第5話 地球征服貯金箱

 「こんにちは」

 「おう」

 返ってきた先生の声が不機嫌そのものだったので僕は苦笑しながら後ろ手でドアを閉め、カウンター内で腕組みをする先生に近寄る。

 「どうしたんです、そんなに怒って」

 「ちょっとな」

 「ちょっとでそんなに怒れるもんですかね」

 今日は、仕入れた商品のことで意見を聞きたいから来てくれという電話に応じて先生の雑貨屋までやってきたわけなんだけれど……先生は何やら立腹のご様子だった。

 「いやなに……俺は仕入れた物を入れたトランクを持って歩いていたわけだ」

 「はあ」

 僕はちらりとカウンター内を見た。巨大なジュラルミン製のトランク、いつも先生が仕入れた雑貨類を持ち帰るのに使っているものだ。見た目よりは軽いが、重くないと言える程ではない。

 「で、その先の横断歩道を渡ろうと思ったわけだ」

 「まぁ通り道ですし」

 「そうしたら何故かタクシーが止まってな、勝手にトランクを車に載せようとする」

 「はあ」

 「何をする、俺はタクシーなど呼んどらんと言ったら運転手と口論になった」

 「ふむ」

 なんだか理由が判ったような気がしたので、僕はまだ小噴火を続ける先生を眺めながら言う。

 「先生、横断歩道を渡るときに手を挙げたでしょう?」

 「挙げたが、何かね」

 「そりゃタクシーの運ちゃんも勘違いしますよ。大人はだいたい横断歩道で手を挙げません」

 「なんでだ?そういうものなんじゃなかったか?」

 先生は偉い学者だったはずだけれど、世事に疎い部分も多々ある。この店に引っ込む前は基本的に誰かが運転する車の後部座席で移動するのが常だったというから仕方がないのかも知れない。

 「手を挙げて、横断歩道を渡りましょう」

 僕はその標語を歌うように唱えてから先生に向き直った。

 「でも先生、あそこは四車線道路で信号機もあるじゃないですか」

 「あるな。ちゃんと青を確認したぞ」

 「先生、大人はだいたい横断歩道で手を挙げないものなんです」

 「どうしてだ?」

 先生の声から怒気が消えているので、僕は少し安心した。こじらせるとしつこいのだ。

 「どうしてって、そりゃ……面倒だからですかね」

 「面倒?決まりなのだろう?」

 「確かちょっと前に『交通の方法に関する教則』っていうのが改正されまして、その中に『歩行者は手を挙げて横断の意思を表示すること』と明記はされたんです」

 「やっぱり決まっているんじゃないか」

 「いえ、これは教則であって法律じゃないんです。つまり、罰則はない」

 「法律ではないのか」

 「だから『渡りなさい』じゃなくて『渡りましょう』なんだと思いますよ」

 「成る程」

 先生は納得したように顎髭を撫で回した。

 「だとしたらあの運転手には悪いことをしたな。大きな荷物を持った大人が手を挙げていれば、確かにタクシーを呼び止めたと誤解されても仕方がない。後で詫びの電話でも入れておこう」

 「ところで先生」

 僕はふと湧いた疑問を口にした。

 「いつも手を挙げてましたっけ?」

 「いや、たまたまだ」

 あっけらかんと先生は言った。

 「新しい業者の商品を仕入れたら思ったより安く済んだので、上機嫌で帰る途中にふと思いついた」

 「やりなれないことしないでくださいよ」

 「そうだな、その通りだ」

 やっと破顔一笑、いつもの先生に戻ってくれたので僕も安心して笑った。

 「それで、品物に何かあったんですか?」

 ひとしきり笑ったところで僕は切り出した。今日の本題だ。

 「ああそうだったな」

 先生はそう言うと、カウンターの下から鈍い銀色に輝く十センチ四方の立方体を取り出した。上面には硬貨を入れるようなスリットがある。

 「これだ」

 「貯金箱……ですか?」

 先生が目で促すので、僕はその箱を手に取ってみた。ひんやりとした金属の質感。角に継ぎ目は見られない、とても美しい立方体だ。ひっくり返してみたが、上面のスリット以外には何もない。

 「これは地球征服貯金箱という」

 「地球征服?」

 「いや、説明書にそう書いてある」

 先生は一枚のペラ紙をカウンターに置いた。僕は箱をカウンターに置き、その紙を手に取る。何の変哲もないゴシック体で地球征服貯金箱、と印刷されていた。その下には各部機能として貯金箱の図解があったが、上面のスリットが硬貨投入口であるという以外の機能説明はなく、入れたお金の取り出し方も書かれていない。

