園田くん(13)

先生の事が頭から離れない時は無かった…なんて、言えたら良かったのに。

今回ばかりは、自分で選んだ道とはいえ、ゴールデンウィーク中ずっと野球漬けの日々を送る羽目になった事を恨む。

バスの中で覚悟はしていたけれど、予想以上のハードな練習と指導に、オレだけじゃなく、後輩達も、同級生達も、先輩達も、かなり体力と精神を削られたけれど、得た物は大きかった。

連携が取れなかった一年生ともプレーでは呼吸が少しずつ分かる様になり、部員だけで話し合いもする事が出来た。

チームとして、まだまだ発展途上だと特別コーチをしてくれた人に言われたけれど、それは成長する余白があるからだとも言われ、強いチームが出来上がってゆく予感を感じ、オレは出発前より帰る途中の今、合宿が無事終わった事もあって安心している。

「…っと、帰る前に頼まれた物買いに行かないと。」

帰りのバスの中で帰ると連絡したら、母さんについでに頼めないかと言われたので、買い物をしてから帰る事にした。

数日分の荷物を抱えながら寄り道するのは大変だ、でも筋トレと思えば前向きになれる。

いつもなら誰かしら帰宅前にスーパーで買い食いする奴もいるけれど、今回は皆疲れ切って真っ直ぐに帰る奴がほとんどだった為、一人でスーパーに行く事にした。

 

重いリュックを背負いながら、買い物カゴを手にして店のテーマソングが常時流れている店内へ入る。

数は多いけれどある程度頭に入っているので早く済まそう、そう思っていざ商品を見ようと顔を上げた、その先。

 

ずっと、次に会ったら何て話し掛けたらいいのかと。

そう悩み続けた人物が、そこに居た。

 

オレは咄嗟に顔を背けて、陳列棚の陰に隠れてしまう。

心臓が早く脈を打ち、呼吸の回数も自然と早くなる、顔も熱が広がるし、今自分に何が起きているのかさえ見当がつかなくなる。

傍から見たらおかしな奴だと思われても仕方ないだろう。

(待って、こんな…早過ぎる!)

明日になれば学校が始まる、昼休みにはちゃんと心構えをして臨もう、そう思っていたのに!

そのまま隠れていれば良いのに、オレはまた棚からちらりとその姿を確認する。

 

いつもなら、白衣にスラックスのパンツ、ワイシャツを着ているのがほとんどなのに、今の

先生の姿は完全にオフだ。

だって、スウェットにジーンズ…しかも裸足でサンダルなんて、無防備にも程がある。

しかも、周りの目を気にしていないのか、はたまた気にしないだけなのか、いつもでもぼさぼさ寄りの頭をしているのに、今日は寝ぐせをつけたまま一日過ごしましたとでも言う様な仕上がりだ。

 

貴重過ぎるその姿に、オレはついスマホの画面を開くけれど、いや駄目だと買い物に関してのメッセージが見えたその表示を見て我に返る。

先生はオレの事に気づいていないみたいで、調味料コーナーを見て回っていた。

昼ご飯だと弁当が多いけど、ちゃんと料理も作るのかな…そう思って観察を続けていると、後ろから人がやってきて、オレの事をちらりと見てから去って行く。

その視線の意味を考えて、頭の中を冷えた物が走った。

(そうだよな…このままここに居ても、変な男子高校生が店内にいるって言われかねない姿だな。)

このスーパーは学校に近く、顔見知りの店員さんもかなり多い。

だから、男子高校生がいる事に違和感は無いだろうけれど、下手な事をすれば学校側に苦情の電話が入るだろう。

(オレは…先生と、どうなりたい?)

このまま陰で見ているだけで良いのか、それとも恥を承知で挨拶しに行くか。

答えは。

 

『本当に脈ナシだったら、会う事自体止めようって伝えるもんじゃねーかな。』

 

