第10話 銀髪のエミルリルル(下)

「名前だ。私はエミルリルル」

 照れたような言いながらも食事を続ける彼女に俺は精一杯笑いかける。

 「そうかエミルリルル、俺はリックレックだ、よろしくな」

 「それはさっき聞いた」

 「違いない」

 俺は改めて彼女、ダーク・エルフのエミルリルルを見た。質素な冒険者風の服を着てはいるが特に武器らしい武器は持っていない。服そのものも使い込まれている感じではないので、この任務で与えられたもののようだ。濃褐色の肌と肩ほどまでの銀髪、そして長い尖り耳。言動が幼いことから考えて、外見年齢と中身の大差はなさそうだ。十四、五歳と言ったところか。なんとかの生き残りだとか言われていたが、まだ幼ければそんな集団の技も充分には受け継いでいないだろう。

 「後で晩飯食いに出るからな、足りなくても我慢してくれよ」

 「嫌だ、表に出たくない」

 「それは……見つかったらひどい目に遭うからか」

 頷くエミルリルルに、俺は少し思案する。

 「だけどな、このへんで出前してくれる店ってどこも大して美味くないんだぞ」

 「嫌だ」

 「朝は宿で出してくれるからいいけど、昼と夜は食いに出ないと」

 むっつりと黙り込むエミルリルル。まあ確かにあの連中は甘ちゃんなりに訓練されてはいた。大貴族の館に侵入した賊があいつらだと言うのなら、この娘が警戒するのも判らなくはない。一流とは決して呼べないが、少なくともアマチュアではない。

 「でもさ」

 俺はぽんと手を叩いた。

 「俺がこのへんにいるのってバレてんじゃね?」

 はっ、とエミルリルルが顔を上げた。

 「それにあの三人のうち誰か生きてたら、俺とお前さんが一緒に逃げたってのもバレてるんじゃね?」

 がくがくと震えだすエミルリルル。その双眸に一気に涙が噴き出す。

 「まあ落ち着け。少なくともまだ無事ってことは、バレてないか大事の前の小事で見逃されてるかのどっちかだ」

 俺は必死に脳細胞を回転させる。と言っても物理的にそうしているわけじゃなくこれは思考を巡らしているという比喩表現だ、などとどうでもいいことまで考えてしまうのは悪い癖だ。

 「だからむしろ、人の多い場所に出向くことで相手の思うとおりにさせないのがいいと思う。もちろんその恰好じゃすぐバレるだろうから服は変えた方がいいな。昼間は冒険者ギルドあたりに入り浸っておけば色々誤魔化せるかも知れない。それと名前も連中は知ってるだろうから、縮めてエミリーと呼ぶが、いいか?」

 エミルリルル……エミリーはこくこくと頷く。俺は宿のおかみさんを呼び、エミリーくらいの子が着るような服を売っている店を訊いてみた。すると彼女は、夫妻の娘が少女時代に着ていた可愛らしい服をいくつも提供してくれ、着付けまでしてくれた。

 「まあすっかり見違えて」

 おかみさんも亭主も上機嫌で送り出してくれた。俺は礼を言って、エミリーと共に盗賊ギルドへと向かった。そろそろ夕刻で窓口が閉まる。一日ただたむろしていたごろつき共が、酒場に向かって一斉に移動していく。まるで回遊魚だ。

 表でしばらく待っていると、息を切らせてフローラがやってきた。

 「何よ急にディナーのお誘いなんて」

 「うんまあ色々あって」

 「あら?この子誰?」

 俺の影に隠れようとするエミリーを見つけて、フローラの声色がちょっと変わる。機嫌を損ねたか?

 「紹介するよ、この子はエミリー。あ、これは俺の昔馴染みでフローラだ。警戒しなくていい」

 「ダーク・エルフね」

 じっ、と見るフローラ。

 「まあいいじゃないかそんなのは。とにかくまず飯だ、詳しい話はそれからってことで」

 俺は二人を連れて鶏料理が評判の店に入った。ここは店内も広いし、窓も多い。襲撃するにも都合がいい店だがその反面、逃走ルートも多い。

 「あのさ、今日の午後にどっかで殺人とか傷害のニュースってあったか?」

 さっぱりと蒸し上げられた鶏肉を口に運びながら俺は聞いてみた。

 「ううん、特になかったと思うわ。……ってリックレック、あなた何かやらかしたの?」

 「いや、ニュースがないならいいんだ。俺は平和を愛する男だからな」

 わはは、と誤魔化して見てもたぶんフローラは勘付いただろう。エミリーも不安そうに下を向く。

 「あー、それから」

 俺は水のグラスを手に取る。

 「済まないけど明日からしばらく、昼の間だけエミリーをギルドに匿ってくれないか」

 「やっぱりそういうあれなのね。可愛い女の子の面倒見だけはいいんだから」

 「何言ってやがる、そんなんじゃねぇよ。俺は仕事を選びはしても、やらされはしない」

 「そうだったわね。ほら手が止まってるわよ、どんどんお食べなさい」

 エミリーに優しく微笑むフローラ。はっとなったエミリーは食事を再開する。

 「でも大丈夫なの?何をするつもり?」

 「何もしないよ」

 「ウソおっしゃい」

 「ほんとだって」

 俺は笑って見せる。

 「もし連中が例のアレだとして、持ち出したものをどうするかまでは見当もつかない。今ふたつ持って行かれて、それでもまだ満足してなかった。つまり連中は四つ全部欲しがっている」

