第6話 先駆者

 20代くらいになってくると、

「何かを創造するということが、どれほど無限の可能性を秘めているか?」

 ということを考えるようになった。

 特に、小説であったり、マンガなどに興味を持っていて、それを、製作ということから考えるようになった。

 隆は、やはり小説をこれからも書いていくということを考えたのだが、別にマンガが嫌いだというわけでもないが、一番感じたのは、

「絵のタッチ」

 というものが、どうしても、皆似ているということを感じたということであった。

 どうしても、似ているものを見ると、

「二番煎じだ」

 と感じ、特に、同じジャンルの作品に、同じタッチが多いのは、どうしても、誰かのマネをしているという感覚になっているということを感じるからだった。

 二番煎じというのは、隆の中で一番、

「許せない」

 と感じるようなことであった。

「人のマネ」

 といってしまっては、身も蓋もないが、そういう以外に、どう表現すればいいというのだろうか?

 そんなことを考えていると、

「絵を描いているということは、無意識に、誰かのタッチを真似てしまっているのではないか?」

 と考えるのであった。

 つまり、実際に、誰かのタッチを真似ているつもりはなくとも、そう感じてしまうのは、やはり、

「自分が、人のマネをしたくない」

 という意識を強く持っているからだろう。

 そう、ここでも、意識というものが働くのだ。

 この時に意識も、力の強いものであり、

「人のマネが嫌だ」

 という意識を強く持っているということを、誰に表すのかと考えると、それは、

「自分に対してのことだ」

 と言えるのではないだろうか?

 人のマネを嫌だと感じるのは、ある意味、

「無意識に、視界だけに頼りたくない」

 という思いがあってのことなのかも知れない。

 視界というものを頼りにすると、自分が、その場でどうすればいいのかということが分からなくなる。

 意識というものが伴わないと、視界だけでは、どうにもならない。

 だからこそ、意識というものがしっかりしていないと、見えているものが、まったく違った意識をつかさどるようになり、結果、誤った判断をしてしまうことに繋がらないともいえないだろう。

 そのためには、

「自分自身で、自信をつける」

 ということが大切なのだ。

 自信をつけるということは、人に対してどうすればいいのかということだけではなく、自分の中の意識をいかに、コントロールできるかということが決めてだといえるのではないだろうか?

 そのために、20代になって考えるようになったのは、

「難しいことではあるが」

 という意味で、

「自分が、先駆者になるということ」

 であった。

 先駆者というのは、

「何かを始める際に、誰にもその道を通ったことのない。まっさらなものを発見する」

 ということである。

 そもそも、それが、

「まだ、誰も踏み入れていないものだ」

 ということは、

「すべてのことを分かっていなければ、分からない」

 といえるであろう。

 要するに、そのジャンルにおいて、他に足を踏み入れたことがないということを証明するには、そのジャンルについて、ほぼすべてを理解しておかなければいけない。

 ということになるのだ。

 それを考えると、特に最近で叫ばれていることとして、

「個人情報保護」

 などというのがあるが、

「著作権などの保護」

 ということも大いに叫ばれているということである。

 つまり、最初に開発したり、見つけたものには、著作権のようなものがあり、それは、その人の財産と同じで、保護されるべきものである。

「登録商標」

 などというものも同じであり、それらを保護するために、いかに法整備を保つかということが問題になるのであった。

「先駆者」

 という考えはそこに直結する問題で、開発者、あるいは、発見者なるものは、その法律にて、半永久的に守られるべきものであるということだ。

 もちろん、著作権にも時効のようなものがあり、例えば、著作者の死後50年経てば、その著作権は、消失し、自由に配布や使用ができるというものだ。

 かといって、無制限にというわけではない。模倣したものを勝手に売るというのは、ダメであろうし、少なくとも、著作者に、

「敬意を表する」

 という必要があるだろう。

 それを考えると、

「先駆者というものが、どれだけ偉大かということであり、それを守るための法律もしっかりしていないといけない」

 ともいえるだろう。

 特に、巨額の金が動く著作物については、しっかりと守られるべきであり、それだけ、先駆者というものが、偉いといえるかということである。

 さて、最初に、

「発明、発見」

 をするという人は、頭の構造がどのようになっているというのだろう?

