可愛い女の子だと思った?

 ツンと香る薬品の匂い。

 それと微かに聞こえる物音で、俺は目を覚ました。


 まだ完全に覚醒しきっていない俺は、やずかに開いた目で周りを確認する。


 白い天井に風になびくカーテン。

 周りには木製の大きな棚がいくつも置かれ、その中に液体や固体が入ったびんなどが沢山並べられている。


 ここは俺のよく知る、学校の保健室だ。


 何でこんな場所に?と朧気おぼろげながら考えたが、鼻先に感じた微かな痛みで、ここに来る前の出来事を思い出す。


 (確か…椿に殴られたんだっけ…?)


 ギリギリ遅刻を回避できると勢い良く教室に飛び込んだまでは良かったが、その時、幼馴染みの大鷹椿おおたかつばきと運悪く鉢合はちあわせわせをし、事故とはいえ椿を押し倒す形となってしまった。

 しかも椿の胸を揉むというおまけ付きだ。

 俺は、何やってんだよと左手で顔をおおいながら、未だに感触が残る右手を眺める。


 「アイツ…意外とあったな…。」


 我ながら最低だなと、苦笑いを溢す。

 そんな時だ。


 「あれ?龍君!目を覚ましたんだね!」


 突然聞こえてきたハスキーな女の子ボイス。

 まさかこの俺を心配して駆けつけてくれる女子が…!?と、再び我ながら欲に忠実ちゅうじつな反応を見せ、声の聞こえた方に視線を向けた。

 俺が寝ているベッドの近くに、小柄な誰かが立っている。

 栗色に近いショートカットに、クリっとした可愛らしい瞳。何処か小動物を思わせる華奢きゃしゃな身体付き。

 そんな小柄な少女が俺の前に立っていた。

 俺はそんな彼女の姿を見た瞬間、期待の眼差しから急激にションボリとした表情へと変わっていった。


 「何だよ…耕太こうたかよチキショー…。」


 「ん?どうしたの龍君?」


 少し前かがみになり少女のような仕草をするこの人物は、クラスメイトで友人の梅宮耕太うめみやこうた。れっきとした男である。

 見た目も女性に近い顔だが、れっきとした男である。

 もう一度言う。

 男である。


 「いや、何でもねーよ。」


 「そう?なら良かった!」


 俺は不貞腐ふてくされながら返答をし、俺の気も知らず、耕太は満面の笑みでこちらを見てきた。

 本当にコイツは男なのかと疑うときがあるが、前にコイツともう1人で銭湯に行った時、しっかりとコイツにも立派なイチモツがあることを確認しているので、最近では俺自身の中でコイツは男認定されつつある。


 しかしこんな見た目ではあるが、意外とすごいヤツで、1年生ながら現在この学校の生徒会長を務めている実力者だ。

 何故入学したての1年生が生徒会長になれるのと聞かれるが、ここは実力主義を掲げている学校だ。

 才能があり実力があれば、誰でも這い上がることが出来る。


 その実力で、コイツは今の役職を獲得したのだ。

 だからこそ俺は、コイツの事を素直に尊敬している。

 こんな…顔を覗き込ませながら胸元をチラつかせる仕草を平然とする奴でもだ。


 「あれ?龍君どうしたの?顔赤いよ?」


 「お前もうどっちかハッキリしろ。」


 「へ…?」


 ある程度落ち着いた所で、俺は耕太にあれからのことを聞いた。

 それに対して耕太は快く話してくれた。


 「えーっとあの時はね、椿ちゃんが龍君に鉄拳をお見舞いして、その後龍君が廊下側に吹っ飛んじゃったんだけど…。」


 そのことは覚えている。

 強烈な椿の拳に俺は気絶させられ、恐らくその後この保健室に運ばれたのだろう。

 

 「そこにアリサちゃんが飛んできて、龍君に飛び蹴りをしていたね。」


 「ちょっと待て。アリサって…篭旗るばたアリサのことか?!アイツ2つくらい隣のクラスだろ!何でタイミングよく飛び込んできてんだよ!」


 「何か…お姉様に危機が迫っているのを感じました!って直感的に思ったらしくって、教室を飛び出したらそのタイミングで龍君が廊下にはじき出されていたから、これも直感で龍君が原因だと思って思わず蹴りを入れたらしいよ。」