 「そうね、そうなるわね」

 フローラはエミリーをちらりと見た。この娘が俺を尾行していたのは恐らく、連中の計画に俺が邪魔だったか利用しようと考えていたからだろう。つまり大貴族家の証、残り二つを奪う計画は遂行中だったわけだ。

 作戦に投入される人員が多いのなら、何か所か同時に襲ってもいい。だがそれをしないということは、賊はさほど多くないし手際も良くはない。そして現状、四人は参加不能に陥っている。あの三人の男とエミリーだ。

 「だけど連中の頭数は減った。一時撤退するか続けるかで揉めると思うんだ」

 「……やったのね?」

 「だから何もしないで様子を見る。補充をしてまで続けるか一時撤退か、今の戦力でもめげないか。正直な話、俺たちは逃げ切ればいいだけなんだ。賊を捕まえるのは警察の仕事だし、依頼がなければ手を出す義理はない。使い捨てにするつもりだったようだからエミリーも詳しいことは知らされていないだろうし、だからわざわざ忙しい中に人手を割いてまで口封じをするような重要人物じゃないと思う」

 「でも助けるんでしょ」

 「違う。だから助けるんだ」

 俺は鶏肉をフォークでつつきながら続ける。

 「行きがけの駄賃程度に消されていい命なんてないんだよ。人を殴っていいのは、殴られる覚悟がある奴だけだ。面白半分で殴る奴は許さない」

 「相変わらず火が点くと熱いのねリックレック」

 「熱かないさ、なんたって今回は逃げ隠れしようって算段だからな。そういやローリーから話聞いたか?」

 「ああ、田舎に引っ込むって話でしょ?一緒にどうって誘われたけど」

 「あれ、ちょっと考えてもいいかなって思ってるんだ」

 えっ、とフローラは手を止めて赤面する。白い肌が上気して桃色になる。なんでだ?

 「そ、それ本気で言ってるの?」

 「ああ、俺は別に自分の集落に帰る気もないしな。帰る家をそこに作ってから、それから先のことを考えるってのもいいかと思ったんだ」

 「でもやだ、どうしよう私、そんなこと急に言われても」

 「別にお前はゆっくり考えてもいいんじゃねーの?それこそ見合いでもしてさ、未来の旦那と一緒に移住してもいいわけだし」

 フローラが真顔になる。

 「ああそうねそうよね。そういうのはゆっくり考えた方がいいわよね」

 なんだろう、急にフローラの声色が強硬になった気がする。肌も元の陶磁器のような白さに戻った、

 「とにかくさ、ここ二週間くらいが山だと思うんだ。あとできたら警察にも秘密にしたい」

 「なんで?」

 「別に警察を信用してないわけじゃないが、たぶんエミリーの身の上は色々複雑だ。居場所を特定されたくないというのよりも、何かあった時にすぐ動けない組織に預けたくない」

 「あなたならなんとかできるの?」

 「連中はプロだけど一流じゃない。盗賊ギルドの上位ランクなら余裕で勝てる相手だよ」

 「じゃあ、討伐依頼が出たら受けるの?」

 「受けないと思うよ」

 穴だらけになった鶏肉を口に放り込んで俺は答えた。

 「この期に及んでまで、盗まれた物が何なのかっていう確定情報が出てこない。もしそれが本当に大貴族を、この国を揺るがすっていうんならちゃんと公表して体勢を整えないと駄目だ。単なるお宝狙いの盗賊団じゃなく、国がひっくり返るっていうならね」

 「そうなのよね。結局何が盗まれて、盗まれるとどうなって、って部分が全然判んないんだもん。ギルドの方も全然盛り上がらないのよね」

 「かと言って、いい加減な盗賊団ならとっくに捕まってるだろうに二つも持って行かれてる」

 「ちょっとリックレック」

 「ん?」

 「さっきから二つ二つって、奪われたのは昨日の一つだけじゃないの?」

 眉をひそめるフローラ。

 「いや、ローリーが言ってたぞ。ちょっと前に一回目があったらしいって」

 「そんな報道どこにもなかったよ」

 「情報統制だろ」

 俺は付け合わせのニンジンを口に放り込んだ。

 「ギルドにも抗議が来たっていうのが引っかかってたんだ。たぶん昨晩の事件のニュースソースはギルド内の誰かだよ」

 「そんな、だって」

 「それっくらい大事な何かを盗まれて、盗まれたことも公表できなくて。だから警察は通常の捜査と警備で当たるしかないわけで、だから冒険者ギルドに捜索の依頼も出ないし盗賊ギルドに探索の依頼も出ない。出せないんだ」

 俺はウエイターを呼び止めて、食後のデザートを持ってくるよう頼んだ。ウエイターは軽く礼をして奥の厨房へ引っ込む。

 「いいかフローラ、俺たちは正義の味方じゃない。悪と見れば見境なしに突っ込むような権限も力も与えられていないんだ。だからこそ目の前の小さな正義を大事にする。俺がエミリーを守りたいと思うのはそういうことだ」

 「なかなか御立派な決意ですね」

 その声に俺ははっとして視線を上げた。この声は知っている、こいつは!

