悪夢

 _何だ…何が起きた…?


 突然ぼやけた視界が広がり、俺は訳が分からないまま周囲を見渡した。

 だが、ぼやけた世界の中では、一体何が起きているのかが分からない。

 しかも鼓膜も破れているのだろう。

 両耳がキーンと嫌な音を鳴らし続け、周囲の音すら聞き取れなくなっていた。

 唯一分かったのは、現在自分はうつ伏せで倒れている。それだけは理解できた。

 が、何故自分が倒れているのかが分からない。

 しかも倒れた場所のアスファルトは砕けている。


 _何で俺…倒れて…?そうだッ!まずは状況をッ!……イツッ!


 立ち上がったと同時に感じる、全身を貫くような痛み。

 俺は思わず自分の腹に手を当ててしまった。

 すると、何やら温かいものを感じ、俺は今腹に当てた自分の手を見て、そして顔を青ざめさせる。


 _何だよ…これ…。


 それは手にべっとりとついた、真っ赤な血だった。


 _一体誰の…?いや、これは…。


 紛れもなく、自分の血だった。

 腹部から止めどなく溢れ出している。

 この出血の量では、確実に俺は助からない。

 突然理由の分からない状況に追い込まれ、突然自分の死を突きつけられるのは、何とも理不尽で不条理だ。

 俺はこうなった原因を探すべく、ぼやけた焦点を合わせるように目を細め、その先の世界を見渡す。

 すると、ようやくぼやけていた視界が戻り、世界がクリアになった。

 これで原因が分かる。そう思い俺は目を見開き、周囲を確認したが…。


 _何だよ…これ…。何が…どうなってんだよ…。この…惨状は…一体…。


 視界が戻ると同時に聴覚も戻り始め、周囲の音も鮮明に入り始めた。

 しかし聞こえてきたのは、けたたましく鳴るサイレンの音と、立ち上る炎の音。

 そして沢山の悲鳴。

 クリアになった視界に現れたのは、沢山のビル群、瓦礫の山、燃え盛る自動車や建物。


 まさに…地獄だ。


 _俺は…夢でも見てるのか?だって…こんなの…あり得るはずがねぇ。あり得るはずがねぇんだッ!!ここは…ッ!!


 『たす…け…て…』


 俺が現実から目を背けた時、背後から微かに声が聞こえた。

 か細く、今にも力尽きそうなほどの、聞き覚えのある声が…。


 _……ッ!?


 俺がバッと振り返ると、そこに居たのは…。


 _…大…牙…?


 壁に寄りかかり、うなだれた状態で崩れている俺の親友が…そこに居た。

 地面には折れて砕けた愛用の竹刀が無惨に転がり、大牙の身体の至る所には生々しい傷や血痕が付着している。

 何かに襲われたのか?それとも何かと戦ったのか?

 分からない…分からないが…。

 大牙をこんな目に遭わせたのは…多分コイツだ。


 グルルルルルッ


 低く鳴る唸り声。

 その声だけで、俺の足は地面にへばり付いたように動かなくなった。

 まるで、金縛りにでもあったかのように…。

 それほどまでに、俺の目の前に現れたそれは、とても恐ろしかったのだ。

 黒く巨大で、恐るべき何か…。

 俺が言語化出来るのはそれだけだ。

 何故ならそれは黒いモヤに覆われ、姿が見えなかったから。

 しかしだからこそ、その漆黒の姿のせいで、明確に見えるものがあった。

 それは…


 _……ッ!!椿ッ!!


 黒いモヤの中腹に、まるで鷲掴みにでもされているように宙に浮く、幼馴染みの黒髪少女。


 『たす…けて…龍…。』


 微かに聞こえる椿の声。

 最初に聞こえた声も、椿から発せられた声だ。

 早く助けなければ、コイツは確実に椿を殺す。

 

 助けなければッ!助けないとッ!助けるんだッ!俺がッ!!


 リゴーンッ!リゴーンッ!リゴーンッ!


 俺が決意を固めたと同時に、何処かで聞いたことのある鐘の音が響き渡り、その地獄のような世界と俺を眩しいほどの光で包みこんだ。

 そして消える直前、再び聞いたことのある声が響く。


 『汝の願いは…何だ?』


○◆○◆○◆○◆○◆○◆○◆○◆○◆○◆○◆○


 「……ッ!!」


 俺は目を覚まし飛び起きた。

 直ぐに周りを確認するが、そこは至って普通の自分の部屋だ。

 あの地獄も、あの黒いモヤもいない。

 俺は恐る恐る自分の腹に手を当ててみたが、止めどなく血が流れるほどの怪我もしていなかった。

 

 (…夢…?)


 そう考えるのが妥当だろう。

 だがそれだけでは片付けられないほど、あの夢はリアルだった。

 現に俺は全身汗で濡れ、心拍数も上がり過呼吸寸前だ。

 どうにか深呼吸をし、息を落ち着かせる。

 しかしいくら落ち着かせても、あの惨状が脳裏から離れない。


 (あの黒いモヤ…一体何だったんだ?)