 他に書かれているのは『所定の金額が貯まりますと地球侵略が開始されます』という一文だけだった。

 「ジョークグッズ?ですかね?」

 「君、小銭持ってるかね?」

 僕はズボンの尻ポケットから財布を取り出して中身を見てみた。

 「小銭というか、五百円玉しか」

 「貸したまえ」

 僕はおずおずと先生に五百円玉を差し出す。先生はそれを右手でむんずと掴むと、何のためらいもなく左手に持った箱のスリットに押し込んだ。

 「あっ!」

 僕の可愛い五百円玉はその不吉なスリットから不愛想な立方体内部へと音もなく消え……音もなく?

 「やはりそうか」

 先生は貯金箱をカウンターに置くと腕を組んだ。

 「振ってみたまえ」

 先生に促されるまま、僕はその立方体を手に取って振ってみた。何の感触もない。

 「あれっ?」

 ひっくり返して振ってみる。五百円玉との再会を願ってのことだが、下からスリットを覗き込んでも何も見えなかった。

 「実は君が来る前に俺もいくらか入れてみたんだが、出し方が判らないどころか中に入っている気配すらない」

 僕はカウンターの上のペン立てに収まっていたマイナスドライバーを手に取って、スリットに突っ込みこじってみた。がスリットは広がる様子もなく、むしろドライバーが曲がりそうな気配がしたので慌てて引き抜いた。

 「ラジオペンチも負けた。こいつはひょっとしたら地球の金属じゃないかも知れん」

 「まさか」

 「だって地球征服貯金箱だぞ」

 僕と先生は無言で見つめ合う。大の大人が真剣な顔で交わす会話とは到底思えないが、この立方体から得体のしれない気配を感じるような気がして僕は軽く身震いした。

 「仕入れ先はどこなんです?」

 「いつもの仲買いから紹介された新しい業者でな、十個で千円だから飛びついたのだが」

 「電話してみます」

 僕はカウンターの受話器を持ち上げて、短縮ダイヤルボタンに登録されている雑貨問屋へと電話をかけてみた。

 「はい村山商会です」

 「どうも、長谷川です」

 「ああハセさん、お久しぶりです!」

 問屋の村山氏とは僕も面識がある。そのあたりについては別に隠すほどの事情があるわけでもないのだけれど、ここでは省略させてもらおう。僕は電話をスピーカーモードにして、村山氏に話しかける。

 「最近、先生に新しい業者を紹介したでしょ」

 「あーやっぱりその件」

 「やっぱり?」

 電話の向こうの村山氏が困ったような声を出すので、僕の脳裏にはスマホ片手にハンカチで額の汗を拭いている姿が容易に思い浮かんだ。

 「そこの商品の貯金箱が不良品だらけだって、朝からてんてこまいなんですよ。対応させようとしても電話は繋がらないし」

 「繋がらない?」

 「足立の町工場なんですけどね、今来てみたら夜逃げしたみたいで誰もいないんですわ」

 「どれくらい売れたんですか?」

 「あ、いやまだ売れてはないらしいんです。どこのお店も陳列前に見てみたら、お金の出し方が判らんから売れないってクレームが」

 先生がずいっと身を乗り出した。

 「全部でいくつくらいあるのかね?俺は十個仕入れたが」

 「おっ先生どうもどうも。そうですなぁ、一ロット五十個個作ったという話だったんで、あと四十個ですか」

 「よし、それは全部俺が仕入れ値で引き取る。十個千円だから四千円だ、至急回収して届けてくれ」

 「えっそら構いませんけど、どうするんですか?」

 「いいから頼む」

 言うなり先生は電話を切って一つため息をついた。

 「村山が来る前に、少し試してみるぞ」

 先生は言うなり箱を掴んで裏庭へと出ていく。僕は表の『営業中』札をひっくり返して『閉店』にして鍵を閉めてから後を追った。

 それから僕と先生は、その箱に対して個人レベルででき得る限りの虐待を加えた。金づちで殴る、上から大きな石を落とす、火で炙った後に冷水をかける……しかし箱はびくともせず、ただ無駄にくたびれただけだった。

 「まさか角を殴った金づちの方がへこむとは思いませんでしたよ」

 「こうまで堅牢だとやはり地球外物質の可能性がある。地球征服貯金箱というのはあながち本気なのかも知れんぞ」

 縁側にへたり込んで、二人でそんな話をしていると表に車が停まった音がする。エンジン音が止まり、何やらがたがたと物音がして店の陰から台車に段ボール箱を乗せて押してくる村山氏が姿を現した。