 三人分のデザートを銀のトレーに乗せて立っていたのはさっきのウエイターではなく、朝方に宿へ来ていた巡査長……!

 「……あんた」

 名前が出てこない。が、顔は覚えている。エミリーの動きが止まったが、フローラが大丈夫とエミリーに目配せする。

 「途中からですが聞かせていただきました」

 「盗み聞きは証拠になるのかね」

 「違法な手段でなければ大丈夫なんですよ」

 余裕綽々と言った風に巡査長は言い、デザートのシャーベットを俺たちの前に並べた。

 「残念ながら、我々もあなた方と同じくらいの情報しか掴んでいません。何か判らず守れと、誰か判らず防げと言われても難しい。そのあたりはご理解いただけているようで安心しました」

 「まあ警察が無能だなんて言うつもりはないよ。味方にさえ情報を流さない上がどうにかしてるってだけでさ、いつも困るのは現場だ」

 「ですね。ただ一つ……リックレックさん、あなたは連中と接触しましたね?」

 エミリーが俯く。

 「ああ、つけられた上に襲われたんでね。懲らしめてやった」

 「プロではあるが一流ではない、それがあなたのご感想でしたね。それはどういう?」

 全てをありのままに喋るのは良くないと俺は判断する。が、変に誤魔化すのも逆に面倒を呼ぶ気がしたので、ある程度辻褄が合うように創作を混ぜることにした。

 「どこかで隠密の訓練を受けて来たのは、身のこなしを見れば判る。でも板についてる感じはなかったから、長くてここ数年の訓練で研修終了ってとこじゃないかな。俺の尾行に不可視魔法をかけたローブを使っていたが、あれは衣擦れはするし簡単に脱げるものじゃないから、尾行だの潜入だのに使えたもんじゃない。作戦に使う装備なら組織が用意するもんだ、なら組織そのものがその手の活動に慣れてない」

 「なるほど」

 「不可視ローブはそんなには使えない装備だが、だからといってひょいひょい手に入るものでもない。だから素人が思い付きで動いているわけでもない。なのにローブを使うということは、そいつらは盗賊ギルドとは繋がっていない。そこが繋がっていたら、もっとマシな手を考えるからだ。つまり連中はプロではあるが一流ではない。まあこんなところだ」

