚を頭から齧りながら、豪快にそう言う。

 「双剣だ。すらりと伸びた刀身を寸分の違いなく打ちたい。だから自分で剣を打って、それを使って旅をして、また新しい剣を打つ。そんな風に旅をしてる」

 そうか、こいつにあと必要なのはイメージなんだなとあたしは思う。もう素材は手に入れているんだろう、あとは感触だけ。

 「あんたは何を作りたいんだい?マガリア」

 「あたしは斧だ」

 ジョッキのビールを飲み、あたしは答える。

 「だけどまだ材料が見つからない。理想の地金を探してウロウロしてる最中さ」

 「いいね、乙女の理想は高くないと!」

 「おいおい、ドワーフが乙女だってよ!」

 近くの卓で呑んでいた若い男共の中からそんな声が上がる。わざと聞こえるように大きな声で。

 「髭まで剃っておめかしとは気合いが違うね」

 下卑た笑い。はぁまたか、とあたしはため息をつく。半端な山賊みたいな連中って、どうしてこうもワンパターンなんだろう。

 「おいお前ら、いい加減にしな」

 割って入る、ちょっと二枚目風が出て来た。なんだろうねまた。あたしは無視して焼いた鶏のモモ肉にかぶりつく。

 「なんだ手前は!?」

 「やろうってのかこの野郎!?」

 「お嬢さん方、ここは私に任せたたまえ」

 ポーズまで決めるそいつを見ながら、姐さんは冷ややかに言う。

 「そういうの見飽きてるんだ。どうせそこの連中とグルでしょ?」

 周囲のギャラリーからくすくすと笑いが漏れる。卓のチンピラは落ち着きなくきょろきょろし始め、二枚目風は耳を真っ赤にする。

 「おっお前たち、表に出ろ!相手をしてやる!」

 チンピラ三人と二枚目風は酒場を出ていく。まぁあの空気で続けるわけにもいかんよな。連中の姿が見えなくなると、酒場の中は元の騒々しさを取り戻す。

 「全くさ、なんだってああいうのはパターン同じなんだろうね?」

 「ここ地元だろうにね。あたしだったら出来ないなああいうの」

 奥の舞台で、エルフの吟遊詩人が歌い始める。遥か昔の、始祖王の冒険譚。あたしたちはその歌を聞きながら、様々なことを語り合った。武器の理想、故郷の村、旅の思い出。お互いに長い一人旅だけれど、似たような境遇の女がいるというのはなぜか嬉しかった。

 食べ、飲み、語り合い、満足したあたしたちはそれぞれの旅の成功を祈って別れた。すっかり夜も更け、風が酒に火照った肌に涼しい。宿まではちょっと距離があるが、まぁいい気分で帰れるだろう。

 「ちょいと待ちな姉ちゃん」

 と、そこに建物と建物の間から人影が躍り出た。まじかこいつ、どこまでパターン踏むんだ。

 「よくも恥をかかせてくれたな?おい」

 「知らないよ」

 あたしは頭を掻きながら言う。さっきの二枚目風が、肩で息をしながら立ち塞がった。

 「あんたが勝手に恥かいたんだろうが」

 「ふざけんな!」

 闇夜にきらりと何かが光った。小ぶりのナイフが月光を反射したんだ。

 「やめときなよ、どうせあたしは明日でここを発つ。恥の泡塗りしてどうすんだい」

 「うるせえ、思い知らせてやる!」

 二枚目風がナイフ片手に飛びかかってくる。こんな奴、飲んでいてもあたしの敵じゃない。てきとうにぶん殴って終わりだと思った次の瞬間、後ろから叫ぶ声がした。

 「危ない!」

 あたしは驚いて飛び退いた。何者かが二枚目風に向かって飛び込み、二人の人影はもつれ合って地面に倒れる。

 「なっ、なんだお前は!?」

 立ち上がる二枚目風。その手にあったはずのナイフは、乱入者の右太腿に刺さっていた。

 「うあっ!」

 その悲鳴を上げたのは刺された方ではない。刺した二枚目風の方が驚きの悲鳴を上げ、腰砕けになる。

 「あ、あ、あ、なんだ、なんだよ!」

 「大丈夫か!?」

 あたしは倒れたまま足を抱える乱入者に駆け寄って、上半身を抱き起す。

 「だ、大丈夫、じゃない」

 それはそうだと思いながらそいつの顔を見る。苦痛に顔を歪めているのは、さっき酒場で歌っていたエルフの吟遊詩人だった。あたしがナイフを抜こうとするとそいつは手で制する。