 「どうもどうも先生ハセさんお揃いで」

 人の好い笑顔を見せる村山氏は、先生の研究室に備品を納入していた縁もあって大学を退職後も付き合いがあるのだと聞いた。歳は五十代半ばで先生の無茶もなんだかんだで聞いてくれる好人物だ。

 「参りましたよ、入れたお金が出てこないから弁償しろって言われて。でも振っても音もしないし」

 「で、どうしたんだ?」

 「言い値払いましたよ。全部で三千円でした、まぁこれは私が持ちますが」

 ハンカチで額の汗を拭いて、やれやれと言った感で村山氏が段ボール箱を裏庭に下ろす。

 「どうするんです?これ」

 「さっきこいつと色々やってみて気づいたことがある。どうもこの箱はどこか別の空間に繋がっているようだ」

 「「別の空間?」」

 僕と村山氏の声が重なった。

 「ああ、水バケツに突っ込んでみたら、どう考えてもこの貯金箱の容積以上に水が減った」

 「はあ」

 「そして逆さにしても戻ってこない。となると、どこか別空間への一方通行の入り口なんだよこれは」

 「そんなもんですかね?」

 「とりあえずこれを作った連中とは連絡が取れないが、あの説明書の地球侵略というのは本気のようだ。これは異星人の侵略兵器だと思っていい」

 貯金箱が侵略兵器だって!?僕は驚いて先生の自信満々な顔と、僕と同じく仰天している村山氏の顔を交互に見た。人の表情とは面白いものだななどと余計な思いを挟みつつ、僕は先生に問う。

 「だとして先生、この侵略をどうしますか」

 「もちろん撃退する。これは市民の義務だよ」

 それから先生は、僕と村山氏に箱を全て開封しスリットの位置が同じ向きになるよう、九個づつテープで固定するように指示をしてからどこかに電話をかけた。

 「余りの五個はどうしますか?」

 「それはサンプルに保管しておくから、倉庫にでも入れといてくれ。まとまったなら、行くぞ。村山、お前の車でだ」

 「ほいほい」

 村山氏は台車に養生テープでぐるぐる巻きにした貯金箱を全て積むと、表に停めてある白い軽トラの荷台に積み込んだ。今日は荷台の上は他の荷物が載っていない。

 「お前は荷台から落ちないように見張っててくれ」

 「はい」

 僕は返事をして荷台に乗り込む。もう晩秋、空は雲一つなく澄んでいるが風はもう十分に涼しかった。

 僕は荷台に座り込み、貯金箱の群れが落ちないよう左手で押さえながら、右手で助手席の先生にオーケーサインを出す。村山氏が運転する軽トラはそろそろと走り出し、十分ほどで目的地に着いた。

 「中学校ですか」

 ここはこのあたりでも大きい方の中学校。と知識では知っているものの、僕の地元でもなんでもないのでそれ以上のことは全く知らない。

 「よし、行くか」

 先生は威風堂々と敷地内を歩く。来たことがあるのだろうか?と僕が思いや否や先生は体操服姿の生徒を一人捕まえて案内役を命じる。

 なんだ先生も初めてじゃないか、と僕が内心笑ったその時、校舎の方から上下ジャージ姿の若い男性が走ってきた。

 「お久しぶりです先生!」

 「おおキムラ君かね」

 どうもこの体育教師らしい男性と先生は旧知の仲らしい。

 あっけにとられている生徒にキムラ教師は笑いかけた。

 「この方は先生の先生で、偉い学者さんなんだぞ。案内は先生がするから、お前は行きなさい」

 はい、と小気味のいい返事を返してその坊主頭の生徒はグラウンドへ走って行った。

 「急に無茶を頼んで済まないね」

 「いえ、どうせ今年はもう使わないですし。何か実験なさるんでしょう?」

 「実験と言えば実験かな」

 先生は邪悪な笑みを浮かべてそう言った。キムラ教師はそんな先生の様子に動ずることもなく僕たちを先導して歩く。向かった先はプールだった。

 シーズンが終わり、公立中学校の露天プールに湛えられた水は早くもよどみ始めていた。風に散らされ飛んできた落ち葉のせいだろうか?

