紫煙の赤眼

 黒髪少女は大牙たちの背後に現れたソイツを知っていた。

 太古の昔に存在し、炎城たちの目の前に突然現れた…漆黒の略奪者_ヴェロキラプトル。

 ソイツが再び椿たちの前に現れたのだ。

 だが…椿はある違和感を、いや明確にソイツが略奪者だとは思えなかったのだ。

 なぜなら…


 「紫…?」


 椿たちの目の前に現れたソイツは、全身が朝顔あさがおのような薄紫色だったのだ。

 しかも身体が透けているのか、向こう側が見えてしまっているという異様な姿だ。

 そして生気の消えた醜悪しゅうあくな白眼は、憎悪に満ちた真っ赤な赤眼せきがんへと移り変わり、明らかに先程対峙した略奪者とは違う風格に、椿は戸惑いを隠すことが出来なかった。

 

 (あんな形態もあるの…?待ってそれよりも…あれは私達を襲った奴と同じ…?まさか…龍…ッ!)


 次々に襲ってくる理解の追いつかない状況に、椿は嫌な予感を頭に過ぎらせる。

 しかし…


 (…落ち着きなさい椿。よく見るのよ。)


 ぐちゃぐちゃになった頭を、椿は深呼吸1つで落ち着かせ、目の前の情報を冷静に分析し始めた。 

 

 (形は同種だけど、よく見れば大きさが一回り小さい。多分、別の個体ね。そうなると、龍はまだ生きている可能性が出てくる。ならまずは、今危機に立たされてる大牙を救うことが最優先。思い出すのよ。龍とあの怪物の戦いを…ッ!)


 だが椿は忘れていたのだ。

 対処するべきことは、これだけではないことに…。


 「キャァーーーー!!」


 「おい嘘だろ!?ここは安全じゃなかったのかよッ!!」


 「……ハッ!」


 周りから次々に聞こえてくる怒号や悲鳴。

 突然現れた略奪者に驚き、避難者たちがパニックを起こし始めたのだ。


 だが無理もない。


 外であれだけの地獄を体験し、ようやく落ち着ける場所に辿り着いたと思えば、その安住あんじゅうの地にすら元凶の生物たちが入って来たのだ。

 これでパニックになるなと言う方が無理な話だろう。


 (マズいッ!このままじゃッ。どうしよう…。どうすれば…。大牙を先に…。ダメだ。そしたらパニックを収めれない…。ならまずこの場の集収をッ!でもそしたら大牙が…ッ!)


 再びパニックに陥る椿。

 突如として選択を迫られた少女は、どちらに進むべきか決断できないでいた。

 しかし時間は無い。時には、残酷な決断をしなければならないこともある。

 もしかしたらそれは…。


 「大丈夫ですッ!!」


 「……ッ!?」


 ぐちゃぐちゃになった椿の思考もまとめて吹き飛ばすようなハスキーな声。

 ハッと気がついた椿が声の方を見れば、そこには中性的な魅力を放つ栗髪の少年がパニックになる避難者に向けて叫ぶ姿があった。


 「耕太…。」


 ポツリと呟く椿。そんな彼女に彼は視線を一瞬向ける。

 その目はまるで、任せてと言っているようだった。


 「避難者の皆さんは落ち着いてホールに集合して下さい!特にお年寄りやお子さん、怪我人の方は優先的にホール内に誘導させていただきます!!それから先程、ワタシが指示を出したグループの方は作戦通りに動いて下さい!慌てず迅速にッ!大丈夫です!必ずワタシたちが助けます!!」


 「社員の皆さんは避難者の誘導をお願いします。それとエントランスホールでの場所の確保も頼みます。時間はこちらで稼ぐので、慌てずに大丈夫です。」


 「分かりました。お任せ下さい。」


 栗髪少年の力の籠もった叫びと演説は、パニックになりかけた避難者たちを少しずつ落ち着かせていった。

 そしてそれに続くように植木も社員の人たちと、的確に避難誘導を始めていた。

 そのお陰か避難者たちは、多少のパニックは致し方ないが、迅速に動くことが出来ている。

 流石は生徒会会長と副会長だ。


 (ありがとう耕太。これで…。)


 頼もしい人間に囲まれ、そのお陰で冷静になった椿の頭の中では、視界に入った情報が次々と最適化され、莫大な記憶の中からこの状況に対しての解決策が構築されていく。

 そして…


 (…うん。この方法なら…ッ!)


 「うわぁあッ!?」


 「……ッ!?」


 椿が丁度策を構築したと同時に、大牙の方に動きがあった。

 何と大牙たちの背後にいたラプトルが、後ろ脚のシックルクローをギラつかせ飛びかかろうとしていたのだ。

 このままでは下山と運ばれてる怪我人の男性が殺されてしまう。


 (迷ってる暇なんて無いわッ!!)


 「アリサッ!あれをッ!!」


 直ぐ様決断した椿は、近くに居た篭旗るばたアリサに指示を飛ばす。

 一瞬何のことか分からなかった篭旗であったが、直ぐに椿の意図を汲み取ると、自分たちが居たテントまで駆け出し、その近くに立てかけてあった物を掴むとそれを無造作に投げた。


 「お姉様ッ!!」


 クルクルと回転しながら飛んでくるそれを椿は見事にキャッチすると、袋状になっているようで中から何かを2つ取り出す。


 (タイミングは一瞬…。外せば終わり…。でも…私ならッ!!)


 そして椿は、流れるような動きである構えを取った。

 それは長年に渡り染み付いた、彼女のルーティンとも言える動き。

 腰を落とし、左手に持つ緑色の小さな球体を数回、地面にバウンドさせながら視線で狙いを定める。

 

 (大牙…貴方なら…ッ!)


 心で叫んだ時、椿は左手にある球体を真上へと投げた。それと同時にラプトルが、大牙たちに向け飛びかかる。


 ラプトルの鉤爪が大牙たちに到達するのに、もう秒も無かった…。


 しかしそれよりも早く、落下してくる球体を椿は、右手でグリップを軽く握り球体の落下に合わせ右肩を後ろに引く。

 

 (このタイミング、この角度ッ!ジャストッ!)


 一瞬の貯めを作った途端、綺麗なフォームで構えていたラケットを上から下に振り下ろした。

 ポカンッと独特な音を出しながら、打ち出されていく硬式のテニスボール。彼女が振るったのは、テニスのラケットだったのだ。

 を描かず一直線に飛んでいくボールの標的…。それはラプトルの頭部…ただ一点のみ。


 だが距離は約25メートル。


 球技において、速さを重視すれば目標への到達は早くなるだろう。が、強くする分、軌道がズレる確率が高くなる。逆にコントロールを重視すれば、球足が遅くなりラプトルの攻撃が先に大牙たちに到達してしまう。

 並大抵の攻撃では、今の大牙たちを救い出すことなど出来るはずがない。


 そう…並大抵なら…。


 グルラッ!?


 そう思った時、大牙の真後ろでラプトルの驚いたような声が響く。

 だがそれでも、大牙は振り返らない。

 代わりに彼は僅かに笑みを溢し、たった一言呟いた。


 「見事。」


 そうだ…忘れていた。

 確か彼女は…。

 彼女が所属していたのは…。


 「雄偉高等学校ゆういこうとうがっこうテニス部主将、大鷹椿おおたかつばき。現主将の私を…舐めないでッ!」


 そう名乗った時には、椿の放ったテニスボールがラプトルの頭部に直撃していた。

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