王様と僕

緑茶

本編

 ひどくさむそうな冬の海が窓から見える。

 僕は王の後ろに立って、運命を告げた。


「そうか……やはり貴公だったのだな」


 しわがれた声、あわれなほど小さな身体。

 既に王の居室の周囲は僕の「同僚」に制圧されていて、あとは彼らに、

 数年間うわべだけの主従関係を続けていた存在を差し出すだけだ。

 感慨はない。間諜が僕の仕事だった。

 だから、親愛も、逆に、憎しみも抱く余地はない。

 僕は王を立たせて、扉から出させようとする。

 すると、王はこちらを振り向くことなく言った。


「寒いのか。震えているぞ」


 それが、虚勢に思えて、あわれでならなかった。


「それはあなたのほうだ。ほんの数分後、あなたは死ぬ。あなたの国は終わる」


 突き付けてやった。こんなにあっさりと物事は終わるのだと。

 王は僕のことを心から信じていて、そのうえで、夢物語を語ってみせた。

 一年中とけることのない冬の海、永劫の光景。

 そこに、なにか自分の理想を託すかのように。

 あわれな、ひとりぼっちのおうさま。

 あなたがそんなバカげたことを言っているあいだにも、大勢の民はしんでいきました。

 きづかないはずはなかったのに。

 ――王は絶望するはずだった。僕に憎悪の牙を立てるはずだった。

 だのに。


「そうだな。きっとそうだ。だが……私には、やはり貴公が、寒そうに見える」


 苛立った、現実を見ようとしない王に。

 いや――というより。この期に及んで、裏切者の僕に何かを見出そうとする、このちっぽけな存在に。

 だから僕は王を引っ立てた。小突くようにして城から出した。

 王は抵抗しなかった。


 僕は嘘をついていた。

 ほんとうは寒かった。

 なぜ、いまさらそんな嘘をつきたかったのだろう。



 王を連れてたどり着いたのは、港だった。

 そこに、三人の同僚――処刑人が居た。仏頂面の男たち。僕でさえ知らない、謎めいた仕事道具を肩から吊り下げている。

 彼らは立ち上がると、僕と王を見た。

 僕をねぎらうことも、王を侮辱することもしなかった。仕事だからだ。


「我が君は、貴方を最も残虐な殺し方をしたうえで、その死体を、我らの国に運ぶことを望んでいる」

「そいつは、皮をはぐことでも、火あぶりでもない――あんたを、あんたの愛したという、この冬の海で殺すことだ」


 そこまで、彼らのことを聞いて、静かに凪いでいた王の様子が、はじめてかわった。

 顔を覆うヴェールの下で、はっきり動揺したようだった。


「貴公は……そんなことまで」


 冬の海が好き。

 誰もが憎しみ、世界の破滅の元凶であるその光景を愛していると呼ぶこと。

 絶対に、秘密にしておくべきこと。

 王は僕にだけ教えていた。

 そして、世界はきっと、冬のせいで滅びるのではない。冬に狂わされた人間たちの争いによって滅びるのだと自説を披露した。

 僕は一笑に付し、あなたのような考えの人は、世界にそういませんよ、だから、それは浸透しないでしょうね、と言った。

 その時、王は。

 ……考えると、やはり寒い。

 頭痛がガンガンして、この小さい存在を憎たらしく思う。その時の受け答えの中身が、ものすごく気に障ったのだ。それだけは覚えている。

 いま、それをおもいだした。

 僕は、滅びゆく存在に向けて、罵倒する。


「そうだ、あんたのことは全部筒抜けだ、からっぽの、夢見がちなおうさま。あんたが僕に語った話を、あんたの胸元にあるそのブローチが、僕の仲間に、ずっと伝えていた。哀れにも気付かなかったんだ、あんたは。僕の贈り物だと真に受けて。それで、どうだ。結局あんたは、滅びるしかなくなる、あんたは……」

「貴公…………は」


 そこで王はこちらを見る。

 ベールの下、確かにうごいた表情。一歩二歩、前進するのを同僚たちは許した。

 頬でも張られるかな、それで済むなら勲章だ、自慢してやってもいい――……。

だけど。

 違った。

 王は――僕を、赦した。


「貴公は、変わったな……そんなに多く、話を、聞かせてくれるようになったのだから」


 僕に向けて、笑いかけたのだ、確かに。


「ッ……――!!」


 僕は怒声を発する。


「もう終わりだ、たくさんだ。はやくそいつを、永久に氷の海と同化させてしまってくれ。それで全部、終わりだ……」


 同僚たちは、僕の感情の発露に驚いたようだった。

 それも無理はない。僕はこれまで、そんな声を彼らに聞かせたことなどなかったのだから。

 ああ――懺悔しよう。

 僕は王に呪われた。忌々しい数年のうちに、不治の病にかかってしまった。

 それ以来、きちんと訓練を積んできたはずなのに――からだが、さむくて、ふるえてふるえて、しょうがない、のだ。


 だけど、それももう終わる。

 王は、港の淵まで歩いた。目の前に冷たい海。そこで、求めていた永遠になって消え去る。

 いっそすがすがしい心地になって、僕は見送ることにした。

 僕は確かに変わった。でも、それまでだ。僕は貴方を、時間をかけて忘れることにするよ。そして今度は、もっと強くなる。強くなって、二度と寒さに震えなくて済むようになる。


