第9話 銀髪のエミルリルル(上)

 俺の名はリックレック。もちろん本名じゃないぞ、盗賊ギルドに本名で登録するバカなんているわけがない。愛称、通り名、個人が区別できればなんでもアリだ。だがそこには鉄の掟がある。一度名乗った名前は貫き通せ、というのがそれだ。

 だから、仕事をする上で俺は生涯リックレックだ。遥か古代にいたという伝説のスカウト、レリックの名をもじって師匠が付けた通り名だ。

 弟子の中ではさほど優秀じゃなかった俺に、師匠が割といい名をくれた理由は判らない。名前負けしないようになれという励ましか、せめて縁起を担いで生き延びさせたいと思ったのか。

 まあいい。

 とにかく一つ前置きしておきたいのは【盗賊ギルドは決して非合法組織ではない】ということだ。

 そもそも盗賊ギルドなんて名前は俗称であって、本当の名前じゃない。だいたい盗賊なんて稼業が太陽の下を大手振って歩けるわけがないし、そんな連中の組合なんて公にできるわけがないじゃないか。

 正式には【特殊技能者組合】という。隠密、鍵開け、罠外しなど特殊工作技能を持った連中をまとめた冒険者ギルド傘下の組織で、れっきとした王国公認の存在だ。だから単なるコソ泥の集団だと思ってもらっちゃ困るんだ。

 だが実際には、食い詰めた連中が盗人を働いたり、その逆に盗人が逃亡のためにギルドを利用して名前を変えようとしたり、金次第では闇の仕事に手を出す者もいたりと、ダーティーなイメージそのまんまという奴らもいる。だからまぁ、俗称の【盗賊ギルド】を否定してみたところで始まらない。組織のトップももう諦めて、言われるままにしてるのさ。

 冒険者ギルド側だけにスカウトとして登録してもいいが、そっちで得られる仕事にはあまりそそられるものがない。冒険者パーティーに参加しての探索補助や私立探偵の調査助手なんてものが大半で、刺激のある仕事なんてほとんどない。報酬も知れたものだしな。だから大抵のスカウトは両方にメンバー登録はする。するが、冒険者ギルド側の登録はアリバイみたいなもんで、実際の食い扶持は盗賊ギルドの依頼で賄ってる奴らがほとんどだ。

 俺はつい一昨日まで、貴族の三男坊が組んだパーティーに参加して罠外しとマッピングをしていた。世界各地に眠る古代魔法王国時代の迷宮へ挑み、過去の遺物を拾ってくる……そんなヒマつぶしみたいな仕事を受けていた。ま、世間知らずのお坊ちゃんがリーダーのごくごく軽い旅だったから、そんなに大した発見はなかったが、報酬はかなり良かった。お坊ちゃんを無傷で迷宮から生還させるだけでボーナスがつく。何の発見がなくても、坊ちゃんにスライムの一匹も倒させるだけでまたボーナス。

 だが、お坊ちゃんがどっかの貴族の娘と婚約するとかでパーティーは解散した。割のいい仕事がなくなるのは残念だったが、俺は約束の報酬に加えて坊ちゃん婚約祝いのボーナスまで貰って上機嫌だった。俺一人なら一年は何もしないで贅沢できる額だ。

 最後に潜った迷宮の結果報告は、王都の主計局で行われた。だから俺も今、王都にいる。ここ数年はこの王都を拠点として動いていたが、パーティーが解散になってこれからをどうするかは決めていない。

 ここは数万人が住む巨大な城塞都市で、この国で流行るものはだいたいここから地方に伝わっていく。玩具にしろ楽曲にしろ雑貨にしろ、地方発の流行りというものは少し考えても思いつかない。それくらいに、国民にとって王都は憧れの地なのだ。

 だからといって王都に何もかも揃っているわけじゃあない。地方特産の食べ物や飲み物などは、取り寄せることはできても値段は馬鹿馬鹿しいくらいに高くなる上にその新鮮さを失う。魔術協会では亜空間を使った物品移送術なんてものを研究していると聞くが、年間五億ガルドをかけてでも元が取れる研究なのかね?と俺なんかは思う。

 白亜の王宮に、俺たちのような一般国民は近寄ることすら許されない。三重に築かれた城壁の奥にある王宮は、たぶん絵葉書くらいでしか見たことがない国民がほとんどだろう。城壁ひとつ越えれば伝説的スカウトと呼ばれるくらいに、その防御は堅牢だ。攻めようという国も思い当たらない現状、そこまで守る必要がどこにあるのかは判らない。多分、守ることが手段でなく目的になっているんだろう。

 俺は街を適当にぶらつく。しばらく何もしなくてもいいという時間は貴重だ。おのぼりさんみたいに観光名所を回ってもいいな。住んでいると、意外にそういう場所へは行かないもんだ。

 これだけの巨大都市なら、ダウンタウン的な荒れた場所があっても不思議じゃない。隣国の首都には下水道なのか居住区なのか区別の付かない地区は普通にあるし、地方の軍閥同士が小競り合いをした結果に生まれた難民キャンプなんてものもあった。だが、この国にはそれがない。

 上から下まで能天気な平和ボケで埋め尽くされているのかと言えば、そうでもない。貴族同士の権力争いや商家同士の反目から盗賊ギルドに闇の仕事が依頼されることは普通にあるし、政治家が汚職で私腹を肥やすことも当たり前のようにある。それでもこの国には……救いようのない【闇】のようなものはほとんど見えなかった。まあ俺みたいな男からしたら、それこそがこの国の抱える闇にも感じるのだが。

 俺は露店で紐付きの飴玉を買い、口の中で転がしながら街を歩く。別に好きで舐めているわけじゃない、ただ浮かれた観光客のふりをするには必要な小道具だと思っただけだ。

 俺はフロルスと呼ばれる種族の一員だ。小柄で身が軽く手先が器用で、細工物の職人やスカウトに向いているとされる。成人しても見た目は人間の子供くらいなので、おせっかいな連中に見つかると色々面倒にことにもなる。だから飴玉でもしゃぶってニコニコして見せれば、観光客の子供くらいに思われて見とがめられることもないという寸法だ。

 街角を適当に曲がって進むと、石造りの建物の列が消えて広場に出た。その向こうにあるのは王立博物館だ。ここも観光名所として有名だが、そう言えば俺は一度も入ったことがない。

 王立博物館に収蔵されているのは主に古代魔法王国時代の遺物とそれに関係する資料、美術品や歴史資料などだ。過去の芸術家が描いた絵画など、美術品として価値があるものは高くて買えないので、予算の範囲内で買える程度のものしかないという話だ。だから美術品専門の泥棒が狙ったという話もない。だいたい入館料が無料という時点で、収蔵品にさほどの価値はないと判る。入口の係員は入場者数のカウントをしているだけで、チケットのモギりをしているわけじゃない。

