肴酒の種

 何か重い物が盛大に割れる音に続き、何か大きな物が盛大に倒れる音がした。そしてお互いを罵り合う二人分の怒鳴り声が騒音となって騎士舎に響き渡る。

 長い執務館の廊下。高い天井を伝って階下から聞こえてきたその音に、獅子騎士団総隊長のバルトーク・ウィラスと同じく虎騎士団部隊長のエリアス・マキシムは顔を見合わせた。

「お二人とも…っ」

「お止めください!」

 若い騎士の哀れな当惑声も混ざって、騒音は鳴り止む様子は無い。音の響く方向をしばらく眺めていた両部隊長は、そういえば今日、両副長は城を外している事を思い出し、つまりは止める役目は自分らにあると知り全速力でその場から音の方向へ駆け出した。

「お前はそれでも一騎士団を束ねる団長か!」

「何を言う!一殺多生という言葉を知らないのか!?」

「それだ!そこが俺が十年以上かかっても好きになれないお前の最悪な短所だ!」

「その言葉そっくりお返しして差し上げようか。イノシシ団長殿!」

 階上の手すりから下を覗き込むと、廊下へとつながる階段の踊り場で取っ組み合う二人の影と、それを止めようにもオロオロと当惑するしかない若い見習い騎士や従騎士らの姿が見えた。

 床には哀れに割られた花瓶と生花が散乱し、廊下に飾られていた筈の胸像らしきものの残骸が散っていた。

 取っ組み合う二人の人影は、鮮やかな赤と青の騎士団長装束を纏っている。ロストリア騎士団の誉を具現化した象徴であるはずのその二つの騎士服は、お互いに掴みあったせいで着崩され、皺をよせていた。

「なんだとこの尻軽!」

「今時お前みたいな朴念仁は流行らないんだよ!」

 口論の次元がみるみる低レベル化していく様に、両総隊長は階段上から深い深いため息を落とした。

 それに気がついた青従騎士の一人がまるで救世主をみつけたかのように目を輝かせて声を上げる。

「レセスト部隊長!エリアス部隊長!」

 連鎖反応を起こして次々と二人に視線が向く。

「しまった」と顔を顰めるも既に遅く、二人はとりあえず駆け足で階下に下りた。途端、青い団長服の腕に突き飛ばされた赤い団長服が両総隊長の元に背中からぶつかる。咄嗟に受け止めると負けじと赤い団長服が今度は体ごと青い団長服に突進して二人もろとも廊下側に転げ落ちた。

「キース様!」

「ノーマン様!」

 両総隊長の怒号が同時に飛んだ。

「ん…?」

 赤団長服が青団長服の上に馬乗りになった状態で、両者が同時に振り向く。両者とも頬や口元、目元に傷やあざを拵えた酷い面構えだ。

 幼い花売りから有閑貴婦人にまで数多の婦女子が頬を赤く染める優美な虎騎士団長も、今はその稲穂色の美しい髪は取っ組み合いの結果か乱雑に乱れている。百年の恋も醒めるというものだ。

 夢多き少年から偏屈な老人までが老若男女が英雄だ息子のようだと慕う精悍な獅子騎士団長も、今はきっちり着込む襟元がだらしなく乱れている。多くの人々の夢を破ってしまうというものだ。