 いろいろと想像してしまう。

 少なくとも、

「他の人と同じ発想では産むことができないものだ」

 と言えるのではないだろうか?

 たとえば、

「小説の世界でも、ミステリー小説などであれば、トリックの重複があったりすると、下手をすれば、盗作だと言われかねない」

 確かに、トリックが同じだったりすれば、盗作と言われても仕方がないのかも知れないが、今言われているトリックの種類というのは、

「ほぼ、出尽くしている」

 と言われている。

 新しいトリックを考えるには、難しい世の中になってきているということは分ってきていることではないだろうか?

 というのも、

「今の時代は、科学が発達していて、昔からいわれているトリックが通用しなくなってきた」

 と言えるのではないだろうか?

 例えば、

「死体損壊トリック」

 と言われるもので、

「顔のない死体の9トリック」

 と言われるものがそうであった。

「顔を分からないように、めちゃくちゃに潰していたり」

「首を隠したり」

 あるいは、

「指紋のある手首を切り取っていたり」

 ということで、被害者の身元を分からないようにするトリックがあった。

 このトリックの場合には、ある公式が存在するという、それは、

「被害者と加害者が入れ替わる」

 という公式である。

 このようなストーリーの小説は、

「定番」

 ということで、よく使われた。

 この場合は、シチュエーションを変えることで、盗作ではないということになっていたが、あくまでも、時代背景が、戦前であったり、戦後すぐのような時代であれば、そのバリエーションで、何とか、

「盗作ではない」

 とされてきたのだろう。

 つまりは、探偵小説を書くということは、

「いかに、バリエーションを利かせるか」

 ということであり、

「バリエーションさえ利かせれば、いくつかのトリックのパターンが同じであっても、それは決して、盗作ではない」

 と言えるであろう。

 ただ、まったく同じでなければいいのかということは、難しいところであり、読者によっては、

「盗作だ」

 と言い始めたことで、まわりも騒ぎ始め、問題になることもあるだろう。

 いくら法律で決まっているということでも、その解釈に関しては、人それぞれで、裁判になれば、解釈が別れたり、場合によっては、話が変わってくることだってあるだろう。

 それを思うと、

「盗作問題」

 というのは、昔から難しく、今のように、トリックが限られてくる時代においては、いかに考えるかということも、大きな問題であった。

 作家というのが、どういう作風なのか、果たして、どう考えればいいのか、このあたりも、難しいところであろう。

 そんな中の先駆者、いわゆる、

「パイオニア」

 として考えるには、

 一つは、

「自己分析」

 というものが必要であろう。

「何かを作るのに、自分というのは、この際関係ないのではないか?」

 という人もいるかも知れないが、果たしてそうなのだろうか?

「いやいや、自分で自分が分からないと、自分が何に向いているのか?」

 ということが分からないだろう。

 自分が分からないと、何かを発想するにしても、前述のように、

「ある程度まですべてを分かっていなければ、それが、本当にパイオニアなのかどうかということは分らない」

 と言えるのではないだろうか?

 要するに、

「比較対象が自分だ」

 ということになるのかも知れない。

「自分を見る鏡として、本当に自分を使うというのがいいことなのか?」

 と考えるであろう。

 自己分析として、一番最初にすべきことは、

「長所と短所の洗い出し」

 ではないだろうか?

 長所と短所というものは、いろいろな見方がある。大きく分けると2つであろうか?

 一つは、

「長所は短所の、短所は長所の裏返し」

 ということである。

 これは、演劇などで見られるような、

「どんでん返し」

 という発想に似ているかも知れない。

 よく言葉でも、

「裏を返すと」

 という言葉があるが、長所の裏には、短所があるという考えである。

 また、もう一つの考え方として、

「長所と短所は紙一重」

 というではないか?

