第二話 挫折、そして全滅
ゴブリンに転生してから一か月ほど経ってわかったことがいくつかある。
まず、ゴブリンという種族はかなり成長が早い。
初日に睡魔に襲われてから目が覚めると既にハイハイくらいはできるようになっていたし、五日目には小学校低学年くらいの身長になり、以前の体と比べても特に不自由はなくなっていた。
だが、そこからは特に体の変化はなかった。
ゴブリンは小柄な種族らしく、初日に俺に名前を付けたゴブリンや俺と同世代のゴブリンも身長は同じくらいだ。
だが、例外的な存在もいる。
この洞窟に住むゴブリン約七〇人を束ねるリーダーのグリガントだ。
傷だらけの顔に一般的な成人男性よりも高い背丈、筋肉質な体と他のゴブリンとあまりに見た目が異なっている。
ゴブリン達は製鉄技術を持たず、俺を含め基本的に石器を使った武器や道具を使っているのに対し、グリガントとその取り巻き数名は少し凹んだ鉄の防具や剣などを持っていた。
恐らく人間を襲ったりして手に入れたものだろう。
近年の創作物では邪悪で下等な存在として描かれることが多いゴブリンだが、ここのゴブリンたちはそれの模範例というべき存在だ。
悲しいことに価値観や考え方が異なりすぎてまともな話が出来ないし、そうなると当然ながら俺は群れに馴染めない。
まだ一ヶ月しか経っていないから周囲との差は軽微なものだと思いたいが、いずれ異物として群れ全体から切り離される可能性はゼロじゃないだろう。
今からでも群れにすり寄るか、いっそここから抜け出すという手段も考えてはみた。
だが、他のゴブリンのように行動することは俺にはできなかった。
それを最初に自覚したのは初めて狩りの為に数人で洞窟の外に出た時。
額に一本の角を携えた大きめの兎――
自分を狙った存在へ一矢報いるためなのかはわからないが、その角は仲間のゴブリンの胸をいとも簡単に貫いた。
そのあとは角が抜けなくなったのを囲んで叩き、どうにか息の根を止めたが、俺はただその光景を見ていることしか出来なかった。
生気を失い虚ろになってゆくその瞳が自分を睨みつけているように感じた。
血が滴る温かい肉もあまり喉を通らなかった。
軟弱とか、気にしすぎと言われてしまうとそれまでかもしれないが、俺は自分の手で生き物を殺めるという行為が出来なかった。
だが、他のゴブリン達は違う。
生きるため、食べるためという純粋な行動理念で動き、欲望にとても忠実だ。
ゴブリンという種がこの世界で生きていくためにはそういった行動をとることの方が正しいのだろう。
結局俺は最初の狩りで挫折し、以降は石器などの道具作り行いながら狩りに成功した者たちから与えられる分け前で糊口をしのいでいた。
手先はあまり器用ではないが、狩りに行くのに比べて命の危険は減っていていくらか気が楽だった。
道具作りはほとんど老人の仕事だったこともあり、分け前の量も質も微妙なものだったが、そもそも調味料も無いし、調理法も焼くくらいしかないので味的には特に変わらない。
食わなければ死ぬから食っているようなもので、調味料も調理法もたくさんあった時代を生きていた身からすると味気ないにも程がある有様だ。
あぁ、せめて白米さえあれば。
「おい、ウィロ。グリガント様が若いやつらを連れて狩りに行くって言ってるぞ。お前も来いってさ」
そう言って声をかけてきたのは同世代のゴブリンの一人、ウィン。
どうやらゴブリンは名前の種類が少ないらしく、基本的にウとかグで始まる名前ばかりだ。
最初はもっと似たような名前の奴が多くて大変だったが、ゴブリンという種が弱いこともあり同年代の人数は半分くらいに減っている。
正直俺がついて行っても役には立たないと思うが、逆らうなんて大それたことはできない。
群れのリーダーの言うことは絶対なのだ。
ウィンと共に私物の石のナイフと木の槍を持って洞窟の入り口に向かう。
入り口には老人以外の全てのゴブリンが集まっていた。
「今から若い衆で大規模な狩りにいくぞ。そろそろこの森のヌシが目覚める頃合いだ。ヤツの活動期間中に狩りをすると狙われかねない、狙われたらほんの一息でバラバラだ。だから今のうちに凌げるように備蓄を作る」
グリガントが集団の先頭に立って告げる。
***
俺達は列を組んで森の中を進んでいく。
同世代のゴブリン達はまだ見ぬヌシについての話題で持ちきりだった。
狩りの最中で熊や俺達より大きい蜘蛛を見かけた、なんて話が聞こえてくる。
「うるせぇぞ! そもそもヌシは熊でも蜘蛛でもねぇよ! 空を飛び、一息で木や岩をバラバラにするドラゴンだ!」
グリガントの取り巻きが騒がしくなった列全体を叱りつつヌシの正体を告げる。
ドラゴン、やっぱり居るんだな。
ドラゴンと言ったら炎の息を吐くイメージだが、さっきの説明にはそのことはなかったのでこちらの想像とは異なるのかもしれない。
気にはなるが出会ってしまったら逃げ切れる自信はないので、想像は想像のままであってほしい。
「……おい。何だあれ、鳥にしては大きいし、ずいぶん高いところ飛んでないか?」
隣にいたウィンが空を指さす。その指の先には青い空に浮かぶ大きな影。
大きく広げられた翼と刺々しいシルエットの尾が見える。
明らかに鳥とは異なる形のソレは紛れもなくドラゴンというべき存在だった。
「お前ら、一旦散れ!あいつの息は触れた物を風でバラバラにするぞ!」
グリガントがそう告げると俺達は列を崩して蜘蛛の子を散らすように逃げ回る。
散った後でどうやって再び集まるかなんて誰も考えていないであろう、ただ本能に従った滅茶苦茶な動きだった。
俺もウィンと共に欝蒼とした森を駆けてゆく。
背後からは凄まじい風の音と悲鳴、上空で旋回しているドラゴンが風の刃のような息を絶え間なくこちらに吐き続けている。
動きから敵意や殺意を伺い知ることはできず、ただそこにあり、近くの存在を蹂躙する自然現象のように思えた。
あれはまさしく災害の化身というべきモノだろう。
ドラゴンのブレスによって飛ばされた木の枝や石が飛び交う中、そのどちらでもない物体が横を走っていたウィンの頭に衝突する
鈍い音と共にウィンは勢いそのままに地面に倒れる。
「お、おい……大丈夫か?」
ウィンからの返事はない。
頭を打って完全に意識を失っている。
ウィンの頭にぶつかった謎の物体はなんだ?
