第11話 夢と希望で成り立つ絶望
東京郊外に不時着した異星人の宇宙船は、地球に大幅な技術革新をもたらすことになった。慣性制御や反重力推進のシステムについては概念のみの提供ではあったが、同時に提供された合金や小型・高出力の発電システムは機械そのものの剛性や性能を格段に上げ、絵空事とされていたものが実現していく。
その代償として、異星人は母星からの救援が来るまでの生命と生活、人権の保障を求め認められた。遺伝子構造がほぼ地球人類と等しく、交配すら可能とされる異星人からの申し出を断る理由も皆無だったからだ。
彼らの母星が属する太陽系の主恒星はあと数千年ほどで膨張を始める前兆を見せており、移住できる惑星を探す旅の途中で事故に遭ったのだという。まだ若い太陽を彼らは羨ましがったが、知的生命の存在する惑星は移住の対象にならないというルールがあるため断念したという。
「この地球にも、そのような物語が多数あることを知りました」
テレビに出ていた異星人の代表は笑顔でそう言った。
「異文化との接触は不幸な始まりから不幸な終焉を迎えることが多い。しかし我々は、その発端は宇宙船の事故でこそありましたが、お互いに良好な関係を築いていけそうなことは、実に素晴らしいと思います」
スタジオは拍手と笑顔で埋まり、友好は素晴らしい、理解と共存こそ平和の象徴だというメッセージで特別報道番組は締めくくられた。
そんな出会いからもう二十年が過ぎた。
宇宙船からは救難信号が発信され続けているが、未だ応答はない。漂着した異星人総勢百五十三名の中からは、地球落着の三年後には数名づつ帰化の要望すら出て来た。
驚いた国連は希望者と面談を始め、また受け入れ先の国家・地域についても斡旋を開始した。他星人からの施しで生きていくのではなく、自らの力で生活したいという彼らはそれぞれ興味を持った文化や自然を持った国や地域の一員となるべく散っていった。
そして今年、最後に残った宇宙船の船長が母星の救援を断念し、日本に帰化すると表明。自らの手で宇宙船の救難信号を停めたというニュースは、さほど世間の話題にもならなかった。
「昇様、もう起きないと」
体を揺すられて僕の意識は現世に引き戻される。もう朝か……?
僕をゆっくり揺する小さな手の感触を胸に感じて、僕は薄目を開けた。シンプルなメイド服に身を包んだシホが僕を眠りから引き戻すべく揺さぶっている。今日は土曜日で仕事は休みのはずだ。
「……もう少し寝たい」
「だめですよ昇様。今日はおじさまのお店に行くお約束の日でしょう?」
はっと目が覚める。
「ちょっと待て、そんな約束した覚えはないぞ」
「いいえしました。この間、お電話でお受けしたって言ったじゃないですか」
「そうだったっけ?」
「んもう」
シホは腰に手を当てて、ぷうっと頬を膨らませる。
「ちゃんとお話は聞いていただかないと困ります。この間だって、帰りにお買い物をお願いしたのに」
「それはもう謝ったじゃないか」
「こういう弱味はいつまでも握るのが女心というものです」
僕の所に来てもう一か月を過ぎ、シホもだんだんとここの生活に慣れて来たようで色々と遠慮がない部分も出て来た。
「それに昇様はちょっといい加減すぎます。いえ、いい加減な昇様をフォローするのもシホの喜びですけれど、あまり毎日喜びばかりではシホの身がもちません」
なんだそれ?文句を言ってるのかデレているのかどっちなんだろう?と僕は半分寝ぼけた頭で思う。
「とにかくもう起きて下さい。今日はおじさまのお店でお昼を作る約束になっているのです」
「はいはい」
僕は上体を起こしてから大きく伸びをしてベッドを降りた。シホはシーツと掛布団をささっと整えるとキッチンに向かう。
「シャワーを浴びてらして下さい、その間に朝御飯の準備をします」
「よろしく」
「任されました!」
シホの返事はいつも小気味良い。僕は手早くシャワーを浴びると用意されていた服を着てダイニングのテーブルにつく。用意されていたのはトーストに目玉焼き、生野菜が少しとオレンジジュース。洋風な朝食のイメージとでも言うのだろうか?