一歩、また一歩。

三島が話してくれた言葉が、オレを動かす。

先生はもうオレの目の前にいて、鰹節を手に取りカゴに入れている所だった。

一つ、空気を吸う。

「先生?」

吸った空気が全部吐き出された、そんな気がした。

ぴくり、とその背中が上下し、そのままゆっくりとオレの方へ体が動く。

「…何でここに居る、園田。」

低いその声、眉間に寄った深い皺が、その感情を表している様で、オレは咄嗟に弁明の言葉を伝える。

「その…合宿が終わって、オレだけここに寄ってから帰ろうと思って。」

やはりまずかった、そう思ってももう遅い。

それでも「腹もかなり減っていたから。」と言い訳を重ねるけれど、先生の表情はあまり良いものとは言えなかった。

じっとこちらを見るその視線は、まるで今は学校じゃないのだから早く去って欲しいとでも言っている様で、オレはすっかり萎縮してしまう。

「ごめんなさい、先生…プライベートなのに。」

だから、オレはここで会話をするのを諦めて、さっさと「また学校で…。」と自分の買い物へ戻ろうとすると。

「待て。」

鋭い声が飛んできた。

「別に買い物中会う事なんてよくある話だろ…離れなくても良い。」

突き放す様な言葉も言うのに、何で。

何で、こんなに。

「…邪魔じゃないですか?」

そんな事本心じゃないのに、オレは疑り深くそんな言葉が出てしまう。

「黙って知らん振りも出来たはずなのにわざわざ話し掛けてきたんだから、話したい事があるんだろう?」

ああもう、どうして。

どうしてこの人は、こんなにも。

 

オレの事を、分かってくれるのだろう。

 

話したい事なんて山程ある、この前の失礼な態度を取った事への謝罪や、合宿が大変だった事、先生はどんな連休を過ごしていたのか…気になって仕方が無かった。

それでも、言いたい事が多くて、どの話題を選ぶか迷っていると、持っていたカゴが傾いてしまう。

オレにとってはただそれだけの出来事だったけれど、予想外な言葉がまた飛んできた。

「お前そんなもん食べるのか。」

ん、そんなもん?そう思ってカゴの中身を見てみると、その中には入口付近に置いてあった、妹に買い物してくれるならこれも買ってきて!と注文された可愛いキャラクター達が書かれている菓子箱があって、オレは慌てて先生に向けて誤解だと弁解をする。

「ち、違います!…これは妹に頼まれたんです、スマホで帰るって言ったらついでに買ってきてと母さんと一緒に言われて…。」

確かに甘い物は大丈夫だと前の時に言ったけれど、流石に見た目が可愛いお菓子も好きという訳じゃない。

それが好きな人には失礼だけど、先生にオレの趣味を誤解されるよりはマシだと思って強い言葉で「だから決してオレのじゃないですから!」と否定する。

それを聞いても先生は微妙な顔をしていて、勘違いをしたままかもしれない…そう思うと今後オレという人間を知って貰おう、と内なる決心をしたオレに先生は声を掛けた。

「…じゃ、家族からブーイングが来る前に買いに行くか。」

今更ながら先生に集中して家族のお使い中だという事を忘れていたオレは先生の一言に冷静になり「は…はい。」と返事をするけれど、離れなくて良いと言ってくれた先生と一緒に買い物出来るのは、嬉しい限りで心の中でずっと踊っている様な気持ちだった。

 

