第6話 王子と従者 最初の戦い Ⅰ

 王都の西。

 フュンが出発する寸前。

 共にガルナズン帝国を目指す執事イハルムとメイドのアイネは、馬周りの世話をしている中で、フュンは馬車の窓から顔を出して、見送ってくれる人たちと楽しく会話していた。


 今はちょうど昼前辺りの時間帯。

 サナリアの王都の真上に太陽が登った。

 緩やかな春の風で、サナリア平原の草花が揺れる。

 草原の匂いは青い匂いを出していた。

 暖かな春の空気がフュンを包んだ。

 王宮から出るなんて、何年ぶりのことだろうか。

 この草原の匂いすらも、真新しく感じたくらいに久しぶりだった。


 外の世界に飛び出るフュンのお出かけの目的は人質。

 人が外に出るにはやたらと後ろ向きな理由だが、今はそんなことを気にしても仕方ない。

 これはこれで良い事だと前向きに捉えてフュンは明るく務めていた。

 

 座ったまま背伸びをしてから、深呼吸をする。

 自分の仕事を休んでまで集まってくれた人々の前で、フュンは最後の挨拶をした。

 

 「それでは、行って参りますね。皆さん。お元気でいてくださいよ」

 「お、王子・・・」「王子こそお元気で」

 「我々を・・・・お連れしては・・・くれないのですか」

 

 王宮に残るメイドや執事たちは、別れることを我慢できずにひとしきり泣いていた。


 「ごめんなさいね。皆さんをお連れしちゃうと、サナリアの王宮が大変になっちゃうんで我慢してくださいね」

 「しかし、帝国に行く王子のメイドが一人だけでは…」

 「そうです。執事も一人では大変では…」


 皆が心配する点はただ一つ。

 王子の身の回りの世話する者が二人しかいないことだった。


 「あちらの生活は大変でしょうしね。少ない人数の方がいいですよ、あははは」

 「そんなことはありません・・・」「王子と一緒ならどこへでも」「ううう・・・ううう」


 あっけらかんとしているフュンと、ボロボロと泣いているメイドと執事たち。

 この場の者たちは対照的であった。


 「いやいや。そんなに泣かれましても」

 

 今度は兵士たちがぞろぞろと前に出てきた。


 「そうです。護衛も少ないです!」

 「兵三人では王子を守り切れないのでは、俺たちもついていきますよ」

 「いえいえ。いいんですよ。僕はこれで十分だと思ってますよ。皆さんは王都を守ってくださいね」

 

 この一連のやり取りが、ゼファーにとって謎だらけだった。

 弱々しい気配しかない王子との別れが、これほどに泣く事であるのかと首を傾げていた。

 

 「皆さん。そろそろ行きます。では、皆さんにサナリアを託しますよ。よいですか。皆さんの様な人たちが、この国で一番大切ですからね。実は僕らのような王族が一番大事なんてことはないんですよ。覚えておいてください。あなたたちのような人がいなければ、国家というものは成り立ちません。ですから、サナリアのことをよろしくお願いしますね。どうか、皆さん。お元気で。また会えたら会いましょうね。ではまた!」

 

 最後までフュンは明るく、さよならの一言だけは言わなかった。

 死なない限り。

 必ずまた会える日が来るのだと、フュンは信じているのだ。


 「お。王子ぃ・・・」

 「・・・私たちの・・・大切な・・・・」

 「王子が・・・いってしまわれる」


 皆は、王子の馬車が見えなくなるまで手を振り泣き続けたという。

 こうして、人に愛されていた王子は、帝国の人質へとなったのだ。



 ◇


 フュンを乗せた馬車がサナリア平原を走る。

 その道中。

 フュンの目尻にも目頭にも涙が溜まっていた。

 さっきまで涙を流すのを我慢し続けていたフュン。

 実は別れの時から必死に抑えていた感情だった。

 それが誰もいなくなった馬車の中で、溢れでてしまっていた。


 窓から見える景色を見ると、不意に強烈な悲しみが襲って来る。

 慣れ親しんだ土地を離れるしかない現状を突き付けられ、単純に辛くなっていた。

 自分から離れたかったわけじゃない。

 故郷を捨てたわけではない。

 なのに、この地に戻ることは出来ないのだろう。

 フュンは、帰ることが出来ない人質生活苦難の旅をしなければならないのだ。

 自分が生きている内に自分の故郷に足を踏み入れることはないのだ。

 固い決心を胸の内に秘めたフュンは、静かに涙を拭った。

 

