第10話 怖すぎ
秋に吹く心地よい風の音を
窓を開けるとまさにそんな風が部屋に優しく吹き込んで心地よい。まさに映画日和。
初めて黒江が我が家に来たあの日から、もう二週間が過ぎた。彼女は月・火・木曜日に映画を観に来ている。つまり今日で合算七回目の訪問だ。
その間に季節は切り替わろうとしていた。
ひとまずは彼女を繋ぎ止められているが、これからもずっと大丈夫だと考えられるほど楽観的にはなれないでいる。
目の前で倒れ込むような勢いでクッションに身を沈める彼女からは遠慮というものが随分無くなっているのが伝わる。
俺と黒江は友人と言って差し支えない関係になっている。週の半分近く一緒に映画を観て、大いに語り合っているのだから当たり前だ。
それでも相変わらず学校では喋らないし、ここで映画を観る以外は本当に何もない。
『慎に迷惑かけたくないから、私達の関係は秘密ね』
いつだったかそう彼女に言われた。
“迷惑”というのは彼女に纏わりつく悪評に関係することだろう。今は下火になっているようだが、俺が首を突っ込んで燃料を投下してしまうかもしれない。だから彼女の言う通りにしているのが現状である。
そして、彼女が来る曜日に関して、明確な約束をしたわけではないが——。
『水金は家の手伝いあるから行けない。あと土日はさすがに申し訳ないから』
とのことで、なんとなくで黒江の来る曜日が決まっていた。
土日に来たっていいと伝えたが、彼女なりの線引きなのかそこは頑なだった。
そして、家の手伝いとは何か? という事は聞かなかった。そちらは俺なりの線引きだ。そこまで踏み込んでしまったら色々なものが崩れて元の形には戻れない予感があった。
「今日はどんな作品?」
黒江がソファの上で身を翻して問いかけてくる。お決まりの質問だ。それに対してこちらは返事に窮した。というのも、先週まではジャンルの違う色々な作品を観てもらっていた。アクション、コメディ、サスペンスにSF——彼女の好みを探ることが目的だったわけだが、その目論見はあまり上手くいっていなかった。
「黒江って割とどんな作品でも楽しんでくれるよな」
理由は単純で彼女はどんなものでもあまり大きく反応が変わらないのだ。どれも興味深く楽しみ、どのシーンがこういった理由で好きで、どこに引っ掛かりを覚えたのかを明朗に語る。
つまり最高の観客なのだ。
「それは、慎が私の好きそうなやつ選んでるからじゃない?」
「確かにあんま攻めたチョイスはしてないけど、例えばSFとかは意外と苦手な人居るんだよ。『非現実的すぎる~』とか『訳が分からない』って」
「えぇ? 創作物って非現実を楽しむものじゃないの?」
「そうだよな~。好みは人それぞれだけど、勿体ないよな」
彼女の物語に対する大らかな姿勢はおそらく豊富な読書経験からくるものだろう。詳しくは聞いていないが学校でも隙あらば本を開き、毎日のように読む本が変わっているところから相当な本の虫であると分かる。
ここまで来ると小さな機微でもいいから彼女の好みや苦手を把握したい。
だがさすがに“クソ映画”を見るにはまだ早い。俺はそれも大好きだが楽しみ方がここまで観てきた名作たちと違いすぎる。
どうしたものかとDVDの背をなぞっていると、他とは異彩を放つおどろおどろしいタイトルが目に留まった。
「あっ、そういやホラーは観てないな。今日はこれにしようか」
手に取ったのは『呪怨』。押しも押されもせぬJホラーの金字塔、その一角。
映画界においてホラーは常に一定のコアな需要があり、隠れた名作も多い。そして変な映画が生まれる土壌でもある。B級だのZ級だのサメだの”星も輝かぬ世界を占拠している“作品だの、まさに魑魅魍魎がひしめくジャンルである。そこが愛おしい。
最近の邦ホラーは特に迷走に迷走を重ねているが、これらレジェンド作品は世界的傑作と遜色ないハイクオリティな恐怖を提供してくれる。
ふと、黒江を見ると心なしか顔が強張っているように見える。それにいつもなら「どんな話?」と概要を聞きたがるのにそれもない。
