園田くん(15)

楽しみで仕方がない事時間がやって来たというのに。

オレはさっきの授業で出された問題が難解過ぎて頭を悩ませたまま、切り替える事も出来ずに保健室にいた。

(分からない…何で英語ってこんなに難しいんだ。)

メジャーリーガーになるかもなんて周りに煽てられたりする事もあるけれど、こんなに話す事も言葉を理解する事も出来ない人間がなれる訳ないだろ、と今だったらイライラしたまま噛みつく様に返してしまうかもしれない。

こんな状態では、追試の魔の手がオレに絡み付き、部活の時間が奪われるかもしれないと考え、オレは肝が冷える。

今後どうすればいいか…そんな事ばかり考えていると、あの低い声が聞こえた。

「どうした、食べないのか?」

そこでやっと自分が弁当箱さえ開けていない現状に気付き、オレは慌てて食事を始める。

とりあえず胃に入れれば良いやと思って、弁当箱の底を持ち複数のおかずを一気に食べていると「おい、ちゃんと噛んで食べろ。」と先生から注意の言葉が飛ぶ。

「時間はまだあるんだから、急ぐ必要は無い。」

確かにそれはそうだ、ただ…。

「…すみません。」

今のオレは正直メンタルがボロボロで、真っ当な注意を受けたのに、反抗的な態度を出してしまう。

少しのストレスが耐えられない自分にまたイライラするし、この感情をコントロール出来ていない現状がきつかった。

「―何か、あったか?」

先生にも伝わってしまったのだろう、いつにもなく深刻な表情でオレに聞いてくる。

(…情けないな。)

オレは自分の事ばかりで、周りの事を一切考えられない。

けれど、先生はこうして手を差し伸べてくれる…いつだって。

無駄な言葉が出ない様口に力を入れていたけれど、オレは緩ませて素直な気持ちを声に出した。

「…今回の中間テスト、とっても不安で。」

自分の心の中、どれが一番もやもやしているのかを探ると、まずこれが一番に出てくる。

普段から勉強しない訳じゃないけれど、頑張ってやっと平均点に行ける程度のオレはここにストレスを感じていた。

恐る恐る先生を見ると、ガリガリと頭を掻いて、視線をあっちこっちに泳がせながらオレにどんな言葉を掛けるか悩んでいる様子で、オレは改めて申し訳なく思う。

どうにか次の質問が決まった様で、先生は「…具体的に何が不安なんだ?」と聞いてきた。

「そうですね…このままだと赤点と取って、部活に専念出来なくなる所が…。」

話していて余計に惨めになる。

何故ここまで勉強が出来ないのかとこれまでも言われていた事なので、バカ真面目にその事を自ら告白しているこの状況が正直とても耐え難かったけれど、どうにか言葉を探す。

「得意な物はあるにはあるんです…でも、苦手教科が足を引っ張って、しかも今回分からない箇所が多くて。」

「それは、まぁ…頑張れとしか言えないな。」

至極最もな言葉だ、ここで「何をやってる!」と叱られても「どうにかなるだろ。」と適当な言葉で流されても、オレは胸がつっかえる様な気分にしかならなかっただろう。

なので「そうですよね…。」とオレもただその言葉に頷くだけの反応を返す。

しかしどうすればいいんだろう、と考える。

これまでは、自分で勉強をしたり、他の友人とも教え合ったりしたけれど、今回のテストは苦手分野がこれでもかと言う程出てくる予感しかしない。

三島の様に無邪気に「分かんねーとこがある!」と言えれば良いけれど、オレは分からないまま進む授業に付いていく事に必死で、分からないまま放置してしまう事が多い、そしてそのツケが今来ている。

(正直、大勢で勉強するのは苦手だけれど…野球部の勉強会、参加しようかな。)

一年生の時に一度は参加したけれど、図書館に着き最初は皆勉強していたのが、途中から皆集中力が切れなあなあになり、結局遊びの延長戦の様な空間になってしまった。

そこからは参加しない様にしていたけれど、今回のテストは本当に恐怖でしかないので、藁にも縋る思いで行ってみようか…と血迷うオレの目の前で、ぽつりと先生が呟く。

「…俺自身、学生だった頃苦労した思い出があるな。」

先生の、学生時代?

