第21話 人ならざる客
大御山のふもと。そこに木々に隠れるようにひっそりと建つ神社があった。大きくはないが鳥居も本殿も凝った作りで、境内は隅々まで手入れが行き届き、ゴミ一つないよう掃き清められていた。鳥居には青銅の板に毛筆風の彫刻で『大御山 諏訪神宮』と掲げられている。手水舎の水は山の湧き水を利用しており、常に清らかな水が懇々と湧き、手水鉢を満たしている。早朝の爽やかな気候も手伝って、辺りは清澄な空気で満ちていた。そして今、本殿に続く石畳を紫の袴を着た男性が竹箒で掃いている。年は50代ぐらいか。背はそれほど高くなく、痩せており、細面の顔からは育ちの良さと穏やかな人柄が感じられた。彼はこの神社の宮司、諏訪正人という人物だ。
諏訪は毎日、朝と夕に境内を自ら掃き清めることを日課としている。それは先代の父の教えでもあり、また自身も、清らかさが魔を退けることと信じているからだ。
諏訪がいつものように熱心に境内のごみを掃いていると、後ろから声を掛ける者があった。
「あのう、すみません。ちょっと聞いてもよろしいでしょうか」
諏訪が振り返ると、そこには登山客と思しき服装の中年の男性が立っていた。中肉中背で、少し下膨れで頬に笑いジワが刻まれた人の良さそうな顔立ちをしており、赤いウインドブレーカーにカーキ色のサファリハット、ベージュのトレッキングパンツにダークグレーのトレッキングシューズに身を包んでいる。背中には黒のバックパックを背負っていた。一見、どこにでもいるような普通の人間に見えた。しかし諏訪はすぐに気づいた。
(この御仁、人ではないぞ。何者だろう。)
心の内とは裏腹に、諏訪は愛想よく応えた。
「はい、結構ですよ。どうかなさいましたか」
「お掃除中に申し訳ないんですが、道に迷ってしまいまして。友人ととある場所で待ち合わせしているのですが」
そういって男性は地図を差し出した。諏訪はそれを受け取って眺めた。地図は手書きで、コピー用紙にサインペンのようなもので道順や地名、目印が記されていた。諏訪はそれを読みながら思考を巡らせた。
(この者、私を誘い出そうとしているのか。目的は何だ?ここまで精密に人間に化けているのは初めて見た。邪悪さなどは感じられないがどうする?試しに乗ってみるとしようか)
多少の恐怖心はあったが、それよりも好奇心が勝ってしまった。諏訪はこの人智を超えた存在の正体と目的を知りたいと思った。だがそんな事を考えていることはおくびにも出さず、にこやかに男性に話しかけた。
「ああ、ここですか。知っていますよ。時間もあるし、よければ案内しましょうか」
「え、良いんですか。ありがとうございます」
「ええ。箒をしまってくるので少し待っていてください」
諏訪は箒を片付け、こっそり本殿に行き祝詞集一冊と御札をいくつか懐に忍ばせた。敵意は感じられなかったが、念の為だ。
境内に戻ると、男性は大人しくじっと立って待っていた。本物の人間と遜色ない出で立ちだ。全く良く化けているものだ。諏訪は感心しながら男性に声をかけた。
「お待たせしました。それでは行きましょうか」
「はい。お忙しいのにすみませんねえ本当に」
それぞれの思惑を胸に、二人は連れ立って歩き出した。境内のカラスがやけに騒いでいた。そして神社の澄んだ空気とは対照的に、背後の大御山からは禍々しい気配が立ち込めているようだった。
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