第19話 頑張ったから


 イマドキ、定期テストの順位を張り出す学校も減っているらしいが、本校では依然として古い習慣が継続中である。

 そうは言っても、張り出されるのは上位三十位までだが。

 熱心な生徒はここに名前を連ねることを目標にテストに挑み、関心のない者たちは晒しの恐怖とは無縁に自分の成績と向き合ったり、解放の喜びに小躍りしたりする。


 風間譲二はそんな順位表を上から下まで目でなぞり、何度確認してもやはり意外な友人の名前がその最下部にあることを確認して改めて首を傾げた。


 彼が部活へ行こうと踵を返そうとしたとき、廊下のまばらな人ごみの中に知り合いを見つけた。

 

「よっ! 亀井」


「おー、風間っち。何位だった? あたしのが上だったら飯おごってよ」


「そういうのは普通テスト前に約束するんじゃねーのか? ちなみに32位だったけど」


「すげェ、あたし158位」


「……うん。諦めず勝負に挑む姿勢は良いと思うぞ」


「え、なんか腹立つ」


 亀井杏里かめいあんりはいつも通り飄々と掴みどころのない態度だ。喋り方も変に間延びしている。明らかに校則違反のインナーカラーを入れた髪がとにかく目立つ。

 風間はそれを気にする様子もなく応対する。二人の間に気遣いや遠慮はない。彼らは中学からの同級生であり、高校のクラスこそ二年連続で離れてしまっているが元々は神崎慎を合わせて三人で良くつるんでいたのだ。


「それより見た? 神崎の順位。三十位とか、あたし三度見しちゃった。どうしちゃったんだろうねェあの映画バカ」


 映画バカというあだ名も彼女が第一人者パイオニアだ。


「成績配られた時点で聞いたからそんとき本人にも問い詰めた。『不正をしたなら正直に白状しよう』って」


「それはそれで酷ェ。反応は?」


「『全部が自力とは言えないけど正当な努力の結果』だってさ。本当に嬉しそうだったし、すぐどっか行っちゃったからそれ以上は追及できなかったわ」


「まぁ学校のテスト如きでズルするような小っちゃいやつじゃないよねェ。ほんと、どしたんだろ」


 バカにしているようにも聞こえる会話だが、二人の交わす言葉には神崎慎への信頼のようなものも滲んでいる。

 そしてなによりも、友人の身に起きた突然の変化に二人とも心の底から戸惑っているようだった。


「恋人でもできたかねェ?」


「な、なんだ急に。どんな文脈だよ」


 風間は思わず声が詰まった。それは内心に留めていたはずの自分の推測とドンピシャで同じだったからだ。


「いや文脈っていうか、勘? 最近喋ってないしィ。風間っちは何か知らんの?」


 亀井はあっけらかんと聞いてくる。


 実を言うと彼には心当たりが一つある——黒江ナナだ。

 初めての違和感は一か月ほど前、それから心なしか神崎が黒江を意識しているのではないかと思える態度を出していることがあった。無意識的に目で追っている、程度のものだが、神崎が人に関心を持つこと自体そう多くはない。

 

 それは亀井と同じく勘のようなもので確証は全くない。

 しかし相手が黒江というのも少し気になっていた。二人に接点は見受けられないし、あまりいい噂を聞く人間でもない。


「あの映画バカだぞ? 浮いた話なんて無いだろ」


 とにかく神崎に何かしらの変化があったのは確かだ。吹聴する気はないが友人として、少し探りを入れてみようか。

 風間は密かにそう心づもりをした。





「く、黒江?」


「……」


 図書室の窓には煌々と夕日が射し込んでいる。背中でその熱を感じてじんわり汗がにじむ。いや、この体温の上昇は別要因かもしれない。


 フローリングの床には二人分の影が重なって、伸びている。

 俺たち以外には誰も居ない。普通は図書委員とか誰かは居るはずなのだが、それらしい人物も見当たらない。

 もし居たらこんな“至近距離で見つめ合っている”なんていう状況にはなっていない。


 本当に近い。ほんの数十センチの距離に何故かこちらを見つめるだけで何も話さない黒江が立っている。

 橙の日に照らされているからか、いつも以上に彼女が大人びて見える。


 彼女の息遣い、微かな動きで制服が擦れる音、そして自分の心臓の音。それら一つ一つがやけに聴覚を刺激する。

 

 何が起きているのか——きっかけはテストの結果を伝える成績表が配られて席に戻る際、あまりに嬉しくて彼女にさり気なく順位を見せた。そして直後、一つのメッセージが届いたのだ。


『放課後、図書館で待ってて』


 その意図が分からず、質問しても「内緒」とはぐらかされた。不思議に思いながら図書室に来た結果がコレである。


「あの、黒江さん? これはどういう状況、ですか?」


 わざとらしく敬語を使ってお道化てみても、彼女の何を考えているか分からない表情は変わらない。

 俺が緊張のあまり口に溜まった唾液を嚥下したとき、彼女の小さな口がパッと開いた。


「テスト頑張ったから、ご褒美あげる」


 俺は咳き込みそうになるのを何とか抑えて、声も出せぬまま彼女の悪戯っ子のような笑顔に魅入ってしまっていた。

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