 博物館はおおざっぱに四つのエリアに区切られている。美術品コーナー、歴史コーナー、分類不明コーナーと奥にある非公開の倉庫エリアだ。倉庫エリアにある公開されていない収蔵物も、数か月のローテーションで公開エリアに運ばれて公開される。その分だけ出ていた物品は倉庫に入っていく。

 美術品コーナーにある宝飾品などはだいたいレプリカで、俺の様な本職が見ればあまり出来の良くないものばかりだった。まあ観光客を騙くらかす分には十分なのかも知れないが。

 歴史コーナーには、過去に使われていた道具の展示がされていた。というか、俺の田舎ではまだ現役で使っているような農機具が過去のものとして展示されているのには、なんだかむかっ腹が立つ。そりゃあ王都では脱穀も精米も魔法器具でするんだろうが……

 分類不明コーナー。ここには古代魔法王国時代かそれ以前のものとされる物品が並べられている。使い道の全く判らない道具や異形の神像、謎の文様のみが描かれた書物など、わけのわからないものばかりがここにある。そして今期の目玉展示は【黒の部屋】と呼ばれる、幅・奥行き・高さ全て十メルテくらいの、漆黒の箱だ。箱とは言うが、誰もこれを開けたことはない。叩いても切ろうとしても、熱しても冷やしても全く変化はない。いつの時代に作られたものなのか、誰が作ったものなのかも全て不明。唯一、これがもともとあった村の伝承に【遥か遠くの黒き部屋】という由来不明の一節があったために黒の部屋と呼ばれるようになった。

 この不可思議な立方体の正体が判ると、色々応用が利くようになるんだと学校の教師が力説していたことを思い出した。熱を伝えない素材ならいい鍋掴みができるなと言ったら怒られた。クラス全員の前で怒鳴る必要もなかっただろうに。

 三十分もしないうちに一通り見てしまったので、俺は博物館を後にして酒場に向かう。この街には健全な酒場ばかりが並ぶが、探せばそうでない店もある。と言っても、片手で数え切れるくらいしかない。

 「健全なこって」

 俺は口の中で小さく呟きながら、ここしばらく通っているその酒場を目指した。俺の様な見た目では、色々と説明するのが面倒なので勢い行く店は決まってくる。目的の店は店主が俺と同じフロルスなので、余計な説明がいらないのが実にいい。

 「なんだリックレック、店はまだだよ」

 マスターのジャンゴが金属製のジョッキを布で拭いながら言う。

 「どうしたんだいこんな昼間から」

 「おっさんのとこ、ランチやってないんだ」

 「北方フロルス料理のランチなんて流行らんからな。昼から開けるなら手伝いも頼まなきゃならんし大した儲けにもならん。というか、前にやって損したからな」

 「やってたのか」

 テーブルに上げてあった木の椅子を勝手に降ろして俺は座る。薄暗い店内にはマスターと俺の二人だけだが、夜にはもっとにぎやかになる。

 「もっと南方とか、異国料理でも作れるのがいたらいいんだろうがな。誰かいいのいたら紹介してくれよ」

 「そんなの冒険者ギルドに聞いたらいいだろ」

 「ギルド通すと高いんだよ」

 苦笑しながらマスターは言う。

 「仕方ない、そのへんで飯食って出直すわ」

 「はいよ。ああそうだ、お前今フリーなんだっけ?」

 何を食おうかと考えかけた俺は。マスターのそのセリフに足を止める。マスターの視線が鋭くなったような気がしたが、俺はあえて気づかない振りをする。

 「ああ、特に何もしちゃいないよ。でもしばらく仕事はいいかな」

 「そうか、じゃあまた夜にな」

 俺はひらひらと手を振りながら店を出た。あいつなんかヤバい仕事に手を出そうとしてるな、と俺は思う。そういう雰囲気をチラリとでも見せる辺りがこの王都の呑気さなんだろうなとも思う。あんな風に殺気を出してちゃ、ここじゃ通じても余所の国ではどうだかな。

 路地を一つ表通り方向に出て、適当に昼定食を出している店を探そうと思いきょろきょろしてみたがあいにくどこも混んでいてゆっくり出来そうな店は見当たらない。数ブロック歩いた俺は諦めて、露店でサンドイッチと水の瓶を買い求め、街にいくつかある噴水広場のベンチで食べ始めた。

 まあ平和だよな。

 日差しの下を歩く人々は別に全員が笑顔というわけでもなかったけれど、少なくとも深刻そうな顔面で重い足を引きずってるようなのは見当たらない。色々な事がある程度うまく回っているのだろうから、その下層にいる庶民が穏やかなのは良い事だ。

 だからと言ってこの世界にある国が全てこうだとは言わない。ここが例外的にうまく行ってるというのも過言じゃない。領土紛争で小競り合いを繰り返す国々もあれば、この百年で王家が五度も入れ替わった国もある。為政者はたいてい人間族だが、北の果てにはエルフの王国もあるという話だ。

 人がみんな仲良くなんてのは絵空事だなんていう現実論は、フロルスなら子供の時分に学ぶ。信義も大事だが金も大事、そして金と信義を効率よく得るためには技術が必要。だからフロルスはその器用さと見の軽さを活用した技術を身に付けることを美徳とする。魔力なんて鍛えたってそんなに伸びないし、大剣や戦斧を振り回す体力なんてありゃしない。創世の女神に対する漠然とした信仰以外は現実論一辺倒だから司祭にも向かない。向かないってだけで個人がやりたきゃやればいいだけの話だが、少なくとも同業以外のフロルスにはお目にかかったことがない。

 過去にはあの脳みそ筋肉なドワーフの王国や、善良なゴブリン共でさえ自分たちの国を持っていたという話もある。善良なゴブリンなんてものが存在したのかがまず疑わしいが、ひょっとしたらフロルスも自分たちだけの国を持っていたのだろうかと、学校に通っていた時に教師へ尋ねてみようと思ったこともあった。が、職員室の前まで行って訊かずに止めた。村長ですらちゃらんぽらんなのを見てしまえば、国をまとめる王なんか務まる奴がいたとは思えなくて、質問そのものが馬鹿らしく思えたからだ。

 サンドイッチを平らげて俺は一息つく。チーズとハムのサンドイッチは割とうまかったが、それでも田舎で食べるそれよりは劣っているように思う。生産の現場ではない都市部では仕方ない。

 瓶に残った水を飲みながら、俺は広場で妙な動きをする男たちに気づく。気取られないようにしているが斥候の動きだな、と目の端で追いながら思う。

 しきりに王城の城壁の方を気にしている。おいおいどっかの国の隠密か?それにしては人間だけっていうのは妙だ。身なりは小綺麗な冒険者風だが着馴れていない感じもある。何もない左の腰に手を添えようという仕草はたぶん、普段は帯刀しているからだろう。不安でつい癖が出ているんだ。

