則井先生(13)

時は過ぎ、学生と同じように俺も連休を過ごしている。

そうは言っても、趣味も特に無い俺の日頃の休日といえば。

起床、洗顔、朝飯、歯磨き、自由時間、昼飯、歯磨き、自由時間、夕飯、入浴、歯磨き、就寝…これの繰り返しだ。

自由時間は何をしているかと聞かれれば、ほぼほぼ流れているテレビやラジオをぼーっと流している。

今時はテレビより動画を垂れ流す方が主流らしいが、動画が多過ぎて訳が分からなくなったので、俺は結局テレビとラジオに落ち着いていた。

雑多に色んなコンテンツが聞けるし、時折ニュースを流してくれるし、個人的にはインターネットよりは此方が好ましい。

まぁそれでも、ずっと家に籠っていては出来ない事もある。

 

りんりんらんらんとやたらと耳に残るメロディーが鳴り響く店内、そこに俺は居た。

(流石に夕方…連休終わりとはいえ、人は少なくなっているな。)

今居るのは近所のスーパー、ここには俺の勤務している生徒や教師連中もよく来る場所で、俺が一番重宝している店。

この店は、学校が近い事もあり客層を意識しているのか、ホットスナックやボリュームのある惣菜、インスタント食品など味が濃い商品が多く、そして安さも魅力の内の一つで、俺はまさしくこの店のヘビーユーザーと呼ばれる部類だ。

時折また近くにある全国展開するチェーン店コンビニに浮気する事もあるが、それでも結局こちらに足が向いてしまう。

俺はカゴを取り、店内の商品を見て回り始める。

店に着いてからどの商品が無いのか分からなくなる事があるので、しっかり手元の携帯に自分の欲しい物を記録したリストを出して確認した。

(調味料は…それなりに減ってはいない、強いて言えばめんつゆが欲しい所か。)

めんつゆの使いどころは複数あるが、俺にとって今後コイツにとてもお世話になる季節がやってくる。

それはまだ五月ではあるが、初夏になると実家からそうめんのお裾分けという名の厄介事の押し付けが来るので、それに備える必要があった。

それならば、と俺は鰹節のコーナーへ行き手頃な物をカゴへ入れる。

(…しょうがはまだあるな。)

一番欲しい物を確保出来たので、後は自分が今この場で欲しい物を財布と相談しながら歩こうと辺りを見渡すと。

「先生?」

そこで聞こえないはずの声がする。

振り向いてはいけない、そう思うが日頃学校に居た俺の体は反応してしまう。

「…何でここに居る、園田。」

迂闊だった。

そもそもこの場所は早い時間でも生徒と会う事が多く、それが嫌でここの利用を避けている教師もいるくらいなのに。

俺は特に学校から徒歩で通える程の場所にいて、そこからスーパーも遠くないからぎりぎりの時間に来たのに、何故。

「その…合宿が終わって、オレだけここに寄ってから帰ろうと思って。」

腹もかなり減っていたから、と言う園田の顔を見ると、申し訳なさそうな表情より気になるものが俺に見えた。

(―だいぶ、肌が黒くなったな。)

今の若者は男女関係無く日焼け予防のクリーム塗るかもしれないが、それが追い付かない程日を浴びたのだろう、元より健康的だったその肌が小麦色一歩手前に近くなっている。

きっと今日もみっちりと練習したのだろう、体中から疲労の色が見えて、腹が減っているというのも嘘では無い事が伺えた。

今着ている服が、いつもの制服と違って半袖のティーシャツとハーフパンツという肌の露出が高い事もそう思わせる要因の一つだろう。

「ごめんなさい、先生…プライベートなのに。」

そこでやっと自分がしている事に気付いたのか、園田は「また学校で…。」と足早に去ろうとするが、俺は反射的に「待て。」と言ってしまう。

「別に買い物中会う事なんてよくある話だろ…離れなくても良い。」

「…邪魔じゃないですか?」

本当に他人に対して気を使い過ぎてその内自滅してしまうんじゃないか、と溜息が出そうになるが堪えて口を開く。

「黙って知らん振りも出来たはずなのにわざわざ話し掛けてきたんだから、話したい事があるんだろう?」

あの相談の時でさえ、何故か終わらせたくないとごねた奴だ、何かしら俺と話したい理由があるのだろうと問う。

(…話し相手を気が合うはずの同年代じゃ無く、こんなくたびれたおっさんを選ぶ辺りどうかしているとは思うけどな。)