「さあ。これで終わりです、王。さようなら」

「さようなら」「さようなら」

「…………」


 さようなら、哀れな王様。僕は貴方を――……。



 王が、踵を返して。

 ベールが脱げて。その真下があらわになった。

 は、同僚が制止する間もなく、僕の胸に飛び込んできた。


 声がしわがれていたのは、夜ごとに、多くの悲しみを思い、泣きとおしていたから。

 ずいぶんと小さく見えたのは、まだ二十にもなっていない、幼すぎる王様だったから。


 同僚たちはぎょっとした。僕は知っていた、僕だけは知っていた、ほんとうの姿。


 彼女は僕の胸に手を当てて、押し倒すこともかなわずに、そのままずるずると膝から崩れ落ちる。

 震えていた。さっきまでの僕と、同じように。


「王……」

「私。わかってた。ぜんぶわかってて、それでも頑張った、がんばってきた。それが私の役目だって。私は、冬の海そのものになろうとしてた。だけど、駄目だった――ほら、だめだった」


 顔を上げた彼女は、無理に笑っていた。

 鼻水が出ていて、頬は真っ赤だった。見苦しいったら、なかった。


「私、そのまま生きていくんだって思った。たいしておいしくないごはんも、生きていくためだって。私はきっと百年も二百年も生きていくんだって。そんな私にぴったりだから、好きだった。だから、私嬉しかった、あなたと出会えて――だって、あなたが冬の海を見るとき、あなたは、私と同じ顔をしていて、それで、それでね、えっと……えっと……」


 がたがたと震えている。


「あれ、おかしいな、おかしいな、私、笑ってるはずなのに震えてる。これじゃこわいみたい。かくごをきめてたのに。おかしいね、おかしいね、えへへ……なんでかな、なんでかな……」


 何を言っている。

 こいつは何を、言っているのか。

 早急に引きはがして、とっとと死んでもらわなきゃならなかった。

 だけど僕はいま、何もできない。なにもできないまま、哀れな少女の言葉を聞いている。なぜ?


 ――――…………なぜ??


「ああ、そっかぁ、わかった、いまわかっちゃった……私たぶん、あなたのことが好きだったんだ、だからそんな風に思ったんだ。そう、ほんとうに好きだった。つまらなさそうなことで、ほとんど城から出たことない私に、色んなことを教えてくれたあなたが。寝られない私を注意しに来たあなたが。ぜんぶ、ぜんぶ好きだったなぁ。私と結婚するはずの王子さまは、結局ここに来る前に凍って死んじゃった……だから、もしかしたら、なーんて、あはは。ありえないよね。あなたはしもべだったし、それに、ほら……私を、ころしにきた、んだし……」


 そこで、彼女は――はじめて、涙を流した。


「いやだ……いやだ、私…………しにたくない」


 そして、僕の袖口をぎゅっと掴んで、必死に目を見開いて、口を大きくあけて、既にガラガラになっている声で、声高に叫び始めた。


「死にたくない、死にたくないよ、こんなにがんばって、こわくていたくて、何回も何回もごめんなさいを言いたかったのに、誰も聞いてくれなくって、それでもがんばった……がんばったのは、あなたがいたから。大好きなあなたがいたから、私生きてられたのに、死にたくない、ねぇ、死にたくないんだってば。今からでも生きられる方法……」


 僕は答えない。

 かわりに、思い切り冷たい視線をくれてやる。

 意識して。目いっぱいのきもちをこめて。


「あ、あははは……そう、だよね…………そう、わかってる、わかってるよ、無理だよね、私は死ぬ、これから死ぬんだ、それは仕方がないことなんだよね。分かりました、私は王様として死にます、でもこわい、こわいの……」


 醜い。うっとうしいうっとうしいうっとうしいうっとうしいうっとうしい――……!!