 そんな夢の残骸に向けて両総隊長の言葉は続く。

「騎士団内での私闘はご法度ですぞ!」

 廊下の奥では騎士団付のメイドや執事らが遠巻きに喧騒を眺めている。彼らの手にはすでに塵取りと箒が握られ、いつでも片付けを始められるようになっていた。

 つまり今この場で起こっている出来事は、そう稀事でもないという事であろう。

「何か誤解しているようですね、総隊長」

 キースが乱れた髪形をかき上げながら、ノーマンから離れて立ち上がる。

 喧嘩が収まったかと周囲が安堵した次の瞬間、

「これは制裁だ。物分りの悪いイノシシには体で覚えさせないといけないのでね」

 というキースの言葉に立ち上がって服装を整えていたノーマンが両眼を光らせた。つかつかと大股で自団の部隊長の前に歩み寄ると、

「もう春ですからね。ここがオカシイ奴のいう事など間に受け無い方が賢明というもの」

 と某虎騎士団長を仄めかす。

「…………………」

「…………………」

 静寂が走る。

 若い見習い騎士の顔が更に青ざめると同じ速度で空気が冷えていくのが実感できるほどだ。

「「どうして分からないんだ!!!」」

 両者の怒号が互いに同時に向けられる。

「俺は!!部下を一人たりとも失うつもりの作戦なんかとらん!!!」

「その甘い考えが逆に死傷者を増やすのが分からんのか!俺は一人でも多くを救うために動く!!一殺多生がやむを得ない場合だってあろうが!」

「始めから諦めているその姿勢こそが根本的に腐っているというんだ!!」

「戦なんだぞ。お前だって嫌というほど分かっているはずじゃないか!」

 そのやりとりで、周りの部下達はこの両団長による喧嘩の原因を何かと悟る。痛ましいほどに、ことに若い見習騎士の表情に悲痛な影を落とさせた。

 総隊長の前で再びお互いの襟をつかみ合う。両者とも拳を振り上げた瞬間、


「「いい加減にしろ!!!」」


「!?」

 見事にユニゾンした怒声が響いた。聞き慣れたそれに、キース、ノーマン両者の手が止まる。周りを囲んでいた従騎士らさえも肩を一度びくつかせて息を止めた。

 バルトークがノーマンを、エリアスがキースのそれぞれ腕をとって二人を引き剥がし、


 パァ…ン


 頬を同時に引っ叩いた。

 高い天井に音が響く。

「あっ…」

「っ!!」

 若い見習い騎士や、奥で眺めていたメイドらの口から漏れた驚声と共に。

 叩かれた両団長は頬に手を当てて、

「団長がそんな風では部下に示しがつかないだろう!!」

 と怒鳴る両総隊長を呆然と眺めている。

「申…し訳あり…ません」

「す……みません…」

 ノーマンとキースの言葉遣いが臣下に対するものではなくなっている事に騎士見習いが意外そうに見ているが、従騎士らの反応は違っていた。

 上位騎士らは、現虎騎士団長と獅子騎士団長の元上司、先輩が殆どを占めている。この両部隊長もかつては、若い従騎士だった二人に激を飛ばしていた時期があったのだ。ある年代以上の騎士たちは、みなその事実を知っている。

「あっ…」

 先に我に帰ったのはバルトーク。

 頬に手を当てたまま呆然とするノーマンを目の前に、そして自らの手の平に残る叩いた後の痛みに、弾かれるように瞠目した。

「とんだご無礼を!」

「申し訳ありません!」

 若干遅れてエリアスも我を取り戻し、臣下の礼をとる。

「いいんだ。やめてくれ」

「私達が大人気なかった」

 慌ててそれを止めさせて、両騎士団長は再び顔を見合わせた。ひどい有様のお互いの顔をしばし眺めて、最後に大きくため息をつきあった。

 そして辺りを見渡し、己らが与えた器物損壊の結果に対しても、また小さくため息をつく。そこから視線をたどれば更に、周囲を囲むようにして当惑顔のまま経ち尽くす若い騎士見習や従騎士たちの姿も。目が合った一人が目にわかるほどにびくつく。

 すっかり怖がられているようだ。

「驚かせて悪かった」

「すまない」

 騎士見習にまで軽く頭を下げる両団長の行動は逆に彼らを更に恐縮させてしまう。

 キースが苦笑と共に若干自分より上背のあるノーマンを見上げた。

「片付けよう」

「そうだな。当然だ」

 足の下でパリンと音をたてる陶磁の破片。その場に片膝をついて手袋をしたまま欠片を拾い始める両団長。メイドと執事らが慌てて駆け寄るが、キースが柔らかい笑みで拒否する。

「いいんだよ。こうしながら頭を冷やしているさ」

 そしてノーマンは従騎士らを見上げる形で

「いいから、もう持ち場に戻れ」

 と促す。部隊長らと両騎士団長の顔色を交互に見眺めながら若い騎士達はその場から去っていった。メイド達も、箒とゴミ袋をその場に置いて遠慮気味に姿を消した。

 残されたのは、陶磁の欠片を拾うかすかな音の中にいる両騎士団長。そして両総隊長の四人。エリアスとバルトークは無言で砕けた胸像の欠片を拾い始めた。ノーマンはあえて止めない。

「団長とはいえ、規則違反ですからね」

 暫くの沈黙の後に、エリアスの短く事務的な響きを帯びた言葉が空気を破った。

「ああ」

「大人しくするとしようか」

 騎士団規律第五十二条第五項目によれば、騎士団内で私闘を行った者は事情を問わず最低三日間の謹慎処分を受ける事となる。損害と相互の傷害状態によっては減俸、降格と、重い罰も科せられる。それは身分を問わずに適用されるというのが原則なのだが、両団長にそろって三日も仕事を空けられては副長も城を外している今、両総隊長、副官以下に多大な負担となるのは明らかだ。