 他に目をやると、周囲のフロルスがほぼ皆そいつらの動向を気にしているのに気づいて俺は内心笑った。やっぱ気になるよな、気になっちゃうよな。

 どっちにしたって、今はフリーな俺には関係のない話だし、これだけの同族が見ていれば夜には何らかの情報が出回るだろう。夜までやることがないなら、いっそのこと宿で昼寝でもして時間を潰そう。

 俺は瓶の中身を飲み干してベンチを後にし、空瓶を屑籠に放り込んで広場を後にした。今すぐに好奇心を満足させなきゃならないほどに、今の俺は飢えてはいないのだ。

 その夜、例の酒場に向かった俺を待っていたのは臨時休業の札だった。

 「まじかよ」

 この手のあまりタチの良くない酒場はあと数軒知っているが、ここからだと歩いて数十分はかかる距離の店ばかりだ。健全な居酒屋で天真爛漫にハッピー飲酒だなんてやってられるか。

 昼間マスターが発した不用意な殺気と広場で見かけた妙な連中のことがちらりと脳裏をよぎったが、まあ関係ない話だと頭の中から追い出した。仕方がないのでその足でまだ開いている雑貨店に寄り、安物の葡萄酒とチーズを一固まり買った。仕事道具の手入れでもしながらちびちびやるか。なんだかなぁと胸の中で愚痴りながら、俺は宿の部屋に戻った。

 仕事道具の手入れなんて言うものは、してし過ぎることはない。金属も革も手を入れなければすぐに感触が変わるし、手に馴染まない道具は失敗の元になる。身体感覚に近づけるために、一日にある程度の時間は道具に触れた方がいいというのが師匠の教えだった。俺は別に師匠の教えを鵜呑みにしているわけではなく、甘く見て失敗した実例を見ているから倣っている。人は自分の体験をそのまま他人に伝えることができないから学ぶしかない。罠外しに失敗してパーティー全滅だなんてロクでもない死に方なんて真っ平御免だ。

 この頃多少金周りが良くなってはいたが、手入れ用品のグレードを上げることは避けていた。これも師匠の教えの一つで、出来るだけ広く一般で手に入りやすいものを使えというものだ。理由はいくつかあって、あまり特殊な品物に慣れ過ぎると入手難で困ることになるし、特定のルートでしか入手できない品物は何かあった時に足が付きやすい。入手ルートに網を張られれば捕まる確率も上がる。

 捕まることを心配するって、どんなヤバいヤマだよ。その話をした時の、師匠の妙に真剣な眼差しを思い出して俺は少し可笑しくなった。暗殺もスパイも受けなきゃいいだけだろと言った俺に師匠は頷いて言ったものだ。

 『そうだ。仕事は選ぶものでやらされるものじゃない。やらされる仕事にゃロクなものはない』

 まあそうだろうよ、とその時俺は師匠の古傷だらけの腕を見て思った。幸いにして今まで、俺は師匠のような傷を一つも負うことなく生きている。この先どうなるかは判らないが、少なくともこの国を中心に動いているうちは問題ないだろう。

 安い葡萄酒はやはり安いだけあって大して美味くはなかったが、ちゃんと酔うことはできた。俺は仕事道具を使い古された革の腰鞄に丁寧に仕舞い込むと、卓上の照明を消してベッドに突っ伏した。表から陽気な合唱や喧嘩の声が風に乗って千切れ千切れに聞こえてくるような気もしたが、俺は構わず眠りの世界に足を踏み入れた。





 いつもごろつき共でざわめいている盗賊ギルドの待合所は、今朝は妙に静かだった。宿の簡単な朝食をさっと済ました俺は、暇つぶしに盗賊ギルドを冷やかしに来てみたのだが……いつもに比べて半分も人影がない。

 「なにこれ?」

 俺はカウンターの向こうでうんざりした顔をしているエルフの受付嬢に声をかける。こんな朝から、まるで一日仕事をしてきたような顔をしているのは珍しい。

 「何よリックレック、仕事探し?」

 「いや冷やかし」

 俺は正直に言う。

 「なんか人少ないじゃん、何かあった?」

 「あんた新聞読んでないの?」

 「読んでないから情報収集に来たんじゃん。つまり新聞沙汰があったんだ」

 「ごめんねーリックレック、フローラったら朝からずっとその手の質問で参ってるのよ」

 奥から書類の束を抱えてドワーフ娘のローリーがカウンターに歩み寄る。

 「なんでも貴族様のお屋敷に賊が入ったらしいのよ」

 「そんなの大して珍しくもないじゃん。ギルドの雰囲気変わるほどかね?」

 「それがさー、うちで募集した依頼が実はそれだったんじゃないかって疑惑が出てね。紹介状の掲示者がフローラだったから」

 「勘弁してよ」

 エルフの受付嬢フローラはうんざりしたように言う。

 「そもそも依頼は上が認可して送り付けてくるものだし、掲示責任者だからって依頼の内容まで責任持たないわよ。私にそんな責任負わせるんなら、グレーな仕事なんて全部ハネてやるわ!」

 「おーお、おっかね」

 俺は笑顔を作る。しかし引っかかるものがあることも確かだ。

 「だけどさ、そういう文句はギルドに来ないのがルールじゃないのか?」

 「普通はそうなんだけどねー」

 カウンターに置いた書類をぺらぺらとめくり、そこから視線を動かさずにローリーは言う。

 「なんか盗まれたものが大変なものみたいだよ。それでギルドにも警察にも軍隊にも八つ当たりがすごいみたいなの。リックレック、あんた昨日の夜のアリバイある?」

 「アリバイ?」

 「ギルド登録者で、昨日の夜のアリバイがない人を警察が嗅ぎまわってるのよ。お客が少ないのはそのせいね、身に覚えがあるのかないのか知らないけど、王都から逃げた人も結構いるみたい」

 「ほーん」

 俺はカウンターに乗っている植木鉢の、観葉植物の葉をぴんと軽く弾いた。

 「俺は宿で酒飲んで寝てたからなぁ。ジャンゴの店が臨時休業だったからさ」

 「あー、だからか」

 フローラが恨みがましい風に言う。

 「たぶんあの親父が一枚噛んでるわ。店はもうもぬけの殻だって話よ。あんたも常連だったんでしょ?」

 「常連って、まだ一年と通ってないぜ」

 「一月も通えば常連よ」

 「なんだそりゃ」

 待合所の連中に生気がないのはそういうことか、と俺は得心する。だったら盗賊ギルドになんか顔を出さなきゃいいのに、ここ以外に来る場所がないのかこいつらは。

 「どっちにしても、本当にヤバいヤマならやったその足で逃げてるだろ。今から逃げるなんて、痛くもない腹を触ってくださいとおっ広げるようなもんだ。警察も軍隊もここのはそんなに馬鹿じゃないから、疑わしいだけで手を出しては来ないだろうさ」

