第4話

 それはいつもと変わらない日常だった。

 分かれ道になり、私達は別れの挨拶をして帰る。

 雪は私に向かって笑顔で手を振った。

「またね」

 今日は特にデートの予定もないのだから当然だ。

 けれどいざ別れるとなると寂しくて、もう少し一緒にいたいって思ってしまう。

 友達だった時は寂しくてもすぐに明日会えるんだからって、会えない時間のことは気にならなかったのに。でも今は少しの時間でも離れたくないなんて……それだけ雪のことを好きになっていたことを自覚する。

 ここで素直に離れたくないって言えたらいいのに。

「雪、またね」

 だけど素直になれない私は、そう言って雪と別れた。

 一人で歩く道はなんだか寂しくて、雪と離れていく度にもっと一緒にいたいという想いが強くなる。

 もしも今、引き返して私の気持ちを伝えたら雪は一緒にいてくれるだろうか? 恋人のわがまま聞いてくれるだろうか?

 私は家に向かっていた足を止めると引き返した。しかし引き返してすぐに再び足を止めることになる。

 雪が誰かと一緒に居たからだ。

 雪に限って浮気なんてするわけないとは信じてはいるけど、モヤッとした感情を抑え込むことは出来なかった。

 私は反射的に電柱の影に隠れ、様子を伺う。

 雪と話してる相手には見覚えがあった。

 ……あれは? 同じクラスの椎名さん?

 それにしても椎名さんと雪が話してるところを初めて見る。

 二人とも仲良かったっけ? そんなことを思っていると、二人は移動し始めた。

 いけないと分かっていても私は二人の後を追う。まるでストーカーみたいだ……なんて思うけど、気になってしまった。

 二人は人気ひとけのない路地裏を十五分歩き、辿り着いた先はどこかの工場のようだった。人の気配はなく、外観の荒れ具合から廃墟のようだった。

 私は中に入ってく二人を確認し、少し経ってから私も後に続いて中に入る。

 音を立てないようにゆっくりと話し声が聞こえる場所まで進んでいく。そこは『仮眠室』と書かれた部屋だった。

 ドアは壊れているのか開けっ放しで、声はよく聞こえる。

 私は入口付近でピタリと壁に張り付くと、二人の会話を盗み聞く。

 静かな場所だから二人の声はよく聞こえた。

「ここならゆっくり話せるよね?」

 雪の声だ。どうやらここまで誘ったのは雪のようだった。

「どうしてこんなところで……」

「で、本題に入るけど椎名さんはなんで純白をつけていたのかな? もしかしてストーカー?」

「ち、違います!!」

 椎名さんは慌てて否定している。

「じゃあどうして?」

「その……ただ宮本みやもとさんと仲良くなりたくて」

「なるほどね。もしかして椎名さんって純白のこと好きなの? でも残念、純白はわたしと付き合ってるんだよ」

 雪は何言ってんだー!? 

 驚いてつい、隙間から二人の様子を覗いてしまう。バレるリスクは高まるが、雪の表情を確認せずにはいられなかった。

 雪はニコニコと平然としていた。どうやら恥ずかしいのは私だけらしい。

 椎名さんは驚いた顔をすると早口で話始める。

「えっ、そうなんですね!? で、でも私は友達になりたいだけ……ただゲーム仲間が欲しいだけで……! 宮本さんがカバンにつけてるキャラ、今私がハマってるゲームのキャラなんですよ。そのキャラゲームの主人公なんですけど普段はかっこいいけど、かわいくてそのギャップが大好きなんですね。メインはアクションゲームだけどシナリオも凝ってて好きで!! って……あ! ごめんなさい話が逸れました……」

 本当にそのゲームのことが好きなようで椎名さんの言葉に凄く熱がこもっていた。

 このゲームはマイナーなのかやってる人が周りにいなくて、椎名さんの気持ちは凄く分かる。私もゲーム仲間欲しかったので同志を見つけて嬉しい。今度一緒にゲームをしたいなぁ。

「あの! と、とにかく心配しないでください。私はただ宮本さんと話たいだけです。あなたから宮本さんを奪うつもりはないですから」

 なんか物凄く恥ずかしい会話をしてない?