 例えば、野球などをやっていて、バッターには、

「得意なコースと苦手なコースの二つがある」

 と言われる。

 しかも、紙一重と言われるように、得意なコースの近くに、苦手なコースがあるということを示している。

 これは、実はピッチャーにとっては、辛いことでもある。

 つまり、相手の苦手なコースが分かっていて、そこに投げ込んだつもりでも、ちょっとでも、コントロールが狂ってしまったりすれば、相手の得意なコースになげてしまうことになりかねない。

「待ってました」

 とばかりに、スタンドに放り込まれることもえてしてあるわけだが、相手を討ち取るためには、苦手なコースをつかなければ、抑えることができないということなので、危険を押してでも、投げなければいけないということになるであろう。

 それを考えると、

「野球は、紙一重の勝負」

 と言えるのではないだろうか?

 ただ、これは野球だけに限ったことではない。格闘技であっても、他の球技にも言えることだ。

 それを思うと、長所と短所を相手ももちろんながら、自分でも理解しておく必要があるということだ。

 それが、ひいては練習方法であったり、自分のこれからの道筋に、導かれるということになるであろう。

 つまりは、

「短所を少しでも、克服するという方に、重きを置くのか?」

 あるいは。

「長所を伸ばすことで、短所に目を瞑ろうと考えるか?」

 ということにも関わってくるに違いない。

「短所を克服する」

 ということは、

「一番の成長の近道ではないか?」

 と考えるが、果たしてそうであろうか?

 確かに短所を克服することで、相手にそこを突かれることがなくなるので、一見、それでよさそうな気がするが、せっかく長所も分かっているのに、そこを延ばそうとしないと、成績が伸びるということは、おぼつかないのかも知れない。

 ただ、前述の、

「長所と短所が紙一重」

 ということが間違いないとすれば、短所を克服することで、相手に、どこに投げればいいのか分からない状態からだと、自分の得意なコースに投げてくれる可能性もあるという意味では、一応の考え方もあるだろう。

 ただ、長所を伸ばすということは、今までであれば、得意なコースに来た球は、4割の可能性で、捉えることができるとして、最終的な打率が、3割前後だとすれば、もし、得意なコースを5割以上の確率で打ち返すことができれば、3割5分というのも夢ではなくなるわけだ。

 苦手なコースの克服では、ここまで飛躍的な打率向上とはいかないだろう。ある意味、

「苦手なコースにしかこなかった打席は、相手が悪かったという感じで、捨てる覚悟さえあればいいわけだ」

 ともいえるだろう。

 ただ、野球というのは、団体競技で、一打席を、

「すべて同じ状況で迎えるわけではない」

 つまり、

「ここでヒットを打てば、勝てる」

 という場面で、

「一打席を捨てる」

 などということを口にしようものなら、次から使ってもらえなくなるだろう。

 しかし、選手も人間。それくらいの覚悟で打席に望むという意味で、あくまでも、考え方だということである。

 だた、

「長所を伸ばす」

 というポジティブな練習方法でやっていれば、打席でのやる気が漲っていることだろう。

 相手が攻撃的になってくればくるほど、こちらも、攻撃的になるというもので、

「それが、野球の醍醐味だ」

 ということになれば、見ている方も、一打席における1:1の勝負が見ものになるというものだ。

 そういう意味で、

「短所を克服する」

 という練習よりも、

「長所を伸ばす」

 という練習が大切だと思うのだ。

 一見、楽しそうに感じるが、確実に逃さないようにするための練習なので、これほど精神的にきつい練習というのもないであろう。

 それを思うと、長所と短所というものが、そもそも、裏返しであろうが、紙一重であろうが、基本は、長所を伸ばすということにおいては、どちらでも、あまり関係のないことだといえるのではないだろうか?

 それは、

「先駆者を目指す」

 ということに似ているかも知れない。

 先駆者を目指すためには、他のすべてのことを知らないといけない。長所だけを延ばすのと少しかけ離れているように思えるが、

「一点を捉えれば、そこを逃してはいけない」

 ということに、どちらも他ならないのではないかと思うのだ。

 他のすべてのことを知るのは、至難の業だ。しかし、パターンを知ることで、分かってくることもある。

 それが、自分の長所短所だと思うと、他のパターンだって、人が考えたことなのだ。自分の身になって考えるということで、その発想も、無理のないことではないのではないだろうか。


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