 「だったらいいんだけどねー」

 ローリーの口調こそは楽しげだが、言葉の中身は物騒だ。

 「それが尋常じゃないからみんなシュンとしてるんだよ。リックレック、あんたも色々気を付けた方がいいと思うよー」

 ああ、これは俺が先日から大金を持っていることに対して言っているのだ。正当な報酬として得た金銭だしその出どころははっきりとしているが、それでも疑われる元にはなる。

 「そうだなローリー、気を付けるよ」

 俺は礼を言ってカウンターを離れる。室内には警察も軍隊もいないようで、俺は内心少しほっとしながらギルドを出て街の中心部へと歩を進めた。

 街角のスタンドで新聞を買ってみる。大貴族で過去に何回も王妃を出しているという名家の宝物庫に賊が侵入して何か大切なものを持ち去ったらしいという、ほとんど情報が増えない記事に俺は落胆する。まあ昨日の深夜、つまり今日の早朝に起きたばかりの事件を記事にしたらこうもなろうという薄い中身だったが、一般人が知る情報なんてこんなものでいいのだ。

 俺は折り畳んだ新聞を小脇に抱えたままジャンゴの店に行ってみた。予想に反して周囲に人影はなく、警察が捜査をしている様子もなかった。昨日と同じく掲げられた臨時休業の札にため息をついて、俺は宿に戻った。

 「ああお客様、良くお戻りで」

 宿の主人が困り顔で俺に声をかけてくる。なるほどね、と俺は思った。

 「さっきからこちらの方が」

 振り向いたそいつは生真面目な顔をしたエルフの警官だった。ご苦労なこった。

 「所轄の捜査課、ギルフォード巡査長です」

 「アリバイだろ?」

 巡査は一瞬ぎょっとしたがすぐに持ち直す。それなりに優秀な人物のようだ。

 「さすが情報が早いですね」

 「残念ながら、俺が知ってるのはここに書かれてることと大差ないよ」

 俺は新聞をひらひらと振りながら答える。

 「あとアリバイっつっても、夜はずっと酒飲んで商売道具の手入れをしてたからな」

 「それを証明できる人はいますか?」

 「酒を買って部屋に戻った時、おかみさんから鍵を受け取った。夜中に便所で亭主に会った。それくらいだから、ずっといたって証明には弱いかな」

 巡査は何やらメモを取っている。生真面目だな、と俺は思う。

 「どうして一人酒を?」

 「酒場に行ったら臨時休業だったからさ。まあもし店が開いてたとしても、誰かと飲む予定なんかなかったけどな」

 ふむ、とうなづきながらメモを取る巡査長。こんな調子で大勢の警官が街のあちこちを回っているのだろうか、全くご苦労なことだ。ちょっと警官の仕事に同情した俺は、柄にもなく余計な話をしてみたくなる。

 「そう言えば……昨日の昼間に妙な連中を見たんだけど、聞いてるかい?」

 「妙な連中?」

 メモを取る手が止まる。しかし暑そうな制服に変な帽子だ、と俺は余計な事を考える。

 「昨日の昼時だったかな。東三の噴水広場あたりで、城壁の方を気にしてる連中がいたんだ」

 「東三から城壁を」

 「たぶん見てたやつは結構いると思うぜ、人間だけ五人くらいだったな」

 「特徴は?」

 「体形は普通だったが鍛えてないわけじゃなさそうだった。冒険者風の服は着ていたが似合ってはなかったな。あとは左の腰をやたら気にしていたので、剣がないのが手に寂しかったっぽい。まああんたらが追ってる事件と関係があるかどうかは知らんが、何かの役に立てばオッケーだ」

 「なるほど」

 さらさらとメモ帳に何やら書きつけてから、巡査長は姿勢を正して敬礼をする。

 「色々とご協力、感謝します」

 「ま、市民の義務ってやつだよね、これで解放ってことでいいのかな?」

 丁寧に礼を述べる巡査長と作り笑いで冷や汗を拭う宿の亭主を背に、俺は自分の泊まる部屋へと階段を昇った。少し調子に乗って余計な話をしたかな、とチラリとは思ったが……そうだな、確かに口が滑ったようにも感じる。少なくとも他の国ではこんなことはしなかっただろう。多分この国の平和に空気に毒されているのだ、この俺も。

 部屋に戻ったところで別にすることがあるわけじゃない。昼飯にはまだ時間もあるので、俺は仕方なく買って来た新聞を読んで時間を潰すことにした。何度読んでも昨夜の事件の情報は増えないし、その他の記事にも特に見るべきものはなかった。事件も事故もほとんどない環境で、この新聞社は本当にやっていけているのかが心配になる。

 盗賊ギルドに寄せられた依頼が事件に関係する?もしそんなことがあったとして……いや、過去にそういったケースなどは数えきれないくらいあった。特定の技能ひとつひとつの依頼を組み合わせると大犯罪が完成するなんていうやり口は公然の秘密として堂々と依頼がかけられていたし、それでも全体像を知らないという建前で引き受ける連中が大多数だった。逆にそういった依頼から犯罪を未然に防ぐ捜査も警察はしていたし、全ての依頼に悪意の存在を疑うことは非効率極まりない。

 暗部をある程度公然のものにすることで、犯罪の意思そのものが完全に闇に隠れることを防ぐ。盗賊ギルドの存在が許されているのには、そういう思惑もある。

 だから今回のように、盗賊ギルドに抗議が来るという事態は異例だ。異常と言ってもいい。左手が右手を叩くようなものだ。

 まあ考えても仕方ないか。

 俺は机の上に置いたままにしておいたダガーを二本ベルトにつける。自分で砥いでもいいが、せっかく街にいるのだから砥ぎ師に頼むのもいいだろう。俺のダガーは意図的に特徴を消してはあるが、元は東の島国から来た刀鍛冶が鍛えた逸品だ。この手の道具にとにかく印象を持たれないことが重要なので、騎士の使う剣のような派手な意匠や煌めくエンチャントなどは不要だ。実用性だけあればいい。

 フロントのおかみさんに部屋の鍵を預けて宿を出る。路地を抜けて冒険者ギルドそばの鍛冶屋へ向かい、ダガーの砥ぎ直しを依頼しておく。盗賊ギルドの近くにも武器工房はあるが、今は近寄る気になれなかったし個人営業の鍛冶屋は腕はいいが高い。砥ぎ直しくらいならどこでやっても仕上がりは変わらないから、安く上げるのも消費者の知恵だ。

 ついでに冒険者ギルドもちょいと覗いてみたが、こちらも人は少なかった。ひょっとしたら盗賊団の追討任務にでも駆り出されているのかも知れない。まあ平時の冒険者のアルバイトとしては珍しくはないけれど、相手が人間でしかも最初から悪意を持っている連中なのだから、楽な依頼というわけじゃない。そんなのに手を出そうとするのはよっぽどのお人好しか食い詰め者か、人殺しくらいは苦にならないと考えるような奴らだけだ。俺はそのどれでもないと思っているし、どれにもなりたくはないので近寄るつもりはない。

 冒険者ギルドから中央公園までゆっくりと歩く。街の人波も観光客も平時と大して変わりはないように見えたが、警官の制服はその数が目立っているように見えた。しかし、何か目的があっての侵入でその目的を達したというのなら、今さら市内を見回ったところで何か意味があるんだろうか?

