則井先生(10)
空は快晴、やるなら今だと思い、養護教諭の仕事の一つ、保健室の備品のメンテナンスとして、ベッドのシーツや枕カバー等を洗った俺は、学校指定の場所で洗濯物を干していた。
パンッパンッと皺を伸ばしていると、校庭で体育授業の為に外に出てきた生徒達がデカい声で「なぁ~連休空いてる~!?」などと会話をしているのが、風に乗って俺の耳まで届く。
ゴールデンウィークが近付き、一部の生徒が休みの予定を考え浮足立っている今ではあるが、友人も少なく、家族に会うくらいしか予定の無い俺には関係無い。
精々貴重な休みを共に出来る友人を大切にすると良い…連休前に出された多くの宿題を忘れてしまうかもしれないが、など考えていると、ふくらはぎにもっふりとした感触がする。
「…またお前か。」
にぃあ、とその真っ黒な正体が返事をした。
普通なら自ら人には近寄って来ないだろう動物だが、何を血迷ったのかコイツは時たまこうして俺に会いに来る。
他の生徒にも好かれている所を見た事があるが、それでも律儀に忘れてはいけないと思うのか、外にいると決まって触りに来る猫だ。
「あ~またミーコがのりちゃんの方に行ってる。」
「良いよな、教師は…オレらは餌やり禁止してんのに勝手にやっているんだぜ?」
俺だってやってねぇわ、流石に丸聞こえだったので抗議の意味で睨みつけると、彼らの視線は別方向へ背けられる。
そう、俺は別に餌などやっていない。
そもそも可愛いから、懐いて欲しいからと、無責任に餌をだかだかやると、校庭に糞尿の被害が出るし、野良なのに学校に居続けてしまうと不衛生な物を運んでくる原因の一つになるかもしれないのに、そんな存在と仲良しこよしする訳が無い、無いのだが。
「にぃ~う~。」
「向こうに行け。」
白衣の裾がひらひらと誘惑するのか、ちょいちょいと勝手に遊ばれている。
あんまりにも構われるので、何度か白衣を脱いで会った事もあったが、遊び道具が無くても俺という存在がもう分かってしまったのか、尻尾を足に巻き付けてすりすりする行動を取られたので、俺はもう白旗を上げる事にした。
しかし、先程の生徒の様にコイツを構いたい生徒、教師はいくらでもいる。
俺は全く構わないし離れて欲しいと思う程なのに、コイツが勝手に寄ってくるのだ。
(不服だ…餌やってないのに。)
せめてもう離れてくれないかと念じても、どこ吹く風で仕舞には俺の下で丸くなろうとするものだからこのふてぶてしい生き物をどうしてやろうかと思っていると、急に起き上がり近くの草むらへ逃げてしまう。
「あ…すみません。」
そこへやって来たのは、体育の為に外へ出てきたのであろう佐久間だった。
「せっかく楽しんでいたのにお邪魔しちゃいましたね。」
「いえ、寧ろ救われました。」
佐久間の目からもヤツと仲良くしている様に見えたらしい、俺は語気を強めて話す。
「勝手にすり寄られて困っていたんです、触るのも不衛生ですし…。」
「そんな考えなのによく猫が寄ってきますね。」
俺は猫にもモテたいですが…とどうやら先程の男子生徒と同じ考えを佐久間も持っている様で、俺は思わず正気かどうか疑う。
「………だからわざわざこんな校庭の隅まで寄ってきたんですか?」
「違いますよ!」
俺の言葉を慌てて否定はするが、どうも怪しくて俺は視線をそのままにしているので、佐久間は要件をすぐに口にした。
「この前の喫煙所で話した件についてです!…あの時は、ありがとうございました。」
お礼を言いたかったんですよと頭を下げられるが、俺は慌てて首を振る。
「そんな大袈裟ですよ…たまたまあのタイミングで話しただけじゃないですか。」
こう言っても佐久間の頭は上がらず、校庭の隅とはいえ他の生徒達からも見える位置にいるので勘弁して欲しいと俺は早口で「頭を上げて下さい。」と伝えた。
どうしてこんなに事を誇張する様な礼の仕方をするのかと思っていると、本人から答えが告げられる。
「あの後…時間を掛けてもと考え、則井先生の助言通りに信用出来る奴等に話し合いの時間を設けたのですが。」
あの相談からそんなに日が経っていなかったので、俺はその行動の速さに驚くがいや…と思い直す。
(それだけ野球部にとって深刻な事態だったんだろう…すぐに行動を起こさなければいけない程に。)
気軽に言葉なんて掛けるものじゃなかった、そう後悔していると、佐久間が拳を握り熱く話し始めた。
「部長、副部長、そしてニ年の話せる奴等と相談をし…学生達本人が動く運びとなりました。」
「それは…。」
任せても大丈夫なのだろうか、俺の意見はこうだったが、佐久間の目には迷いは無く、その両目にはまさしく炎が宿る。
「俺が指導するより、先輩という立場から後輩を見ていこう…と、彼等から答えを出してくれたのです!」
そしてもう止めろと言ったのに、凝りもせずまたその頭が地面に近くなった。
「彼等が、きちんと成長しているという事を俺は失念していました…この貴重な気付きのきっかけを下さり本当にありがとうござ」
「あー!あー!佐久間先生、向こうで生徒達が待っています!!」
何だどうした借金でも肩代わりしたのかといった視線が痛い程注がれ、俺はもう限界値を突破していた為、半ば悲鳴の様な大声を出し、授業の到来を訴える。
「す、すみません…このお礼はいつか必ず!」
「そんなの甲子園出場で結構です!!」
俺の言葉と同時に鐘が鳴り、まだまだ話したそうにちらちらこちらを見ながら離れてゆく佐久間を見ない振りをして、俺は滅多に出さない大声を出した反動で喉の痛みを抱えながら途中になっていた洗濯物干しを再開する事にした。
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