 処分袋に陶磁の欠片を放り込みながらバルトークが顰め面で静かに補足する。

「今お二人に三日も休まれては困る人間が多いので、謹慎は今日一日で結構です」

「残念」

「子供ではないのですから」

 両総隊長とキースのやりとりを、ノーマンは手を動かしながら無言で聞いている。先ほどから誰とも目を合わせようとしない。思案に暮れているのだろう。黙々とする青い背中にふと、キースの視線が泳ぐ。何か彼にかけるべき言葉と、そのタイミングを伺っている。一方のノーマンとて、自己表現が下手なこの男は、背中や目が実に雄弁だ。鮮やかな青の背中がキースと同じように賢明に言葉を模索している彼の心情を実に良く語っていた。

 エリアスもバルトークは、今日何度目になるだろうか、また顔を見合わせ苦笑する。

 そしてバルトークが代弁して両騎士団長へと言葉を手向ける。

「子供ではないのですから、答えの無い問いについて喧嘩などするものではありません」

 一瞬、両騎士団長の指先が止まったが、またすぐに陶磁が触れ合う音が続く。

 一通りの破片を拾い終えるまで、四人はそれから始終、無言だった。



「少しばかり留守にしていた間に、随分と派手な青春劇場を繰り広げていたそうだじゃないか」

 その日の宵。

 外部査察任務から戻った虎騎士団副長ユベルは、帰城するなり虎騎士部隊長エリアスから手渡された薬と包帯一式、そして彼独特の慇懃無礼な皮肉と共に虎騎士団長の執務室へと姿を現した。

「あははははは。色男が台無しだ。いい気味だ」

 同い年の元同級生とあって、執務時間外におけるユベルの言葉に遠慮は無い。顔にまだ痣や擦り傷を放置したままのキースも「まったくだ」とぞんざいな、だが気の知れた声調で応える。