 「そうだよね、ないよね」

 突然後ろから声がした。俺はその声と気配で声の主を察する。

 「読心の魔法なんて往来で使うもんじゃないぞフローラ」

 「ごめんねリックレック。ちょっとむしゃくしゃしてたから」

 振り向くとそこに立っていたのは、予想通り盗賊ギルドの受付エルフ、フローラだった。

 「あのな。俺とお前は確かに友達だが、こういうのは良くないぞ」

 生真面目で堅物娘の二つ名をむしろ誇りとするフローラが、ここまで傍若無人に振る舞うのは多分家族以外には俺だけだろう。心のバランスが崩れるとこういうことをする。寄りかかってくるのだ。

 「判ってる、ごめんねリックレック。ちょっと早いけどランチおごるからさ」

 「そか。ちょっと早いけどランチおごられてやるよ」

 俺の返事にフローラはようやく笑みを見せる。こいつはいつも抱え込むんだ、とっとと嫁にでも行って田舎に引っ込めと何度も言ってるが聞きやしない。今もたぶん思いつめたフローラを心配したローリーあたりが、気分転換に送り出したんだろう。

 「向いてないのかなー」

 西方の、濃い味付けの麺料理を食べ終えて食後の茶を飲みながらフローラは言う。

 「お前さんは白黒きっちりつけたがり過ぎるんだよ。盗賊ギルドなんてグレーで普通なんだ」

 「判ってるんだけどさぁ、なーんかね」

 「志願して盗賊ギルドに来たんだろ?こういうもんだって判ってたんじゃないのか?」

 「うんまぁ、それはそうなんだけど」

 フローラが俺を連れて来た飯屋は、もうすぐ正午になろうというのに割と空席が目立っていた。味は悪くないし値段も高くはないように見えたが、どうして客が少ないのだろう?

 「あなたたちと冒険してた頃が懐かしいよリックレック」

 「エルフの人生からしたら、まだ懐かしいなんて思うような昔じゃないだろう」

 「そうでもないよ。足が壊れたあの日で私の時間は止まってるんだ。もう戻ってこないことを意識したらもう、それは懐かしい日々なんだよリックレック」

 うっすらと微笑みを浮かべながらフローラは続ける。

 「あなたの言う通り、さっさと嫁に行って田舎に引っ込むのもいいとは思うんだけどね。まだ何か残っているかも知れないって気がしてさ」

 フローラの足は、過去の冒険で負った傷が完治しないままになっている。日常生活に問題ないレベルまで回復はしたが、走れない。これはもう、冒険者としては致命的だ。

 「まあそんなに考え込むなよ。まずは稼いで足を治せよ、治る見込みはあるんだろ?」

 「ほんとあなたは優しいよねリックレック」

 「そうでもないぞ。だがここは俺が払っておく」

 言って俺は伝票差しから昼食の伝票をひょいと抜き取って席を立った。

 「あっ、私がおごるって言ったのに」

 「お前さんにおごられると、また何か面倒な話を持ち込まれそうだからな」

 俺は笑って店員に伝票と紙幣を渡し、釣りを受け取る。店を出て、並んで歩きながら俺は気になっていたことを口にした。

 「あれか、やっぱり続きがあると踏んでるのか」

 「……うん」

 フローラの口は重い。足の話よりもよっぽど重い。

 「しくったなぁ」

 俺はわざとおどけて言った。

 「だったら逃げた連中が正解だったわけだ。続けるつもりなら、犯人はまだここに残ってるってことだもんな」

 フローラの返事はない。

 「となると、盗賊ギルドへの抗議もブラフだな。あれでさらにふるいをかけた」

 「ふるい?」

 「事件を知って逃げ出した奴は、ただ他に後ろ暗いことのある無関係な連中だ。そこからギルドに理不尽な圧力をかけて、残った奴に揺さぶりをかける。ただ、そこからが今一つ読めない」

 「そこからって?」

 「つまりさ」

 やっぱり巡回の警官は多いな、と俺は話しながら思う。下見を警戒しているつもりなんだろう。

 「今から逃げる奴、身を隠す奴をどう考えるかってことさ。まだ続きがあると睨んでるのなら、潜伏する奴と俺みたいに無関係をアピールする奴の、どっちをクロだと考えてるのかってこと。どっちかねぇ」

 「そういう意味かぁ」

 「いい機会だから、盗賊ギルドのグレー部分を潰しにかかってるって可能性もあるけどな。そのへんはお役所の偉いさんが決めることだからよく判らん。どっちにしたって無関係な現場が一番迷惑するんだよな、そういうの」

 フローラの背中をぽん、と俺は叩いた。

 「午後の仕事も頑張れよ。俺もなんか判ったら知らせるからさ」

 話している間に、俺たちは盗賊ギルドの前に着いていた。

 「ありがとねリックレック。それじゃまた」

 「ああ、またな」

 フローラと別れた俺は、また東三の噴水広場に足を向けてベンチに腰を下ろす。

 色々考えては見たが、単に俺の深読みしすぎの可能性もある。ギルドへ異例の抗議が来たのは単に、何かメンツに関わる盗難だからという線も考えられる。例えば王家から賜った何某かの家宝とか何かの象徴みたいなものを奪われたとか。具体的に何が盗まれたかっていう部分が情報として一切出てきていないというのはやはり不自然だ。

 「そうなんだよ、不自然なんだよ」

 俺はその声に顔を上げる。フローラの同僚、ドワーフ娘のローリーが小さなバスケットを手に微笑んでいた。

 「お前もかよ、読心術を往来で使うんじゃねーって」

 「ごめんねー、あたし未熟者だから毎日術使わないとすぐ力落ちちゃうんだ」

 「バカめ、だからペットでも飼えばいいんだ。サボテンなんかいいらしいぞ」

 「水くれ日に当てろ歌聴きたいしか言わないもん、つまんないよサボテン」

 隣に座ってバスケットを開けるローリー。ここで昼食にするらしい。

 「そんでさあ、事件の話だけど」

 ベーグルサンドを口に運びながらローリーが言う。

 「食べながら喋るなよ、若い娘が」

 「実は昨日ので二件目だったらしいんだよ」

 「二件目?」

 「そそ」

 もぐもぐ咀嚼しながら返事をされてちょっとイラつく俺。こういう所が可愛いと自分で思っているローリーがどうにも腹立たしい。

 口の中身を飲み込み、ミルクの瓶を俺に無理矢理持たせて彼女は続けた。

 「盗まれたのは大貴族の証」

 「大貴族の証?なんだそりゃ」

 「わっかんないよ。ただそれを手に入れたことで、ただの貴族が大貴族になったっていう証らしいよ」

 「そんなの聞いたことないな」

 俺は王国の漠然とした勢力図を思い浮かべる。王家とそれを守護する大貴族家が四家、そしてそれを取り巻く有力貴族家が数十、さらに有象無象の貧乏貴族や名ばかり諸侯がうじゃっといる。大貴族はかつてこの王国を興した始祖王の盟友たちの子孫だという話で、証がどうという話なんて歴史にも伝説にも出て来はしない。