聞き逃せない単語にオレはガバリ!と姿勢を前のめりにして、まるでスキャンダルがばれてしまった芸能人を責める様に質問する記者の様な気持ちで言葉を投げつける。

「先生はどんな学生だったんですか!?」

勢い余って保健室まで飛び出してしまう様な大声に、自分でも驚いてしまう…普段なら部活以外でこんな声を出さないのに。

けれど、目の前でそれを浴びた先生はもっと驚いてしまった様で、その上半身がオレから遠ざかってしまい、反射的に「…ぁ、ごめんなさい。」と頭を下げて謝る。

「その…先生がどんな生徒だったのか気になって…。」

本当にこれはそうだった。

先生とこうして昼食を食べる仲になる前から、うっすらとその人となりを聞いてきたけれど『どこにでもいそうなおっさん』『黙っていれば理科の先生』『よく分からない謎の人』などと情報が少なすぎてミステリアスな人の印象が大きく、それは今でもそう思う。

(良くも悪くも自分語りをしない人なんだよな…!)

だから、少しでも先生の事を聞き出したいオレはこんな状態になっている。

「…先生、本当に子どもだった時があったのかなって。」

あ、しまった。

口が滑って要らない言葉まで言ってしまったと思ったけれど、もう遅い。

「さてはお前、俺を人間じゃないと思っているな??」

「そんなつもりは…!」

明らかに不快である事を顔で訴えてくる先生を少しでも鎮める為、どうにか両手を振ってオーバーなリアクションで笑いを取ろうとするけれど、あまり効果は無かった…。

しかも、思ったより腹が立っている様子で鋭い目つきで俺を睨む。

「俺は普通の一般人だ!…一般家庭に生まれ育ち、普通に義務教育を終え、普通に養護教諭をしているだけの男だ。」

どれもこれも普通、そう先生は自分で言うけれど、オレはずっと気になっていた事が引っ掛かりじっと先生を見つめてしまう。

「何が言いたい?」

「いや、その…偏見だと怒られてしまうかもしれないのですが。」

そう前置きして、オレはずっと疑問に感じていた事を口にした。

 

「普通の人、というか…男の人で養護教諭を選ぶ人は、割と少ない様に思います。」

 

オレのこの返しは意外だったみたいで、先生も「あ…。」とぽかんと口を開ける。

こうしてしっかりと話をする仲になって、より不思議に思っていた所だった。

先生は、自分から生徒に歩み寄る事はしない。

けれど、向こうからやってきたら、適切な対応はしてくれるし、きちんと仕事をする真面目な大人。

世間一般にイメージされる養護教諭は、お節介で優しい人が多い…でも、先生は少し違う。

優しさはあるけれど、最初接するとその最低限の事しか言わないつっけんどんな態度が誤解されてしまう様な、そんな人。

でもオレは先生が養護教諭に向いていないとは思わない、寧ろ。

その先の言葉を考えていると、先生の咳払いの音がオレの思考を止める。

「養護教諭になりたいと思ったのは…分かりやすいが、俺自身が昔よく使っていたからだ。」

意外な答えでつい「先生が…?」と聞き返すと「おう。」と言葉が返ってきた。

「あんまり他人と打ち解けられる性格じゃなかったからな、小学校の養護教諭に度々保健室へ籠らせて貰って逃げ道を用意してくれたんだ。」

てっきり秘密主義なのかと思いきや、あれよあれよと出てきた先生の子ども時代の話に、オレは聞き逃すまいと両耳の穴を広げる気持ちで黙って聞き続ける。

「ベッドに寝かせて貰ったり、ただただ話をしたり…お陰でつまらないだけだと思っていた学校生活が随分楽になったよ。」

懐かしいとばかりに話す先生をオレは昔の先生の思いに共感しながら見ていた。

(オレも…学校生活は楽しく無かった。)

