年季がちげぇーよ!

 椿を逃がした直後。


 俺は、まるで生き物とは思えない気色の悪い動きを見せる漆黒の略奪者に、鬼気迫る表情で獰猛どうもうな獣の如く殴りかかった。

 それに対してヤツも、応戦するように飛び掛かり、凶悪なシックルクローを突き立てる。


 武術の心得はあった。

 小さい頃、ニチアサヒーローやハリウッドヒーローたちに触発された俺は、母親に頼み込んで柔道教室に通ったりしていたし、日々の筋トレや鍛錬も欠かさなかった。


 全ては…憧れのヒーローに近づくために…。


 だから人相手、獣相手でも良い分に勝負は出来ると思っていたのだ。

 が…相手はもはや、人でも獣でもない…別の何かだと、俺は遅れて痛感する。


 「ゼアッ!!!」


 俺は気合を込め腰を捻り、右腕を回転させながらまるでライフルの弾丸のように拳を突き出す。

 腕を回転させることで突き技の速度と安定性を上げ、腰を切ることで突き技の威力と重さを上げた俺の拳は、真っ直ぐ略奪者の一点を目掛けた。


 狙いはヤツのシックルクローだ。


 ヴェロキラプトルの最大の武器と言われるシックルクロー。

 獲物を狩る際に、脚の指で最も発達したこの武器で、獲物の身体を貫き仕留めていたという話は有名だ。

 この武器で攻撃されれば、普通の人間であれば簡単に身体を引き裂かれてしまうだろう。

 だが俺はその最大の武器こそが、ヤツの攻撃を防ぐ突破口だと考えた。


 ヤツの鉤爪がこちらを切り裂く瞬間、獲物を仕留めるために必ず鉤爪を上げなければならない。

 そしてその上げた一瞬、そこに重さを加えた俺の拳を叩き込むことで、鉤爪の指の部分を逆側に折り、最大の武器を無力化しようと考えたのだ。

 しかし鉤爪を上げる瞬間など、ほんのコンマ1秒の世界、到底出来るはずもないし、所見で行うなどほぼ神業レベルだ。


 だが俺は、そこに賭けるしか無かった。

 それが唯一の突破口だと信じていたから…。

 幸いさっき椿を襲った時と同じ体勢を取っているヤツが、どのタイミングで上げるかはあの時確認済みだ。

 だからこそ、俺は迷いなく渾身の拳をヤツに叩き込もうとした。


 しかしその時、不思議なことが起こった。


 ブシャッ!


 「は…?」


 俺の拳がヤツの鉤爪を捉えようとした瞬間、突然俺の拳から鮮血が吹き出したのだ。

 一体何が起きたのか分からないと、俺の思考が隙を見せる。

 その一瞬の隙に気づいた略奪者は、不気味に笑みを浮かべると、空中で攻撃を仕掛けていた体勢からそれを解き、身体をグルっと前転させた。

 俺の頭上を回転しながら飛び越していく略奪者。

 

 (何で…攻撃を止めた…?)


 確かに、あのまま攻撃していれば、俺を仕留めることが出来たかもしれない。にも関わらず、ヤツは攻撃を止めたのだ。

 次々起こる予想外の出来事のせいで、ヤツの狙いに気がつくのに俺は遅れてしまい、

 

 「……ッ!?しま…ッ!ガハッ!?」

 

 とてつもなく重い何かが俺の背中にぶつかったと認識した時には、俺の身体は前方に吹き飛び、硬いアスファルトの上に叩きつけられた。

 幸い受け身を取り、頭への強打を何とか回避した俺であったが、直後に背中に強烈な痛みが走る。


 「野郎…ッ!尻尾でッ!!」


 略奪者の狙いは、回転によって生みだされた遠心力を使ったテールスイングだった。それはさながら人が使う武器の中の、むちに近い攻撃だ。

 しかし今回の攻撃は規模が違う。

 普通の鞭は形は様々だが、大抵が数センチほどの太さの物で攻撃するが、ヤツが放った尻尾は綱引きの綱とほぼ同じ太さだ。

 それをもろに喰らった俺は、まるで自動車に撥ねられたような衝撃を受けてしまったのだ。

 

 クラカカカッ!


