園田くん(7)
先生が窓の外から見える葉桜をずっと見ているので、オレも視線を追って同じくその桜を見る。
散り際という事もあり、吹いてくる風にすぐに濃いピンク色の花びらが散っていってこの一瞬一瞬が二度と見る事が出来ない光景は、本当に儚いなぁと思う。
けれど、先生は違う事を考えていたみたいで。
「桜は葉っぱになったらなったで、虫共に食い潰されるしな。」
と小さく呟いたのが聞こえて、オレはその衝撃的な内容に思わず「そうなんですか?」声を上げてしまう。
この問い掛けに静かに先生は頷いてくれる。
「桜餅ってあるだろ、桜は葉っぱも美味い…が、それは人間だけじゃなく虫も同様で、桜は虫が寄ってくる植物なんだよ。」
それは知らなかった、確かに偶に木に毛虫が降ってくるので注意と札が付いている木があったけれど、桜もその木の一つなんて思いもしなかったので、オレは考えていた事がそのまま口に出た。
「は~…春はお花見で人が寄ってくるし、虫にも人気なんて大変なんですね。」
「お前だって人気者の一人だろうがよ。」
急に先生の様子が変わって何だろうと思うより先に、オレのでこにぴんっと軽い衝撃が走り「いてっ!?」とつい叫んでしまう。
何で急にこんな事を?とオレは先生の顔を見る…と。
その口元が少し緩み、こちらを見てにやりと笑っていた。
(う…わ。)
オレが保健室通いを始めたのは先月からだけれど、こんなに近くで先生の笑顔を見たのは初めてで、失礼だと思いながらその表情に釘付けになってしまう。
「ま、野球に支障が出ない程度には力出してないからいいだろ。」
けれどその表情はすぐに解かれてしまって、いつもの鉄仮面に戻る。
こんなにオレは戸惑ってしまうのに、全く変わらない先生についいじける様に「致命傷です。」と言うけれど、慣れていなさ過ぎて声がどもってしまった。
あれからどうにか時間を作って出来る限り昼休みは保健室に来る様にしているのに、いまだに先生と生徒という関係性は続いている。
学校に居るんだから当たり前、と冷静な自分の声は囁くけれど、それでもオレはこの時間だけは先生と一緒に居たい。
けれど、相変わらずそこのオレの心は知らない先生は別の話題を出してくる。
「それで、野球部に人は入ったのか?」
最近は同性愛の事だけじゃなくて、先生は季節に合ったこういった話題を出してくれるようになった。
確かにずっと真剣な話をしても、先生に負担を掛けてしまうかもしれないし、オレも話せる事が多くなるので、この話題は助かる。
助かる、けれど…とオレはつい顔を暗い物に変えて「それが…あんまりですね。」と返事をした。
「へぇ、割と野球部はいつも選手の数に困らなかった印象があるが。」
そう…確かに先生の言う通りで、野球部は最低限九人と控えの選手が数人いればどうにか出来るスポーツで、経験者も多いから基本的に人に困らない。
人数は集まるから、そこから練習に参加してもらい野球部員になっていく…のだけど。
オレから話すのを待っている先生を見て、オレはなるべく言葉を選んでから話す。
「その…これまでウチの野球部は年によって違いますが、そこそこ強い部で…それでも今年は市大会、県大会優勝を目指しています。」
恥ずかしい目標と思われるかもしれない、けれど下手に謙遜をすると、本当に実行出来なくなってしまう、だからあくまで強気な言葉を選んだけれど、次の言葉からどうしても不安な思いが滲む。
「だから、入ってくる選手にも望んでいる所もあって…推薦で入ってきた一年はともかく、一般入試で入ってきた一年を誘うのは…。」
高校生活は三年間、三年間しか無い。
色んな楽しみが高校にはあって、その中で苦しい選択をさせてしまうかもしれない。
野球部に入れてオレは良かったけれど、同学年でも早々に抜けた人もいたし、練習を頑張っても補欠としてベンチに座り応援に徹する事になった人もいた。
全てが合っていて、間違った選択なんて全く思わない、けれど。
(それでも中途半端な思いで入って欲しくない、後悔をする選択を…して欲しくない。)
そんな都合の良い後輩が入ってくる訳が無いだろ、と言われてしまうかもしれないと身構えていると先生が声を掛けてくれる。