しかし、そんな大荷物背負って買い物に行くのはどうなんだ?と聞かれたので、オレは大丈夫ですと答える。

「連絡アプリで母さんが誰か買い物に行ってくれない?って助けを求めていたので…オレが一番店に近い場所にいたし。」

家族内のみで見れるメッセージに母さんが仕事でどうにも買い物する時間が出来ないから、誰か買ってきて欲しい事を言われたので、それならとオレが出向く事にした。

母さんだけじゃなく、父さんや妹のお使いまで頼まれる羽目にもなったけど…結果的に先生と会える時間をくれたのだから、皆に感謝しないといけない。

そう思っていると、オレはふと先生のカゴの中がちらりと視界に入りその内容に驚く。

カゴの中に入っているのは、めんつゆとパックに入っているサラダのみ。

…え、これだけ?とあまりの少なさにオレは驚きながら質問を投げてしまう。

「先生、先生はもうこれ以上は買わないんですか?」

「ああ、そんなに作らねぇし、あまり買っても腐らせるだけだからな。」

そうなんだ、とオレは頷く。

母さんはやりくり上手みたいで、野菜を腐らせる事なんて無く、時折消費期限か賞味期限かで日付とにらめっこしている時はあるけれど、オレはそういった失敗を見た事が無い。

それでも、見えない所で失敗と成功を繰り返したから出来た技なのかもしれないけれど。

「なるほど…だから、先生のお弁当はいつも買った物だったんですね。」

オレのこの言葉に先生は溜息を吐きながら愚痴る様に話す。

「まぁでもそればっかじゃ財布が空っぽになるから、こうした遅い時間に安くなった物を選ぶしか出来ないがな。」

オレはまだ一人で生活なんてした事が無いから、先生が話すこういった話題はどれも新鮮で面白く感じた。

更に「たまに負けてコンビニに行く事もある。」と話してくれて、スーパーに行って目当ての物が買えず、イライラした先生がコンビニに足を運ぶ姿を想像して、オレは思わず吹き出してしまう。

「先生も負ける事があるんですね。」

何となくだけど、そんな事とは無縁だと思っていた。

勝ち負けの世界をとうに終え、平和な世界で仕事をしている大人というイメージだったけれど、先生は不機嫌な顔でオレに言う。

「当たり前だろうが、俺を何だと思っているんだ。」

その不貞腐れた顔を見て、申し訳ないと思いながらもオレの表情は勝手に笑顔になっていた。

何だと思っているんだ、か。

と笑いながら、オレは思う。

 

この抱えている気持ちを、全部ぶちまけてしまったのなら。

先生は、どう思うのだろう…なんて。

 

一回感情的になりそうな自分を隠す為に、頼まれていた醤油を取りに先生から離れた。

銘柄を間違えると母さんに渋い顔を向けられるので、しっかりと確認してカゴに入れて先生の元に戻ると「揃ったか?」と聞いてくれたのでありがとうございますとお礼の言葉を告げる。

そして、会計をする為にレジに行って、品物と一緒にレジ袋を買ってそこに詰めるけれど、先生は買った物が少ないのですぐに終わり、オレが終わるのを待ってくれていたので、急げと言われている訳でも無いのに焦ってしまう。

早く終わらせなきゃ、そう考えていると「おい。」と声を掛けられた。

「あんまり焦るな…袋使わねぇと液漏れ起こすぞ。」

液漏れ?とオレは自分の手元を見ると、春雨のサラダを持っていて、確かにこれはパックが傾いたり蓋が外れたりしたら大惨事になると、いつもならしないはずの自分の失敗に驚く。

「ああ!本当だ…すみません、ありがとうございます。」

すると先生は呆れながらも、慌てるオレにビニール袋を手渡してくれたので無事に全部入れることが出来た。

そして二人でスーパーを出て、オレは先生に対して礼をする。

「すみません、先生…付き合って頂きありがとうございます。」

「おう、この後はもう帰るのか?」

「はい、そろそろ母さんのご飯も出来上がる時間だと思うので。」

一応大体の帰る時間は伝えて、後はこのまま帰るだけ。

今は初夏、周りも随分暗くなっているし、高校二年生で周りは住宅地か田んぼくらいしかない町とはいえ、出歩くのは良くない…良くないのは、分かっている。

けれど。

「先生。」

声が出た、さっき考えていた事は何だったんだと理性が止めるけど、止められない。

先生はもう帰る為に一歩踏み出しているのに、その背中をオレはたまらなく追いたくなる。

「帰り道はこっちですか?…その、オレの家もそっちで…途中まで一緒に行っても良いですか?」

今度こそ断られるかもしれない、プライバシーがどうとか、どれだけ構われたいんだとか色々悪態をつかれるかも…と後悔し始めた。

先生のリアクションも見る事が出来なくて目線を下に向けていると、小さなぼそぼそとした声が耳に届く。

「…好きにしろ。」

その瞬間、オレは胸の中に漂っていた黒い霧が一気に晴れ渡る様な、辺りは暗くなってきているのに、先生だけが仄かに光っている様な光景が目の前に広がって、その言葉にすぐ「はい!」と捻りも何も無い返事をした。

オレのこの返しをどう思ったのかは分からないけれど、先生はやれやれと言った感じで肩を竦めそのまま歩き出したので、オレはその横を歩く。

いつもなら、昼休みしか時間を過ごす事の出来なかったオレ達、でも今は。

(―隣を、歩いている。)

そんな事?と誰かに行ってしまえば奇妙に思われるかもしれない、それでもオレはこの一歩一歩が何よりも代えがたい時間で、自分が勇気を出して一緒にいたいと我が儘を言えた奇跡の結果なのだから、幸せに満たされていた。