「……っ!」
短めの毛が生えたそれは、今までゴブリンの群れを率いていたグリガントの頭部だった。
苦悶と恐怖が混ざった表情のそれに鼻から下の部位はない。
ゴブリンの中で頭一つ抜けた頑強さを持っていたグリガントでさえ、ドラゴンの息一つで死んでしまう。
ゴブリンとドラゴンの圧倒的なまでの生物としての格の違いを感じ、恐怖した。
そこからはただひたすらに逃げ回る。
何回木の根や石につまずいたかわからない。
足が悲鳴を上げようと、ブレスの余波で舞った物が手足に当たろうと根性で前に進み続けた。
洞窟の外に出たのは昼過ぎくらいだったが、空はすでに日が暮れかけ、茜色に染まっている。
背後から聞こえていた悲鳴や空気を切り裂く音は既に聞こえない。
空を見てもあのドラゴンの姿は見当たらない。
逃げ切ったのかという疑念よりも先に体が限界を迎え地面にへたり込む。体中擦り傷切り傷のオンパレードだ。
今はアドレナリンがドバドバ出ているおかげで痛みは気にならないんだろうが、後々のことを考えると冷や汗が出てくる。
……これからどうしようか。
群れは全滅、もしくは生きているのは数名レベルの大損害だろう。
そもそも夢中で逃げてきたからここがどこなのかもさっぱりわからない。
群れ、もしくは洞窟に戻るのは多分無理だ。ドラゴンがあの付近をうろついている可能性もある。
群れに帰れないとなると一人で生きていくしかない。
当然、今まで少ないながらも貰えた食料も、ジメジメとしていてもある程度安全が保障されていた洞窟もない状態で。
生きるために大切な衣食住のどれも欠けている。
あるのはどう行動してもいいという自由くらいだろう。
自由、自由か。
衣食住の確保はやるべきことだが、俺自身がやりたいことは何だろう。
しばらく考えていると、脳裏に浮かんだのは幼いころに食い入るように見ていた番組の数々だった。
見たことのない場所を訪れ、様々なものを見て感じる。
俺が憧れたのは紀行番組というより、より単純な旅という行為なのかもしれない。
……決めた。
ゴブリンの身でどこまでいけるかはわからないが、旅をしよう。
知らない場所の人々と交流したり、美味い飯を食べたりもしたい。
メメント・モリ――死を想え、なんて言葉があるが、それに続くのはカルペ・ディエム――今を楽しめ、というものらしい。
今この瞬間から俺はその二つの言葉を指標にして生きていく。
いつ死んでも後悔しなくていいように。
やりたいことが決まると暮れていく夕日もより美しく思えてきた。
洞窟に居た時は道具作りの素材調達を昼頃に済ませていて、そもそも夕日を見ること自体久しぶりというのもあるかもしれないが。
しばらく夕日を眺めていようとも思ったが切り上げ、疲労と怪我でガタガタの体を起き上がらせる。
ゴブリンは多少夜目が利くが、この体では夜間の移動は自殺行為だ。
せめて夜間に雨が降っても大丈夫なくらいの場所は探さないと。
飯は食わなくてもまだいけるが体が冷えて体力が持っていかれるのはまずい。
寝ている間に夜行性の獣に襲われたら厳しいがこの状態じゃどうしようもない。
槍は逃げている状態で落としたし、石のナイフは無いよりはマシくらいだしな。
少し周りを歩いた結果、ギリギリ条件を満たせそうな場所を発見することが出来た。
木の低い位置に体を丸めれば入れそうな大きさの
もし雨が降っても他の場所よりは冷えないだろう……多分。
早速入ってみたが見立て通り体をすっぽりと収めることが出来た。
この時ばかりはこの小さな体に感謝したい。
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