もっと手を抜いてもいいよと言ったこともある。あんパンと牛乳でもいいと言ったこともある。けれどそのたびにシホは、きちんとした食事の準備はシホの仕事ですとか、男子厨房に口出すべからずだとか抗弁をするのだ。なのでもう面倒になって、要望を聞かれた時だけ何か言うことにしている。
「あれっ、向こうで昼飯作るってことはお前も行くの?」
「はい、行きますよ。材料はおじさまが用意して下さるので、シホが行って調理します。他にお客様もいらっしゃるとのことです」
「ふうん、誰だろうね」
「さあ、シホは特にお聞きしてませんけれど……昇様もシホも普段着で良いとのことですから、それほど肩肘張らなくて良いくらいのお客様なんだと思いますよ」
「まあいいか、しっかり頼むよ」
「お任せください!昇様の恥にならないよう、シホはしっかり頑張ります!」
同じ市内とは言え、先生の雑貨店まではかなり距離がある。これはもう三十年くらい前に流行った自治体の合併の影響で、元々は別々の町や村だった場所が合併してひとつの市になったわけだ。このような例は類挙に暇がなく、全国の自治体数は一気に減ったという。
合併の目的は行政サービスの効率化が主目的だったが、不採算でも細々と続けられていた事業が打ち切られるなど負の側面ももちろんあった。そのあたりについては、国鉄や電電公社の民営化にも見られた出来事で、それでも一概に悪手だとは言い切れない。
それなりに時間のかかる距離なので、いつもは移動に電車を使うのだけれど……今回はシホがいる。彼女はなんとかいうアイドル歌手(結局名前を調べていない)の遺伝情報をモデルに作られているので、見た目はその歌手に瓜二つだ。近所への買い物くらいなら簡単な変装でも十分だろうけれど、駅に出て電車に乗るのはリスクが高いような気がする。
「電車で大丈夫ですよ」
タクシーを提案した僕に、シホはこともなげにそう答えた。
「昇様は気にし過ぎです。髪型と眼鏡と、帽子があれば大体大丈夫なものですよ」
「そうなのかい?」
「ええ」
くすくす笑いながらシホは言う。
「ここに来る前の研修期間に、公共の交通機関は一通り乗る訓練をしましたもの。堂々としていれば大丈夫なんですよ」
「そんなものかね」
「そんなものです。さあ行きましょう!
マンションを出て駅まで歩く。僕の左腕に無邪気にしがみつくシホを、街行く人々はちらりと見はするものの凝視する人はいなかった。なるほど、堂々としていれば大丈夫というわけだ。
「ほら昇様、大丈夫でしょう?」
電車内の乗客はまばらで、座席のロングシートに座る人も数えるほどだったので、僕もシホも問題なく着席できた。
「そりゃそうだけど……あんまりくっつくと注目されるんじゃ」
「注目されるほど人はいませんよ。それに久しぶりのデートですもの、いいじゃありませんか」
「デートって」
「お買い物はデートに含まれませんからね」
「そうなるのか」
僕はもう観念した。騒いで衆目を集めるわけにも行かないのは当然のこととして、こんなことで喜んで見せるシホの笑顔を消したくないと思ったからだ。
シホと接するうちに、そのとにかく前向きな言動と僕に向ける絶対的な好意にも慣れて来た。その意識が操作されたものであったとしても、長く接してしまえば【そういうものだ】と認識してしまう。慣れと言うものは恐ろしいものだな、と僕は思った。
各駅停車で二駅目で降り、そこから徒歩で十五分ほどの住宅地に先生の雑貨屋はある。ちょっと前にはここまで頻繁に通うことになるとは思ってもいなかったな、と左腕にシホの体重を感じながら思う。
「こんにちは」
店内に入って声をかけた。カウンターの向こうには先生が、そして手前には年配の紳士が立っている。知らない人だな、と僕は思った。
「おじさま、お久しぶりです」
シホがぴょこんとお辞儀をする。
「おお良く来たな二人共。ささ、こっちに来なさい」
先生の手招きに応じて、僕とシホはカウンター前まで歩を進めた。
「この二人は初めてだったな、紹介しよう。ハセガワ・ノボルとシホだ。そしてハセガワ君、彼は儂の知人で、アレスティア・ドランドだ。いや、もう山田義明と紹介した方がいいのかな?」
「えっ?」
全く関連のないように思える二つの名前を出されて僕は混乱する。そもそも見た目は普通の日本人にしか見えないので、アレなんとかという名前には違和感しかない。
「アレスティア・ドランド様?そのお名前はマディウス銀河の移民調査船、船長様ですね」
シホが笑顔を崩さずに言う。
「ええっ?」
僕は驚く。知ってるんだ?
