第3話

 放課後になっても椎名さんの死体はまだそこにあった。

 誰もいなくなった教室で私はじっと椎名さんを見つめる。

 ︎︎「オ……ィ……テ……」

 動かなかったはずの死体がビクリと震えた。

 椎名さんは何かを伝えようとしてる?

 怖いけど、聞かなきゃいけない気がした。

 私は恐る恐るゆっくりと近づく。

「……して」

 最初は分からなかった言葉も少しずつハッキリと聞こえてくるようになる。

 本当はこれ以上は近づきたくない……でもこのまま死体が見え続けると日常生活に支障が出そうだ。

 いつまでも逃げてばかりもいられない。

 椎名さんの言葉を聞き取るため、勇気を出して耳元を死体に近づける。


「思いだして」

 その声を聞いた瞬間、私の意識が遠のく。


 この場所はさっき夢で見た場所。

床には死体。誰の? これは椎名さんの死体。誰かが包丁を手に持っている。でもそれは私じゃない。

椎名さんはもう死んでいた。それなのに彼女・・は何度も刺してる。何度も何度も。

「やめて」という私の制止はきかずに。

彼女・・はニヤリと歪んだ笑みを浮かべ、こちらを見た。



 意識が現実に戻り、私は胸を押さえた。

「うっ……!」

 汗がダラダラと流れ、呼吸も荒くなる。

「はぁはぁ……」

 思い出した。思い出してしまった。

 椎名さんを殺したのは私じゃない。彼女を殺したのは――

 気づけば椎名さんの死体は消えていた。思い出した今ならなんとなく分かる。あの死体は私が作り出した幻覚だったのだろう。

 あの日止められなかった私の罪悪感から作り出された幻影。だからこそ私にしか見えなかったんだ。

「ねぇ、どうしたの?」

 それはぞくりとするほど冷たい声だった。私はゆっくりと後ろを振り返る。

「雪……」

「帰らないの?」

 いつもと変わらない声のはずなのに、違和感を感じる。まるで知らない人みたいだ。

 ︎︎ここから逃げたい。でも確認しなきゃいけないことがあった。

 私は大きく息を吸い、緊張した面持ちで問いかける。


「どうして椎名さんを殺したの?」


 私の言葉を聞いても雪は平然としていた。いつもと変わらない様子で答える。

「どうして、ね。知ってるでしょ?」

 雪の表情は妙に明るく、だからこそ不気味だった。

「知ってる……?」

 ︎︎さっきからおかしい。なにが? 分からない。でもなにかがおかしい。

「それとも知らないフリをしてるのかな?」

 おかしい。違和感を感じる。もしかして私はまだなにか大事なことを忘れている?

「覚えてないならそれはそれでいいかな」

 覚えてない? 

 ガンガンガンガンと頭の中で警告が鳴り響く。

 頭が痛い。これ以上は駄目だ。これ以上いけない。駄目だ駄目だダメだダメだ。

 その時、ガラリと教室のドアが開いた。

「あれ? 宮本みやもとさんまだ残っていたの?」

 声の主は不思議そうな顔で私を見る。

高橋たかはしさんこそどうしたの?」

 彼女――高橋さんは私の隣の席だ。親しいという程ではないけど席が隣のためたまに会話はするくらいの仲ではある。

 高橋さんは自分の机まで行くと中を漁った。

「あ、あった! いや〜課題のプリント持って帰るの忘れちゃって」

 彼女はそう言ってプリントをヒラヒラさせている。高橋さんが来たことで空気が和らいだような気がして、ほっと息を着く。

 雪は私達の会話に混ざらない。しかし何が楽しいのかさっきからくすくすと笑っている。

「人来ちゃったね。ふふっ、純白さっきの話聞かれたら困るよね?」

 私は雪の言葉に眉をひそめる。

 まるで自分は聞かれても困らない、というような余裕の表情を浮かべていた。

「困るのは雪の方でしょ?」

「えっと……」

 高橋さんは言おうか言うまいか迷ったように視線をさ迷わせている。数秒の間があって、やがて言うことにしたのか言いにくそうに口を開いた。

「ねぇ宮本みやもとさん、さっきから誰と話してるの?」

 高橋さんは変なものを見るような視線を向けている。雪じゃなくて、私に。

「誰って雪だよ」

「雪って九条くじょうさんだよね? でも今日は欠席のはずじゃ……」

 そうだ……雪の苗字は九条だ。どうして忘れてたんだろう? 朝、先生の『今日は九条くじょう椎名しいなは休みか』という言葉をハッキリ聞いたはずなのに……。

 ではここにいる雪はいったい……?

「大丈夫? 早く帰った方がいいよ。私は部活あるからもう行くね。じゃ、バイバイ」

 高橋さんは困ったように笑い、そそくさと教室を後にした。

 再び私と雪だけが教室に残される。

 私は雪に視線を向けた。彼女はしっかりと存在してそこにいる……椎名さんだけじゃなくて雪も私にしか見えてない? どうして……?

「あーあ、バレちゃった」

 雪は楽しそうにそう言った。

「どういう……こと?」

 私は何が起こってるのか分からず、呆然と呟くように言う。

 その瞬間。頭の隅でチカッと映像がフラッシュバックした。



 ――そうだ。あの日、私は。

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