 その姿を隣で見ていたゼファーは、感情を必死に隠そうとするお方なのだと思った。

 ボンクラで情けない王子との噂があったが、果たして本当にそのような人であるのか。

 次第に皆の噂の方に疑問を持ち始めていた。

 フュンをつぶさに観察するゼファーは、この王子に少しは付き合ってみてもいいのかもしれないという気持ちが湧いていたのである。


 フュンの心が落ち着いてきたのを見計らってゼファーが話しかける。


 「殿下! 護衛は私と。三人の兵士のみでよろしいのでしょうか? 純粋に数が足りないかと思いますが?」


 フュンの同行者は。

 フュンと共に馬車に乗っているゼファーと、馬車を操縦している執事のイハルム、そのイハルムの隣にいるメイドのアイネである。

 そして、護衛の兵士三人は、騎兵のイール、サヌ、アンジーで、サナリア平原の西にある砦までを護送する運びとなっている。

 実際、王家の者を守るのに数が非常に少なかったのだ。


 「…そうですね。普通なら足りないと思いますが、まあ、平原の真ん中を走っていきますからね。たぶんこの人数でも大丈夫でしょう。それにゼファー殿はお強いとゼクス様からお聞きしましたからね。僕を守ってくれると信じてますよ。あはははは」

 「も、もちろんです。必ずおじ上に代わって私がお守りします」

 「はい、よろしくお願いしますね」


 フュンの言葉には不思議な力がある。

 心の底から信じてもらえている。

 そんな風に感じる言い方と、思いが伝わる雰囲気を持っているのだ。

 ゼファーは、彼の持つ優しくて心地よい雰囲気に包まれた。


 ◇


 出立から翌日の事。

 天幕で休息を取ってから平原を移動しているフュンとゼファーは馬車の中で会話する。


 「殿下! お休みになられた方がよいのでは。しばらくはまだサナリアの地でございます」

 「あ、確かにそうですね。では、お先にゼファー殿がお休みになってください」

 「え!?」

 「どうぞ。どうぞ。横になってください。揺れがありますからね。少し眠りにくいかもしれませんがね。あははは」

 「そ、そのようなわけにはいきませんよ! で、殿下がお休みに」

 「いえいえ、僕はゼファー殿に守ってもらうんですよ。そしたら、あなたの体調が万端じゃないと、僕は守ってもらえませんよ! あはははは」


 ゼファーは、手で頭を掻いて話すフュンの顔をまじまじと見つめた。

 何を考えているんだと思う。

 王族のような偉い人間が臣下に休めと言う。

 こんな男を今までに見たことも聞いたこともない。

 自分の叔父であるゼクスでも、部下には厳しい。

 絶対に言わない命令であるのだ。

 部下などの目下の者は、限界までこき使うのが当たり前ではないのか。

 それに誰が君主の前で眠れるものかともゼファーは思った。


 戸惑い動きを止めたままのゼファーの肩に、タオルが掛けられた。


 「はい。どうぞ。ゆっくり眠って休んでくださいね。そして、もし緊急時になりましたら、起こしますからね。僕のことは気にしないで眠ってください! そして体力を元に戻してくださいね。きっとゼファー殿はお疲れですよね。昨日から今朝までずっと見張りをしてくれていたみたいですし、それにたぶん一昨日もあんまり眠ってないですよね。僕の元に来た時。朝早かったですから、更に早く起きているはずですよ。どうせ、ゼクス様が早朝から無理やりゼファー殿を叩き起こしたに違いないですからね。あははは」

