園田くん(4)

先生に待つと言われて嬉しかったけれど、一刻も早く保健室に戻りたかったから駆け足で移動してしまって肩で息をする様な体になってしまった。

けれど、オレの体の事はどうだっていいと思ってしまう、だって。

(先生と…話が出来る!)

すぐに扉に手を掛けパシャンと開けて「お待たせしてすみません。」と謝りながら、さっき座っていた椅子にオレは腰掛ける。

「変な遠慮はしなくて良い…多少授業で縛られているお前らより弁当食う時間は自由だからな。」

確かに先生達がご飯を食べる時間については、オレも知る由が無い。

則井先生が言う様に、先生の食べる時間も気にしていたオレは体の力が抜けた。

オレが安心したのが伝わったのか、先生は弁当を食べながら話を始める。

「で、今日ここに来たのは前の相談の続きか?」

オレも先生と同じように弁当の蓋を開け、ご飯を味わいながら頷くと、そうかと言って言葉を続けた。

「無理に全部話さなくていい、言える事だけ、答えられる事だけ口にすればいい。」

これまでとは違って真剣なその言葉と眼差しに、オレは引き寄せられるように先生を見る。

「ここで話した事は俺とお前だけの秘密だ、他の教師、生徒には一切情報を漏らさない事を最初に約束する。」

真っ直ぐに向けるその目が、いつもは気だるげに生徒達を見る顔と違っていて、オレは場違いだと自分に言い聞かせるけれど。

 

今ここにいるオレにしか、この言葉と顔が向けていない事を知って。

ひどく、満たされていた。

 

本当に申し訳ないと思う。

先生は真摯にオレに向き合って、こうして話し掛けてくれているのに。

興奮と、罪悪感が入り乱れている心の内は、流石に先生も分からないみたいで、話を続けてくれる。

「だから、周りに言えない事を言えるだけ言え…俺はそれを肯定も、否定もしない、ただ聞かせて貰う。」

いいなと無言でオレの返事を待つ先生、けれどオレはその姿をずっと見ていたくて、つい返事も体を使って答える事も出来ず、時が止まった様な感じになってしまった。

どうしよう、そう思っていると、また先生の方から察してくれたのか、オレに近付いていたその姿勢と表情を元に戻し、切り替える。

「ま…深く考えずに思った事を話しゃ良いだけの事だ、前置きが長くなってすまなかったな。」

先生が謝る事なんて無いのに、とそこでオレはやっと首を振る事が出来た。

「いいえ!…真剣に考えて下さってとてもありがたいです。」

勢い良く振り過ぎて少し目を回してしまい、オレの視界がくるくる回るオレを見てなのか、溜息を吐きながら先生は声を掛けてくれる。

「大袈裟だ、こっちは仕事なんだからな。」

そうは言っても、全ての大人が仕事に関して真剣に取り組んでいる訳じゃないと思う。

子どものオレ達だって、真剣に授業や部活の練習に取り組むヤツもいれば、適当に終わらせて放課後自分の時間を満喫するヤツもいる。

真面目に取り組み過ぎても壁にぶち当たる時は当たるし、かといって力を抜き過ぎても人生の波と格闘出来ないから。

少なくとも、オレは。

目の前の先生がどれほどの人物か、たとえフィルターがかかっていると言われても凄い人だとこうして話しているだけでも伝わった。


だから、いつか聞いて欲しい。

オレがどんな思いでここに来る事になったのかを。


まずは第一歩、そう思ってオレは先生に持っている悩みを打ち明けた。

「元々テレビとかで特集されているのを見て、そんな気があるんじゃないかと思っていたんです。」

オレの最初の気付き、そこから順に説明しようと自分の記憶を思い返す。

「周りからどんな女の子がタイプかって言われてもピンとこなかったし…かといってそういう画像みたいなものを見掛けても、正直見るのも嫌ですぐに画面変えたりしてます。」

周りと明確に違うと思い始めたのは、この出来事が最初だったと思う。

小学校と中学校は共学で、女子から好意を寄せられた事もあったけれど、自分が好きと思わないのに付き合うのは失礼だと思って断り続けていたら、面倒臭い噂とかも流されて結果的には女子と疎遠になって、異性があまりいないこの高校を進学する事にしたけれど、それでも自分と同じ考えを持つ人がいない事が段々分かり、自分が他の人と違う事が浮き彫りになってきて、そこから自分で出来る範囲で調べるようになった。

けれど、調べても自分と全く同じ人なんていないと、調べれば調べる程分かってしまって出口の無い迷路をずっと歩いている様な気分だった…そんな時。

「そんな時、気になる人が出来て…性別とか関係無く、凄く気になり始めて。」

嘘は、言っていない。

けれど、本当の事を口にするのは、どうしても恥ずかしくて両手が勝手に震えそうになるから拳にするけれど、体が熱くて仕方がない、でも伝えなければ先生も困ってしまうとオレは必死に声を上げる。

