則井先生(17)
大人の悪ノリに付き合っていたら、子どもが割り込んで来た。
(…どうしたもんか、この空気…。)
まさかここで園田がやって来るとは思わず、俺はともかく佐久間は完全に固まってしまう。
俺は佐久間に動く場所を奪われているし、佐久間も園田に気を取られ動かない…となると、必然的動いたのは。
「―佐久間先生。」
聞いた事の無い低音だった。
いつも俺が聞いていた声は、中性的にも捉えられる様な音で、それはそれは柔らかな聞き心地だったのだが。
今の園田の声は、まさしく獣が威嚇をしているかのようだった。
「オレ、則井先生に用があるんだけど。」
「お…おぉ。」
園田の剣幕にふざけていた気分が一気に引いたのか、佐久間は大人しく俺から離れる。
助かった…そう思ってそのまま立ち上がろうとした。
しかし、つかつかと早歩きでこちらに近付いてきた園田はその勢いのまま。
俺の片腕を掴んできた。
は?と理解が追い付かないまま園田は「それでは失礼します。」と早口で佐久間に告げ、俺の腕を引っ張り喫煙室から出される。
ぐい、ぐいっと強く腕を掴まれたままの状態で誰もいない廊下まで連行され「お、おい園田!」と俺が言ってもその速度を保ったまま保健室まで戻って来る事が出来た。
「何だってんだ一体…。」
腕を見たら鬱血しているんじゃないかと思う程の握力で、俺は高校球児の体力を舐めていたと今更ながら思う。
「どうした、園田。」
これまでに無い反応を見せた園田に今一度正面から聞く。
ただ男教師共が仲良い様な、傍か見たら気味が悪い様を見せつけられて嫌な気分になったにしては、行動の取り方がおかしい気がする。
だから、園田が何を思って俺を連れ去り、今この状況に至った考えを聞こうとしたのだが。
目の前の園田は。
両の手を握りしめ、その体全体を震わせていた。
「どうしたって…そんなのこっちが聞きたいのに。」
小さく呟いたと思えば再度手首を掴まれ、その強い引力に抵抗出来ず乱暴にカーテンを開け閉めした後、保健室のベッドに押し倒される。
「な、にやって。」
「オレの方が先生を大事にするのに!」
脈絡が無い行動に目を白黒させる暇さえ与えないとばかりに、急に喚かれた。
「待て、園」
「もう待ちたくありません!」
頼むから何を思ってこんな行動に出ているのか教えて欲しいというのに、急に子どもに戻ったかの様にぎゅうと抱き着かれ、より理解が追い付かなくなる。
先程から力の差を嫌って程味わっているというのに、特に鍛えてもいないこの老いた体は野球部のエースに力の限り縛られ悲鳴を上げた。
「………この、馬鹿野郎!!」
口の近くに耳があったので、腹から声を出す。
流石に俺の大声に驚いたのか、やっとそこで園田は引っ込み俺の背まで回していた腕を解く。
「話を聞きやがれ!何だ、野球やってる連中ってのは、どいつもこいつも話聞かねぇ勝手な野郎ばっかなのか!?」
こんな目に遭った事が無い俺は、体内の血管複数が千切れてしまうのではないかと思う程真っ赤になって吠える。
「お前もお前だ!こんな訳分からねえ行動に移す前に、会話が出来ねぇのか!?」
唾が顔に掛かるのをお構いなしに思った事を全部口にするが、喉に違和感が走った。
(あーックソ…一気に大声で叱ったせいで喉が…。)
咳き込むのを止められず、ゴホゴホッとそっぽを向き、喉の調整をしていると。
ぽつり、ぽつり…と。
温いものが、俺の頬に降りる。
何だ、と思い拭うと、ただの透明な液体だった。
しかし、こんな室内で雨に降られるのはおかしい…俺は、顔を元の位置に戻す。
目の前に現れたのは、その両目にいっぱい水を溜め、口をへの口にひん曲げた園田だった。
「―何で泣いているんだ。」
流石にそんな状態の人間を前に怒る気にもなれず、俺が持っていた感情は鎮火する様に無くなり俺は普段の調子を取り戻す。
こちらの問い掛けに答えようとするが、しゃっくりも上がり上手く話す事が出来ない様子だった。