 「で、殿下。な、なぜそれを・・・」

 「あ、やっぱり! 予想は当たってましたか。あははは。ゼクス様はとにかく朝が好きですからね。ほらほら、ゼファー殿。早く休んでください。ゆっくりする時にでも、またお話ししましょうね」

 「で、殿下。さすがに先に眠るのは・・・」

 「いいからいいから、僕は昨日たっぷり寝ましたから。休んで、ほらほら」


 強引にフュンに横にさせられたゼファーは、堅い椅子に頭をつける。

 揺れる馬車の中で、眠るのにもコツがいるが、ゼクスから色々な訓練を施されてきたゼファーにとって、これくらいの悪条件は睡眠の障害にならなかった。

 お言葉に甘えて眠りにつく。

 ゼファーは目を瞑った。


 (こんなにお優しい方が王族にいてもいいのか? このお方は、この先大丈夫なんだろうか・・・。優しすぎる)

  

 眠る寸前の頭の中。

 陰謀渦巻く帝国で果たしてこの優しい王子が生きていくことが出来るのかと、ゼファーは心配になって眠りについた。


 

 ◇


 低音が下から響く。

 地面を踏みしめて走る馬の蹄の音が増えた。

 眠りについていたゼファーは目を開けて、耳を澄ませる。

 馬車の外に意識を集中させた。


 すると、遠くの方から矢が射られた音が聞こえた。

 そこから間もなくして馬車の上部に矢が当たる。

 敵襲だと判断したゼファーは飛び起きた。


 「殿下! 頭をお下げ・・・・・くだ!?」

 「あ、起きましたね。ゼファー殿は流石ですね。起こさなくとも起きてくれるとは・・・はい、盾を一応」


 フュンは片手の盾をゼファーに渡した。


 「あ、ありがとうございます。もうご用意されてそれに殿下が私を!?」

 「ええ、まあ。起こすことを先にするよりも、守りながら起こそうかと思いましてね……まあ、ゼファー殿には心もとないでしょうが、もし矢が入ってきていたら大変でしたからね」


 フュンはゼファーを守るように盾を構えていた。

 おぼつかない手つきなのは一目瞭然だ。

 だけど、それでも自分を守ろうと行動してくれていることに、ゼファーは少し感動していた。


 「結構いますよ。ほら」


 フュンが窓を指さすと、ゼファーは半身で窓に近づき、敵の数を確認する。


 「4・・5・・7。あとは反対。9・・10となかなかの数です」

 「この馬車が豪勢ですからね。もしかしたら敵は金目のものがあるとでも思ったのですかね」

 「恐らくそうでしょう。殿下! これは本格的に戦わないといけません。殿下はお下がりください」

 「そ。そうですか。気を付けて」

 「はい」


 会話の後。敵の矢により窓が割られた。

 先ほどの屋根に当たった矢とは威力が違う。

 鋭い矢がフュンの足元に刺さった。


 「うわっ。や、矢が・・・と、突然!?」

 

 冷静なゼファーが慌てるフュンを隠す。

 窓の外からでもフュンの姿を見せないようにした。


 「囲ってる連中には弓を持つ者がいないのに。一体どこからだ・・・相当な遠方から・・・」


 呟いたゼファーは、矢の軌道から逆算して確認する。 

 囲ってきた敵よりも遠くで馬を走らせる者が一人いた。


「…おお・・・あいつか。なるほど。あの距離でこの威力……手練れだ!」


 ゼファーは、フュンに顔を向けた。


 「殿下! お下がりください! あと、盾を持って警戒を忘れずにいてください! 敵は私が必ず撃退しますのでご安心を!」

 「わ、わかりました。お願いします」


 ゼファーは、指示を出した後にそのまま馬車の屋根に飛び出した。

 体に隠している組み立て式の槍を完成させて、王子側の反撃の口火を切るのである。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る