「…考えるのは向こうなんだから、お前がそんなに背負い込む事は無いんじゃないか?」
冷たい言葉ではなく、オレの事を気遣ってくれた一言が出てきて内心驚く。
(ずるい、なぁ…。)
気を抜くとそのまま口から出てしまいそうで、オレはすぐに「それもそうなんですけどね。」と表情を取り繕ってなるべく笑顔を作り返事をする。
「先輩にもオレ達の代にも居たんですよ、やる気が無くなる人…合う合わないはどうしてもあるのは分かっているのですが。」
話している内に蘇るのは、苦い記憶。
必死に練習をして、時間を割いて、勉強もして。
それでも、それでも、同じ熱を他の人達が抱えているとは限らない。
必死になるがあまり、部内で喧嘩になる事も、それが良くない結果を招く事もあった。
チームには人が必要なのに、戦力外だと思い込んで辞めていく彼等を見て、遣る瀬無い気持ちに襲われた事も何度もある。
堪らなくなって先生に顔を向ける事が出来なくなったオレは、床を見た。
後悔する場面も、立ち向かえなかった不甲斐無さも、幾度となく味わった、それでもオレは呪文の様に言葉を吐く。
「野球はチームプレイですから、生半可な思いで入られても自分も周りも困るので。」
思い込みだと言われればそうかもしれない。
けれど、オレは今チームを引っ張る一人だ。
そんなオレが、弱々しい姿勢を見せても、先輩や後輩に示しがつかない。
自分の事ばかり語り過ぎてしまったかな…と、そろそろオレの方から話題を変えた方が良いかなと頭を回し始めた、その瞬間。
ぽふん。
まさか、と思った。
そんな訳がない、そう思うけれど、確かにオレの頭に重みがあって、それが左右にスライドしている。
何往復かしてやっとオレは震えた唇から声を出せた。
「せ、せんせい?」
やはり唇の振動も伝わってしまったのか、声も同様になっていて恥ずかしくなるけれど、先生は察してくれたのかすぐに手を引っ込めてくれる。
何でこんな唐突に?何で触ってくれたんだ?と疑問ばかりが頭に浮かぶけど、等の先生はけろっとした様な声でオレに「悪い。」と謝った。
「何か実家の犬を思い出した。」
…。
………。
……………。
い ぬ ?
その単語はすべての疑問を消し去り、オレの頭いっぱいにその動物が一気に占める。
「犬!?」
そこでやっとオレは勢いで先生の顔を見る事が出来たけれど、その顔はずっと分からなかった試験問題がやっと理解出来てスッキリしたとでも言った様な表情で、オレはムキになって遠慮なくまくし立ててしまう。
「犬って何ですか、オレは人間ですよっ!」
先生は恐らくだけど、オレを子どもとは見ても、見下している訳では無い…と思うけれど。
だからといって、人間扱いじゃなく犬扱いであんな行動を起こしたのかと考えると、自分でも訳が分からない程に怒りが湧いてくる。
(頭を撫でるって…そんな簡単に出来る事!?)
先生は「口が滑った。」と淡々に謝り頭を下げるけれど、こんなに何度も爆発物を送られる様な体験をした事なんて無いオレはどう返事をすれば良いか分からない。
まさかオレ以外にも同じ様な事をしていないだろうか、そんな簡単に人の心動かす様な行動はしない方が、など考えている内に時間は過ぎる。
「おら、気は楽になったか?」
また今度は何を?と思うけれど、またオレにだけ見せてくれる笑顔が出てきた。
「まだ起こるかどうかも分からん問題に対して、そんなに暗い顔を今してもどうにもならん…問題が起きた時にまた相談しに来い。」
そんな事でも聞いてくれるのか、と一瞬嬉しい気持ちが沸き上がるけれど、それでも先程の行為を思い出して、オレは表情をムッと曇らせた。
「…それでも、犬扱いは嫌です。」
犬認定される事で、頭を撫でられるかもしれないけれど、やっぱり人として見て貰いたいので、改めて意思表示すると、先生は「悪かったって。」と謝ってはくれた。
この人、思ったより人たらしかもしれない、そう認識を新たにしたオレの耳にチャイムが届き、今日の相談はここまでとなる。
(…今後、気を付けないとな。)
心の内で、小さく呟いた。
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