 「ではまず」

 先生はジャケットの内ポケットから手帳を取り出すと、ボールペンでさらさらと店の電話番号を書いて貯金箱のひとつに突っ込んだ。

 「なんですそれ?」

 「ちょっとしたまじないだよ。さ、箱を全部プールに放り込むんだ」

 僕と村山氏はその指示に従って、あまり綺麗ではないプールに貯金箱の束を残らず放り込んだ。事情を知らないはずのキムラ教師も余裕の表情でそれを見守っている。先生との付き合いが長ければ、その奇行にも何らかの意味があるはずだと確信できるのだ。確信してしまうのだ。確信しないと付き合ってなぞいられないのだ。

 しばらくすると、徐々にプールの水かさが減ってきた。

 「おっ」

 見る見るうちに水面は下がっていき、残り十センチくらいというところで止まった。

 「すごいですね先生!」

 キムラ教師は手早く裸足になるとプールに降り、貯金箱の束を五つ僕たちに返して寄越した。

 「なんなんですかこれ?新しい発明か何かですか?」

 「いやなに、まだ実験中なんでな。口外無用で頼みたいが」

 「了解です先生」

 僕たちはキムラ教師に礼を言って中学校を辞し、そのまま店に戻った。貯金箱の束を台車に載せたまま倉庫に入れて鍵をかけ、閉店状態のままにした店内へと戻る。

 「さてどうなったかな」

 先生はいつも使っているノートパソコンを立ち上げて、ネットニュースのサイトを開いた。

 「ははは見たまえ君たち」

 愉快そうに先生が画面をこちらに見せる。そこには【何もない空中から突如水が噴き出す怪現象を監視カメラが捉えた!】と題された動画が映っていた。

 「先生、これって……さっきの」

 「やはり宇宙船を見えないようにカモフラージュして隠れていたわけだ。あれだけの水責めでも姿を現さないとはなかなか優秀な機械だが、あそこまで派手に水が漏れるとなるとそれほどの大きさは無さそうだ」

 先生は愉快そうに笑う。つられて僕と村山氏も笑う。ひとしきり笑った時、店の電話が鳴った。先生は電話をスピーカーモードで受ける。

 「はい、こちら坂之下商店」

 「も、もしもし」

 「あっこの声はあいつだ」

 村山氏が何かに気付いたように声を上げるが、先生はそれを制した。

 「貯金箱の製作者かね?」

 「そうだ」

 「今回は水だったが、何か別の薬品を入れることもできる」

 先生は余裕しゃくしゃくと言った感じで電話の相手に告げた。

 「なかなか面白い技術と計画だが……侵略資金も現地調達というのはどうなんだ?」

 「仕方がない。我が母星は貧困にあえいでいるのだ」

 「では他の星の侵略など考えずに、母星の開発をするべきではないのか?」

 「我が母星にはもう資源と呼ばれるものが存在しない。使い尽くした。なので他から取ってくるしかない」

 「ふむ」

 まぁ確かに、ある程度以上の技術がなければそもそも他の惑星に来ることすら不可能だ。そしてそういう技術があって兵站も整っていれば、面倒なことはしないで直接暴力に訴えた方が早い。

 つまり、電話の向こうの異星人は、技術は持っていてもそれを支えるだけの物資を持たないのだ。

 「悪いことは言わないから、このまま帰れ。そして平和的な解決方法を模索するのだ」

 しばらく沈黙が場を支配した。先生は目を閉じて、電話の向こうの発言を待っている。一秒一秒がとても長く感じるのはなんでだろうか?

 「……仲間と相談させて欲しい。しばらくしたらまた連絡する」

 それだけ言って電話は切れ、僕と村山氏は大きくため息をついた。

 「ひゃーなんかどきどきしましたな」

 村山氏が顔の汗を拭き拭き、笑顔で言った。

 「恐らくは」

 先生は右の人差し指を空中でくるくると回しながら言う。

 「……いや、後でよかろう。まずは返答を待とうか」

 それから十分もしないうちにまた電話がかかってきた。

 「もしもし」

 「結論は出たかね?」

 スピーカーから響く向こうの声がさっきの人物だったので、先生はまた居丈高モードに口調を変える。

 「今回の計画は断念する。帰還にあたって、箱の返還を要請する」

 「鹵獲された侵略兵器を返せと?」

 「それもまた貴重な我が母星の資源である。持って帰りたい」

 「ふむ」

 先生は顎髭を撫でて遠くを見つめる。彼には何が見えているのだろう?