先生が気にしなければ、このまま鼻歌しながら踊ってしまっても良いと、ミュージカル俳優みたいなバカげた事を思えるくらいにオレは浮かれている。

ただ帰るだけなのに、嬉しそうなオレを理解出来ないとばかりに解せない表情をする先生を見てオレは思わず「どうかしましたか?」と聞くと「…いや、何でも無い。」と言われたけれど、代わりに別の話題を出された。

「合宿はどうだったんだ。」

あ、そういえば…とスーパーに会ってから嬉しい事が続き過ぎて正直忘れていた苦行の日々を思い出し、オレの顔は一気に青くなる。

ここで本来なら、話題を充実させる為に一から十までやってきた事を先生に教えるべきなのだろうけれど。

(く、口にしたくない…。)

トラウマ、と言ったら大袈裟と笑われてしまうかも、だけど今回の合宿は今体重を量ったら前より絶対減っていると断言出来る程、コテンパンにされた。

別にエースだからとか、それなりに成績を残せているから、と驕っていた訳じゃ無いけれど。

 

そんな事、今回の合宿じゃ全く通用しなかった。

 

(練習試合も…負けたし。)

県外の強豪校に対戦を申し込んでくれたけれど、しっかり作戦を練ったし、先生も、マネージャーも、選手も出来る限りの事はやれた…でも、届かなかった。

悔しい、この思いはまだ…消化出来そうにない、だからせめて先生にはこう答える。

「………凄く、充実したものになりました。」

オレの様子を察してか、先生はたじろいだ様子で「そ、そうか。」と返してくれただけ。

それでも、それ以上は言葉が無くて、また先生に甘えてしまったな、と考えるけれど、それがまたありがたかった。

暫く歩いていると、先生の顔が上がって隣のアパートを指す。

「俺はここまでだ、気を付けて帰れよ。」

え…とその言葉に衝撃を受ける。

オレは勝手に先生が住んでいるのは、一軒家でひっそりと住んでいるのだろうと勝手に思い込んでいて、正直…予想外過ぎるこのアパートの外観を見て嘘を言っていない?と疑ってしまった。

「えぇ!?先生の住んでいる場所…ここですか?」

「別に驚く事も無いだろ。」

いやいやいや、と頭を振りたくなる。

錆が見えて、雑草が生えて手入れが行き届いていないこの建物は所謂…ボロアパートそのものだ。

強いて利点を上げるなら、学校から歩いてすぐの所にあるという所だけ。

「いや、歩きで学校来ているって事は教えて貰いましたけど…ここまで近いなんて。」

「女の一人暮らしならまだしも、おっさんの一人暮らしはこんなもんだ。」

そういう…そういうものなのか!?といまだに混乱しているオレの頭に、冷静な先生の声がなおも続く。

「…ま、これよりも良い場所に住みたいのなら、今の内に勉強しておくか、進路をしっかり考えておく事だな。」

そこまでは考えていないけどな~と思った所で先生はオレから離れ「しっかり休めよ。」とアパートへ帰ろうとする。

「あ…はい、先生。」

離れて欲しくない、けれどここで呼び止めるのは先生に申し訳ない、だから…せめて、この言葉を。

「おやすみなさい、先生。」

出会った頃は、こんな言葉を言えるなんて思わなかった。

どうか、今日だけじゃなく、明日も、その先も…そう願いながら出した声は思ったより小さくなってしまったけれど、ちらりとこちらを見て言う。

「…おやすみ。」

言葉を強請った癖に、オレから去るその姿を見たくなくて、すぐにその場から立ち去ってしまった。

これじゃばれてしまう、そう思ったのに。

予定時刻よりも遅いじゃないかと、母さんに責められてしまうと考えながら、どうにか間に合う様に走る。

 

だって、本当は。

オレの家は、先生のアパートとは逆方向にあるから。

 

嘘を吐いてしまった罪悪感もあるけれど、それ以上に。

例えようもない幸せを得てしまった、合宿で疲れていて重い荷物だって持っているはず、なのにどこから湧いてくるのか分からない力が、走るオレを家まで運んでくれる。

 

明日からまた、いつもの日々が戻る事が楽しみで仕方がなかった。

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