 「これは、いいから、逃げなさい」

 「何言ってる!?」

 「ひゃああああ!」

 二枚目風は悲惨な悲鳴を上げて逃げ出した。いや、お前に逃げろって言ったんじゃないだろう、この場合。その見事なとんずらっぷりに一瞬我を忘れていたあたしだが、はっと気づいてエルフの顔を見る。

 「は、ははは、あなたでなく彼が逃げましたか」

 「あ、いやそれより足を」

 「これは大丈夫」

 エルフは言って懐から聖印を取り出して掲げ、静かに何かを呟く。聖印から発した淡い緑色の光が彼の体を包み、そして突き刺さったナイフはまるで肉の奥から押し出されるようにして抜け落ち、ことりと音を立てて地面に転がった。

 「ね。大丈夫でしょう」

 「なんだ、あんた回復魔法使えるのか」

 「ちょっと違うんですけどね」

 エルフは言ってひとつ息を吐くと、にっこりと笑った。

 「とにかく、ご無事で良かった」

 「あ、ああ」

 顔と顔の距離が意外に近いことにようやく気付いたあたしは、慌ててそいつを立たせ少し距離を取る。酔っぱらっているとは言え少し無防備に過ぎた。

 「彼はこのあたりの不良のリーダー格らしいですよ。酒場のマスターに頼まれましてね」

 ナイフを拾い上げるエルフ。その所作は月光に照らされて神々しく美しい。

 「マガリアさんでしたか。私はソルムと言います。旅の吟遊詩人です」

 「あ、ああ。戦士のマガリアだ、どうもありがとう。何か、例をさせてくれないか」

 あたしはついそんなことを口走った。普段なら決して言わなかったと思う。だけど、青白い月の光の下で、思わず言ってしまったのだ。

 「では戻って一杯奢って下さいませんか」



 頭が痛い。バケツを被せられて叩かれているように鈍痛ががんがん響く。ああこれは二日酔いか、そこまで飲んだつもりはないんだが。薄目を開ける。ここ数日見慣れた天井だ、ここは宿のあたしの部屋で間違いはない。

 部屋の中は明るい。もう日は昇っているのだろう。まいったな、今日は昼までにこの村を発つつもりだったんだけれど。

 あたしは軽く息を吐いて目を開けた。これくらいの動きなら行ける。そろそろと身をよじって仰向けになり、ベッドから足を突き出す。吐き気が胃の奥から湧き上がってくる。待て、待つんだ。あたしは敵じゃない。そんな脈絡のないことを考えながら、そろりそろりと足の裏を床に付けるように腰を動かす。

 ふう、ともう一つ大きくため息をついて……あたしは上半身を起こしてベッドに腰掛ける形に体勢を持って行く。圧迫される胃から、さっき消えたはずの吐き気が蘇ってくる。違う、お前なんか呼んでない。

 ベッドの脇に置いておいた道具袋から水薬の瓶を取り出して、中の液体の色を確かめて蓋を開けて中身を一気に飲み下す。ちょっと高価な回復解毒薬だが、こういう時に効果てきめんなのだ。

 しばらくその体勢でいると頭痛が和らぎ始め、吐き気も倦怠感も失せていく。

 ああ参った。だけどこんなになるまで飲んだっけ?あたしはか細い記憶の糸を必死に手繰り寄せる。双剣の姐さんと別れて、それから……

 「ああ、あいつか」

 そうだ、あのエルフの吟遊詩人と酒場に戻ってまた飲んだんだった。色々話もした気がする。あいつも何か歌っていたように思う。うん、楽しい酒だったことはたぶん間違いない。

