第4話 漆黒の略奪者

略奪者《ラプトル》

 ヴェロキラプトル。


 約8300万年から約7000万年前、中生代ちゅうせいだい白亜紀後期はくあきこうきの東アジアに生息していた、略奪者の名を冠した小型の肉食恐竜。

 肉食恐竜の中でも社会性のある恐竜で、獲物に対して集団で狩りをする特徴がある。

 そしてこの恐竜の最も恐ろしい能力は、知性、攻撃性、俊敏性の3つを兼ね備えているところだ。

 その知性で仲間と連携、時には罠を張り的確に獲物を誘導。

 その攻撃性から、牙による噛み付きや長い前脚にある鉤爪での攻撃はもちろん、ヴェロキラプトル最大の武器であるシックルクローと呼ばれる後ろ脚の最も発達した1本の鉤爪で、誘導した獲物を的確に仕留めるのだ。


 だが忘れるな。コイツらの武器はそれだけじゃない。


 何せ時速60キロ。車並みのスピードで追いかけてくる俊敏性も持ち合わせているんだからな。

 誰一人として逃さないという、まさに太古の殺戮兵器さつりくへいきだ。

 

 「…ラプトルッ!!」


 そして俺の目の前には、その太古の殺戮兵器がこちらを嘲笑あざわらうように見ていた。

 現代に住んでいる俺達にとっては異形の生物。決して交わることのない存在のはずが、まるで映画の世界に引きずり込まれたかのように目の前に立っている。


 幼い頃、ある戦隊ヒーローの再放送を見た時、俺は恐竜に興味が湧き電子書籍やネットで調べまくっていた時期があった。

 そのお陰か、恐竜の特徴や習性はある程度理解しているつもりだ。

 しかしに落ちないことがある。


 それは大きさだ。


 某有名映画では普通の成人男性並みの体高で描かれているヴェロキラプトルであるが、あれはデイノニクスと呼ばれる全く別の恐竜をモチーフにしていたと言われている。

 理由としては、当日ヴェロキラプトルとデイノニクスは同じ種だと考えられていたからだ。


 だが今ではその説は否定されている。


 実際は大型犬ほどの大きさしか無かったとされているし、全身は羽毛で覆われていたらしい。

 だが、今俺の目の前にいる漆黒の恐竜は、全身に羽毛が生えていることは事実通りだが、本来の大きさより遥かに大きい。

 目視では体高は2メートルを超えるのではないか?

 その大きさだけでも、俺の身体を萎縮させる程の存在感を放つ略奪者ヴェロキラプトル

 だがそれ以上に、俺はある事実に気が付き明確な脅威を覚えたのだ。

 それは…


 (コイツ…ッ、俺達の裏を掻いてきやがったッ!!罠を張って…扉をッ!!)


 さっき下山に会って耕太の指示を聞いた時、俺は考えたのだ。


 “本質は普通の動物と変わらない。だから扉を開けて中に入る発想はないだろう”と…。


 だから車両入口が侵入経路になる可能性が高かった為バリケードを増強し、非常口2つと、エレベーターホールは脱出時の避難経路くらいにしか考えていなかった。

 その裏を、奴に完全に欠かれた。


 略奪者は扉を自分では開けることが出来ない。


 ならどうするか…?簡単だ。


 開けれないなら、


 人の声に似せた音を出し、さも扉向こうで必死に逃げてきた人がいると錯覚させ、後は助けに入ろうと扉を開ける人を待てばいい。

 そうすれば、面倒なバリケードを抜けるよりすんなり侵入することが出来るのだから…。

 

 (いやそんな事考えてる場合じゃねぇ!こっからどう切り抜けるかを考えるのが先だ!ここには大勢の避難者がいるんだ…。皆を逃さないと…ッ!)


 俺は瞬時に思考を切り替え、目の前でクラカカカッと喉を鳴らすヴェロキラプトルを見据える。 

 だがどれだけ考えようとも、身体が動かなければ、声が出せなければ意味がない。

 そんな事は分かっている。しかしこのまま何もしなければ、俺は真っ先に殺されるだろう。そして俺を殺し終わった後、ヤツが向かう先など明らかだ。


 (椿…ッ!)


 頭の中で、アイツの顔がチラついた。

 その時だ。


 「大丈夫!?龍!何だかスゴい音か聞こえたわよ!」


 「……ッ!!」


 この場で、絶対に聞こえてほしくなかった声が、俺の耳には聞こえた。

 幻聴であって欲しかった。

 しかし動かなくなった身体で唯一許された目だけを声の方に向けると、そこに居たのは紛れもなく俺の知っている黒髪少女の姿だった。


 (椿ッ!?何でこんな所にッ!!)


 焦りが、困惑が、俺の中を支配する。

 逃げろと言おうにも、動くことも声を上げることも出来ない。

 唯一出来るのは、目を使って合図を送ることだけ。

 幸いにも椿とヴェロキラプトルの間には駐車場を支える支柱が設けられており、ヴェロキラプトルには椿の姿は見えていない。

 だが逆に言えば、椿もこの柱のせいでヴェロキラプトルを視認出来ず、今何が起こっているのか状況を掴めないということになる。


 (頼む!気づいてくれ!)


 「ちょっと…何とか言いなさいよ…。ねえ、何があったの?」


 しかし健闘虚しく、椿は何も喋らない俺を心配し、着実に俺の元へと近づいてくる。

 あと数歩歩けば、椿の姿がヴェロキラプトルの視界に入ってしまう所まで来た時、先にヴェロキラプトルに反応があった。


 クラカカカ…


 (何だ…?何を…何をしてやがる?)


 静かに小さく鳴いたヴェロキラプトルは何故だか視線を俺から外し、後ろ脚を軽く曲げ上半身をアスファルトに付くスレスレまで低く下げ、しかし頭部はしっかりと前を向く形となった。

 この形を、俺は見たことがある。

 それは野生動物のドキュメンタリードラマに出てきた光景だったはず…。

 肉食動物が獲物を狩る際、体勢を低くし獲物に気づかれないようにする動きと酷似していたのだ。

 つまりこの動きは、獲物を狩る肉食獣のそれだ。

 そしてその肉食獣が狙う視線の先は…。


 (ヤメロ…よせ…。止めてくれ…。頼む!来るな椿!来るな!!)


 だが心の中で無様に叫び散らかす俺に、運命は見向きもしなかった。


 「ねえ、本当に大丈夫?体調でも悪いの?もしそうなら大牙に…。」


 グルッ!!


 「……え?」


 椿がその一歩を踏み出した瞬間、狩猟体勢しゅりょうたいせいに入っていたヴェロキラプトルが都合の良い獲物を喰らおうと椿に襲いかかる。

 椿は一体コイツが何者で、何が起こっているのか分からないと言った表情で固まっていた。

 恐らく後コンマ数秒で、ヴェロキラプトルは椿を食い殺すだろう。


 時間が無い。


 その時は刻一刻と迫っている。早く助けなければ…。

 しかし今の俺には、この後起きるであろう未来を防ぐことなど、出来るはずもなかった。

 所詮俺は、ヒーローを夢見るだけの、何の力もないただの高校生なのだから…。


 (だから…どうしたってんだよ…。力があるから救うってのか?力が無いから救わないのか?そんなの…関係ねぇーだろ…。ヒーローは…例え変身ベルトが無くたって…助けを求める奴に手を差し伸べるもんだろーが!!)


 バチッ!


 その時、


 《面白いな…小僧…。》

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