 聞いてる私が一番恥ずかしいよ……。

 それにしてもこんな人気のない所で二人っきりになってるから心配してたけど、大した話でなくて安堵した。

 心配……? そこで自分が雪の浮気を疑っていたことに気づいて反省する。好きな人を信じられないなんて……。

 ふと、さっきからずっと黙ってる雪の反応が気になった。雪の顔を見るといつもと変わらない笑みを浮かべている。

 その顔を見てなんとなく違和感を感じた。なんだろう、笑っているのに笑ってないような……。

「ふーん。ま、許さないけどね」

 酷く冷たい声だった。表情はニコニコしてるのにそれがアンバランスで、ぞくりと寒気がした。

 そして……それは一瞬だった。

「えっ?」

 椎名さんは驚いた表情で雪を見ている。

 雪いつの間にか雪は包丁を手に持っていて、それを椎名さんの心臓に思いっきり突き刺した。

「うっ……!」

 椎名さんは悲鳴をあげる間もなく呻き声を上げて、崩れ落ちていく。

 雪の手はべっとりと血に濡れていた。彼女の表情にはなんの感情も籠っていない。ただ作業のように平然と人を刺している。

 それがどうしようもなく怖かった。

 逃げ出したくて。でも足が動かなくて私はその場に留まりつづける。

 チラリと雪を見ると目が合った。

 気づいてるっ……!

「ひっ……!」

 引きつった声が出た。怖くて言葉が出ない。

「純白、いたんだ」

 その雪の表情も声もいつも通りで。私の好きな雪で。だからこそ目の前の光景が信じられなかった。

「どうして」

 私は呆然とそう言うことしか出来ない。あまりにも現実味がはなかったから。

「ん〜邪魔だったから? 純白はわたしのものなのにこいつは近づこうとした」

 雪はそう言って再び包丁で椎名さんを刺す。

「やめて!」

 かろうじてそう言えたけど、私の言葉はなんの意味もなかった。雪は止まることなく、何度も何度も椎名さんを刺した。

「あははっ」

 どうしてこいつは笑っているんだ。

 ただ私と友達になりたかっただけの椎名さんを邪魔だと言うだけで殺して。なのに、なんでなんでもなさそうな顔をしてるんだ。

 ここにいるのは私が知らない雪。今でも雪を好きだという気持ちは消えない。雪のこと好きだ。大好きだ。この恋は無かったことには出来ない。

 でも違う。私が好きになったのは優しくて、 たまに厳しくて、誰かを傷つけて笑うような人じゃなかった。

 私は雪のことをずっと見ていたはずなのに分からなかった。彼女の狂気に気づけなかったんだ。

 好きだったらどんな雪も受け入れる。どんなに酷い人でも私が好きになったのは雪なんだから――なんて、そう言えるほど盲目にはなれなかったんだ。

 だから私はっ…………!

 雪は私を愛おしげに見つめ、

「好きだよ」と囁いた。

 嬉しいはずの言葉が痛くて。

「どうしてそんな顔をするのかな」

 好きだったはずの笑顔が歪んで。

「わたしはこんなにも好きなのに」

 私が好きだったはずの声が怖くて。

 なにがあっても揺らがないと思っていた想いはズタズタに崩れて。でも消えなくて。この想いはどこへ向かえばいいのか分からなくて。

 泣きたくて、苦しくて、痛くて。

「私は雪が好きだった」

 ︎︎絞り出すようにそう言った。怖いとか悲しいとか苦しいとか色々な感情がごちゃ混ぜになって声が震える。

 ︎︎雪はいつもと変わらない優しい笑みを浮かべたまま、私の言葉を聞いていた。

「でも私が好きだったのは優しい雪だった」

「そっかぁ」

 雪の笑顔が怖かった。

 雪はゆっくりと立ち上がると椎名さんの死体から包丁を抜いて、こちらへ視線を向ける。

「捕まっちゃったら一緒にいられなくなっちゃうもんね」

「なにを……」

 雪は私を殺すつもりだ。嫌だ。死にたくない。

死にたくない!!

 がむしゃらだった。雪から包丁を奪おうと必至で。気づいたら雪の胸に包丁が刺さっていて、光のない瞳で私を見つめていた。

 「あ……あ……」

呆然とその光景を眺める。

 そのあとの記憶は断片的だった。とにかく必死だったと思う。

 ︎︎



 全部思い出した。そうだ私が殺したのは……殺してしまったのは椎名さんじゃない。……雪だった。

「あ、思い出した?」

 目の前に微笑んでいる雪がいた。

「なんで……」

 いるはずのない。そう幻覚だ。椎名さんの死体と同じ。雪だって存在しないはずだから。

「もう少し、前みたいに話してたかったな。だけど思い出しちゃったなら仕方ないよね」

 これは幻覚だ。思い出してしまったから雪が豹変しただけ。だけど思い出したら椎名さんの死体は消えたのに、どうして雪は消えないの?

「今度は失敗しない」

 雪はいつの間にか包丁を手にして。それはまるで昨日の続きのようで、ぞくりと寒気がした。

 消えろ消えろ消えろきえろきえろきえろきえろ。

「消えろぉぉぉ!!」

 ……消えない。どうして!? なんで!?

 そして雪はあのときと同じように微笑んだ。


「ずっと一緒だよ」

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私にだけ見える死体 kao @kao1423

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