則井先生(11)
喉も結局は筋肉であり、歳と共に衰える。
例え基本的には話す事が中心であるこの職場は、喉が鍛えられる方ではあるが、俺はさほど必要としない…従って、時たま無理に大声を出すと。
「…まだ違和感がある。」
この体たらくだ。
自分用のトローチは携帯していないので、持ってきたお茶で喉の炎症を多少抑えた気分になっていると、いつも通りの時間にアイツは保健室へ入ってくる。
「先生、こんにちは。」
「おう。」
すぐに席に座り、弁当を出し始める園田の様子を見て、俺は内心胸を撫で下ろす。
(佐久間の話から、負担が教師から学生に行っちまったんじゃないかと思ったが…。)
要らぬ心配だった様だ、あくまで俺の主観でしかないが、この前よりスッキリとした表情になっている。
これで心配事の一つは解消されたかと俺も同じく弁当を出しながら、今更ながらあの事を思い出す。
「前回はすまんな、ろくに相談もせず留守番もさせちまって。」
「え、えぇ!?いいですよ、そんなの…。」
あんまり豪華な物だと賄賂を疑われる、かといって何も無いのも申し訳ない、なので手のひらサイズの駄菓子を複数見繕ってきたのを出すと、相手は首を振る。
「別にそんな大層な物でもない…が、あの時間休めたのは助かったからな。」
糖分の過剰摂取はよろしくないが、ちゃんと動いてカロリー消費の出来る人間なら問題無いだろうと、半ば強引に弁当の隣に置く。
「それともあれか、甘い物は苦手…それともアレルギー持ちか?」
そういえばそこは考慮していなかったと思い念の為聞くが、園田はぶんぶんと体を使い意思表示する。
「どちらも違います…。」
「持ち帰ると変な疑いを掛けられっから、ここで食え。」
おそらく園田みたいな人間は遠慮がちに伝えると恐縮してしまうので、敢えて命令口調で告げた。
俺の言葉を受け、最初おどおどしている様子を見せていたが、そっと近くに菓子を置いたので食べてくれる気になったのだろう。
(ま、半ば強引になっちまって申し訳なさはあるが…。)
二度と同じ事をしない、そう胸に誓い俺は食べながら早速前は出来ずにいた相談を再開しようと口を動かそうとする。
「―で、相談を始めて一ヶ月は経つがどうだ?」
今の心境を改めて聞くと、俺の真剣な様子が伝わったのか園田の背筋が伸びた。
「そう…ですね。」
少し時間を置き頭の中で言葉を整理しているようで、俺はそれを何も言わずじっと待つ。
「先生にオレの事を聞いて貰って、安心は…出来ました、でも。」
表情は固く、そして何だか後ろめたいようなものとなる。
「正直な所、今は部活にいっぱいいっぱいになってしまって…それどころじゃなくなってきているのが、現状です。」
確かに、と今一度思い直す。
今園田は、野球、勉強に重きを置いていて、自分の内面の事など構っていられない日々が続いている事だろう。
ゴールデンウィークもほぼ部活の練習に費やし、それが終われば中間テストが待っている。
つまるところ、やる事が山ほどあるのだ。
「うん、そうだな…。」
どうしたら良いか、答えを求める様な視線を向けられるが、俺はこれを告げるしかないと口を開く。
「なら、今は何もしなくていい。」
この言葉を受けた園田の表情は。
自分は捨てられたのだと自覚したような犬みたいなものになっていた。
「お…オレは、どうしたら…?」
「いや違う違う、言葉を間違えた。」
結論を先に言ってしまった俺は順を追って説明する事にする。
「今、お前はやる事が数多くある…それが落ち着いてから相談を再開すれば良い。」
実際こうして話す時間も惜しいだろう、ほぼ毎日昼食時にこんなつまらないおっさんと喋りながら過ごす時間をだらだらと続けて良いものではない。
そう思って切り出した、のだが。
「い…嫌です。」
そこで初めて園田が俺に対して拒否の反応を示した。
「オレは、まだまだ先生とここでお話していたいです…相談じゃなくても、ここに来たいです。」
先程の悲壮感漂う表情が直っておらず、寧ろ更に悪化させた様子で詰め寄られる。
「オレは…ここに居ては駄目ですか?」
俺は園田の事を全て知っている訳では無い。
それでも、こうした付き合いが始まってから知れるだけ情報を集めていたつもりでいた。
その中では、彼の事を野球面では『若きエース』『次世代の投手』『期待の星』などなど期待する声が上がり、その性格については『寡黙』『冷静』などと言われている事が多い。
性格は顔に出るなど言う事もあるが、他人の外見にさほど興味が無い俺でも、その性格が影響したかと錯覚してしまう精悍な顔立ちだと思う。
縦にすらっとした俺よりも高い身長、ほどよく鍛え上げられた体は、まさしくスポーツマンだと自己紹介している様な外観で、自信が満ち溢れている様に感じていた。
しかし、今。
そのイメージが崩れ去った。
園田だと思っていた存在からピキリと音を立ててひび割れ、新たに俺の前に出てきたもの、それは。
今ここで俺が手を離してしまえば、途端に砕けて散り散りになってしまうのではないかと思えてしまう程のガラスみたいな弱々しい子ども。
(―俺も結局、色眼鏡を掛けてコイツを見ていたって事か。)
弱みを一切見せないのではなく、見せる方法が分からない。
だから、やっと見つけた弱みを出せる相手から離れたくない…園田が考えているのは、たぶんそういう事なのだろう。
「その…勿論お邪魔しているのは悪いと思っています、仕事の邪魔はしません…だから、だから」
とんだハズレ…いや、当たりくじを引いたものだ、と己の運を呪った。
けれど、目の前の生徒は明らかにこちらに助けを求めていて、その精神が安定しているかはどうにも怪しい。
ならばどうするか、俺の立ち位置を考えれば答えは簡単だ。
「分かった、気が済むまでここに居れば良い。」
ただし、と俺は言葉を続ける。
「お前が俺を必要としなくなるまで…だ。」
いいな、と目を向けると園田は強張っていた全身の力を抜き「は…い。」と小さな声で返事をした。
どうにか了承を得る事が出来たので止まっていた食事を再開すると、園田も俺に倣う様に食べ始める。
思ったより園田が俺に対して過剰な程依存しているのが伝わったが、一つ改めてやるべき事が出来たと俺は密かに思う。
それは、この将来有望な投手の何で崩壊するか分からないメンタルに付き合っていく事だ。
(甲子園を目指すのなら、メンタルケアも重要だしな。)
全く勝手ながら重要なポジションに配属させられたものだ、無言で弁当を口に運ぶ園田を見ながらそれでも俺はもうコイツを見放す事は出来ないのだろうなと、自分自身に内心呆れていた。
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