カタリ、と何か音がしたかと思えば、園田が持っているカゴが傾き、中に入っているお菓子の箱が隅に寄った音だった。

その菓子箱は、俺は遠い昔に食べたっきりで久しく食べていないキャラクターがプリントされたチョコ菓子で意外な選択に驚く。

「お前そんなもん食べるのか。」

「ち、違います!」

日焼けした肌でも赤面は分かりやすく、咄嗟に園田はカゴを後ろ手で持つ。

「これは妹に頼まれたんです、スマホで帰るって言ったらついでに買ってきてと母さんと一緒に言われて…。」

だから決してオレのじゃないですから!と何故か急にムキになって告げるので、そんなに勘違いされた事が嫌なのだろうかと不思議に思う。

(何も今、男だからこれが好きとか、女だからこれが好きとか…固定化しない考え方の方が広がっているかと感じるが。)

あくまで難しい年頃の人間である園田だからこそ気になるのかもしれない、コイツが落ち着いたのを見て俺は口を開く。

「…じゃ、家族からブーイングが来る前に買いに行くか。」

「は…はい。」

やっと冷静になったのか、それまでの声のトーンは落ち、園田は俺と共に買い物を再開した。


俺は独り身なので、その分の食料しか必要としないが、聞けば園田の家族は本人も入れて四人らしく、頼まれた食料もまあまあある。

別に他人の食卓事情なので余計なお世話なのかもしれないが、散々合宿で頑張ってきた息子に対してお使いを頼むのは、あまり本人の体を考えていないのでは?と疑問を口にすると「連絡アプリで母さんが誰か買い物に行ってくれない?って助けを求めていたので…オレが一番店に近い場所にいたし。」と返された。

これは自分の意思だと告げるが、それにしても優等生の様な振る舞いは本当に本人の意思なのかと疑いたくなる。

生粋の善人などいないとまでは断言出来ない、しかしこの年代の子どもはもう少し我が儘に自分の意思を主張するものだと思う。

この振る舞いが、繊細な面も持ち合わせる園田のストレスとしてその体を蝕む様な結果にならなければ良いが…。

「先生、先生はもうこれ以上は買わないんですか?」

俺の買い物カゴがあまりにも入っていないものだからか、怪訝そうな顔をしてこちらに声を掛けられた。

「ああ、そんなに作らねぇし、あまり買っても腐らせるだけだからな。」

一応最低限の調理器具や調味料は揃えてあるが、作る時間より食べる時間の方をなるべく優先させたい俺は、スーパーやコンビニの総菜と弁当を重点的に買う様にしている。

調理が出来ないという訳でも無いが、俺なんかが作った素人が作った飯より、料理を仕事にしている人間が作った飯の方が上手いし、時間も掛からない。

金の掛かる趣味も持っていないので、こういった所で俺は金を落とす。

「なるほど…だから、先生のお弁当はいつも買った物だったんですね。」

「まぁでもそればっかじゃ財布が空っぽになるから、こうした遅い時間に安くなった物を選ぶしか出来ないがな。」

たまに負けてコンビニに行く事もある、と話すとやっとそこで「ははっ。」とこれまでとは違う感情が滲んだ声が出てきた。

「先生も負ける事があるんですね。」

「当たり前だろうが、俺を何だと思っているんだ。」

その顔を見ると年相応な物になっていて、俺は改めて思う。

大人で、先生である俺に対しての態度としては正しいが、正直な所。

 

背伸びをしているな、と。

 

別に素顔を見せて欲しいとかそういう事では無い。

だが、これから何度も腹を割って話す事になるのならば、こういった面を多く見せて貰えなければ解決の道を歩めないと考えた所で正気に戻る。

(…仕事人間め。)