「先日のニュースで拝見いたしました。アレスティア船長の帰化により、マディウス調査船団の乗員全員が地球人になったと。お目にかかれて光栄です」
「これは驚いた」
老紳士も笑顔で答える。
「こんな小さなお嬢さんなのに物知りだね」
「その子はこないだ話したエイチ・イーだよ」
「なんと!」
老紳士は今度こそ驚きを隠せずに目を見開いた。
「地球の科学はすごいな、どう見ても普通の人間じゃないか」
「あんまり見ないでください……」
じろじろと見られるのが嫌なのか、シホは僕の後ろに隠れて小さくなる。
「すまんすまん、こら山田」
「ああ、申し訳ないお嬢さん、つい驚いたもので」
老紳士は苦笑いをしながら謝るが、シホは僕の影から出ようとはしなかった。
「ははは、その様子を見る限り二人はうまくやってるようだな」
「もちろんですともおじさま!シホと昇様はラブラブです!」
「ちょっと!」
「ラブラブです!」
「うんうんいいじゃないか」
僕の異議を却下するシホに、それを肯定する先生。シホは多分本気で言っているし、先生は僕をからかっている。もうだいたいいつもこのパターンになる。
「それで、彼が地球人……日本人として新しい生活を始めてもう半年になるのでな。久しぶりに食事でもと思って呼んだわけだ。シホ、こっち来なさい」
「はい」
先生とシホが奥に引っ込んで、僕と山田氏だけが残される。しばらくの沈黙があり、先に口を開いたのは山田氏だった。
「ハセガワ君と言ったか。君はあの子と暮らしているのかい?」
「はい」
「以前から話だけは聞いていたが、実際に会うのは初めてだったんだ。驚かせてしまって済まないと思っているんだが、君から謝ってはもらえないだろうか?」
「別にいいですけど、ご自分で謝られた方がいいと思います。あの子は根に持つタイプじゃないし」
「そうか、その方がいいか。当然だな」
山田氏はふっと笑った。
「君はその、なんだな。彼女が人間でないと知って受け入れているのかい?」
「そうですね」
僕は少し逡巡したが、ここで本心を隠しても仕方がないなと思って素直な気持ちを喋ることにした。
「なんていうか、彼女に会った時にもうネタばらしはされたので、知らずに会うという選択肢は始めからありませんでした。受け入れるとか受け入れないとかの話も、半ば状況に流された感じだったのでもう成り行きでしかなかったですね」
そうだ、あの日僕はここでシホと出会ったんだ。
「僕はもう若くはないから、ある程度騒がずに受け入れるだろうっていう先生の計算もあったとは思います。でも一緒に暮らすことになってしばらくしたら、もう彼女が人間だとかそうじゃないとか、そういう部分を気にすることはなくなったと思います。あの子はあの子、それでいいんじゃないかって」
「成る程」
山田氏は深くため息をついた。
「理想的な回答だ。これが地球人、これが日本人なんだね」
「いや、そこまで持ち上げる必要はないです。僕はどっちかと言えば偏屈な方ですから」
「謙遜しなくてもいいよ。成る程、彼がどうして私に君たちを紹介したのか判った気がする」
「はぁ」
「お二人とも、そろそろ準備ができますのでお庭に出てくださいな」
何か納得して頷く山田氏と、何が何だかよく判っていない僕。シホの呼ぶ声で庭に出ると、そこには小型コンロ前でなにやらいじっている先生と、肉と野菜を串に刺してバーベキューの準備に勤しむシホが待っていた。
「おじさまがいいお肉を用意してくださいましたよ昇様!」
その様子を見る限り、シホにさっきの拒絶感はない。
「おじさま、火の用意はいかがです?」
「うーん、新素材の熱輻射セラミックを使ってみてるんだが、どうにも熱量が上がらん。こいつがうまく行けば、火を使わない焼き料理が出来るようになるもんで一儲けできるはずなんだが」
