則井先生(15)
いつもなら不必要なくらいに背筋が伸び、しゃっきりとした顔を見せる園田だが。
保健室に着き座った早々、弁当に手を付けずに力の抜けた様子でぼうっと…ただただ一点だけを見つめていた。
(…何かあったな。)
この前の様に一年生といざこざがあった訳でも無く、かと言って合宿の惨敗が尾を引いているとは思えない様子なので、声を掛けようか迷う。
お節介になり過ぎない程度、それでいて最小限の言葉で相手の事を聞き出せるかどうか…カウンセラー職は本当に気を遣うもので、これなら数値とにらめっこしていた方がどれだけ気が楽かと俺の方が溜息を吐きそうだった。
それでも、そんな態度を表に出してしまえば、園田も他人に対して必要以上に気を遣う人種なので、出さない様に心掛ける。
「どうした、食べないのか?」
このままではただ時間が経過するだけなので話し掛けると、そこでやっと気付いたという様に目を大きくさせた園田は慌てて弁当箱の蓋を開け、手を付け始めた。
急いで色とりどりの具材を掻き込んで食べるその姿に、俺は養護教諭として注意する。
「おい、ちゃんと噛んで食べろ…時間はまだあるんだから、急ぐ必要は無い。」
「…すみません。」
落ち込んでいる時にキツイ一言だっただろうか、園田は謝罪の言葉は口にするが、どこか複雑な面持ちで、こちらが言った事がどこまで伝わっているか疑問に思う。
「―何か、あったか?」
やはりこのままではいけない、そう思って踏み込むと一度きゅっと絞られたその口が恐る恐ると開かれる。
「…今回の中間テスト、とっても不安で。」
重々しく放たれたその一言。
それを耳にした俺は。
どっっっと体の力が抜けた。
(いや、本人にしてみればかなりの問題なのは分かるが、まだ始まってもいないテストに対してこんな戦々恐々としているとか…どれだけ緊張しいなんだ!)
色々言いたい事はあるが、そのどれもが一生徒に教師が放つ言葉などではなく、それこそ友達か!?と責め立てられてもおかしくないものばかりで、俺は必死に堪える。
自分の気持ちを抑え、まずはその不安を解析しなければ、と養護教諭の仮面を被った俺は園田に再び質問を投げた。
「…具体的に何が不安なんだ?」
そうですね、と打ち明ける事だ出来たからなのか、先程よりスムーズに話し始める。
「このままだと赤点を取って、部活に専念出来なくなる所が…。」
致命傷だなそれは、と言いかけたが自分の手の平を抓って気を反らす。
「得意な物はあるにはあるんです…でも、苦手教科が足を引っ張って、しかも今回分からない箇所が多くて。」
それは…不安にもなるか、と思いどうにか立て直した俺は、とりあえず返事をする。
「それは、まぁ…頑張れとしか言えないな。」
「そうですよね…。」
園田も俺に特にアドバイスを期待していた訳では無い様子だったので、そのまま頷く。
そう、俺の立場は養護教諭であり、勉強を教える…というのは業務外で、教えを乞われても何も出来ないし、下手な事を言っても間違えている可能性もある。
かといってテストを作っている教師にそれとなく聞いてみるのは、生徒どころか俺がお縄についてしまう、ただでさえ最近試験情報の流出が騒がれているのに、そういった悪行に加担する事になるのは御免だ。
まぁ勿論、この目の前で勉強が出来ないと嘆いている善良な学生がそんな提案をしないのは分かり切っているので、そんな心配はしていないが。
(それでも、チームにとって主軸の園田がいないとなると…野球部も痛手だろうな。)
園田の一番の持ち味は、初見で攻略は難しいと言われるその投球。
この学校の野球部に他の投手もいるが、佐久間曰く一年生後半辺りから化けてきて、去年メインの投手の代わりだったのが、今年メインに置かれる事となったらしい。
佐久間自身も『あまり言いたくない。』と言ったのは、自分の仕事もあるだろうが、こういった部員達がしっかり勉強をしているかどうかも悩みの種の一つだったのだろう。
「…俺自身、学生だった頃苦労した思い出があるな。」
思い悩んでいるその姿を見て、口が緩み言葉を零してしまい、しまった自分語りとか鬱陶しく思われるか?とすぐに別の話題に切り替えようとすると、急に園田が表情を変えて食い気味に話し掛けてくる。
「先生はどんな学生だったんですか!?」
「っ!?」
あまりの勢いでこちらの方が思わず上半身を仰け反らせてしまう程の圧を感じ、聞かれているのに俺は咄嗟に返事が出来なかった。
「…ぁ、ごめんなさい。」
自分でも異常な程に反応してしまったのを自覚したのか、園田はその頭を下げる。
「その…先生がどんな生徒だったのか気になって…先生、本当に子どもだった時があったのかなって。」
「さてはお前、俺を人間じゃないと思っているな??」