 「ふむ」

 また巡査長はメモを取っている。几帳面だな。

 「築堤地区で多量の血痕があったと通報がありましてね。襲撃現場はそこでよろしいですか?」

 「通報してないのは悪かったが、正当防衛だぜ」

 「いえ、血痕はありましたが負傷者も死者も見当たりませんでしたから、喧嘩の跡という線で終息させるつもりです」

 巡査長は不敵に笑う。

 「で、そちらのお嬢さんは」

 エミリーがびくっと肩を震わせた。

 「この子は俺の古い知り合いの娘でね。王都見物に来て、落ち合ったところで巻き込まれた」

 「巻き込まれた?」

 「その現場に居合わせちまったんだよ。だから怯えてる」

 「これは失礼を」

 「たぶんあんたに、噴水広場の話をしたからじゃないか。内通者がいないか調べたらいい」

 むう、と唸る巡査長。

 「そ、そうですね。あの話は他からは特に報告がなかったのですが」

 「まあそうだろうな。あの場に同業は何人もいたけど、訊かれてもいないことをわざわざ言うフロルスはあんまりいない」

 「ではなぜ」

 「あんたが仕事熱心に見えたからさ、ギルフォード巡査長」

 俺は言ってウインクする。やっと名前を思い出したのだ。こうやってなんとなく味方意識を作ってやれば、後々思わぬところで役に立つこともある。

 「ありがとうございますリックレックさん。ギルドと宿の周辺警備は強化しましょう」

 「あんまり派手にならない程度でお願いするよ。それでお宝の警備がおろそかになったと言われたらたまらん」

 巡査長は敬礼をして去っていった。俺は一つため息をついてテーブルの上のシャーベットに目をやったが、シャーベットはもう半分ほど溶けて液体になっていた。

 「あーあ、これ変えてもらえるかな」

 「やめなさいよみっともない」

 そんな俺とフローラの様子を見て、エミリーが初めて小さく笑った。

 「あなた、色々大変だとは思うけど」

 フローラはそんなエミリーに慈愛の微笑みを向ける。

 「私たちは味方だから安心して頼ってね。一人で抱え込まなくていいのよ」

 「……はい」

 俺はエミリーの素直な返事を初めて聞いた。しょうがないよな、と俺は自分に言い聞かせる。しかし今、まとまった金と自由な時間が手元にあるのは実に幸運だ。

 割り切ればいいってもんじゃないよな。

 俺はそう納得することにした。納得したんだからもう考えない。考える必要など、ない。



 あの夕食以来、宿の外でエミリーは俺のそばを離れようとしなくなった。というか押し黙ったままひたすらに腕へしがみついて来る。盗賊ギルドへ連れて行き、預ける際にも無言は続いたが、カウンターの奥からフローラが出てくると今度はフローラにしがみついて離れなくなった。彼女は仕方なく、妹のようにも見えるダーク・エルフを左腕に装着したまま業務をこなさなくてはならなくなった。

 まあ仕方ないよなと俺は思った。死にたくないのは誰だって同じだし、例の現場に血痕以外なにもなかったというのなら、彼女の所在もまた探されている可能性はある。

 ただちょっとその怖がり方が異常だなとは思う。俺がトイレへ行くたびに、エミリーは部屋の中で不安そのものといった様相でうろうろし続けるのだ。扉の隙間からそれを見ている俺も悪趣味と言えば悪趣味なのだろうが、あの三人とやりあった感触からするとここまでの反応は大げさすぎる。またエミリーがトイレに行く時は、俺にトイレの扉の前にいろと言う。なんかこう、聞かれたくないとか知られたくないとかそういう恥じらいみたいなものを想像していた俺だが、それほどまでに襲撃を恐れているのだとしたら、これは咎めるとか茶化すとかは絶対に駄目だろう。

 それでも少しづつ心を開き始めてくれたので、刺激しない程度に過去の話をそれとなく聞いてみた。彼女エミルリルルは遥か南方の集落出身で、父母と弟と暮らしていたという。あまり思い出したくないのか、過去の話をある程度続けると涙ぐみ始め、最終的にはベッドに寝かしつけないといけなくなる。幼児退行なのか、それともダーク・エルフの歳相応なのか俺には判断がつかない。ひょっとしたら見た目よりも幼いのかも知れない。

 幸いにして、宿のおかみさんがエミリーのことを非常に気に入ってくれて、毎日違った服装や髪型を整えアクセサリーを貸してくれる。変装道具を仕入れるべきかと考えていたが、それは不要になったみたいで運がいい。

 盗賊ギルドには、俺の古い知り合いの娘というあの巡査長にしたのと同じ説明をした。人見知りが激しいがギルドの仕事を見学もしたいという、多少無理のある設定でだ。真相を知る者は少ない方がいいだろう。

 日中手の空いた俺は日がなぶらぶらしながら情報収集をする。王立図書館で古文書の類も読んでみたがよく判らん。始祖王やその盟友に絞って調べてはみたものの、証だの資格だのなんて話はどこにも載ってはいなかった。発想を変えて建国童話の幼児向け絵本なんていうものも見てみたが、これが驚くくらいの数があった。普通こういうのは決定版があるんじゃないのか?ほぼ同じストーリー、同じ展開、同じ登場人物に同じようなセリフ。わざわざ新しく描く理由はどこにあるんだろう?

 うんざりしながら絵本に目を通していた俺だが、しばらくするうちある事に気づいた。出版年度によって、盟友が紹介される記述の順番が変わっている。英雄王は置いておくとして、聖騎士、聖職者、魔術師、学者。この四人の仲間を紹介する文章が、数十年で入れ替わっている。俺はその疑問を司書に投げてみた。

 「ああこれですか」

 老司書は悠然と答える。

 「これには深い意味はありません」

 「だけど、一社じゃなく同時期の本全部がこうなってるのには、何か理由があるんでしょう?」

 ははは、と司書は笑った。

 「理由はあります。でも大した理由ではないのですよ。深い意味はないのです。つまりですな」

 司書は手元の絵本を開いた。

 「始祖王の盟友が四英雄。王は別格としても、四英雄に序列はありません。全て等しく始祖王の盟友です。なので順番を意識せぬように、たまに入れ替えをしているのです」

 なるほど、と俺は思う。ついでにもう一つ尋ねてみることにした。

 「納得です。あと一つ、盟友たちも始祖王と同じ出身だったんですかね?」

 「盟友たちの出自ですか?」

 司書は首を捻った。

 「そうです、どの絵本にも盟友たちは東西南北の地からそれぞれ始祖王の元に集まった、というくらいに簡単な紹介しかないですが、具体的にどのあたりから、みたいなことを書いてるお話っていうのはあるんでしょうか」