 なにそれ怖い…。

 俺は身震いし、顔を青ざめさせた。

 そう言えば気絶する直前に左頬に強い衝撃を受けた気がしたが、あれはアリサの飛び蹴りが原因かよと、今になって理解した。


 篭旗るばたアリサ。

 俺たちと同じ1年生で、確か椿が所属するテニス部のチームメイト。

 狂信的なまでに椿を慕っており、同じく椿を慕うファン的な人たちのまとめ役でもあったはずだ。

 同い年であるにも関わらず、椿のことをお姉様呼びするのは、その表れなのかもしれない。

 因みに椿自身はお姉様呼びを止めさせようと必死になっているが、アリサの意志が硬すぎてなかなか直してくれないらしい。

 アイツも苦労してんなーっと、俺は遠い目で椿を応援した。


 「まあいいや。アクシデントはあったが、俺はギリギリ間に合ったし、累計遅刻回数20回なんて不名誉は脱したも同ぜ―――。」


 「あ、言い忘れてたけど龍君は遅刻確定らしいから、帰りに反省文20枚書いてけって先生が。」


 「………。」


 どうやらこの世界に…神は存在しないらしい…。


 チキショーめ!!


◆○◆○◆○◆○◆○◆

 

 時刻は16時を回り日が傾き始め頃、俺は1人昇降口で上履きからスニーカーに履き替えていた。

 校舎を一歩出ると、夏だと言わんばかりに蝉が煩く鳴いている。

 更にはグラウンドから運動部たちの活気のある掛け声、音楽棟の方からは吹奏楽や合唱部の整った音色が聞こえてきた。

 本来であれば今日は午前で授業が終わり、帰宅部である俺は既に家に帰宅し、惰眠だみんを貪っていたはずだったがその予定は根底から狂った。


 ―――理由は単純。


 遅刻して反省文を書いていたからだ。

 しかも20枚。


 「なーにが遅刻20回記念だ!ニコニコしながら分厚い紙束渡して来やがって…ッ!」


 俺は悪態あくたいをつきながら、校門までの道を歩いていた。

 紙に文字を書くことが苦手な俺にとって、反省文20枚とか、拷問以外の何ものでも無い。

 ただでさえ普段からノートを取ることすら億劫おっくうな俺が…。

 

 「そいや、結局椿には謝れずじまいか…。まあ今更言ったところで、遅いと思うけどな…。」


 俺は足を止め、ある物を見つめた。

 それは道の両サイドに植えられた、立派な桜の木だった。

 開花の季節は等に過ぎてるので、緑豊かな葉しか枝技についていないが…。


 「そいやアイツ、ここの桜がお気に入りだったな…。」


 アイツとは、椿の事だ。

 椿は幼い頃から桜の木が好きだった。

 一度桜の木の枝部分を折ろうとして、俺が叱ったことがあったっけ?と、昔のことを朧気に思い出す。


 大鷹椿。

 さっきも言ったが、彼女とは幼稚園の頃からの幼馴染で小中高も一緒だ。

 才色兼備で成績優秀。

 オマケに所属するテニス部では主将にまで登り詰めているほどの実力の持ち主だ。

 しかも父親は有名企業の社長という、俗に言う社長令嬢とゆう奴だ。

 そして今は生徒会の書記まで務めていて、欠点を見つける方が難しい完璧超人なのだ。


 そんな彼女と俺の様なザ・庶民が、どうして幼馴染なのかとよく聞かれることがあるが、それはこっちが聞きたい。


 まあでも、小学生の時はアイツ含め6人でよく遊んではいた。

 その頃はまだ可愛げがあった。しかし今では俺の行動にいちいち文句を言ってくる小五月蝿い奴にジョブチェンジしたが―――


 そのせいで俺はアイツが苦手になった。

 だから教室でもなるべく関わらないようにはしてたのに―――


 「なんでこうなるかや…。」


 俺は溜息を吐きながら、正門に向かい再び歩きだそうとした。


 その時―――


 「おおッ!!そこにいるのは龍じゃないか!!」


 ビクッ!


 突然響く、腹の底を震わせるような爆音。

 それを聞いた瞬間、俺の中の危険信号が警鐘を鳴らす。

 

 ドドドドドドッ!!


 大地が震えるほどの地響き。

 それはどんどんこっちに近づいてくる。

 俺は地響きの発生源の方を向き、慌てた表情でそれを止めようとした。


 「待てバカッ!!その勢いでこっちに来んな!!たい…ッガハッ!?」


 だが既に遅かった。

 まるで大型トラックにでもねられたように、俺の身体は宙を舞い、コンマ数秒で地面に転がった。


 俺は今日…何度空を舞うのか…。

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