真面目なのかおちょくっているのか分からないその言葉に、俺は流石に表情を引き攣らせて告げると「そんなつもりは…!」と両手を振って否定の意思を伝えてくるが、言葉はもう放たれてしまっているぞと睨みつけた。
先日の『先生も負ける事があるんですね。』やら、今の『子どもだった時があったのかな。』やら…どうやら園田の中にいる俺は人間じみていない、寧ろ人じゃない認識をされているのではないかと思い始める。
(別に本当の俺を知って欲しいとまで思わんが…それにしても、変な誤解を受けたまま野放しにして噂を流されても困る。)
寧ろ園田の方が俺の変な噂を聞き、それが本当だと信じてしまっているのかもしれないとまで考えてしまい、眩暈が起きそうな気分になった。
「俺は普通の一般人だ!…一般家庭に生まれ育ち、普通に義務教育を終え、普通に養護教諭をしているだけの男だ。」
自己紹介するにしても、特筆するような特徴も無く、ただのモブキャラとして埋もれてしまう様な存在だと、改めて主張する。
しかし、園田は解せないといった表情でこちらをしげしげと見つめてくるので「何が言いたい?」と口をひん曲げて聞く。
「いや、その…偏見だと怒られてしまうかもしれないのですが…普通の人、というか…男の人で養護教諭を選ぶ人は、割と少ない様に思います。」
「あ…。」
そういえば、と。
何度か似た様な事を言われた事が、蘇ってきた。
確かに園田の言う様に、男性の養護教諭は日本に置いてまだ人数は少ない。
今後その需要は増えてゆくとは思うが、俺自身何度もその需要に対して言及され、女で無い事で就職先の選択肢が狭くなった事もあった。
(セクシャルハラスメントを受けると小中学校にクレームが来るかもしれない、何て門前払いされた事もあったな。)
まぁそれでも、今こうして男子校の養護教諭になる事が出来たのだから、ありがたい限りで長らく忘れていた自分が歩いてきた道筋を思い出し感慨深くなる。
(…っと、今聞かれているのはその原点の事だったな。)
現実に意識を戻し、俺は軽く咳払いをした後、簡単に話し始めた。
「養護教諭になりたいと思ったのは…分かりやすいが、俺自身が昔よく使っていたからだ。」
「先生が…?」
おう、と返事をし、俺は話を続ける。
「あんまり他人と打ち解けられる性格じゃなかったからな、小学校の養護教諭に度々保健室へ籠らせて貰って逃げ道を用意してくれたんだ。」
そうだそうだったと、自然と言葉と懐かしさが溢れてきた。
「ベッドに寝かせて貰ったり、ただただ話をしたり…お陰でつまらないだけだと思っていた学校生活が随分楽になったよ。」
「その先生に憧れて…?」
そういう事だな、と首を上下に振る。
「憧れ…の感情もあったが、こんな俺でも孤独な誰かの為に動きたいって思えたからな。」
ま、後は比較的安定出来る職に就きたかったからもあるが、と当時を思い起こしながら話していると、園田から発せられるきらきらとした視線が気になった。
「…どうした?」
「いや、凄いなって思って…。」
園田は先程失言したからか気を付けて言葉を選んでいる様で、その口を開け閉めしながらこちらに話し掛ける。
「だって、人と関わるのが苦手だったら、大人になったらそういう職業に行ってもおかしくないのに、先生は苦手分野だと思っても憧れて、しっかり勉強をして今に至るんだなって。」
その目には光り輝くものが宿り、それは枯れ切った俺にとって毒にも思える程触れた事が無い種類の感情で、思わず「…そんな立派なもんじゃない。」と小さく呟き目を反らす。
「ま、何はともあれ…俺もこうなるのに何度も試験を通過してきて、たまに落ちたりした事もあったから。」
もし失敗したとしてもめげるなよ、と肩をぽんと叩くが園田は微妙な面持ちだ。
「いや、今回落ちたら確実に野球部や佐久間先生に怒られますよ…。」
「どうにでもなる。」
ここで俺が熱く「どうにか赤点だけは避けろ!」と言ったとしても、園田にとってプレッシャーになるだけだろう。
野球部や教師、他の応援する生徒や家族達も同様の応援をするだろうが、違う意見も必要だ。
これが、俺がこいつにしてやれる最善策。
「やれるだけやってダメならその時考えろ、まず今お前がどれだけ努力出来た事を考えて評価する事から始める事だな。」
後ろ向きかもしれない、それでも…これが園田に俺が用意出来る『逃げ道』だ。
「今…ですか。」
「おう、見えない未来をあーだこーだ考える方が時間の無駄だぞ。」
ほら、そろそろ弁当を食べ進めないと時間無くなるぞ、と食事を勧めると園田は素直に「はい!」と答え昼食を再開する。
その食べ進める姿には、先程の迷いの感情は無く。
(―少しは、力になれたのなら良いがな。)
やはり先程の目には毒効果があるらしい、らしくもない事を考えて俺も止まっていた昼飯を食べ進める事にした。
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