 「さあどうでしょう、そのあたり、確たる原典があるわけでもありませんし」

 「いやそれは変です」

 俺の中に何かがひっかかった。

 「原典は建国史の古文書のはずです。そっちには書かれてないんですか?」

 「確かに古文書の解読はほぼ済んでいます。が、盟友たちの出自に関する記述は絵本のものと大差ありません。というか、絵本は原典の記載をかなり忠実に再現しているのです」

 「つまり、建国史そのものが絵本レベルの書物でしかないと」

 「はい、現在見つかっているものはそうなります。もしかしたらもっと詳細な文書があるのかも知れませんが、もしそういったものが見つかったら学会は大騒ぎでしょうな」

 ひとしきり笑った後に、司書は逆に俺へ尋ねた。

 「しかし、盟友の出身地とはいったい?どうしてそんなことを知りたいのですか?」

 「あ、いやね、それが判れば村おこしなんかにも使えるかな、なんて」

 「なるほど、そういう考えもありますね。英雄の生まれた村、なんて観光名所になりそうだ」

 一緒になって笑いながらも、俺の内心は暗澹たる気持ちが充満していた。そんな伝承なり伝説があれば誰かが先にそれをしている。この国にはそんな場所はないのだ。


 そしてあの夜から五日が過ぎ、街角から警官隊の姿が減った。


 数が減っただけで巡回はしているように見えた。恐らく三つ目の襲撃があったのだろう。つまり賊は諦めていなかった。警官隊が減ったのは負傷したからだろうか?それとも四つ目に向けて防備を固めているのだろうか。

 「どうなのよ、何か判った?」

 フローラの左腕をぱっと離して、今度は俺の左腕にエミリーはしがみついた。

 「全然判らん。まるっきり見当違いじゃないとは思うんだが、始祖王と大貴族ってのはよく判らんことばっかりなんだよ。せめて何を盗られたかくらい教えてくれんもんかね」

 「こうまで隠すっていうのはちょっと異常よね。公表できない理由ってなんだろ」

 「さあなあ。四つ持ってかれると何がどうなるのかすら判らんもんなま。天地がひっくり返るとか、国が亡びるとでも言うんかね。魔王が復活するとかさ」

 背筋に冷たいものが走る。まだごろつき共がうろついているカウンター前だぞ、これは殺気だ!

 俺はしがみつくエミリーの腕から左腕を引き抜きつつ、腰のダガーを後ろの天井に向けて投げる。次いでエミリーの頭を抱えるように抱いて床に伏せさせ、もう一本のダガーを抜いて構える。

 天井に足を付けて逆さに立っている男がそこにいた。脳天に俺のダガーを突き刺したままニヤニヤと笑っている。あの築堤近くで相手をした連中と似たような服装をしているそいつは、もうどう見ても物理法則を無視してそこにいた。

 「魔物だ!」

 誰ともなく叫び声がして、周囲から一斉にナイフや手斧などの投擲武器が飛んだ。こういう時にごろつき共の団結力は変な意味で頼りになる。

 次々と刺さる刃物を全く意に介しないように男は床へ降り、呪文を唱える。

 「殺せ!」

 「やっちまえ!」

 怒号が響く中、俺はポケットの中に入れてあった魔法障壁の指輪を嵌める。見た感じかなり高位の魔物だ、これで何回防げるだろうか……

 男の手から手の平大の火球が生まれ、男はそれを無造作に投げる。ぐわん、という衝撃があって俺の魔法障壁が消えた。くそっ、一回しか持たなかった!充填に三日はかかるってのに!

 俺の体の下でエミリーがガタガタと震えている。

 「カチ込みがぁぁ!」

 盗賊ギルドにも魔法の心得がある者はいる。そんな連中が果敢にも、自慢の魔法で立ち向かい始めた。火球、氷矢、雷撃など一通りの攻撃魔法が放たれ魔物の体を傷つける。街のチンピラにしか見えない男が高等な攻撃魔法を使っている光景はなかなかシュールだな、などと余計なことを考えながら俺はエミリーをかばうように立ち上がり、カウンターの内側に彼女を隠す。

 「大丈夫だから」

 俺は言って、ポケットの中から攻撃力上昇の指輪を取り出して嵌め、ダガーを握った。ダガーは青白く光りはじめる。力のないスカウトの俺でも、それなりに攻撃力が上がる補助魔法だ。

 「手前等もっと行けやあ!」

 まるでヤクザの掛け声だ。ついに弓矢まで持ち出した奴がいるようで、魔物の体にどんどん矢が突き立って行く。それでも魔物が火球を投げつける勢いは衰えない。なんだあいつは?

