則井先生(7)

春の時期というのはどうしてこんなに忙しくなるのか、と保健室の窓から見えるもう葉桜になってしまった木を見て思う。

この地域は春の到来が全国的に見ると遅く、遅く来た春を祝っているのも束の間、すぐに来る梅雨や夏に染められてしまう自然に俺は哀れみに目を向ける。

「桜は葉っぱになったらなったで、虫共に食い潰されるしな。」

「そうなんですか?」

俺の言葉にもう保健室通いに慣れた園田は首を傾げた。

「桜餅ってあるだろ、桜は葉っぱも美味い…が、それは人間だけじゃなく虫も同様で、桜は虫が寄ってくる植物なんだよ。」

「は~…春はお花見で人が寄ってくるし、虫にも人気なんて大変ですね。」

真面目に言っているのかボケて言っているのか分からずについその顔を覗き込んでしまうが、園田は笑顔でこちらを見つめるだけだった。

「お前だって人気者の一人だろうよ。」

純粋過ぎるその表情につい軽くデコピンをする。

「いてっ!?」

虚を突かれたのか目を白黒させる園田の顔が間抜けに見え、俺は少し笑ってしまう。

「ま、野球に支障が出ない程度には力出してないからいいだろ。」

「ち………致命傷です。」

何故か真っ赤になって冗句を言う園田に、真面目なこいつでもそんな言葉を返せるようになったかと俺は感心する。

あれから回数を重ね、俺達はすっかり保健室で昼飯を食べる仲となっていた。

最初の内は、園田にも友人がいるしそれなりにメンタルが安定したら教室で食べてもと提案してみたのだが、野球部が忙しいからこの時間にしか保健室に来る事が出来ないし、出来ればまだここに通っていたいのと、友人にはちゃんと伝えているので心配は要らないと断られた。

「それで、野球部に人は入ったのか?」

相談ばかりでも畏まり過ぎて窮屈だろうと思い、最近ではこうした世間話を取り入れた時間になる事が多い。

それは仕事としてどうなんだと言われてしまうかもしれないが、俺から同性愛について切り出す事はほとんどなく、俺のやり方はあくまで園田から言われない限りはこの話題に触れるつもりは無い、何故なら俺自身同性愛者の事を全て知っている訳では無いからだ。

(下手な言葉掛けが、相手を傷つけてしまう場合だってあるしな。)

俺からの質問に園田は渋い顔を見せる。

「それが…あんまりですね。」

「へぇ、割と野球部はいつも選手の数に困らなかった印象があるが。」

表情はそのままに園田は理由を話し始めた。

「その…これまでウチの野球部は年によって違いますが、そこそこ強い部で…それでも今年は県大会優勝、甲子園出場を目指しています。」

その言葉は固い決意が込められていて出来るか出来ないかといった揺らいだものではなく、目標としてしっかり定めている事が分かる。

「だから、入ってくる選手にもそれを望んでいる所もあって…推薦で入ってきた一年はともかく、一般入試で入ってきた一年を誘うのは…。」

そんなに思い詰めなくても良いのではと思う位に、いつも朗らかなその顔に陰りが出来ていた。

無理もないといえば、そうであるが。

ただでさえ勉強で時間取られるのに、一度入ってしまえばほぼ三年間部活に勤しむ…しかも、優勝を目指すとなると朝、放課後、休日でさえ返上して野球に身を投じなければならないだろう。

成長には休みも必要だと分かった現代なら、昔程熱血な指導を受けないとは思うが…それでも、遊んで過ごしたいなどと考える生徒もいる。

「…考えるのは向こうなんだから、お前がそんなに背負い込む事は無いんじゃないか?」

「それもそうなんですけどね。」

苦い笑いを浮かべながら話す園田の顔は、やはり晴れない。

「先輩にもオレ達の代にも居たんですよ、やる気が無くなる人…合う合わないはどうしてもあるのは分かっているのですが。」

床に顔を向けてしまいどんな表情をしているのか分からなくなってしまう、けれど園田は低く俺に…いや、自分自身に言い聞かせる。

「野球はチームプレイですから、生半可な思いで入られても自分も周りも困るので。」

これまで見せてこなかった園田を見て、俺は何て言葉を掛ければ良いかと考えるその前に体が勝手に動く。

 

ぽふん。

 

気付けば俺は、目の前にある短い黒髪をよしよしと撫でていた。

触ってみて分かったのだが、やはり若いからかびっしり生えた頭髪は艶がありさらさらとしている、自分の毛と比べると虚しさが込み上げて来るので何も考えずその感触に集中していると。

「せ、せんせい?」

声が震えていると思えば、そもそも体全体が震えているのを見て、俺はまずかったか手を引く。

「悪い、何か実家の犬を思い出した。」

「犬!?」

もう亡くなっているのだが、昔雑種…今はミックスって言わないといけないんだったか、何と何の間から生まれたか分からんデカく黒い犬が実家にいて、散々追いかけっこをした思い出がある。

園田の人柄を知っていく度に増していく既視感があったのだが、ここに来て答えが見つかった、とスッキリした俺とは違い園田は複雑な顔をこちらに見せた。

「犬って何ですか、オレは人間ですよっ!」

「口が滑った。」

頭を下げるが、顔が赤いままなので怒りは継続しているらしい。

苦情を言いたいようだが何を言えば良いのか分からず口をぱくぱくしている園田に、俺は話題替えついでに誤魔化すことにする。

「おら、気は楽になったか?」

急に違う話題を出され首を傾げる園田に俺は一笑しながら話す。

「まだ起こるかどうかも分からん問題に対して、そんなに暗い顔を今してもどうにもならん…問題が起きた時にまた相談しに来い。」

ま、野球部の事は野球部内で話し合うのが一番だがなと付け足すと、一瞬目を見開いたが、すぐに不機嫌そうな表情に戻る。

「…それでも、犬扱いは嫌です。」

「悪かったって。」

意外と根に持つタイプだったのだなと思うのと同時に、今日も昼食が終わる合図のチャイムが鳴り響いた。

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