自分自身を嘲笑すると、一度離れた園田は頼まれた醤油をカゴに入れてからこちらまでまた戻ってきた。

「揃ったか?」

「はい、ありがとうございます。」

そこからは各々レジに向かい、会計を済ませ買い物袋へ購入した品々を入れる。

俺は元々少ないからすぐに終えたが、園田は複数の物をテキパキ入れてはいるものの、数が多いので時間が必要だった。

それでもここで別れるのも返って不自然だったので黙って待っていると、ちらちらとこちらを見る素振りを見せながら手早くやろうと必死になっている。

「おい、あんまり焦るな…袋使わねぇと液漏れ起こすぞ。」

「ああ!本当だ…すみません、ありがとうございます。」

春雨のサラダをそのまま入れようとしたその手を止め、俺は備え付けのビニール袋を取り渡す。

こういう事に慣れていないという訳では無いだろうに、恐らく俺の存在が気になってミスをしてしまうのだろう。

何やかんやとあって、全ての商品を袋に収めた園田は俺と共にスーパーの出口を出るとぺこりと頭を下げる。

「すみません、先生…付き合って頂きありがとうございます。」

別に謝られる事も、感謝される事も無いだろうに…とは思いながら、下手な事を言うと返って拗れる気がしたので素直に「おう。」と言葉を受け取っとく。

「この後はもう帰るのか?」

「はい、そろそろ母さんのご飯も出来上がる時間だと思うので。」

その時間に帰らないといけないのは面倒だろうなと思う一方、いつも自分の為に作ってくれる人がいる事の羨ましい気持ちも湧く。

じゃあここで別れるか、そう思い歩き出そうとすると「先生。」と声を掛けられる。

「帰り道はこっちですか?」

いきなり何だ、と思うが次の言葉で合点がいく。

「その、オレの家もそっちで…途中まで一緒に行っても良いですか?」

「…好きにしろ。」

まぁ同じ帰り道なのに、ずっと後を付けられるよりは、無言でも隣で歩いて貰った方が良いだろう、そう思って返事をする。

この投げやりな言葉に、やはり園田は「はい!」とその目を輝かせて頷いた。

(…何でこんなに好かれているんだろうな。)

園田のこの人柄を見ると、野球をやっていなかったにしても、人に好かれる人種だと思う。

同級生と一緒にいる姿をあまり見ていないから、これが当たっているのか微妙なところではあるだろうが、昼休みに共にご飯を食べ会話を交わす仲になった今、少なくとも嫌われる要素を持っていない人物だというは知っている。

だから、分からない。

ただの養護教諭である俺に対して、ここまで信頼を寄せるのか。

(教師からも生徒からも揶揄われる事はあるが、ここまで仲良くしようと接してくる奴は…珍し過ぎる。)

俺は人との繋がりは億劫ではあるが、だからといってどれも断ち切っている訳では無い。

家族は実家から離れてはいるが、全く連絡を取っていない訳でも無いし、友達は古くから付き合いのある同級生が片手で数えられる程、教師や生徒はあくまで仕事で出来た縁なので、仲が良いという訳では無い。

つまりは、親しい仲と呼べる人間のレベルが他人より上に設定してあるだけの、偏屈な人間…それが俺、則井一だ。

人に好かれる訳では無いこのただのおっさんに対して心を寄せすぎなのでは、と歩きながらその変わった思考の生徒を見ると、こちらに気付いた園田は上機嫌のままこてんと首を傾げる。

「どうかしましたか?」

「…いや、何でも無い。」

これで犬扱いは止めてくれって言うものだからどうかしている、と口に出かかるが明らかに烈火の如く怒るのが目に見えて、別の思考に切り替えた。

「合宿はどうだったんだ。」

俺はこの学校に来てから部活動に参加する事も無く、学生時分さえここまで活発な活動をする部活に入った事も無い。

これならば園田が話せる話題だろうと俺は口に出してみたが、相手から何やら負のオーラを感じ黙る。

「………凄く、充実したものになりました。」

「そ、そうか。」

普段ならここで更にどういった内容の練習をしたのかを聞いていく所だが、それが聞けないと思えてしまう見えないはずの黒い感情の塊が、園田の背後に見え俺は用意していた質問をそっと胸の中に仕舞う。

さてどうしたものか、そう思っている内に俺のアパートに着いてしまった。

「俺はここまでだ、気を付けて帰れよ。」

その言葉に両肩を上げて園田は驚く。

「えぇ!?先生の住んでいる場所…ここですか?」

何を想像していたのか知らないが、男の一人暮らしなんてこんなものである。

錆が所々見えるぼろいアパートに、雑草が生えたほぼ手付かずの庭、それが俺の住んでいる場所。

学校が近く家賃も安いからという理由だけで選ばれた物件だ、そんなに良いはずも無い。

「別に驚く事も無いだろ。」

「いや、歩きで学校来ているって事は教えて貰いましたけど…ここまで近いなんて。」

どうやら近さに驚いているらしい、どうでもいい所に着眼点を置かれたので、思わずため息を吐く。

「女の一人暮らしならまだしも、おっさんの一人暮らしはこんなもんだ…ま、これよりも良い場所に住みたいのなら、今の内に勉強しておくか、進路をしっかり考えておく事だな。」

さて、と俺は園田から離れる。

「しっかり休めよ。」

「あ…はい、先生。」

それと、と言葉が続く。

「おやすみなさい、先生。」

「…おやすみ。」

くるりと向きを変え帰っていく園田を見送って、俺は自分の部屋に帰った。

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