 ひゅっ、と黒い風が吹いた。これは衝撃波だ、と思った瞬間俺は優に数メルテ後ろへと跳ね飛ばされた。背中を思い切りカウンターの角にぶつけて息が止まる。激しい痛みが走る。

 衝撃波はその場にいたごろつき共も襲ったらしく、攻撃の手が止まった。魔物が両手を中空に掲げて何か詠唱すると、その体に突き刺さっていたナイフや矢がぽろぽろと落ち、魔法で受けていた傷が消える。回復魔法だ、それもあんなに強力なものは見たことがない。

 まいったな、と俺は思う。何か突破口はないものか。

 「しゃあああ!」

 「なんぼのもんじゃあ!」

 チンピラ魔法使いが渾身の雷撃魔法を放つ。魔物は左手に持った杖を掲げ、そこから発生した力場のようなものが雷撃を弾いた。そしてそのまま何か唱えると、巨大な火球が発生し、チンピラ目掛けて飛んでいった。

 俺はあの魔法を知っている。あれはごく初級の攻撃魔法で、火の粉で敵を攻撃する程度のもののはずだ。なのにあの威力!?

 「あっちぃぃぃぃ!」

 火だるまになったチンピラを周囲のヤクザが叩いて鎮火する。まるでヤクザの運動会だ、どう見ても魔法より叩かれたダメージの方が大きそうだ。

 俺は体の軸をずらして、右手のダガーを魔物から見えないように隠す。あいつ自体の魔力が高いのならば無駄になる。だがもしあの杖がそうならば!

 「援護を!」

 俺は叫んで、カウンターの上から落ちずにいた観葉植物の鉢を掴んで魔物に投げつける。それを契機にして周囲からまたいくつもの攻撃魔法と投げナイフが飛び、魔物は杖を右手に持ち替えて力場で防ぐ。

 今だ!

 一気に突っ込んで距離を詰める。力場を掻い潜って懐に入り、ダガーを思い切り振り上げた。

 ざくっ、という鈍い感覚があって、ダガーは魔物の右腕に食い込む。骨までは行けたが切断までは行かない。やはりスカウトの俺では戦士系職のようには行かない。それでも!

 俺はダガーを振り上げた勢いのまま体を回転ジャンプさせて魔物の右腕を抱き込んでへし折り、そして意思が通わなくなった右手から杖を奪う。次の瞬間、魔物の強烈な蹴りでカウンターまで俺は吹き飛ばされた。

 息が苦しい、口の中に血の味が広がる。胸に鋭い痛みが走る。肋骨辺りが折れたか。

 それでも俺はすぐに立ち上がり、奪い取った杖をカウンターの向こうにいるフローラへ投げた。

 「使え!」

 フローラは杖を受け取り、素早く呪文を唱える。そう言えば昔もこんな風に、危機を切り抜けたこともあった。あの時は他にも仲間はいたが、今はフローラだけだ。

 彼女の唱えるのは、使える中でも最大級の氷結魔法だ。だがそれは数年前まで彼女が使っていた魔法とはまるで違っていた。透き通った冷気の壁でなく、漆黒にも見えた極寒の塊は魔物の体を一瞬にして冷凍し、そして粉砕する。魔物はきらきらと輝く氷の微粒子となって散り、そして消えた。

 「なに……今の……」

 フローラが呆然と呟き、腰砕けになってぺたりと床に座り込む。次の瞬間、その場にいたごろつき共は一斉に歓喜の雄叫びを上げ始めた。

 俺は激しい痛みに肩で息をしながらカウンターの後ろに回り、エミリーの無事を確認したところで意識が途切れた。




 「なんか繋がりそうで繋がらないんだよ」

 どうもあの杖は例の盗難に遭ったアイテムらしい。ほんのわずかな魔力でも強大に増幅する性能を持ったその杖のお陰で、負傷者は完全に回復したのだ。

 盗賊ギルドに回復魔法を使える人間はいないと思われていたが、ほんの初級なら使えるよとローリーが名乗り出たので使わせてみたのだ。彼女の回復魔法は、本来なら指に刺さった棘を抜く程度の回復力しかなかったのだが、杖を通じて放たれる回復力は高位の司祭でも実現できないレベルのものだった。何せ俺の肋骨まで元通りだ。

 負傷者が回復したあたりでまず警察が到着し、ついで軍隊が、そして王宮騎士団までもがやってきた。騎士団は仰々しく杖を透明な箱に収めると、魔法防御を幾重にもかけた馬車に乗せて去っていった。まあその光景を見る限りは、あのとんでもないアイテムが大貴族の家から奪われたものであることは間違いないだろう。