「最初は尊敬だと自分で自分を言い聞かせていたんですが、日に日に意識する度に違う想いになっている気がして…。」

そこからは何て言葉で伝えようとうんうん唸っていると、もういいぞと言う様にオレの目の前で先生の手が動く。

先生はオレの拙い言葉だったけれど、多少理解してくれた様に今度は別の話題を出してくれる。

「園田くんは…LGBTという言葉は聞いた事があるか?」

その問い掛けにオレは迷わず頷く。

「はい、それこそテレビで見ました。」

テレビ以外にもオレが自分で調べている中、ネットで何度か見た単語でこれなら分かったから。

そこから先生は一通りの専門的な知識をゆっくりと話し、オレがきっちりと話を理解しているか気を使いながら説明を続けてくれる。

しかも、言葉だじゃ伝わりにくいと思ったのか、事前に印刷された紙をオレにくれた。

「一つに少数派と言われようが在り方は様々だ…あくまで、自分に当てはめ過ぎずに見ておいてくれ。」

オレは先生がくれた言葉に、気になる所があってつい聞いてしまう。

「…先生、当てはめ過ぎずっていうのは?」

この反応に先生は少し考える素振りを見せてから、その口を開いて教えてくれた。

「全く同じ人間なんて、この世に居るはずも無いからな…出されたチェックリストすべてペケ付けてやっと同じって訳じゃ無い、つまりは…比べ過ぎると疲れるんだよ。」

オレは一度、貰った資料を見てみると、確かにチェックリストはある。

どの項目もオレは心当たりがあるし、これでオレはそういう考えの一人なんだと安心出来たのだけれど、違うのだろうかと考えてしまい、その答えに対しては上手く返事をする事が出来なくて、それを察してくれたのか「参考程度に見て、分からない事があればまた聞け。」と言ってくれたので、その言葉通りにしようと思った。

一度に話して少し頭が疲れてきたので、お茶を飲もうと手を伸ばし飲み始めようとすると。

「―で、単刀直入に聞くが、お前が心寄せる相手に何をしてあげたいんだ?」

その質問は予想外過ぎて、オレは飲んでいたお茶を全て吹き出してしまい、それに加えて喉にお茶が絡んでしまい、とても苦しくて暫く咳き込んでしまう。

オレは自分の事だけで精一杯となってしまって、ずっと落ち着くまでオレの咳の音だけが保健室に響き渡る。

どうにか落ち着いた頃に咳き込みながらも謝りの言葉を伝えた。

「ゴホッゴホッ…すみません!」

別に、とは言ってくれたけれど、オレはその顔を直視出来ない。

オレが咽ている間に、先生はそっと白衣を脱ぎに席を離れすぐに戻ってきて、ちらりとその姿を見ると、少し厳しい顔をしながら眼鏡を外し拭いていた。

その瞬間、オレにぶわっと自分の体に爆弾が爆発したかのような衝撃が起こった様な錯覚が襲う。

だって、だって日頃全く白衣も眼鏡も外した事が無い則井先生が、両方も取って目の前に生徒の誰も見た事も無い様な無防備な姿をオレだけに見せてくれている、この現実が本当に実際起こっているのか自分の正気を疑ってしまう程混乱して、ただただ口を動かす事しか出来なくなる。

「俺はいいから話の続きをしてくれ、昼休み終わるぞ。」

早くしろとは言わないけれど、流石にお茶を吹きかけて良い感情では無い刺々しい言葉に、オレは戸惑いながらも「ハイ。」と答えた。

それでも答える内容が内容なので、先生に伝えても問題無いと思えるような言葉を必死になって探していると、先生は助言をくれる。

「何かをして貰いたいでもいいぞ。」

なるほど、そういう考え方でも良いのか、とオレは受け止めて、一度肺の中にある空気を入れ替えて、オレは自分の口を動かす。

「近くに、いたい…です。」

そう思う、オレは自分の大切な人に対して、遠くで見守るよりも隣に居たいと思うから。

「一緒に過ごせたらとか、話せたらいいなとか…もっとその人の事を知りたいなとか。」

恥ずかしい言葉ばかりかもしれない、けれど。

ここまで来て、嘘は言いたくなかった。

嘘を言って、相手を、自分を騙す様な、そんな事はしたくない。

オレのこの想いが伝わったのか分からないけれど、先生はただ「なるほど。」と答えてくれて、オレはそこでどっと肩の力が抜ける。

そこでやっと自分は体に力を入れ過ぎていたんだと気づいて、野球の試合で何度も緊張する場面を経験したのになぁと自分に対して呆れていると。

「言い難かったな、良く言えた。」

これだけ、たったこれだけの言葉。

それだけなのに。

 

何でこの人の言葉は、オレに力をくれるんだろう。

 

じわりと、勝手に上がってしまいそうになる口角をどうにか元の位置に戻そうと頑張るけれど、どうしても不安定になって、それどころか元の位置さえどこにあったのか分からなくなってしまった。

どうしたらいいんだろう、自分の体なのに制御が効かなくなる状態に慌てていると、助けてくれたのか、無情のお知らせをしてくれたのか、チャイムが鳴り響く。

「…ま、なんだ、その想いが伝わるにしても別の道に行くにしても、その純真さは相手にしっかり伝わるさ。」

つまり、先生にも悪くない印象に見えたのだろうか、と過ったけれど、オレの返事を待たずに先生は教室に戻るよう言う。

もっと時間が使えたら…そう思うけれど、先生はオレに声を掛けてくれた。

「また溜め込みそうになったら、愚痴でも良い、こっちに来ていいぞ。」

まさか、とオレは思う。

てっきりさっきの相談で「今後は専門家の方に相談に行け。」とか言われてしまうのではないかとばかりに考えていたのに。

先生はまだ、オレを突き放す事無く、もっと付き合おうとしてくれているなんて。

「…ありがとうございます!」

あまりに嬉しくて、少し声が上擦ってしまうけれど、その一瞬の恥ずかしさより、今は嬉しさがオレの心を占めていた。

次の約束が取り付けられてのなら、と早々に保健室を出て自分の教室へ戻る。

オレは授業も部活もこの後あるのに、次の昼休みの事で頭がいっぱいになって、足が思わずスキップをしないように気を付けながら歩き始めた。

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