「なんですそれ」
「つまり複層構造のセラミック素材に新配合の素材を挟むことで、与えた熱量を維持するだけでなく一定時間は増幅するというシロモノなんだ。理論的にはうまく行ってるんだがなぁ」
僕は縁側に備長炭の袋も用意しているのを見つけたので、ひとつため息をついてその袋を手にコンロへと近寄った。
「新素材の実験はもっと慎重にすべきですよ先生。炭でやりましょう」
「ううむ、仕方ないな」
先生がしぶしぶ一斗缶にコンロ内のセラミック片をざらざらと片づけたので、僕は空になったコンロに備長炭を入れ、液体燃料のチューブから中身を少し塗って火をつけ、団扇であおいで点火する。しばらくすれば炭自体に火が入って、あとは放っておける。
「火が点いたなら教えてくださいね。それまではお飲み物をどうぞ」
シホは当然のようにジュースを飲み、僕と先生は缶ビールを、山田氏はウーロン茶を手に取る。
「あら?お酒でなくてよろしいのですか?」
「ありがとうお嬢さん、私はアルコールが苦手なんだ。これにさせてもらうよ。それと、さっきはじろじろ見て済まなかったね」
「はい、いいんですよ山田様。シホもちょっと驚いただけですから、謝罪なさらなくて大丈夫です。それにあの時、昇様がシホのことを身を挺して庇って下さいましたから、もうそれだけでシホは幸せ有頂天なんです!山田様に大感謝です!」
「シホお前、後半は言葉にしなくていいんだよ、そういうのは」
僕はげんなりして言う。
「それよりほら、もう火の準備出来たから焼いて焼いて」
「はい!」
シホは二つ返事でコンロにバーベキュー串を並べる。鼻歌まで歌いながら。
「まあなんだなハセガワ君。君とシホのところはうまく行っているようで何よりだ」
その先生の言い方に、僕は何か引っかかるものを感じた。
「うまく行っていないところもあるんですか?」
「半々といったところかな。男女どちらも今のところ半々くらいだ。愛情の初期設定値が少し高いのかも知れんが、もう少し観察の必要はあるだろうな」
「人格の設定もできるんですか?」
山田氏が興味津々そのものに口を挟む。
「完全に望むものを作り出すことは、今のところできん。同じ遺伝情報、同じ教育プロセスを経ても同じ人格が出来上がるわけではない」
「うまくできてるものですね」
「そういう意味ではエイチ・イーの目的自体は完遂しているんだ。ただそうなった場合に、大きな問題が浮上してくることも確かだ」
「大きな問題」
山田氏が身を乗り出す。僕はただ黙って二人の会話を聞きながら、せわしなく串焼きをひっくり返すシホの後ろ姿を眺めていた。
「つまりね、これは儂個人の見解なんだが……もっとロジカルに、デジタルに動いてくれたのなら、こちら側としてもそういう態度が取りやすくなるんだ。だがもう彼ら、彼女らを人間と区別することが我々研究者ですら難しくなりつつある。ハセガワ君、君だってもうシホ個人の意思を、意見を尊重することに抵抗はないだろう?」
「え、ええ」
急に話を振られたので僕は少し驚いた。
「先入観など、簡単に乗り越えられてしまうものなんだと痛感することしきりだ。だがそれと同時に、生活を共にしながらも未だ受け入れ切れていない人々がいることも確かなのだ。この不安定さ、揺らぎこそが人間の本質だとしたら、もうエイチ・イーは人間と言ってもいいのではないだろうか」
先生は言ってビールを一口飲む。そして山田氏が静かに言う。
「そうですね」
左手の中のペットボトルを見つめて、彼は続ける。
「この惑星の民となった我が同胞たちについても、全員が無条件に受け入れられてはいないようです。こちらで調べた結果、異星人であるという出自の理由よりも当人個人の資質が問題になるケースが大半のようです。その柔軟さは、美徳だと私は思います」