今でこそ楽しいと思えるけれど、小中学校は特にいつも気が重たくて、登校中の道は足に重りが付いた様な気分で歩いていたから、学校に行きたくなかったのはオレだけじゃなかったと安心する。

先生と思ってもみなかった共通点を見つけて内心喜びながら「その先生に憧れて…?」と次の質問をした。

「そういう事だな、憧れ…の感情もあったが、こんな俺でも孤独な誰かの為に動きたいって思えたからな…ま、後は比較的安定出来る職に就きたかったからもあるが…どうした?」

先生が急にオレを訝しむ様に見てきて、そこでやっとオレ自身が先生に対して熱い視線を向けていた事を理解する。

恥ずかしい、そう思いながらも率直な意見を言う。

「いや、凄いなって思って…だって、人と関わるのが苦手だったら、大人になったらそういう職業に行ってもおかしくないのに、先生は苦手分野だと思っても憧れて、しっかり勉強をして今に至るんだなって。」

今こうして勉強に対して苦戦しているから、先生が辿ってきた道がどれほど険しい道のりだったのか…全てを知る事が出来なくても、察する事は出来る。

そして、様々な困難を超えて今ここで夢を叶えているのだから、これで尊敬するなと言われてもオレには無理だ。

でも、先生は何か思う事があったのかオレから目を離し、ぼそぼそと呟く。

(…?上手く聞き取れない。)

聞き返そうかと思ったけれど、先生はこちらに向き直って話を再開する。

「ま、何はともあれ…俺もこうなるのに何度も試験を通過してきて、たまに落ちたりした事もあったから。」

やっぱり簡単な道じゃなかったんだ、先生はその時大丈夫だったのだろうか…そう聞こうと口を開きかけた時、その手がオレまで伸びて来た。

何だろうとその手の行く先を目で追うと、オレの肩にぽんと軽く触れる。

「もし失敗したとしてもめげるなよ。」

「いや、今回落ちたら確実に野球部や佐久間先生に怒られますよ…。」

今までに無かった反応で、一瞬頭からつま先まで動きが止まってしまうものの、どうにか掛けられた言葉に合わせた返しを口にする事が出来た。

「どうとでもなる。」

見逃せば分からない程、唇が少し歪んだだけの笑ったその顔が、どうにも目が離せなくて釘付けになる。

 

「やれるだけやってダメならその時考えろ、まず今お前がどれだけ努力出来た事を考えて評価する事から始める事だな。」

 

そんな事、言われた事が無かった。

いや、言われた事があるかもしれないけれど、ここまでオレの心に残る言葉をくれた人は…いなかった。

 

オレが向けられる言葉は『お前はやれば出来る』とか、『一人でも出来る奴だから』とか…そんな言葉ばかりで、ある意味オレを信じているから出てくる言葉ばかりだった。

でも、本当は。

そんな言葉に、そんな期待に…疲れていた。

違う言葉に巡り会うまで、そんな事も分からなかった…オレは。

(ダメなら、ダメでも…良いんだ。)

堕落と捉えられるかもしれない、それでも先生がそう言うのなら…オレは、それでも良いと思える。

ダメなオレでも受け入れてくれる、貴方がいるなら。

「今…ですか。」

魔法にかけられた様な気分のまま、小さな声で聞き返す。

「おう、見えない未来をあーだこーだ考える方が時間の無駄だぞ。」

確かにそうだ、と感じた所で先生はオレを現実へ戻す一言を告げる。

「ほら、そろそろ弁当を食べ進めないと時間無くなるぞ。」

「はい!」

オレはすぐに昼ご飯を今度はよく噛んで食べ始めた。

先生も追って弁当の蓋を開けて食べ始めたのを見ながら、オレは感謝の気持ちで胸いっぱいになっている。

 

そして、その裏で。

確実に育ち続ける気持ちに、明確な色が付き始めたのを感じていた。

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