「階下ではどんな風に噂が広がっているんだ?」

 自分でできる、とユベルの手から薬の瓶を引っ手繰る。さぞや面白可笑しい茶番劇として若い見習にまで広まっているだろうと思うと、やはり気分は悪かった。

「さぞや滑稽な有様に映ったのだろうな。特に若い者には聞かせるべきでなかった事を、私は口にしてしまった気がする……」

 恥じも外聞もなく人前で怒りまかせに怒鳴り散らす姿など、少なくとも騎士団長になるまでは無かったはずだ。

 なのに…。

「いいや?」

「ん?」

 ユベルの予想外の反応。

 悪言毒舌を予測していたキースは表情を和らげたユベルの面持ちに対して逆に訝しがる。

 結局この晩、キースはユベルからその真相を聞き出す事はできなかった。



「また大人気ない事をなさいましたね」

 ノーマンに対して何事にも単刀直入、単純明快に問いと答えを求める獅子騎士団副長デルク。執務中のノーマンが好むその口調も、今はやけに刺々しく胸中に突き刺さる。

「喧嘩をした行いに対しての反省は、している」

「…」

 こちらは素直に副長の手当てを受けている団長の姿が見られる。頬に出来た比較的大きな擦り傷に薬を塗りこまれ、ノーマンは目を細める。

「余計な事を口走って若い騎士達を徒に不快にさせた」

 団長失格だ、と溜息と共に弱音を漏らす。

 その間もデルクの手が手際よくノーマンの頬にガーゼを当て、絆創膏を貼って行く。

「やはり俺は人の上に立つ器ではないな……痛っ!」

 最後の弱音の直後、デルクの手が乱暴にノーマンの頬をはたく。傷に響いて思わず声を上げてしまった。

「何を馬鹿な事を」

 呆れながらも、だがいつもの調子でデルクは薬箱に薬をしまい始める。

「私は貴方以外の団長に仕える気は、今のところありません。私を無職にする気ですか」

「………」

「今のところ」という言葉が気になるが、彼にしては誉め言葉の部類に入る。ノーマンは素直にありがたがることにした。

「それに、若い騎士達も」

 突如、デルクの言葉が途切れる。

「?」

「いや、やめておきましょう」

 デルクは薬箱に蓋をしてその場から立ちあがり、部屋を出ていこうと扉に向かう。

「気持ちが悪いぞ。何を言いかけた?」

 若い騎士達について気になっていた身としてはその背中を呼びとめるのは当然だ。だがセタは「さあ」と右手を振りながら部屋を後にしてしまった。

「………………」

 呆然と取り残された獅子騎士団長の姿。

 結局デルクは、この日は戻ってこなかった。



 デルクがノーマンの執務室から出ると、廊下に背をあずけたユベルが待っていた。

「どうだった。ノーマン様のご様子は」

「甚く反省されて落ち込まれているようだった。そっちこそ、キース様は?」

「同じく。お珍しいことに」

「ノーマン様とキース様の喧嘩はいつも同じ顛末だからな。いいかげん、学習して戴きたいものだ」

 互いが仕える団長について軽く皮肉った後、二人は薬箱を返却すべく医務室へと向かう。

 しばし長い廊下を歩き、

「なあ」

 とユベル。

「あの話、したか?」

「いいや」

「俺も。あまりに珍しくしおれていらっしゃったので、つい面白くてな」

「同じく。しばらく大人しくなってもらうためにも、黙っておいた方がいいだろう」

「すぐに元気になられても困るし」

 両副長による意地の悪い会話は、夜を照らす薄明かりの中へと、遠ざかる影と共に消えていった。



 時をさかのぼる事、つい半刻前。

 城外視察に出ていた両副長が帰城するやいなや、両総隊長が浮かない顔色で呼びとめてきた。なんでも両団長が「また」殴り合いの喧嘩をしたという。しかも今回は、まだ見習の若い騎士達にまでその様子を目撃されたとか。その場にいた若者達の顔色から察するに随分と心象を悪くしたのではないかというのだ。これは下手すれば軍全体の士気低下に結びつきかねない。

「やれやれだ」

 どう情報操作をしてこの事態を揉み消すか、そんな事を模索しながら両副長が騎士舎区域内に足を踏み入れる。

 好タイミングというか、間が悪いというか、渡り廊下を抜けた辺りの憩広場の方から、若い騎士らの声が響いてきた。

「キース様とノーマン様が…」

 そのような言葉が聞こえてくる。

 随分と興奮した声調だった。

「あれではないか?」

「………」

 その場に足を止め広場の方に目を向ける。

 拭きぬけた天井を丸く囲った広場の中央には戦いの女神をあしらった簡易な噴水が立っている。その周囲に腰掛けて雑談に興じる若い見習達の姿が目に入った。

「あのお二人が取っ組み合いの喧嘩となると、ものすごい迫力だったぞ」

「さながら竜虎絵図って感じだな!」

 身振り手振りで解説するのは、二人の見習い騎士。いずれも喧嘩していた団長の側で顔を青くしていた少年達だった。

 子供の喧嘩をまるで英雄譚のように語る少年の目は輝いており、また、それを聞く数人の少年達の目も同様だった。

「欲目のフィルターだとああ見えるのか」

「余計な事を言って夢を壊さない方が騎士団の将来のためかもしれないな」

 いささか冷めた意見で同意しつつも、両者が少年達を眺める視線には柔和な光がたゆたっている。

「それだけじゃないんだ」

 少年の熱弁は続く。

「あのお二人の喧嘩の理由が、お互いの戦いに対する思想や理想の相違というか…、お二人とも本当に真剣に騎士団や皆の事を考えていらっしゃったんだ。あんな傷を作って殴り合うまで!」

「そうそう!俺、感動したよ!確かにあの現場は怖かったけど」

 頬を朱に染めてタイトルロールの英雄のごとく熱く語る少年達の言葉に耳を傾ける少年達も、次第に興奮を覚える。

「カッコイイ!」

「さすが両騎士団長様だ!」

「あ…」

 盛り上がる少年達の一人が、渡り廊下からこちらを眺めている両副長の姿を見とめた。

「で、デルク副長にユベル副長!!」

「え!?」

 興に乗っていた少年達が一斉に我に返りデルクとユベルを振り向く。その勢いは逆に両副長が驚くばかりだ。

「あ、おかえりなさいませ!」

「城外視察、ご苦労様でした!!」

 見事に声をそろえて一同が頭を下げてくる。ちゃんと教育がなされているようだ。これが「馬鹿」がつくほど生真面目な団長が率いる獅子騎士団に入団した暁には更に磨きがかかろう。

「ご苦労」

「夜更かしするなよ」

 軽く手を上げて両者はその場から早々に立ち去ることにした。その足で、それぞれが仕える現在は謹慎中だという団長執務室へと向かうのだった。


 彼らが先ほど見た光景は、

 数ヶ月後になって酒の肴としてようやく両団長に語られたという

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る