則井先生(2)

のりちゃーん、と後ろから声がして俺は顔を顰めて振り向く。

「則井先生と呼べ、ガキ共。」

冷たく言い放ったつもりだが、青春真っ只中のアイツらは「怒られたー。」と軽く笑うだけ。

要らない感情をまた募らせてしまったと、顔を前に戻し始業前の廊下を歩き始めた。

則井一(のりいかず)、自分の名前に不満は一切無い、しかしあのペットに名付ける様なニックネームには反感を覚える。

自分の容姿は、比較的男性にしては細身で、猫背、歳に見合った白髪混じりのそこそこ伸びた髪と眼鏡に白衣を着てるくらいでそんな名前を付けられる筋合いは一切無い。

(そもそもそんなに関わっていないのに、勝手に親しみを持たれても困る。)

芸能人やアイドルではないのだから、生徒相手の様子まで伺うなど馬鹿らしく、最低限のコミュニケーションだけ取れればそれで良いと、教師同士の親睦会で言い放った時は場の空気が止まった様子が見えたが、本心なのだから仕方ない。

暫く歩くも苛立ちの感情は薄れる事は無く、俺は時間を確認して喫煙所に入った。

この学内にある喫煙所は、年々少子化の影響で学生が減り、発生してしまった空き教室を利用して出来たもので、中は広々としている。

加えて、タバコが体に及ぼす悪影響が知れ渡ってから、教師内でも喫煙者は減り、ここを利用する人物も少なく、俺が学内で落ち着ける貴重な場所の一つ…なのだが、今日は先客が居た。

「お、則井先生。」

片手を上げてこちらに挨拶するのは、体育教師の佐久間雄太(さくまゆうた)。

縦にも横にも大きな体格で、いわゆる世間一般が想像する体育系教師そのまま飛び出てきたような快活な性格をしている。

健康そうなその体でも煙を欲する事があるのかと最初ここで会った時は驚いたが、今となっては数少ないタバコ休憩仲間として煙を共に吸っていた。

「どうも。」

軽く会釈をしてから俺はポケットからタバコとライターを出し、火を付ける。

じわり、じわりとタバコに火が移ったのを見て、ライターを仕舞いすぐにタバコを咥えた。

口の中で満たされてゆく煙が、己のストレスを拭い去っていくような感覚に浸っていると、ふと、昨日の事が過る。

『オレ、男が好きみたいです。』

そういえば、と俺は向かいにいる佐久間が野球部の顧問だった事も同時に思い出した。

一度口の中に収めていた煙を吐き出してから、俺は彼に話し掛ける。

「あの…佐久間先生、つかぬ事をお聞きしますが。」

俺の言葉に彼は珍しいとばかりに片眉を上げ「はい。」と返事をした。

「野球部の生徒について聞きたい事があるのですが。」

「…ウチの野郎共が何かしましたか?」

この反応を見ると、日頃から手を焼いている様子が透けて見え内心合掌をする。

「あ、いえ…迷惑を掛けたとかではなく…園田くんという子がいますよね?」

生徒の名前を出すと、拍子抜けしたのか息と共に濃い煙が口から吐かれた。

「ああ、園田!先生にもアイツの良さが伝わってきましたか!」

「よ、良さ?」

こちらの言葉を聞かないままに、彼はその大きな手で拳を作り、急に語り始める。

「最初野球部に入部してきた時はこんなひょろいのが…と心配しておりましたが、本人の努力の甲斐あって大きくなり、高校ニ年今や野球部のエースですよ!」

「はぁ…。」

聞きたい情報と少し違ったが、園田がどういった生徒なのかどことなく伝わった。

あくまで俺の想像でしかないが、この田舎にある男子校の野球部ですくすくと成長し、無事花を咲かせたピッチャーは、周りから色んな将来を期待される…厄介な状況に身を置く事になった奴なのだろう。

(そんな状態じゃ確かに自分の弱みを他の人間に出す訳にはいかないな。)

俺の考えを知る由も無く、佐久間はそのまま口を動かし続ける。

「ストレート、カーブが主軸ですが…肩に負担が掛からない程度に他の投げ方も試したくて…高校ニ年生、まだまだ伸びしろがあるんですよ!」

この辺りでそろそろ話を切らないとタバコ休憩どころか他の時間まで潰れてしまいそうだと考え、俺はすっと時計を指差す。

「すみません、そろそろ。」

「ああ、すみません…今後とも応援よろしくお願いします!」

何だか勝手にファン認定されている様子だが、今後次第で貴重な情報源になりそうだったので、そのまま訂正することなく俺は喫煙室からさっさと退出した。

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