「まぁ全てが全てそうなれば良いのだけどな。狭い範囲では問題なくても、国家や人種などという話になってくると途端に好戦的にもなるのが地球人だ。だからと言って混ぜれば全て解決するものでもないと儂は思っているがね」
「はいはい、お肉焼けましたよ!どうぞお召し上がりください!」
シホの陽気な声が暗くなりかけた雰囲気を壊してくれたので僕はほっとした。目の前の人がどういう由来なのかということよりも、どんな人であるのかで判断したいと思うのだ。
さて、そうは言っても若くない男三人とローティーンの少女一人である。そんなに量は食べられないわけなのだけれど、そもそもそれを見越していたのか用意された食材の量もさほど多くはなく、特に余らせることもなく無事にバーベキューは終了した。コンロの炭は、先生が用意した一斗缶に入れて水を注いで火を消す。紙皿と割箸などのゴミはまとめてゴミ袋へ、飲み物の空き缶やペットボトル類は洗って分別するというシホがまとめて先生宅のキッチンへ持っていった。
「君たちにだけ、本当のことを話しておこう」
夕焼け空を見上げながら、山田氏がすっきりとしたような顔でそう言う。
「我が調査船がこの星に不時着した時……もう既に我が母星は滅んでいた」
「えっ」
「我々が母星を経つ頃、確かに我々の太陽の寿命は尽きかけていた。遥かな距離を、ワープを繰り返し冷凍睡眠までも使って旅を続けているうちに、タイムリミットなどとうに過ぎていたんだよ」
光の速さを超えて飛ぶワープ航法。そんなものを駆使して、彼らは辿り着いたのか。
「この事実を知っているのは船長の私と副長の二人だけだ。その他の乗組員たちは全員、母星からの救援を心から信じていた。そして諦め、この星の住人となることを選んだ。
私には意外だったよ。何としても宇宙船を修理して旅を続けるべきだと主張する乗組員が一人もいなかったのだ。旅を続けるにしても、まずは母星との通信を確立すべきだとね。
多分もう、再びあの暗黒の宇宙に旅立つような気力を持つ者はいなかったのだと思う。それくらいにこの星の空と重力は、我々の心を掴んで離さなかったのだ」
山田氏はしみじみと語る。
「我々の旅……母星の住人が移り住む星を探すという旅は失敗した。しかし、我々の血はこの星の血に混ざって生き続けるだろう。ある意味では、移民は成功したのだ」
「まあそんなことだろうなと思っとった」
先生がぽつりと言う。
「別の銀河にあるはずの母星への連絡が、通常の極超短波通信の変調でしかない時点で単なるアリバイ作りでしかないとは思っていたよ。恐らくは国連の対策会議の連中も気づいていただろう。判った上で君たちの良識に期待したのだと儂は思う」
「良識か」
「もしくは、来たるべき自らの運命に対する先行投資」
「先行投資ですか」
つい僕は口を挟んだ。
「母星を失い漂白した異星人を、異星人であるからという理由だけで追い返してみろ。今後自分たちがそうなった場合に、誰が手を差し伸べてくれると思う?そういう意味での、遥か未来への先行投資というわけだよ」
「成る程。そういう考え方もあるのか」
山田氏は愉快そうに笑った。
「山田よ、君たちの太陽系は儂らのものよりも先に発展をしていた。その過程でもし……もし儂らの地球と同じく誰かを受け入れていたのなら、滅びゆく母星に救いの手があったかも知れん。それを知るすべはないが……そう信じることはできる」
「ロマンチストですのねおじさま」
いつの間に来たのか、シホが僕に寄り添いつつそう言う。
「この歳でロマンチスト呼ばわりもこそばゆいもんだな、だがなシホ、人は夢やロマンを忘れてはいけないもんだ。お前さんにだって夢はあるでろう?」
「夢ですか?それはもちろんありますけれど……ここでは申し上げられません」
「ふむ、人には言えない夢か」
「申し訳ありません……」