「もしかしてホラー駄目? そんなら別のにするけど」
「多分、大丈夫。ほん怖くらいしか観たことないけど、そんなに怖いと思ったことはないかな。面白みもよくわかってないけど」
「お、言うねぇ」
「でもおっきい音とかで驚かす系は苦手かも」
「“ジャンプスケア”な、俺も嫌悪してる……でもこれは基本じわじわ攻めてくる感じだな。もちろん多少はあるけどアレだったら事前に言うし」
彼女は「それならまぁ」と、あまり気乗りはしていないようだがそれ以上拒否をする事も無かった。
「無理そうだったら止めるから言ってな」
「……ん。物は試しだから」
本当に大丈夫か心配になる返事だ。だが、ホラーは本当に人を選ぶジャンルだし無理強いはしたくない、という気持ちを黒江のリアクションが気になるという好奇心がギリギリで上回った。それにもしかしたら面白みを理解してくれるかもしれない。
そんな淡い期待を込めてディスクをレコーダーに滑り込ませる。しばらくすると待機画面が表示されるがここにも目を血走らせた女幽霊が映っており、不意打ちを食らった黒江はビクッと背筋を震わせた。
「ごめん。その、一応クッション一個頂戴」
「うん。一応な」
ベッドからクッションを一つ渡すと彼女はコアラのようにそれを抱きかかえた。
目を逸らしたりはしない辺り、確かに怖いもの自体は大丈夫のようだ。経験上、本当にホラーが駄目な人はこんなものでは済まない。——それを教えてくれた風間に感謝である。
「慎は怖いの全然平気?」
本編を再生してすぐ、黒江の横——定位置に座るかどうかというタイミングで彼女は小さめの声で聞いてきた。
画面からは丁度不穏なBGMが流れ始める。
上映中に彼女の方から話しかけてくるのは非常に珍しい。今までは何となく極力お互い無言で、という雰囲気があったが別に映画館ではないのだから話しかけてくること自体は別に変なことでもない。
だが、それは間違いなくこの鑑賞会に新たな一石が投じられた瞬間だった。なんて言うのは少し大袈裟か。
何にせよ、まだまだ怪異の“か”の字も出ない。セリフも少ない事前説明のようなパートがしばらく続くため、喋っていて話が分からなくなるという事もないだろう。
「全然ではないけど、まぁさすがに慣れたって感じかな。ビックリはするし怖いとも思うけど、一個ヤバいの観てからは結構楽しめるようになった」
「そっか……じゃあ初めて観たときはちゃんと怖かったんだね」
「あー、まぁ、そうだね」
黒江はなぜそんな事をわざわざ聞くのか。考えられる理由は一つ——「私が怖がってもおかしくないよね?」という予防線を張っているのだろう。
あとは単純に怖いから何かで気を紛らわせたいという考えもあるかも知れない。
しかし、彼女は二の句が浮かばないようでしばらく画面を観て、ちらりとこちらを伺う動作を二、三回繰り返す。
その様子が少し祖父母の飼っている猫を彷彿とさせて笑いと庇護欲が込み上げてきた。
「あー、黒江ナナさん。もしよろしければなんですが、ちょっと
「蘊蓄?」
「そう、小ネタというか。この映画特に好きで話したい事たくさんあるからさ、上映中ずっと喋っちゃうかも知れないんだけど……良いでしょうか?」
「え~? うーん、でもなぁ」
黒江はこれが助け船であるとすぐ気が付いてはいるようだったが、だからこそ素直に飛びつけないようだった。彼女は結構プライドが高い。
そのタイミングで明らかに不気味な男の子が押入れから画面いっぱいに現れた。
「……お願いします」
プライドは恐怖に惨敗した。
「別に無理に観なくても——」
「いやっ、最後までは観るからっ」
心配の言葉は食い気味に拒否されてしまった。余裕がないからかいつもより語気が強い。
作品へのリスペクト心からなのか、それとも意外と意地っ張りなのか。なんにせよ彼女のその姿勢は非常に好ましく映った。
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