 「あたしも聞いたことないけど、なんていうのかな」

 「なんだ?」

 またもぐもぐ始めるローリー。

 「あたしの知る限り大貴族はずっと大貴族なんだよね。だからそれはなんていうか、大貴族であるための証じゃなくて、大貴族になった証なんじゃないかなって」

 「なった証?」

 「そそ」

 口を開けて目を閉じ、口元を指でちょいちょいと示すローリー。俺は仕方なくミルク瓶の蓋を開けて、中身を少しこの口腔に注ぎ入れる。

 「そういうのならあって当たり前だと思うんだよ。建国仲間に、始祖王が何かをプレゼントしたとかそういうやつ」

 「ありそうっちゃありそうだけど、あんまり意味なくないか?それ盗むの」

 「なんで?」

 俺はため息をついた。

 「つまりだな、盗賊ギルドにいる俺たちですら知らないそんなお宝があったとして、そんなもんを表に持ち出しても誰がそれを評価できる?」

 「評価?」

 きょとんとするローリーに食べろよと促してから俺は続けた。

 「お宝っていうのは、その価値が知れ渡って初めてお宝なんだ。どんなにすごい由来があったとしても、それが証明されない限りはただのがらくただ。秘宝には伝説がセットだし、知られざるお宝っていうのは宝石とか金塊、ものすごい威力の武器防具っていう、それ自体の威力が誰の目にも明らかになるようなもんだ。つまり、大貴族の証が始祖王のお友達ワッペンだったとして、大貴族だけがそれを大事に抱えていたんなら、お宝として盗む価値はないんだよ」

 「つまりさ」

 またの要求に応じてミルクをローリーに飲ませる。

 「つまりさ、その証自体に何かすごい力があればいいんでしょ。由来は口伝でいい加減でも、それ自体に何か特別な力があれば意味はある」

 「そりゃま理屈ではそうだけど。もしそんな強力なアイテムがあるのなら、歴史のどっかでそれが使われててもいいんじゃないか?そんな気配もないのに、突然重大アイテムが出てくるかね」

 「でもさ、あたし午前中に色々調べてて気づいたんだけど……建国以来、王家と大貴族家だけはずっと変わってないんだよね。後から大貴族と呼ばれる家もなければ、大貴族家が没落することもない。王家を含めた五家は建国以来ずーっとその場所に居続けてるの」

 建国。今から一万年前とされる建国からひたすらに続く血族?

 「有力貴族は割と入れ替わってるけど、その上はずっと変わってない。たぶんそのへんにも何か秘密があるんじゃないかとあたしは睨んでるんだけどねー」

 俺の手からミルク瓶を取り返して中身を一気に飲むローリー。

 「そりゃなんていうか、あからさまに怪しいだろ。調べれば誰だって気づくよ」

 「でもあたしたちはそれを当たり前に思ってる。何の疑いもなく」

 瞳の光が鋭くなる。背筋がぞくっとした。このドワーフの中に眠る戦士の血が沸騰している。周囲の音が聞こえなくなり、まるで暗闇の中に二人だけがいるような感覚に俺は包まれた。

 「そしてもし、その当たり前を覆すような力が、証にあったなら」

 ぱたん、とバスケットの蓋を閉じる音で俺は我に返った。ローリーの瞳からは殺気が消えていた。

 「なんてね」

 周囲の喧騒が戻ってくる。人々のざわめき、噴水の音。

 「なるほど、好奇心だけで追っかけるにはちょいとヤバいかもな。了解だローリー、俺はもう考えるのをやめる」

 「そだね、あたしもこれ以上調べるのやめるよ。どうせ盗賊ギルドの仕事には関係ない話だし」

 すぱっと一刀両断に関係ないと言い切れるこのメンタルを見習えば、フローラも少しは楽になるのになと俺は内心苦笑した。

 「ねぇリックレック」

 「ん?」

 「フローラと一緒に、うちの村に来ない?」

 突然のその言葉に俺は驚く。

 「なんだよ藪から棒に」

 「いやさー、あたし婿貰って族長継がなきゃならないのよ」

 「お前が族長?」

 「そうなんだよー、あと半年もしたら帰らなきゃならないの。もう自由な青春はおしまい」

 「はー」

 俺は自分が育った集落の長のことを思い出していた。フロルスには長い髭なんて生えないのに、わざわざ威厳のためと毛生えの魔法薬で顎鬚を生やしていた変な爺さんだった。

 「うちは代々族長の家系なんだよ。この五年は無理言って表に出て来てたけど、もうダメなんだ。戻って村を守らないといけない。それでさ」

 ぴょこん、とベンチから立ち上がるローリー。

 「うちの村はド田舎だから、冒険者ギルドの支局とかないんだよ。だからさ、あんたとフローラが来てくれると嬉しいんだよね」

 「ド田舎のギルド職員ねぇ」

 「いいとこだよ?近くに銀鉱山があってね、質のいいミスリルも出る。あんた器用だから細工物とか作ってもいいんじゃない?」

 「悪くない話だ。返事は早い方がいいのか?」

 「まだフローラには話してないし、ゆっくりで構わないよ。どのみち半年先の話だし」

 「まあ考えておくよ」

 じゃあまたね、とローリーは空のバスケットを下げて職場へと戻っていった。暖かい日差しの中で、俺は色々なことをとりとめもなく考える。

 魔王とその配下である魔族を打ち倒した勇者が、その旅の盟友たちと共に王国を作った。伝説そのものは実にシンプルな勧善懲悪で、特に捻った外伝も裏話もない。故郷を焼かれた青年が奮起し、仲間を集めて魔王を討伐する。魔王に滅ぼされた国の姫と結婚して新たな王国を作る。その姫の出身が古代魔法王国なのだろう、という解釈で世間はだいたい一致していた。

 これが真実そうなのか誇張されているのか、根も葉もない出鱈目なのかは判らない。エルフの中でもさらに高潔とされるハイ・エルフなら知っているのだろうが、彼らが人里を訪れることも逆に人を招くこともなく、全ては謎のままだ。まあ謎のままでも構わないと俺は思う。