シホがしゅんとするのを僕は久しぶりに見た気がする。そしてその様子を見て慌てる先生の姿も、また久しぶりに見た。
「い、いやいやいいんだよシホ。他人に言えない夢があったっていい。儂にだって、人に明かせん夢のひとつやふたつはあるしな」
「ふたつもあるんですか?」
「夢は希望はいくつ持っていてもいいんだよお嬢さん」
山田氏が優しくそう言うと、シホはぱっと笑顔になった。
「そうなんですね!ではシホもそうします!」
やれやれ、と僕は思った。何にしても、シホには笑顔が似合うからだ。
「昇様」
とうに寝たと思っていたシホが静かに言った。
同じベッドで寝るのにももう馴れはしたが、夏はきっと暑くて仕方なくなるだろう。
「今日はいろいろありました」
僕は敢えて返事をしない。目を閉じたままゆっくり呼吸を続けるだけだ。
「もう眠ってらっしゃいますか……ではこれはシホの独り言です。なのでお返事はいりません。シホは……シホは、昇様のことが大好きなんですよ」
知ってるよ、と僕は心の中で返事をする。
「でもね、違うんです。この好きは、前の好きとは違うんです」
なんだろう、何を言っているんだろう。
「シホが昇様のことを好きなのは、シホが百八号として作られたからです。シホ・シリーズは皆、誰かご主人様と決めた方を愛するように作られました。そしてシホはそのことを知っています」
遠くをバイクが走っていく音が聴こえる。遠く……
「昇様は、そんなシホでも受け入れてくださいました。つくりものであるシホを、つくりものであると判って人格ごと受け入れてくださいました。だからシホは、それまでの前提だった好きを離れた、別の地平から昇様のことを好きになったのです。研究所に用意されたものではなく、自分の心で新しい好きを見つけたのだと思います」
なんだか判るような判らないような、それでもシホが何か胸の内を必死に説明していることは伝わってきていた。
「実は今日、おじさまに昇様との暮らしはどうか、と尋ねられました。もし不満があるのなら別の御主人を紹介しても良いとも言われました。でも、シホには昇様以外の御主人なんて考えられないとお答えしました。おじさまはそれなら良いとおっしゃって、頭を撫でてくださいました」
なんだか光景が目に浮かぶようだった。先生もなんだかんだ言って科学者なのだから、それくらいの役回りはこなすのだろう。
「不思議なのです。研究所にいた頃、おじさまたちに頭を撫でられるとものすごく嬉しかったはずなのに、今日おじさまに撫でられても……もうそんなには嬉しくはなかったのです。おじさまのお店から、昇様がさあ帰るよと声をかけてくださったことの方が、シホにはよっぽど嬉しかったのです。このお部屋に帰れることが何よりも嬉しいと思ったのです」
暗い部屋に、滔々と響くシホの声は耳に心地良い。
「シホの夢は……まだ昇様にも申し上げることはできません。たぶん叶うことはないと思います。それでも想い続けていいんですよね。叶わぬ夢と知っていても、願っていいんですよね」
僕はあの山田氏の、母星の話を思い出した。赤色巨星と化した太陽に飲み込まれる前に、どこかの誰かが救いの手を差し伸べてくれただろうか?そうあって欲しいと願うことは単なる気休めでしかないのだろうか?
「シホはこんなですから、絶望というものを知識として知ってはいても、実感として思ったことはありませんでした。ですけれど、今のシホの夢はその絶望の先にあります。シホの希望は絶望と共にあります。シホの絶望は、夢と希望で成り立っています。今日はそれがよく判った一日でした。おやすみなさい、昇様」
静寂が寝室に満ち、そして僕は眠りに落ちた。
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