「震えるあなたを遺して死ぬのが――きっと、いちばん、わたしはこわいの」


 僕は彼女を突き飛ばした、彼女を同僚たちは確保した、僕はすべてを見届けるつもりだったけれど、同僚たちはそれを許さなかった、遠くへ離れていろと言った。

 泣き叫ぶ彼女。

 振り返った。彼女の胸元には、あのブローチがまだあったけど、最後には、彼女はその手でそれをむしり取ったようだった。

 そう、それでいい、憎め。僕を、憎め――……。



 歩いている、歩いている。

 声が確実に聞こえなくなるまで。

 僕は回想する。

 はじめて出会った時のこと。

 両親を失って、半ば強引に組み込まれた仕事で、そこで夢見がちな孤独な王様に出会って。

 話のほとんどは捏造だ、それでも彼女は喜んだ、馬鹿らしい。

 そのままどんどん堕落して、どんどん依存させてやればいい。目論見は成功して、僕の言いなりになった。

 少し前までただの少女。何の因果か見初められ、慣れない衣服と住居を与えられた哀れな存在。


 だから僕は、あの時王が語ったことの全部を否定してやった、なるべく、重臣であるという態度を崩さずに。

 怒られるかと思った。不敬だと言われるかと思った。

 でも、思い出す。


 王は、彼女は――笑った。

 笑って、言ったのだ。


 ――なぁんだ。貴公も。私と、おんなじじゃあ、ないか。


「――っ!!」


 足を止める。

 あまりのことにうずくまり、何度も嘔吐感に襲われる、寒い、寒い寒い寒い寒い。  止まれ、止まれ止まれ。

 すべてのピースがはまる。ころがりおちていく。

 明らかにすべきではなかった。こんなこと、知るべきではなかった。


 王は全部をわかっていた。夢と現実の違いも、なにもかも。そのうえで、僕に語ってみせたのだ。

 僕がそれに足る相手だと。


 なぜ。

 なぜ僕?

 愛している?ふざけるな。そんなことで。

 たったそんなことで、あなたはしんでしまうのか。


 僕は引き返して、全力で駆けた。

 あの馬鹿な、僕と2,3歳しか違わない女の子のほっぺたをつねってやる必要があった。

 今なら間に合うかもしれない。

 僕には伝えたい言葉がある。

 いままで気づかなかった、だけどそれで、全部の謎が解けるのだ。国を巻き込んだ大罪人。裁けるのは僕だけだ、あいつらじゃあない。

 だから、僕は君の所に行く、そして伝えなきゃいけない。

 そうだ、僕がずっと寒かったのは。

 寒いなんて感じたことのない、生まれながらの部品だった僕が、そんないらないことを感じるようになったのは、すべて。

 僕が、君のことを――…………。



 再び冬の海にたどり着いた時。

 男たちふたりのあいだで、彼女は倒れていた。

 駆け寄って、抱き起した。

 既に冷たくなっていた。死んでいた。


 熱が失われていて、随分と軽かった。腕を持ち上げると、すぐにおちた。

 もう、戻らない。


「ああ、ああ……」


 伝えられなかった。

 最後に君を絶望させて終わってしまった。

 これが僕。稀代の大ウソつき、国に帰れば英雄として祀り上げられるであろう男。

 僕には相応しい。そのまま、僕はもう、震えることはないのだろうと思った。


 だけど。

 死んだ彼女の手が、何かを握りこんでいるのに気付く。

 既に指がかたくなっていて、あけられない。

 顔を上げて、同僚に聞いた。


「……ああ。それ、最期まで離さなかったんだよ。王にとっては忌まわしきもののはずなのにな……」


 そうして、遅く、あまりにも遅くに、理解する。

 あの、ブローチ。韜晦を込めて贈った嘘塗れの僕の感情のかたまり。

 彼女は、自身の滅びのきっかけになったそれを、離しはしなかったのだ。

 死ぬその時まで。

 僕と彼女の、さいごの、よすが。


「ああ、あああああああ、あああああ…………」


 おそすぎた。

 ぜんぶがおそすぎた。

 こんなにも、こんなにもきみは。

 僕は最低だ、なぜもっとはやくに、君に。

 僕は彼女を抱きしめる、強く強く抱きしめる。

 もう、くすぐったいと笑うこともしない、冷たい能面。

 やがてチリになって消える、彼女だったもの。

 そうすれば、また生き返るかもしれないとでもいうように、強く強く。

 僕の身体は震え出して、喉の奥からしゃくりあげる音がする。

 歯ががちがち鳴って、目の奥がかっと熱くなった。

 それから、涙がぼろぼろとこぼれはじめた。

 同僚二人は背を向けて、遠くに佇んでいる。


「僕は……僕は……ああ、遅かった、もっと早くに。でも、言えなかった、言えるわけがないんだ、ちくしょう、ちくしょう。僕は、僕は」


 長くない年月が引き伸ばされて、そこに無数の彼女が居た、僕はそれを、その一瞬ですべて、きざみこんだ。

 かのじょがいた、そのすべて。


「僕は……僕は君が、好きだった……」



 冬の海は広がり続けている。


 彼女がそれを好きと言ったのは、ほんとうに自嘲のためだけだったのか。今となってはわからない。

 だけど、さいごに僕が預かった、あのブローチが答えであるような気がした。

 何もかもが止められない滅びに向かうなか、ずっと変わらない光景が、ひときわ美しく見えるように。

 僕も彼女を忘れない。

 これから先、僕の先に、いかなる辛苦が待ち受けていても。


 僕は君のすべてを、愛し続ける。

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