第10話 怨念

 ムラカミはヤケクソになって崖からダイブした。身体が空に投げ出されると、傘は風を受けてふわふわと舞った。ムラカミは綿毛か羽毛にでもなった気分だった。それは意外にも心地よい体験だった。

「なんか楽しいですね、これ」

 傘を離さないよう気を付けながら、ムラカミは少し下にいるヤマガミに話しかけた。ヤマガミも上機嫌で応えた。

「だろう?肉体がない死神にしかできない高等テクニックよ。肉体を持つものが真似したらズドンと落ちて天国に一直線だ」


 2人の死神はゆるやかに下降し、崖下の岩場へふわりと着地した。岩場は細長いが案外広く、学校の教室くらいはありそうだった。周りは完全に海で囲まれており、地続きになっている砂場などはないので、ここに来るには崖を降りるか船を使うしかなさそうだった。


 村田はそこにうつ伏せになって倒れていた。だが死んではいなかった。よく見ると背中が呼吸に合わせて上下しているのがわかった。

「まだ生きてますよ」

 ムラカミに言われ、ヤマガミはしゃがみ込んで村田の様子を伺った。

「ありゃ、本当だ。あの高さから落ちて即死じゃないとは大したヤツだ。でも虫の息だし、もう間も無く召されるだろ」

 ヤマガミはカプセルを出そうと胸ポケットを探っていた。そして何気なく水平線へ目をやり、何かに気づいてギョッとした。ムラカミは訝しんで訊ねた。

「どうしたんですか」

「ヤバい、船だ!こっちに来る!」

 ムラカミも水平線へ目をやると、遠くのほうから小さな船がこっちに向かってきているのが見えた。

「本当だ。でも何がヤバいんですか」

「この辺りは自殺スポットだから、地元のボランティアとか漁船が定期的に見廻りに来るんだよ。見つかったら助かっちまうから早く殺さないと」

 そういうとヤマガミは折り畳み傘を取り出し、柄の部分だけ伸ばすと、

「ていっ!やあっ!こらぁ!」

 と掛け声とともに傘を振り下ろし、村田の頭部を思いっきり殴打した。

「ちょ、ちょっとヤマガミさん!そこまでしなくても」

 ムラカミの制止も聞かず、ヤマガミは狂ったように村田を殴打し続けた。もともと瀕死だったため、5、6発殴打したところで村田は息絶えた。その時船は船内の人影がはっきりと見えるくらいまで近づいてきていた。ヤマガミは一息ついて腕時計を確認した。

「ちょっと予定の時間をオーバーしちゃったけど…。まあこのぐらいなら許容範囲だろう。船が到着する前に魂の回収しなきゃ」

 一仕事終えたと言わんばかりのヤマガミの態度に、ムラカミは何か言おうと思ったが、上手い言葉が見つけられず、諦めて小さく溜め息をついた。


 村田の背中から、光り輝く魂が現れた。村田の魂は新緑のような爽やかな緑色で、時々チラチラと黄色い光が現れた。それは風にそよぐ木々と木漏れ日を連想させた。

「おっ、何か初夏です!って感じの色合いだな」

 ヤマガミは嬉しそうに笑ってカプセルを近付け、村田の魂を回収した。

「魂の色って、人によって結構違いますね」

「そうだな。なんで違うのかは分かんないけど、どんな極悪人でも魂だけはキレイなんだよ」

 不思議だよなあ、と呟きながらヤマガミはカプセルをしまった。背後では船が到着し、降りてきた人々が村田の遺体を取り囲んで何やら話し合っていた。

「よーし、魂も回収したし、この後のことは船のやつらに任せて、俺らは次の現場に行くとしますか」

「まだやるんですか」

 ムラカミはゲッソリしながら訊ねた。ヤマガミは指示書の束を突き付けながら言った。

「ったりめーよ。まだこんなに次が控えてるからな。俺たちに休んでる暇はない。例のものを持て」

 ムラカミは嫌々ホール·ジェネレーターを取り出した。指示書を確認して座標を入力し、赤いスイッチを押した。

 さざ波が煌めく海面に、爆発音と共に黒い穴が出現した。結構派手な音がしたので、ムラカミは誰か気がついたかもと船から降りてきた人々を振り返った。だが人々はまだ村田の遺体を囲んで何事かを話し合っており、音に気付いた様子はなかった。

「おっさきー」

 ヤマガミはそう言うと、真っ先にワームホールへ飛び込んでいった。ワームホールは消えやすいのでムラカミも急いで飛び込んだ。視界の端を、村田の虚ろな瞳がかすめていった。村田の死因は自殺で処理されることだろう。本当は死を恐れていたことをヤマガミとムラカミだけが知っている。


 この人殺しめ─。


 ムラカミは村田の乾いた瞳が自分を責めているような気がした。心の中でいくつも言い訳を並べたが、言い訳は言い訳でしかなかった。ムラカミの心の中で膨らんだ村田の怨念は、いくら謝罪の言葉を述べても消えてくれなかった。


 こういう気持ちをヤマガミは感じたことがあるのだろうかとムラカミは疑問に思った。もしあるのなら、どうやってこの感情に折り合いをつけてきたのだろう?ワームホールを抜けたら聞いてみよう。


 ムラカミはそう思いながら、時空の穴を通り抜けていった。




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