園田くん(11)

今日は保健室に入る前に気を付ける事がある、そう思ったオレは先に保健室近くの男子トイレへと入り用を足した後、手を洗いながらしっかりと自分の顔を見る。

いつもと変わりないその表情が見えて、鏡の自分と同じくほっと息を吐く。

(…前の事を思い出して、顔が勝手に赤くなりそうだもんな。)

先生が疲れているなら、とオレが出来る事をしたいと親切でやった事だけれど、まさかあんな形で報酬が返ってくるとは思わなかった。

 

勉強しても、野球をしても、寝る前でも思い出す、あの顔。

 

「…だから、思い出すなって!」

じわじわと顔が赤色に染まっていて、オレは熱を逃す為に強く首を振る。

ただでさえ、最後変な別れ方をしたのに、これ以上先生に対してオレが『何か変な生徒』のイメージを先生に焼き付けたくない。

「先生は…オレの事、どう思っているんだろ。」

今このトイレはオレくらいしかいない、だから零れてしまった一言を聞く人も、聞いて欲しい人も、いなかった。

 

どうにか表情を元に戻して、いつも通りに先生へ「こんにちは。」と挨拶して保健室へ入る。

おう、と応えてくれた先生は、前の疲れ切った顔とも、最後変な形で別れたオレへの訝しむ様な顔とも違った。

変な態度を取られなくて良かった、とは思うけれど、何だかもやもやしてしまう様な気持ちが一瞬過ってしまい、オレは振り切る様にすぐに弁当を出す。

先生も弁当を出しながら、そこで意外な言葉をオレに掛けてくれた。

「前回はすまんな、ろくに相談もせず留守番もさせちまって。」

オレはその謝る一言に、目を点にさせてしまう。

だって、先生はこういった事を口にしない不愛想なイメージがオレの中で作り上がっていて、それが覆される様な出来事が目の前で起きたのだから返す言葉も困ってしまい何て事の無い物しか出てこない。

「え、えぇ!?いいですよ、そんなの…。」

更に先生は握っていた手の平を広げ、オレに見せる。

そこには先生の骨ばった手に似合わないピンクや水色の包装紙に包まれた小さなころころとしたチョコレートが出てきて更にオレは愕然としたけれど、オレはすぐに正気を取り戻し受け取れないと首を振った。

「別にそんな大層な物でもない…が、あの時間休めたのは助かったからな。」

確かに先生を休ませる為にオレが言い出した事だけれど、だからといってこんな軽々と貰って良いものじゃない。

大袈裟なって目で先生はオレを見るけれど、オレにとってこれは上等過ぎるご褒美で、先生はこれを渡す意味を分かっているのか!?と直接問い質してみたくなるけれど、いやいやと理性を呼び起こす。

(先生にとってこれはただのお礼…お礼、なんだ、だからオレが貰っても特に問題は…いやでも。)

オレが悩んでいる間に、先生は痺れを切らしたのか、強引にオレの弁当の近くまでそのお菓子を置いてしまう。

やっぱり貰う訳には、と口を開こうとするけれど先生は質問を投げてくる。

「それともあれか、甘い物は苦手…それともアレルギー持ちか?」

「どちらも違います…。」

嘘でもそうですと言えば良いものをオレは結局咄嗟に伝える事が出来ない。

甘い物は寧ろ好きだし、アレルギーどころか食べ物の好き嫌いもほとんど無く、真っ直ぐな欲求を言えば貰いたい、貰いたい…けれど。

(先生からの…初めての、プレゼント。)

先生にとっては、生徒に贈り物をするのは初めてじゃないかもしれない、けれどオレは。

悶々と頭の中で浮かぶ数々の思いや考えが渋滞していて、もう何の選択肢を取れば良いのか分からないオレを待たず先生は言い放つ。

「持ち帰ると変な疑いを掛けられっから、ここで食え。」

まるで迷路に彷徨っている事を察せられてしまったのだろう、そう言われてしまえばそうするしかない。

言いたい事は数多くあるけれど、どれも言ったところで子どもの喚き声と似た様なものしか出てこないだろう、先生はまさしく年上の大人だし。

 

先生と生徒、大人と子ども。

それがオレ達の今の、関係性。

 

くしゃり、と貰ったチョコを握る。

言われた通りに受け取ったオレを安堵した様な表情で先生が見たけれど、内心大雨が降って、更に自分が海近くに居る様な心境だ。

それでも手の中のチョコが溶けるといけないので、弁当の近くに置く。

すると、追い打ちの様に先生から話を始められた。

「相談を始めて一ヶ月は経つがどうだ?」

ぎくり、と一気に口から心臓が出そうな気分になる。

それを先生に伝わらない様に、せめて背筋を伸ばして「そう…ですね。」と応えた。

「先生にオレの事を聞いて貰って、安心は…出来ました、でも。」

いつかは聞かれるかもしれない、そう思っていたけれど、ここの所世間話や部活の事しか話をしていなかったので、オレは忘れていた。

 