 「了承はするが全部は返せん。一割はこちらが保険として確保する」

 なるほど使わなかった五個はそうするつもりだったのか、と得心行った僕が村山氏の方を見ると、彼もまた納得したかのようにうんうんと頷いていた。

 「それは困る。全て返還されたし」

 「まだ立場が判っていないようだ。諸君らは負けたのだ、その宇宙船を光学迷彩で隠したところで位置を特定する方法などいくらでもある。我が方から略取した現金で土産でも買って埋め合わせとするがいい」

 特定する方法だって?いくらなんでもハッタリが過ぎるとは思ったが、池にでもまた貯金箱を放り込めば良いだけの話だと気づいた。なるほど、保険としていくつか手元に置いておくというのはそういう意味もあるのかと僕は内心先生のしたたかさに舌を巻く。

 「……仕方ない、条件を飲もう。これより箱の回収に向かう」



 店を訪れた宇宙人は、見た目としては不健康そうに痩せた中年男とでっぷり太った中年女のペアで、びしょ濡れかつテープでぐるぐる巻きにされた貯金箱の様子に驚きを隠すこともなかった。のろのろと宇宙船……どう見ても白のライトバン……に貯金箱を積み込むと黙って乗り込み、そのまま宇宙船を飛び立たせた。ぎゅん、と光の尾を引いて夕暮れの天高く飛び去る宇宙船に、村山氏だけが手を振る。

 「全くくたびれ儲けでしたね先生」

 村山氏はそう笑って、自分の軽トラで帰って行った。今日は他にすることもあったろうに、わざわざ付き合ってくれたのだから感謝感謝だ。

 「長谷川君」

 「はい」

 先生は、宇宙船が飛び去った空を見つめて言葉を続ける。

 「あれだけの科学力を持っていながら今回の作戦、そして諦めの良さ。彼らは本来、善良な存在なんじゃなかろうかな」

 「そうですね」

 僕は、あれだけ狼藉を働いても傷一つつかなかった貯金箱を思い出していた。

 「あの金属加工技術と空間を操る技術、それに他の惑星へ行ける宇宙船があるのなら、もっと別の方向から地球を攻略する方法もあったはずです。それを思いつかなかったのか、それとも」

 「それとも?」

 僕はなんとなく思いついたことを先生に話してみることにした。

 「ひょっとしたら彼らには、本気で地球を侵略する気なんてなかったのかも知れません」

 「ふむ」

 「いくらばらまいても、個人向けの貯金箱で集められる金額なんてたかが知れています。そんな頼りないものを予算として侵略なんて」

 「同感だ。作戦として弱すぎる。恐らくは翻訳機を使っているのだろうが、スムーズに意思疎通も交渉もできる相手だ。恐らくさっきの姿も宇宙船の外見も擬態と見て間違いないだろう、手段の稚拙さに見合わない技術力だ。悪を企むことなく真面目にやってきた一族なんだろう」

 先生は大きく伸びをした。空はだんだん暗くなり始めている。

 「飢えた母星を救うとして、あの貯金箱を渡された時に君ならどうするかね長谷川君」

 「僕ですか?僕なら……」

 僕はあの中年カップルに見える宇宙人たちのうつろな瞳の色を思い出していた。

 「僕なら、スーパーとかコンビニに募金箱として置かせて貰いますかね」

 「ふむ」

 「都内だったら結構な額が集まると思うんですよ、入れた後にどうなるかなんて、誰も考えないでしょう?」

 「成る程」

 「貯金はいつか自分が使うために貯めておくもので、募金は誰かのために使われればそれでいい。貯金箱はいつか開けるとしても、募金箱にお金を入れた人がその募金箱を開けることはないんです」

 先生は遠い空の方を見たまま顎髭を撫でる。

 「集まったお金で食料でも買って送れば、飢えは凌げるんじゃないですかね」

 「そうだな、そういう方法もある。だが恐らく、彼らのプライドはそれを自ら行うこととを良しとはしなかったのだろう。地球侵略貯金箱という名前は、彼らの高い誇りからのものだと俺は思う。だがどんな事情があるにせよ、地球侵略と銘打ってしまった以上は見逃すわけにはいかんのだ」

 「そうですね」

 「それにだ……このままではこの地球だっていつかは彼らの星のように資源を使い尽くすだろう。そうなった時に我々の子孫はどういう選択をするんだろうな」

 僕も先生と並んで立ち、遥か空を見上げた。もう群青の夜空がそこまで来ていて、気の早い星たちがその輝きを見せ始めていた。



 翌週僕は先生の店を訪れて、カウンターにもともと置かれていた赤十字基金募金箱の隣に、あの銀色の立方体が置かれていることに気付いた。立方体には紙が貼ってあり、そこには先生の字でこう書かれていた。



 『恵まれない宇宙の友達にも愛の手を』



 僕は苦笑して、百円玉を二枚取り出してそれぞれの箱に一枚づつ突っ込んだ。



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