第8話 ジ・エンド(?)


 『雨に唄えば』——今更語る事も無い不朽のミュージカル作品。

 サイレントからトーキーへ、文化変遷過渡期真っ只中のハリウッドを舞台にしたサクセスストーリーであり、美しいラブロマンス。そしてコメディ要素と歌と踊りが作品全体を軽やかにまとめている。小さい頃から何度も観た映画だ。


 古典クラシックは不滅だ。何度観てもいつまでも色褪せない良さがある。

 確かに初見の楽しみは何物にも代えがたい。でも同じ映画を繰り返し観るのも同じかそれ以上に好きだ。


——— ——— ———


『Make 'em laugh! Make 'em laugh!』



『You were meant for me

 And I was meant for you~♪』


——— ——— ———



 泥臭い努力の末に大スターの栄華を手にしたドン、そしてまさに努力の真っ只中にいるキャシー。この二人のラブロマンスを中心に物語は進行する。

 合間に演劇者としての苦悩などが歌に合わせてポップに描かれる。

 ドラマシーンも良いが、やはり歌と踊りに魅了されてしまう。これは何度観ても変わらない。


「フフッ」


 ふと黒江がこちらを振り返り、ちょんちょんと鼻を指さしながらいたずらっぽく笑いかけてきた。一瞬意図が分からず困惑したが、どうやら無意識に鼻歌を歌ってしまっていたらしい。

 とっさに手で鼻と口を覆うと彼女はまた小さく笑ってから画面へ視線を戻した。頬から耳にかけて熱が昇ってくる感じがする。

 


——— ——— ———


『I'm singing in the rain~♪』



『その人を止めてください! 彼女こそ正真正銘の主演女優、キャシー・セルダンです』


——— ——— ———



 楽しい時間はすぐに終わる。大喝采の中、物語は大団円を迎えた。

 敵役の策謀を破綻させ、主人公とヒロインが結ばれる。王道中の王道だ。それがいい。

 

 同じ作品を繰り返し観ると、一度観ただけでは分からなかったキャラクターの魅力や細かいこだわり、伏線などに気が付くこともある。今回はそういった再発見は出来なかったが場合によっては全く違う作品を観たような気分になることさえあるからやめられない。

 そしてそれはでもあるということを、思い詰めるような表情をする黒江を見て思い出した。


「いまいちだった?」


 恐る恐る聞くと彼女は「んー」と唸って首をひねった。どうも彼女の中でもまだ整理が付いていないらしい。

 彼女が考え込んでいる間にディスクをケースにきちっと仕舞い、電気を付けたりカーテンを開けたりしていると、彼女は「まず前提として面白かったんだけど」と前置きした上でつらつらと語り出した。

 

「あの、かたき役の女性、えっと、リーナか。彼女にとっては途轍もない悲劇だったなって。もちろん彼女もプライドばっかり高くて、悪い事はしてるし自分勝手だしすぐ調子に乗るし性格も悪いと思うけど」


「めちゃくちゃ言うじゃん」


「実際そうだったから……でも、寄ってたかって爪弾きにして笑いものにして、きっとあの後女優を続けるのも難しいよね。文字通り全てを失うほどだったのかなって考えちゃって。なんか主人公達も意地悪に見えちゃって、それまで積み上げてきたものが一瞬で崩壊するのって怖いなって」


「なるほどな」

 

 黒江の感想を映画の内容を思い返し、照らし合わせながら噛み締める。


「あっ、ごめんなさい。せっかくおすすめしてくれたのに私——」


「え、いや何で謝る? むしろ俺の中になかった感想聞けて滅茶苦茶めちゃくちゃ嬉しいよ! 定番のストーリーラインだから流しちゃってたけど、そうだよな。確かに視点を変えたらやりすぎなくらい転落ストーリーか……あっ、それならさ! 善悪じゃなくて“叩き上げのドン&コズモと新人で努力してるキャシー”が報われて、“トップの座で胡坐かいてたからリーナ”は転落した——って解釈はどう?」


「え、えっとそうだね……うん。たしかに、そっちの方がかも」


 また喋りすぎたなという自戒と共に、彼女の発した何気ない言葉がどうも小骨のように引っかかった。

 同時に思い出す。自分も昔、同じようなことを父に言ったときのことを。

 

『パパはなんで映画が好きなの?』


『こりゃまた難しい質問だ。そうさな~色々あるけど強いてあげるなら……好きに受け取れるところかな』


『どゆこと? 正解はあるでしょ。一本のお話なんだから』


『着実に息子の可愛げが失われてる……。いいか慎、映画はなんて言ったりするんだ。俳優の演技、脚本、演出、音楽、小道具大道具、最近はCGや特殊効果とかね。そのどれに注目してもいいし、しなくてもいい。ストーリーだってそれら全部が絡み合って完成するものなんだから、好きに解釈していいんだ。こんなに贅沢なことは中々無いぞ~』


『ふーん。よくわかんね』


『えぇ~!? よしわかった。実際見た方が早いか——』


 結局あの後、寝落ちするまでひたすら長編シリーズ観させられたっけ。


 不安げというか、少し怯えたようにも見える黒江はなんだか普段よりずっと幼く見えた。

 

「黒江、作品をどう受け取るかは視聴者の自由だからさ、正解・不正解は無い……らしいぞ」


「あ、受け売りなんだ」


「そ、そうだけど! とにかくもっと黒江の忌憚きたんない意見を聞きたいなと」


「えー、そんなこと言われても……ああ、そういえばちょっと気になったシーンがあって、キャシーの心情描写についてなんだけど——」

 

 それから黒江が気になったといういくつかのシーンについて、自分の知識と感性の限り意見を交わした。

 初めはおずおずと印象に残った場面をあげて意見や感想を言っていた黒江も、遠慮が不要と理解してからはハッキリと自分の言葉で沢山の意見を出してくれた。


 好きなものについて誰かと議論することがこんなに楽しいものだとは知らなかった。

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