 「確かにあの杖はとんでもなかった。とんでもなくつえー、なんて」

 言ってしまって俺は後悔する。左腕のエミリーまで冷やかな目をしている。

 「あれが盗まれたお宝だとする」

 「まあ間違いなくそうでしょ」

 「大貴族の四家は、ああいうものをそれぞれ持っていたと考えるのが自然だ」

 「そうとしか考えられないでしょ」

 冷静にフローラが突っ込む。

 「あのさフローラ、俺は先入観を交えないように話してるんだよ。判ってないわけじゃないの、あんまり冷たい返事しないでくれる?」

 「はいはい、いいから続けてよ」

 エミリーがひっついているとフローラの機嫌が今一つになる、ということに俺は気づいた。だがそれはどうでもいいことだ。

 「四貴族家の祖先が始祖王の盟友だとしたら、たぶん伝えられてきたアイテムはその盟友に由来するんじゃないかと思うんだ」

 「騎士と司祭と魔法使いと学者だっけ」

 「あの杖はたぶん魔法使いだろうな」

 「で、何が繋がらないのよ」

 やっぱり冷たいな、と思いつつ俺は続けた。

 「つまりだね、あれだけ強力なアイテムだとして、例えば破壊活動をするくらいなら一つあれば十分じゃないか」

 「そうね、魔法もさっきは範囲を絞ったけど、広げてもすごい威力にはなったと思う」

 「だとしたら、全部欲しがる意味はなんだろう」

 フローラはため息をついた。

 「リックレック、あんた判って言ってるでしょ」

 「いや、その結論は早いと思うんだ。いくらなんでも安直に過ぎる。もっと何か深い意味とか謎とかそういうものがあるんじゃないかと」

 「ないと思うわ。あれはたぶん、四つ集めると何かの効果が出る。はいこれで繋がった」

 「ああ言っちゃった……」

 俺は項垂れる。そんな安直なものでいいのか?

 「ここまで来たら安直も何もないわよ。たぶんあれを四つ一所に揃えると、世界が滅びる。魔物が出てくる前に、あなたそんなこと言ったでしょ。だからあいつは来た。真実に触れそうな者を消すために」

 「ちょっと待て」

 俺は周囲に視線を飛ばした。特に怪しい気配はない。

 「大丈夫、たぶんしばらくは来ないわよ。アイテムが能力を増幅するってこちらが知ってしまったから。奪い返されたら致命傷だって知ったから」

 「だといいが」

 「こうなった以上、連中は撤退すると思う。下手に手を出して奪還されたら元も子もないし、情報が出すぎたもの」

 「まさか魔物が動いてるとは思わなかったしな。しかもあれは魔物というより魔族だ。知性を持って活動する魔王の眷属」

 左腕にしがみついているエミリーが軽く震える。俺は空いている右手で彼女の頭を撫でた。

 「後は、一連の事件についてどこまで情報が公開されるかどうか。三つまで奪われて一つ取り戻したんだから、今のところアイテムは二つづつに別れて存在してる。それとたぶん、揃えただけじゃどうにもならないわ」

 「そうか」

 俺はフローラの聡明さに感嘆する。

 「揃えるだけでいいなら、奪った三つを持って残りの一つのところに押しかけるだけでいいもんな。そうできなかったということは、揃えた上でまだ何かアクションが必要だってことか」

 「そゆこと。それに他のも似たような魔力を持ったシロモノなら、それが警察に知れた時点で残留魔力から追跡も始まるわ。たぷんどこか遠くに隠れるわよ」

 俺は得意げなフローラの様子をみて、ふと可笑しくなり笑った。

 「懐かしいな、こういうの。昔を思い出す」

 「そ、そうね。懐かしいわね」

 あの思い出の中にある冒険の日々。もう手の届かない記憶。その空気に似た感触を感じて俺は笑った。

 「それで」

 俺は左腕にしがみついているエミリーを見た。

 「後はこいつだ」

 ぎゅっ、としがみつく力が強くなる。

 「なあエミリー、警察にいこう」

 「あなた何言ってるの!」

 フローラが悲鳴のような声を上げた。

 「その子やっと自由になれそうなのよ!?」

 「まあ聞けよフローラ、それにエミリー。お前さんが怯えていたのはたぶん、あの魔族の正体に薄々勘付いてたからだろう?」

 こくり、と頷くエミリー。

 「何も言わなかったのも、あいつらの監視を気にしてだと今なら判る。あんないい加減な俺の推測に過剰反応をするくらいの奴だ、やっぱり連中は魔物じゃなくて魔族だよ。魔王と共に、一万年も昔に滅びたはずの」

 こくこく、とエミリーは頷く。まあまだ口を利けっていうのも酷か。

 「恐らく警察と宮廷魔術師あたりが動いて、連中は王都から……ひょっとしたらこの国からは撤退せざるを得ないだろう。それはそれとして、連中はエミリーでなく俺を狙った。つまりあいつらにはもうエミリーは無価値なんだ」

 「無価値?」

 「連中はわざわざ人に化けて、慣れない道具なんかも使って誰か人間の仕業に見せかけようとしてた。闇の仕事ならダーク・エルフっていうのは、実に安直だと思わんか?つまりこの子を使うってことは、単なる盗賊団アピールに箔をつける以外の何物でもないんだよ」

 エミリーの見上げる視線に気づいた俺は、その深紅の瞳を見つめ返す。

 「ならもうお役御免ってことさ。多分これ以上、この子が狙われることはないと思う。思うんだが」

 俺はわざと言葉を区切った。

 「ここから先、何か面倒が起きないとも限らない。だから警察に行くんだ、知ってる秘密を共有してしまえばなおさらわざわざ殺す理由もなくなるし、逆に警察を味方に使うこともできる」