 俺達の前に立ち塞がり、椿を殺そうとしたあのモヤ。

 その正体は、今考えても分からない。

 何かの暗示なのか?それともただの夢なのか?

 生憎俺には、その答えに辿り着けるほどの頭はない。

 

 「全く…夏休み初日だってのに、嫌な夢だ。」


 俺はそう吐き捨てると、ベッドの端においてある某ヒーローの目覚まし時計を手に取り、現在の時刻を確認する。

 今は西暦2029年7月21日土曜日の朝7時。

 そう…今日から世の学生たち待望の夏休み。

 夏と言えば…。


 海!山!スイカ!BBQ!夏祭り!浴衣美人!


 どれも心躍るワードたち。

 まあ膨大な量の拷問宿題を抜きにすれば、俺のような学生たちにとっては正に天国と呼べる時間だ。

 学生の時でしか味わえない、限りある時間。

 自分のやりたい事を全力で楽しみ、それを仲間たちと共有出来る日々。

 そんな時間の始まりとなれば、俺の心が高揚しないはずがない。

 それに今日は…


 「今日は流石に遅刻できねーな…。」


 バシンッ!


 俺はてのひらで両頬を叩くと、うしっと言いながら勢い良く立ち上がる。

 そして部屋に設けられたクローゼットを乱雑に開けると、中にあった衣装ダンスの引き出しをこれまた乱雑に開け、収納されている服を引っ張り出し始めた。


 そしてベッドの上に服をまき散らす。


 ぶっちゃけいつもは半袖や短パンで生活しているので、服装なんて気にしたこともない俺だが、今日は特別だ。

 やけに多い服と睨み合いをし、どれを着ていこうか?と頭を悩ます。

 因みに服装に鈍感な俺がこれだけ服を持っている理由は、うちの母親が、龍ちゃんに似合いそうな服あったから買ってきちゃった♪と、毎度買い物に行くたびに嬉しそうに買って来たのが原因だ。


 度々注意はしていたが、龍ちゃんが喜んでくれると思ったから…と、目をウルウルさせ俺が根負けする事が大抵なので、気づけば衣装ダンス2つ分が埋まるほどの量になってしまった。


 (そろそろ本気で止めさせないと…俺の部屋がまるまる衣装部屋になっちまう…。ん…?)


 唐突に…本当に唐突に、衣装ダンスを漁っていた時に現れた、フリフリのメイド服。

 しかも多分…サイズ俺に合わせてる…。

 

 「何も見なかったことにしよう…。」


 俺は目を瞑りそっと今出した服を、タンスの奥の方へと永久封印した。

 しかしその時、俺はある服を見つけた。


 「これは…。」



 「あら龍ちゃん、おはよう。今日は随分と早いのね。あら?何処かへ出かけるの?」


 身支度を済ませた俺がリビングへ降りると、台所の方からあどけない声と共に、エプロン姿の母_卯月うづきがトコトコと出てきた。

 そして俺の服装を見るなり、今から俺が外へ行くことを瞬時に察したようだ。

 

 「はよ!ああ、大牙たちと遊びにな。」


 「そうなの、大牙ちゃんと!でも夏休みだからって、あまり帰りが遅くなっちゃダメよ。」


 「わーってるよッ。ちゃんと日暮れには帰ってくるからッ。」


 俺はテーブルに並べられた母さん力作の朝食を食べながら、今日の予定を母さんに説明する。

 母さんは心配性なので、そこんところも説明しておかないと、後で鬼電されてしまうのだ。

 朝食を終え、俺は素早く片付けをし、玄関へと急ぐ。


 「あれ龍ちゃん、その服…。」


 「ん?何?」


 「う、うんうん…ッ!何でもないよッ!気を付けて行ってきてね!」


 母さんは俺の服装を見て何かに気がついたのか、驚いた表情で何かを聞こうとしていたが、その時の俺は急いでいたので、母さんが何を言おうとしたのか聞き取れず、不意に後ろを振り返った。

 しかし母さんはやっぱり何でもないといった表情で、俺を送り出す。


 俺が着ていたのは、赤い色に黒色のラインが入ったシンプルなデザインの半袖パーカー。

 小さい頃母さんと買い物に行った時、俺がひと目で気に入り、母さんが初めてプレゼントしてくれた服。

 中学2年の時に着るのを止めてしまい、それ以降はタンスの奥へとしまい込まれていたものだ。

 高校生になった俺でもまだ着れるのか?と心配したが、中学まで何度か大きめに仕立て直してもらっていたので余裕で着ることができた。


 何だか久しぶりだ…。


 そんな思いにふけり、俺は見送る母さんの顔を見ながら笑顔で言った。


 「おう!行って来ます!」

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