 ぼんやりとした頭の中で、それでも俺は自分を観察している視線に気づいている。ダガーを砥ぎに出した時からその視線は付きまとっていた。フローラとローリーの読心術に気づくのが遅れたのも、この微かな視線をたぐっていたからだ。

 たぶんプロだなと感じる。だがプロならこのうっすらとした痕跡はなんだろう。わざと気づかせようとしているのか未熟なのか、それとも流派の相性問題か。ただ、これが官憲のものであっても賊のものであっても関わり合いになりたくはないので、俺はもう気づかないふりを続けることにした。

 ベンチから立ち上がって大きく伸びをする。視界の端に、赤い風船が入る。いや違う、逆方向から気配は発している。

 俺は腰をトントンと叩き、菓子商の屋台で飴菓子を一袋買った。穏やかな甘みは酒飲みにも優しい。冒険者ギルドそばの鍛冶屋でダガーを受け取って、その足で川へと向かった。

 立派な堤防と緩やかな大河、そして防風林。王国のきめ細かい治世のお陰で、この大河が氾濫したという記録はない。

 俺はダガーの刃を日の光にかざす。悪くない仕事だ。薄く引かれた油に俺は微笑む。

 「もういいだろう、いつまで付け回す気だ」

 俺は言うなりダガーを木に向かって投げつけた。スタっと音がして幹に突き立つダガーは、そこに何か揺らぎのようなものも捕まえていた。

 「不可視魔法のローブか。そいつは衣擦れがするんだよ、プロの現場で使うもんじゃない」

 俺はもう一本のダガーを手に、ゆっくりと木に近づく。揺らぎが大きく波打つ。脱ごうと焦っているのだろう。

 「あと不可視ローブは魔法を解除しないと自分からは脱げないんだ。他人から脱がされるなら別だけどな」

 俺は揺らぎの端を掴んで一気に引っ張った。大きな揺らぎはその不可視性を失って灰色の布と化し、きっとこちらを睨む少女が現れる。

 ダーク・エルフだ。

 濃褐色の肌、深紅の瞳、そして銀髪。敵意をむき出しに睨む少女にダガーを向けたまま、俺はローブを投げ捨てる。

 「誰の言いつけで俺をつけてたんだ?」

 周囲に仲間の気配はない。隠密行動は得意なダーク・エルフだから、見捨てて逃げたのかも知れない。

 俺はダガーを突き付けたまま、木の幹に突き立ったままのもう一本を引き抜く。柄との軸がズレてないか後で見ておかないといけない。

 「もし誰かに言われてやってたんなら、そいつに言っといた方がいいぞ。道具から何から、お前さんたちのやり口は素人臭くていかんとな。どこかのスカウト塾に入るか、盗賊ギルドで勉強した方がいい」

 俺は抜いたダガーを腰の鞘に戻してから、ポケットの中に入れておいた指輪を取り出す。

 「いいか、プロの道具っていうのはこういうもんだ」

 俺は言うなり、ダガーを持つ左手の人差し指を立て、指輪を嵌めた。途端に俺の姿は消える。

 不可視の指輪。古代魔法王国時代のお宝で、スカウト垂涎のアイテムだ。俺はこれを偶然手に入れたのだが、その話はまた今度。

 不意に俺の姿が消えたことに驚いた少女は素早く左右を見回し、そして落胆したように肩を落とした。姿と気配を消すこの指輪の効果は簡単な魔力探知すら潜り抜ける。、

 「逃げられたか」

 木の影から男の声がする。やっぱり仲間が隠れていた。

 「ヘマしやがってこの小娘」

 わなわなと肩を震わせる少女。待てよ、こいつはダーク・エルフなんだから年齢なんて外見からは簡単にゃ判らんぞ。それでも小娘と呼んでいるということは、仲間内では年齢くらいは共有されているのだろうか。

 「しかし奴は手練れだ。敵に回すと厄介かも知れん」

 「盗賊ギルドの職員と繋がっているんだ、何か特命を帯びた工作員かも知れん。もう少し慎重に動くべきだったかもな」

 別の声がした。なんだよわらわらと集まってきやがって。俺はそろりそろりとその場から逃げようとする。もしこいつらが例の盗賊団だとしたら、俺には関わる気は一切ないんだ。

 身をかがめて周囲を観察する。聞こえた声は三人、そしてダーク・エルフで計四人がここにいる。何の仕込みもないこの場で戦える人数じゃない。

 「いや、こいつが刺し違えてでも殺せば良かっただけだ」

 木の向こうから現れた男が、少女の腹を無造作に蹴った。ぐっ、と小さく呻いて地面に崩れる少女。

 「なんだその目は」

 少女の殺気の籠った視線に男は苛ついたように言うと、革靴を少女の下腹部に鋭く蹴り込む。

 「何が闇のアサシンの生き残りだ、使えない餓鬼め」

 かはっ、と少女が胃液を吐く。ああ痛ぇだろうなああいうの。俺は左右に視線を走らせて、右の足元にあった小石を二つ拾う。こういうのが駄目なんだよな俺。

 すと、と音がして木の上からもう一人男が飛び降りて来た。二人とも丸腰に見えるが、ナイフくらいは隠し持ってるだろうなと俺は思った。

 「いつまで寝てんだ」

 飛び降りて来た男が、苦痛に呻く少女の頭を踏みにじる。

 「あんまり遊んでんじゃねぇよ、壊したら怒られるぞ」

 木の上からもう一人の声がした。枝の上にしゃがんでいる影が見える。この三人でラストか。

 「里無しのダーク・エルフなんて使い捨てだろ」

 俺は小石を一つ、大きく左に投げる。次いでもう一つをさらに向こうへ。ひゅっと風を切った石がざっと草に落ち、男たちの視線がそちらに向く。目だけで追うのはそれなりの心得がある証拠だ。そしてもう一つの石か、もう少し先で音を立てる。

 「む」

 全員が顔を向けた。やっぱりこいつらはこの程度か。

 俺はまず木の上にいる男の首を狙ってダガーを投げる。次に立っている男の首にもう一本。

 「がっ」

 木の上の男が地面に落ちてくる。俺は少女の頭に足を載せたままの三人目の顎を、全力でぶん殴る。よろめいたところで元・不可視ローブ……今はただの灰色の布をそいつの上半身に投げつけて視界を奪い、喉を貫かれて悶える二人目からダガーを引き抜いて三人目の顔面と思しき場所に突き立てる。