 そんなあたりで完全に回復したので、あたしは手早く荷物をまとめる。とっとと宿を引き払わないと。

 少し離れたテーブルには焼いたパンと目玉焼きとベーコンの、簡素な朝食が用意されていた。あたしはパンを手に取る。微かに温度を感じるくらいだから、まだちょっと遅いくらいの朝であることには間違いない。卓上のポットから水を木のカップに注いで口を潤し、朝食を済ませる。

 ここも無駄足だったな、とあたしはため息をつく。純度の高い銀鉱脈があると聞いてきたのだけれど、既に鉱山は五十年前に閉じていた。まあ風の噂なんてそんなもんだ。素材さえあれば、それなりのモノを仕上げる自信はある。実際今使っている斧だって、そのへんの武器屋で売っているものよりもよっぽど強力だと言う自負はある。

 でも違うんだ。あたしは理想を求めて旅を始めた。だからまだ続けるんだ。

 荷物を背負って部屋を出て階段を降りる。フロントで宿賃の残りを払い、礼を言う。各地にある冒険者向けの宿は一般旅行者向けの宿と違い、それほど充実した設備を持ってはいない。旅が目的ではないからだ。最低限の環境があれば良い、そういう思想で経営されているのだ。

 「おはようございますマガリアさん。さ、行きましょう」

 あたしが宿を出ると声をかけてくる男がいた。旅支度をしっかり身に纏ったソルムが、笑顔で手を振っていた。あたしの頭の中は一瞬真っ白になり、目の前の事象に対しての判断を放棄する。放棄した上で、村の北側出口に向けて歩き出した。

 「ちょ、ちよっと待ってくださいよマガリアさん」

 なんかついてくる。

 「昨日私もご一緒するって言ったじゃないですか」

 なんかついてくる。

 「マガリアさんが誘ってくれたんじゃないですか」

 まだついてくる。

 あたしは必死にもう一度記憶の井戸の底を浚う。なんか言ったような気もするが、何かを言われた気もする。それが思い出せない。

 あたしはぴたりと立ち止まる。ソルムが嬉しそうに前に回り込んできた。

 「どこか北の山奥に、静かに眠る魂の石」

 歌い始めるソルム。

 「竜の鱗も光の盾も、一振りだけで薙ぎ払う」

 ああ、この歌に聞き覚えがある。

 「ね、これなんですよ」

 ソルムは嬉しそうに言う。

 「マガリアさんはその魂の石を探したいと言いましたし、私のこの歌の続きを探したい。だから二人で旅に出るって約束したじゃないですか。覚えてませんか?」

 「うーん」

 あたしは目を閉じて考える。思い出そうと必死になる。でもこのメロディーは確かに昨日聴いた気がする、ような気がしなくもない、という雰囲気もある。というくらいにあやふやだ。

 「この歌はね、私が幼い頃に村を訪れた吟遊詩人が歌っていたものなんです。彼も、この歌の続きを探して旅をしていると言っていました。私もずっと心の中にこの歌のことが残っていましてね。だから吟遊詩人として旅に出て、歌の続きを探しているんです」

 そこまで聞いて、やっと頭の中からいろいろな記憶が引きずり出されてきた。ああそうだ確かにそんなこと言ってた。確かにあたしから旅に誘った。こいつは二つ返事でオッケーした。

 思い出すと同時にあたしは深く後悔をしていた。気ままな一人旅が信条じゃなかったか?昨日の姉さんならともかく、エルフの男だぞこいつ。

 でもまあ確かに言い出したのは自分だし、酒が入っていたからというのは今さら反故にする理由としては弱い。それに昨日こいつは回復魔法のようなものを使って見せた。戦士の一人旅は怪我の心配が付きまとうけれど、こいつがいれば多少は安心かも知れない。

 引け目と打算とで自分内会議の結論は出た。まあいいか、こういうのも。

 「判ったよ、一緒に行こう」

 「はい、お互いの目的に向けて!」

 あたしとソルムは並んで歩き出した。この先に、目指す物があることを願って。

 魔王との戦いが伝説となった世界。暗雲などが世界を包んでいない時代。わりと呑気で時にシビアなそんな世界、その名はサンクレア。



 これは、そんなサンクレアを舞台にして繰り広げられる、あまり大したことのない物語の一節である。



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