 「味方に使うってあなた、凄いワルい顔してるわよ」

 「えっそう?そんなことないよ、公僕は市民の味方が義務だろ」

 俺は言ってエミリーの頭を撫でた。

 「な、だから警察に行こう。そしたら晴れて無罪放免、自由だ。なあに、あの巡査長ならチョロそうだし大丈夫だよ」

 「そういうのを子供の前で言わない」

 エミリーは何か言いたそうにもじもじしていたが、ばっと俺の胸に飛び込んでくる。

 「……ありがとう」

 その涙声を聞いて、俺とフローラは苦笑した。



 エミリーの事情聴取には半日を要した。連中の使っていた隠れ家の場所を、彼女は正確に覚えていなかったからだ。時間ごとに聞こえる教会の鐘や乗合馬車の音などから数か所が特定されたそうだが、物証の様なものはどこにもなかったという。

 エミリーの素性を偽っていたということで、俺はあの巡査長からくどくどとお叱りの言葉を頂戴した。だが彼は、もし自分の立場でもそうしただろうと最後に本心を吐露した。まあそうだ、警察権力が絶対的に信頼出来て絶対的に頼りになるとは、当の警察自体思っちゃいないだろう。そうありたいと願い進むのが正しいありかたであって、過信をする組織はいずれ崩壊する。

 アイテム盗難については、ある程度は伏せた上でざっくりとした概要は公表される方向で調整中らしい、というなんとも回りくどい説明が返って来た。政治的配慮だのなんだのがあることは判るがご苦労なことだ。結局俺の、推論に頼る状況は何一つ変わっていない。

 警察署の前で立っていると、中からしょぼくれた顔のフローラと何か思いつめたような顔をしたエミリーが出て来た。エミリーは俺を見つけると猛ダッシュで抱きついてくる。

 「ちょっと、勢い強すぎ!」

 俺の声に返事もせず、俺の腰に両手を回して頬を膨らませるエミリー。なんだこれ?

 「おいフローラ、これはどういう」

 「どうもこうもないわよ。この子あなたと一緒じゃないと嫌だって言い張るの」

 「え?」

 「だって詳しく訊いたら、この子の村はもう誰もいないって言うじゃない。この近くのエルフ集落は身寄りのない子の面倒も見てくれるし、ライトもダークも関係なく受け入れてるからそこを紹介するって言われたら泣き出して」

 「そっか、ていうか俺そもそもお前さんがいくつなのかも知らないぞ。エミリーお前何歳なんだ?」

 「……十二」

 俺の見立てより二つほど下だった。小娘扱いされるわけだ。

 「リックレックはあたしに名前をくれた。だから一緒にいるんだ」

 「えっ」

 フローラがドン引きしたように俺を見る。

 「何よそれ」

 「いや、何よそれって、何それ?」

 「名前をあげたってあなた、なんでよ?」

 「えっ?いや名前ってほら、こいつエミルリルルって名前だから、長いから縮めてエミリーって呼んでもいいかって訊いたらいいよって言うから」

 はあー、とフローラはため息をつく。

 「血縁を亡くしたエルフは、次の養い親から新しい名前を貰うしきたりがあるの」

 「そんなの知らない」

 「知らないじゃないのよ、あんた大人でしょ?責任取りなさいよ」

 「責任ってなんだよ、大体お前だってエミリーって呼んだじゃないか」

 「それはあなたがそう紹介したからでしょ?」

 「しきたりを破ると精霊のご加護がなくなる。だから施設には行かない」

 後出しでそんなことを言われても困る。

 「……えーとつまりあれか?もしエミリーを施設にやるなら、俺に死ねと?」

 「そうなるわね。ちなみに私の村のしきたりも大体同じよ。エルフの共同体はそういうのをとってもとっても大事にするの」

 考えてみれば、また十二の餓鬼が色々と大変な目に遭って来たわけだ。今十二なら、あと四年もすれば成人、十六歳。赤ん坊ってわけじゃないんだから、子供一人くらい面倒を見てもいいかも知れない。

 「あーもう判ったよ。来たいなら来ればいいだろう。しばらく食って行けるだけの金はあるし、杖を取り戻したご褒美も貰える。娘一人くらい養えるさ」

 「ほんと!?」

 エミリーが俺の顔を見上げてぱっと笑顔になった。満面の笑顔は初めて見たと思う。ここしばらくは険しい顔ばかり見ていたので、その子供らしい表情に俺はつい目を奪われた。

 「はー、まあそれが穏便な解決よね。いいわ、施設の方のキャンセル手続きは私がしておくから」

 「おう、頼むなフローラ」

 「……あなたらしくない解決方法だとは思うわよ」

 「違いない」

 笑うフローラに、俺も笑い返した。

 魔王との戦いが伝説となった世界。暗雲などが世界を包んでいない時代。わりと呑気で時にシビアなそんな世界、その名はサンクレア。



 これは、そんなサンクレアを舞台にして繰り広げられる、あまり大したことのない物語の一節である。




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