「せめてこの状態をどうにかしてくれ…。」
ずっと押し倒された体勢だったので、このまま話し始めるのは心臓に悪いと思い伝えると、すぐさま引いてくれた。
ベッドの端に座った園田の隣に俺も座り、そのしゃっくりと涙が収まるまで待つ。
(しかし、だらだら流れるな…鼻水まで出てやがる。)
制服で拭ってはいるが決壊するのも時間の問題だろう、そう思ってティッシュを取りに行こうと腰を上げると。
くんっと今度は小さな引力が俺を引き留める。
「…ハンカチは持っているのか?」
聞くと首を振るので、仕方なく俺は自分の物を貸す事にした。
どうにか洪水は止まり、園田の目も鼻の下も真っ赤になった頃、頭を下げられる。
「すみませんでした。」
流石に今回の行動についてはやりすぎだと感じたが、謎な部分が多過ぎるのでまず最初の質問に戻った。
「で、どうしたんだ?」
ここで話せないのなら、また後日でも良いとも話すが、園田は「今話したい。」と俺の提案を断り、一度呼吸をしてから開口する。
「先生達を喫煙室で見た時…頭の中真っ白になって、感情的になって動いちゃって…。」
「―何を勘違いしているか知らないが。」
俺からしてみたら、佐久間の悪ふざけに絡まれてしまっただけなのだが、事の詳細を細かく説明すると、園田の両肩が徐々に連れ下がってきた。
「男子校あるあるで、距離が近過ぎるコミュニケーションみたいなもんだ…俺は嫌だったけどな。」
で、と俺はちらりと園田の顔を伺う。
「お前をあそこまで狂暴にさせた勘違いってのは…何だったんだ?」
そこでいつも通りな状態に戻っていたのが、瞬間湯沸かし器の様に顔から湯気が出そうな様相となる。
「………嫌だったら言わなくていいぞ。」
若いというのはなぁと感じながら告げるも「いえ!」と俺の目の前に片手を出す。
「言わせて…下さい。」
じり、じり…と手を下げられた先に見えた顔は、依然顔は赤いままなものの目が据わっている。
ならば、俺もそれに応じようと真横に座っていたその姿勢を、上半身だけ園田に向けた。
「…先越されたかと、思いました。」
また俺の分からない言葉を吐くんじゃないんだろうな、と一瞬身構えたが、先程の園田とは違い、努めて冷静になろうとしているのが震えた唇から伝わってきて、遮る事はせず最後まで聞く事にする。
「オレ、実は先生に真剣に怒られたの…さっきが初めてじゃないんです。」
は、と俺は声に出そうになるが、話の腰を折ってしまうかもしれないとどうにか堪えた。
しかし、表情には出てしまったようで、その様子を見た園田は柔らかく笑う。
「仕方ないです…だってその時は、こんな関係になる前の時だから。」
園田は今高校二年生…ならば、本当に初対面で会ったとすれば一年生の頃に記憶を遡らないと分からない。
(にしても…こんなすらっとした目立つ外見してたら、憶えていてもおかしくないと思うが。)
うーんうーんと、早くも老いが頭にも回ったか?と思い詰めていると園田は慌てて俺をフォローする。
「あ、その…その時のオレは、背も小さかったし、顔も可愛いとか言われる部類だったのでかなり変わったから分からないのも無理はないかと…。」
成長期が遅くて一年生の後半で伸びたんですよと言われ、それでは確かに分からないかと気を取り直す。
「今ではこんなにごつくなりましたけどね…一年生の時は姫なんて言われていました。」
「今は姫よりも、王子って言われた方がしっくりくるな。」
そうですかね、とはにかむ様子を見せられる。
ああ、やっと。
俺はやっと戻ってきたいつもの平穏に、心が安らいできた。
このままきっと、何て事の無い言葉のやり取りをして、終わるのだろうと。
そう、思っていた。
「その時…先生に初めて会った時から。」
その小さな、優しさが込められた声から放たれる。
「先生、オレ…貴方が好きです。」
確実に、平穏を壊す一言が。
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