 地べたに這いつくばる俺を、ヤツは無様とばかりに嘲笑う。

 その行動を見た途端、俺はあの瞬間、ヤツが何故攻撃を途中で止めたのかを理解した。

 俺は全身に走る痛みに耐えながら、引き裂かれ出血する右手を左手で抑え、どうにか身体を起こす。

 その間、略奪者は身体をゆらゆら揺らしながらバカにしたような態度で俺が立ち上がるのを待っていた。

 

 「クソッ…。舐めやがって…。わざと…かよ…。」


 ヤツは…楽しんでいるのだ。

 さっ引き裂かれ出血する右手を左手で抑えた。きの攻撃で、ヤツは確実に俺を殺せたはずなのにそれをしなかった。

 ただ殺すのではない。人が苦しみ悶える姿を見て、快楽に近いものを感じている。まるで愉快犯のそれだ。

 いや…。

 

 (んな生易しいもんじゃねぇ…。コイツは…。)


 俺は身体をフラつかせながら、ようやく立ち上がる。だがその瞬間、見計らったかのように略奪者は俺の懐に入り込み、次は横に薙ぎ払う形で俺の腹に強烈なテールスイングを叩き込んできたのだ。


 「カハッ!?」


 避ける暇なく腹に叩き込まれた俺の身体はくの字に曲がり、再び宙を舞って硬いアスファルトの上へと叩きつけられる。

 意識が持っていかれそうになる俺だが、なんとか耐え忍び、腹の中の物を吐き出しながら、再び立ち上がった。

 しかしまたしても、そのタイミングでヤツは俺の今度は真横に潜り込むと、横腹へと3度目の強烈なテールスイングを叩き込む。

 

 「グ…ッ。ゴフッ!!」


 手も足も出ないとはこの事だ。

 三度吹き飛ばされる俺は、またアスファルトに叩きつけられ、今度はとうとう口から血反吐を吐き出した。

 衝撃で意識が朦朧とする中、俺はもう…ただ気力だけで立ち上がろうとしていた。


 (コイツは…イカれてんだ…。人を…ただの玩具おもちゃとしか…思ってねぇ…。)


 その姿を見た略奪者は、嬉しそうに笑みを浮かべると、タイミングを見計らうように尻尾をブンブン振り回す。

 

 (遊び尽くして…それで死んだら…次の玩具を探しに行く…。)


 俺は片膝立ちになり、足を震わせながらなんとか履いてる靴底をアスファルトに付け、ゆっくり膝を地面から引き離す。


 (そうやって…乾きを知らない…愉悦を求め続けてんだ…。)


 俺が立ち上がりかけてたタイミングで、ヤツはまた同じように俺の懐へと飛び込み、今度は心臓のある胸を狙って鞭を振るう。


 (でも…気づいたことが…1個だけある…。)


 次にコイツのテールスイングを喰らえば、俺はただではすまないだろう。いや、確実に死ぬ。

 多分コイツもそれを分かっているから、トドメを刺しに来たのだ。

 もう俺自身に、回避する気力や体力など残ってはいない。

 そう…思っていたのだが…。


 (多分俺も…イカれてる。)


 ドゴッ!!


 駐車場内に鈍い音が響き渡った。

 誰も見ていない人と獣による死闘。いや一方的なアソビしは、遂に終わりを迎えた…。

 いや…。


 クラッ!?


 恐らく漆黒の略奪者にとっては、それは予想外の光景だっただろう。

 その証拠にヤツは、先程の笑みを引っ込ませしかめたように顔を歪ませていた。


 「テメーの攻撃は…自動車並みの威力があるみてぇーだが…。こちとら毎日…ダンプバカ相手にぶつかり稽古してんだ…。年季がちげぇーんだよ…ッ!!」


 格下だと思っていた。ただの玩具だと思っていた矮小わいしょうな生き物。

 ソイツは自分が放ったテールスイングスイングをガッチリと胸の所で両手でホールドし、満面の笑みでこちらを見ていた。

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