則井先生(4)
教室から帰ってきた園田を見て、俺はすぐに弁当箱を開ける。
お待たせしてすみません、と謝る生徒に俺は変な遠慮はしなくて良いと話す。
「多少授業で縛られてるお前らよりは弁当食う時間は自由だからな。」
生徒が養護教諭の事情なんて知る訳も無いだろうから伝えると、要らない気を回していたのか園田は両肩を下げる。
それよりも、と俺は昼飯を口に運びながらコイツがここに来た理由を聞く。
「で、今日ここに来たのは前の相談の続きか?」
俺からの問いに園田は静かにこくりと頷いた。
「そうか…無理に全部話さなくていい、言える事だけ、答えられる事だけ口にすればいい。」
それと、と更に言葉を重ねる。
「ここで話した事は俺とお前だけの秘密だ、他の教師、生徒には一切情報を漏らさない事を最初に約束する。」
相談事に対して最初に約束事を伝えるのは必須だ。
悩みを打ち明けるという行為は、相手に対して弱みを晒す事でもあり、とても難しい壁だと思う。
だから、打ち明けた事によって余計な心配や考え事をしないよう、相談が終わって頭を切り替える事が出来るよう、俺は口に出す。
「だから、周りに言えない事を言えるだけ言え…俺はそれを肯定も、否定もしない、ただ聞かせて貰う。」
大袈裟かもしれないが、俺の仕事への姿勢はこんな感じだ。
しかし、改まって話をしてしまったからか、また園田の体がカチコチに固まっている事を見て俺は前のめりだった姿勢を変える。
「ま…深く考えずに思った事を話しゃ良いだけの事だ。」
前置きが長くなってすまなかったな、と謝るとその頭が左右勢い良く振った。
「いいえ!…真剣に考えて下さってとてもありがたいです。」
「大袈裟だ、こっちは仕事なんだからな。」
あまり冷やかされるのも好きではないが、尊敬の気持ちを多く向けられても困る、自分はそれに値する人なのではないのだから。
(卑屈と言われる考えかもしれねーが、事実だしな。)
それで、と俺は園田の相談を再開する事にした。
「元々テレビとかで特集されているのを見て、そんな気があるんじゃないかと思っていたんです。」
ぽそり、とその言葉が放たれた。
「周りからどんな女の子がタイプかって言われてもピンとこなかったし…かといってそういう画像みたいなものを見掛けても、正直見るのも嫌ですぐに画面変えたりしてます。」
俺はただ聞く。
コイツがどんな人間で、どんな思いでこれまでを過ごしてきたのかを知る為に。
「そんな時、気になる人が出来て…性別とか関係無く、凄く気になり始めて。」
ぎゅう、とその両の手に力が入り、話している内容が恥ずかしいのか耳まで赤く染まり、そして一層声が小さくなった。
「最初は尊敬だと自分で自分を言い聞かせていたんですが、日に日に意識する度に違う想いになっている気がして…。」
もう口からも湯気が出そうだと感じ、俺はもういいぞと手で合図を送る。
「なるほどな。」
恋愛相談なんて柄ではないが、一度彼の知識がどこまであるのかを知りたいと思い、少し難しい話を出してみる。
「園田くんは…LGBTQという言葉は聞いた事があるか?」
「はい、それこそテレビで見ました。」
なら話は早いと思いながら、簡単に説明をする事にした。
LGBTQはレズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシャル(両性愛者)、トランスジェンダー(性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人)、クエスチョニング(自らの性のあり方について、特定の枠に属さない人、分からない人等)の頭文字を取った言葉で、所謂性的マイノリティー(性的少数者)を表す総称の一つである。
「性的マイノリティー…少数派とは言うが、ここまで幅がある…同じ同性愛者でも体の繋がりだけではなく、心のみで繋がりたい人もいる。」
念の為分かりやすくと思い、詳しく書かれたサイトをそのままプリントした資料を手渡す。
「一つに少数派と言われようが、在り方は様々だ…あくまで、自分に当てはめ過ぎずに見ておいてくれ。」
「…先生、当てはめ過ぎずっていうのは?」
率直な疑問を口にしてきたので、なるべく分かりやすい言葉を選び答える。
「全く同じ人間なんて、この世に居るはずも無いからな…出されたチェックリストすべてペケ付けてやっと同じって訳じゃ無い、つまりは…比べ過ぎると疲れるんだよ。」
この答えに園田は微妙な顔を俺に見せたが、その内分かると思い「参考程度に見て、分からない事があればまた聞け。」と言い一度この話題は置いておく事にした。
「―で、単刀直入に聞くが、お前が心寄せる相手に何をしてあげたいんだ?」
聞いた直後にお茶を飲んでいた園田は、噴き出してしまい、俺の服に茶と唾液が混ざった液体の飛沫が掛かる。
「ゴホッゴホッ…すみません!」
「…別に。」
俺も悪いとは思うが、気分は良くなかったので眉間に皺を寄せてしまう。
一度箸を動かすのを止め、白衣を脱ぎ、眼鏡を拭く事に専念すると、向かいの相手はあわあわと口を開け閉めしていた。
「俺はいいから話の続きをしてくれ、昼休み終わるぞ。」
「あ…ハイ。」
やはり年頃なのかこの手の話題をする時はえらく動揺してしまうらしい、念の為助け舟のつもりで声を掛ける。
「何かをして貰いたいでもいいぞ。」
「そう…ですね。」
ちらりとこちらを伺う視線を投げた後、一度深呼吸をしてから薄い唇が動く。
「近くに、いたい…です。」
思っていた以上の言葉に、今度はこちらが吹き出しそうになったが、こちらの心を知らない園田は、また声を出す。
「一緒に過ごせたらとか、話せたらいいなとか…もっとその人の事を知りたいなとか。」
「…なるほど。」
これ以上はこちらの精神が削れそうだったので、俺は返事でこの告白を打ち止める事にする。
「言い難かったな、良く言えた。」
偽る事無く自分自身の思いを話してくれた事に対して礼を述べると、その顔がパアッと輝いた様に見えた。
何だか笑っているのを堪えているのか、口の端が上がっているのか下がっているのか分からなくなっている。
(どこにでもあるような言葉を掛けただけなのに。)
こんなにも表情がコロコロ変わるものなのかと思っていると、頭上でチャイムが鳴った。
「…ま、なんだ、その想いが伝わるにしても別の道に行くにしても、その純真さは相手にしっかり伝わるさ。」
流石にこれ以上は時間を使えないと考え相談は止める事にして、園田を教室へ移動するよう勧める。
「また溜め込みそうになったら愚痴でも良い、こっちに来ていいぞ。」
「…ありがとうございます!」
キラキラとした瞳は俺を真っ直ぐ見つめ、くるりと体の向きを変え教室へと戻っていく。
座っていた椅子の背もたれにぐっと寄り掛かり、俺は顔を渋くする。
(俺は知ったこっちゃないが…メンタル面で野球部の花であるアイツを支えねぇと、上から非難の言葉を浴びまくるだろうな。)
面倒臭い、とは思いながらもこれから出来る限りの手を尽くした心のケアをしないといけない現実に思わず溜息が出てしまった。
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