オレは、先生に同性愛者である事を知って欲しい。

そして、その自分とどう折り合って生きていけばいいのか分からないから教えて欲しい。

 

その想いで保健室の扉を叩いた事になっていたという事を。

なのに、最近は関係無い事ばかりで、先生がこうして核心を突く様な話し合いを始めたのも無理も無いと思う。

オレは嘘を吐くのが苦手だ、だから正直な今の考えを伝える事しか出来ない。

「正直な所、今は部活にいっぱいいっぱいになってしまって…それどころじゃなくなってきているのが、現状です。」

最初は春の大会も終わって、前の三年生も送りひと段落した時期で、オレ自身の恋愛対象について考える時間はあった。

けれど、今は自分も周りも野球や学校の事で頭が占められる様になって、あまり考えなくなってしまい、結果今ここで先生にそういった情報を提供されたとしても、今すぐに実行出来る様な環境じゃない。

それは先生も分かってくれるみたいで、オレの発言に「うん、そうだな…。」とゆっくり頷いてくれる。

オレの答えを聞いて、どう思っているだろう。

それを知りたいような、でも知りたくないような複雑な思いは口の代わりに目が伝えてしまったみたいで、先生は目が合うとすぐに声を出した。

 

「なら、今は何もしなくていい。」

 

つまり、それは…どういう事?

向けられた言葉を何度も脳内で反復してみるけど、具体的にどうすれば良いのか分からなくなって「お…オレは、どうしたら…?」なんて情けない声を出して助けを求めてしまう。

そんな急に弱り切った様子をオレを見てマズいと思ったのか、先生は違う違うと手を振る。

 

「今、お前はやる事が数多くある…それが落ち着いてから相談を再開すれば良い。」

 

あっさりと、告げられた。

勘違いかもしれない、そう思ったけれどオレは悪い未来しかその時見えなくなってしまって、目の前が真っ暗になる。

 

間違いじゃ無ければ、先生は。

オレとのこの時間を、終わりにしようと思っている…?

 

これで終わり、と明確なピリオドを打たれた訳じゃ無い。

再開という言葉も持ち出してくれたけど、もしここで先生の言う通りに昼休みのこの時間が無くなって元の、いや更に繋がりが薄いただ同じ学校にいるだけの養護教諭と生徒の関係に戻ってしまうきっかけとなってしまったら。

 

そんなの。

 

「い…嫌です。」

 

何振り構ってられなくなった。

先生の前では聞き分けの良い優等生の仮面を被り続けるつもりだったっけど、このまま先生の言葉通りになってしまうのは、オレには耐えられない。

「オレは、まだまだ先生とここでお話していたです…相談じゃなくても、ここに来たいです。」

努めて感情的にならないよう、それでいてオレの想いが伝わるように。

祈るような、縋るような。

そんな言葉が、口から出た。

 

「オレは…ここに居ては駄目ですか?」

 

先生の顔を直視する事が出来ない。

このまま無言の時間が過ぎれば、勝手に視界が歪んでしまいそうで、だからせめて自分から声を出す事を止めなかった。

「その…勿論お邪魔しているのは悪いと思っています、仕事の邪魔はしません…だから、だから」

 

この時間を終えよう、なんて言わないで欲しい。

 

そう言ってしまいそうになる前に、やっと待ち望んだ声が耳に届く。

「分かった」

すぐにバッと顔を上げると、いつも通りの少し不機嫌そうなその顔が見えた。

「気が済むまでここ居れば良い。」

ただし、と話は続く。

「お前が俺を必要としなくなるまで…だ。」

いいな、と言われるけれど、最初のオレのここに居たいという考えを受け入れてくれた事が大きくて、後の言葉は正直頭に入らなかった。

それでも、追い出される事無く、また昼休みに先生の顔を見る事が出来るという希望は叶ったので、オレは「は…い。」と力無い返事で応える事しか出来ない。

先生はオレをじっと観察していたけれど、何分経ってもオレが動かないと思ったのか、その内弁当に手を付け始めた。

オレもまだ全部弁当を食べていなかった、そう思って中途半端になっていた弁当を食べ始める。

(…味がしない。)

あんなに手塩に掛けて作ってくれた母さんの弁当なのに、今は何の味もしない。

じんわりと、自分の唾液と食べ物を絡ませてどうにか味が分かってきたけれど、どれだけ緊張していたんだろう、と自分の事ながら思う。

それからはどうにも落ち着けなくて、いつもなら会話の一つでもするのに、食事以外で口が動かせなくてずっと無言になってしまった。

「じゃあ、午後の授業も頑張れよ。」

オレに対する気遣いの言葉が、いつもなら素直に喜べるのに、と考えながらももやもやした気分で「はい。」と小さく応えてから保健室を出る。

 

教室へと戻るオレの足音と共に、袋に入れたどうにも食べられなかったチョコ達が、責める様にカタカタと弁当と何度も衝突する音がして。

それがどうにも、うるさかった。

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