 口と喉から血を拭いて悶え暴れる一人目の、木から落ちて来た男の下腹部に蹴りを入れてからダガーを回収する。

 全く、なんだって俺は。

 俺は舌打ちをしてから、まだ苦痛に目を閉じたままの少女を引き起こして背負う。指輪の効果が少女をも包み、俺はそのままその場を脱した。

 「なんで助ける」

 背中から弱弱しいが、それでも強い意志を失っていない声がする。

 「俺ああいうの見てらんない性分なんだよ。文句があるなら最初から自分でやれってのな」

 「何も言わないぞ」

 「あいつらに義理立てするのもいいけど、戻れんのか?いや、戻りたいのか?」

 返事はなかった。しばらくしてすすり泣きが聞こえ始める。

 「戻りたく……ない……帰りたい……」

 「ならとりあえず、俺に危害は加えないって約束してくれ」

 「……判った」

 街中に入り、人の往来も目立ってきた。俺は指輪をしたまま宿に入り、フロントの前で外した。突然現れた俺におかみさんは小さく驚いたが、何も言わずに部屋の鍵を差し出してくれる。冒険者相手の宿屋だから、色々と配慮してくれるのは実にありがたい。

 俺は少女を背負ったまま自室に戻って少女を椅子に座らせると、扉の鍵を閉めてからようやくひとつため息をついた。

 「さて」

 俺の声にびくっと身を震わせるダーク・エルフ。俺は棚から薬箱を取り出して、彼女に差し出した。

 「悪いけど俺は回復魔法を使えないんでね。もし怪我してるんなら自分で手当てしてくれ」

 「大丈夫……蹴られただけ」

 「ならいいか」

 俺は薬箱を棚に戻す。

 「俺はリックレックだ。お前さんは?」

 口を真一文字に結んで、彼女は床を見つめている。その目にはうっすら涙も浮かんでいる。

 「里無しって言われてたな。帰りたいっつっても、帰る場所なんてもうないんだろ」

 目に浮かぶ涙がみるみる大粒になっていく。ああ余計なことを言ったな。どうにもこういうのはうまく行かん。

 「まあいいか、ちょっと食い物調達してくるから待ってろ。部屋から出るんじゃないぞ」

 椅子に座ったまま押し黙っている彼女を置いて俺は宿を出て、雑貨屋でサンドイッチをいくつかと水を買う。部屋に戻ると、少女はまだ椅子に座って体を強張らせていた。

 「そんなに緊張すんなよ。晩飯は後でどっかに食いに行こうぜ、それまでのつなぎにちょっと腹に入れとこうぜ」

 丸テーブルを彼女の椅子に寄せて、買って来たサンドイッチを並べる。棚からコップを二つ出して水を注ぎ、俺は片方を一気に飲み干した。

 「この店のサンドイッチ、大してうまくないけど我慢してくれよな」

 「……何が目的だ」

 「ん?」

 俺はハムとキュウリのサンドイッチを手に取った。具が少ない。

 「何が目的で私を助ける」

 「言ったろ、ああいうの見てらんない性分なんだよ。だから目的があるとしたら、それは俺自身のためだな。まあそんなとこだ」

 「嘘をつけ!」

 少女が怒鳴る。

 「判ってるんだ、あたしたちダーク・エルフを利用するためだろう!」

 「利用って、何に」

 「何ってその、色々だ!」

 あー、やっぱりこれ小娘なんだ。俺はなんだか納得できた気がした。不可視ローブなんて宛がわれて文句を言うことも知らないくらいの小娘なんだ、これ。

 「んーまあそうだな、そういう意味では利用したかも知れん。お前さんの境遇を利用してうっぷんを晴らさせてもらった。あいつら死んだかも知れんし当分再起不能かも知れん。ただ表沙汰には出来ない連中のようだから、ある意味実地訓練にもなった。だから利用はしたな」

 サンドイッチを食べながら俺は言った。ローリーに、そういうのは止めろと言っていたのに。

 「いいから食えよ。俺は別に公僕じゃないし、盗賊団に関わろうとも思ってない。戻りたければ戻ってもいいんだぜ、戻りたければ」

 少女が黙ってしまったので、俺は刃物の手入れ道具を取り出して並べる。ダガーの血糊と脂を拭き取ってから刃を光に透かして刃こぼれがないかを確認する。砥石を軽く数回走らせてから軽く油を引く。朝一で砥ぎに出して正解だったな、と俺は思った。

 「あれ、そう言えばダーク・エルフって部族によって戒律で食べられないものとかあるんだっけか?」

 「……ない」

 「なら良かった。前に旅をしたドワーフは魚が駄目だったんだ。南の海でだぜ?」

 おどけて見せても少女は黙って床を見つめている。俺はため息をついて、宿常備の便せんにメモを書き、亭主を呼んでフローラへと使いを出した。しかし、食い物があれば懐柔できるかと思ったんだが、そうは甘くないようだ。

 「とりあえずさ、名前だけでも教えてくれないかね」

 「嫌だ」

 返事があるのはまあ進歩だろうか。

 「大丈夫だ、本名から呪いをかけるなんてことはしない」

 少女の目に怯えの色が走る。しまった、だからこういう冗談は駄目なんだよ俺!

 「いや、そうじゃなくて、今のは冗談だから!俺はただのフロルスのスカウトで、魔法なんかほとんど使えないんだ。それにさ。殺すならとっくに殺してると思わないか?」

 やっと彼女がこっちを見た。猜疑心と敵対心が眼差しに漲っている。

 「怖い思いをさせたって言うならそれは謝る。だけど、尾行者がお前さんみたいな小娘だとは思わなかったんだから仕方ないだろう?そこも割り引いてくれないか」

 子供の頃に、野生の黒尾狼の子供を手なづけようとした時の事を俺は不意に思い出した。信頼関係ってのは築くのが難しいんだよな。

 「お前さんは誰かに命令されて俺をつけてたんだろ?だけど見破られた挙句逃がしたと怒られて散々な目に遭った。そしたら、逃がしたと思った相手に助けられてその場から逃げ出した」

 手入れ道具を元の通りに片づけながら俺は続ける。

 「助けなかった方が良かったかね?」

 「それは……感謝している」

 「いつかは、連中から逃げるつもりはあったんだろ?」

 下を向く少女。まあ肯定と捉えていいだろう。

 「ならさ、そのいつかが今日だった、ってことでいいんじゃないか?」

 「そんな……そんないい加減な!」

 「じゃあ戻るのかい?」

 「それは……」

 俺はふっと笑って、サンドイッチを少女の方に押した。

 「決めるのはお前さんだ。雇い主の所に戻るか、逃げてこれ食うか。好きにしたらいい」

 少女は逡巡し、俺の顔とサンドイッチを交互に見、そして意を決したようにサンドイッチを鷲掴みにするとものすごい勢いで口に運び始めた。

 「水も飲めよ、喉に詰まるぞ」

 内心俺はほっとした。こういうやりとりは、こないだまでパーティーを組んでいたお坊ちゃんならもっとスマートにこなしてたんだろうなと思う。貴族っていうのは人と人との間で生きる人種なんだよな。

 「……エミルリルル」

 「ん?」

 「名前だ。私はエミルリルル」



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