第2話 フュンの人柄
サナリア王国の本城アサイン城。
一階建ての城で横長の形で建造されている。
てっぺんにある黄色い球はまるで玉ねぎのような形だ。
城の西の部屋で声が響いた。
「こんな服! 誰が着るものか! 無礼者が」
声の主は、第二王子ズィーベ。
癇癪を起こしてメイドの女性を叱責していた。
この癇癪自体はいつもの事だが、声がいつもよりも激しかった。
彼の声に合わせて、何度も何度も「申し訳ありません」と女性が謝り続けている。
「貴様は愚図すぎるのだ。私から父上に言いつけてやる」
「そ・・・それだけは・・・・そ・・・れだけは」
「うるさい。私にすがるな」
ズィーベは自分の足元にすがってきたメイドに腹を立てて硬い棒を取り出した。
「どけ! 邪魔だ! 私の前に来るな」
折檻した音が部屋中に響く。
【ゴン、ゴン、ゴン】
最後の棒の威力に押された女性は廊下に飛び出た。
「きゃあ」
メイドの女性は腹と口を押さえながら廊下に倒れ込む。
「ぐふ・・・ごほ・・・」
朱色の絨毯の上に、赤い血が軽くついた。
◇
アサイン城の西の先にある小さな庭園。
そこに用があったフュンは、鼻歌を歌いながら上機嫌に西廊下を歩いていた。
あそこの角を曲がりさえすれば、庭園に出るといった所の前にある部屋から女性が飛び出てきた。
よだれと血を同時に出している女性を見て、これは一大事だと判断したフュンは、左胸の内ポケットにあるハンカチをサッと取り出して、丁寧に彼女の口を拭いてあげた。
「君は……たしか、マーシャだね!?」
「・だ・・・だ・・だれ・・・」
自分のメイドでもないメイドの名前を言い当てたフュン。
勉強は出来ずとも、メイドや執事や兵士たちの名前を憶えている王子であった。
「な、なんてことだ!? その血は・・・だ、大丈夫かい!」
メイドを介抱したのは、『フュン・メイダルフィア』
サナリアの王アハトの第一王子である。
彼は、また別なハンカチを取り出して、「これを使ってくださいね」と言い、彼女の手に直接手渡した。
マーシャが顔をあげると、目の前に現れた柔和な顔に驚いた。
「…フュ、フュン王子!? も、申し訳ありません。私のような者に……ハンカチまで……あ、あなた様のお手を煩わせてしまい……も、申し訳ありません……」
「いいんですよ。僕が勝手にしていることなんですから、そんなこと気にしないでください。それより体は大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫であります。お気になさらず・・・ごほごほ」
「あれま。それは嘘ですねぇ。マーシャ。全く大丈夫じゃありませんよ! 嘘はいけませんね。あははは」
自分のしていることが彼女の重荷にならないようにフュンはあえて笑う。
穏やかで優しいフュンは、彼女を抱きかかえた。
廊下の壁に寄りかからせて、彼女の安静を保つ。
「ここで休みましょうね」
マーシャの背中が廊下の壁につくと、フュンは扉の向こうの人物を見た。
「な、何用ですかな。兄上」
後ろめたい様子を少しだけ見せたズィーベは折檻するための叩き棒を背中に隠した。
「僕はここに用はなかったんですよね。別な用でこの先に行こうとしていたんですがね……」
ここで優しい顔のフュンの顔つきがガラリと変わる。
弟を鋭く睨む。
その眼にいつもの彼の優しさはなかった。
「・・・・ズィーベ、君が彼女をこんな風にしたのかい?」
「あ、兄上には関係のない事だ」
「どうしてこんなになるまで殴った。なにに怒ったんだ。人に暴力を振るうなんてよほどのことだろ!」
「・・・・・」
温厚で平凡なフュンは、何をしても能力がないと王宮の者たちに馬鹿にされて生きてきた。
それはこの二歳違いの優秀な弟といつも比べられていたからである。
フュンはとても穏やかで優しい性格をしていて、活発で機敏で傲慢なズィーベとの争いを避けていることも、彼らに馬鹿にされている原因だったかもしれない。
しかし実際に彼自身に能力がないことも事実であり、現に勉学も武芸も、年下であるはずのズィーベに一度も勝てていないのだ。
でも、フュンという男は、誰かが傷つくような場面では勇ましい。
フュンの普段の様子は、あの英雄アハトの子供であるのかと疑いたくなるほどに、気が抜けていて、いったいどこを見ているのか分からないくらいにボケっとしているのだが、こういう場面でのフュンの顔つきはまるで別人のようである。
特に眼差しのキレは凄まじく、相手の動きを止めるような力を持っていた。
そして今、ズィーベは、フュンの眼で言葉を出せずにいた。
「どうしてこんなことをした。彼女がズィーベに何をしたというのだ! ここまでの酷い仕打ちをしなければならない事とは一体何だ!? ズィーベ。その棒……兵士の訓練とは違うのだぞ。メイドの人たちは、僕たちの命に関わるような事はしていないんだ。命に関わりのない事で、命を取ろうとするなんて、以ての外だ・・・・僕は君にいつも言っているだろ。メイドや執事、兵士の皆さんを大切にしなさいと。僕らは、この人たちがいなければ、生きていけないんだぞ! いい加減にしなさい! 子供であっても王族だぞ。立派な人になりなさい」
「・・・・・」
険悪な雰囲気が流れて……数十秒後。
二人の間に、女性が入った。
「フュン! 何をしているのです! 私の可愛いズィーベに向かって、なんて口のききよう! 薄汚い女の子供のあなたが、この子に何の用ですか」
優雅に扇子を持ちながらフュンを叱責したのは王妃カミラ。
長い赤の髪を癖のあるカールヘアーでまとめ上げた派手好きな女性である。
ズィーベの母にして、フュンの継母である。
「王妃様ですか。私はズィーベに問うておりました。その際のズィーベの態度が良くないので、少々声を荒げました」
フュンは王妃の顔を見ない。
姿だけを確認してフュンは、顔を下げて質問に答えた。
「何をズィーベに問うたのです?」
「はい。なぜ、メイドに手を挙げたのかと聞きました」
「あら、そんなこと」
「そんなことではありません。僕らにとってメイドは大切。この事を指導するのは本来は王妃様です」
「なんですって!・・メイドに手を上げたくらい・・そんなことはどうでもいいことでしょ」
王妃はメイドを傷つけたことなど些細な事であると言い切る。
この傲慢さがズィーベに受け継がれたのだろう。
フュンは、自分の指導がズィーベに届かない事が分かっていても、毎回やってしまっていた。
上手くいかないやるせなさを持っても、フュンは後悔をしない。
自分に正直で他人の為に動く人物なのがフュンという男であった。
「あなたは今すぐここから消えなさい」
「・・・・」
王妃の言葉後。
フュンは黙ってさらに頭を下げてから、王妃の顔を見た。
「なに、その顔は……私に何か文句がおありでも」
「…い、いえ」
鋭い眼を一瞬だけ王妃に見せて、フュンは立ち去る。
その前に、フュンはマーシャを抱きかかえて持ち上げた。
この行動におかしな点が一つもないのに王妃は怒り出す。
「フュン! 何をする気です。私たちのメイドをどこに連れて行こうというのですか。その者は私たちのメイドですよ」
「ええ。知っております……ですが、王妃様のそのご様子だと、この方の治療しませんでしょう。なので、僕が治療してからお返しします」
「何を言っているのです。私たちの所有物なのです。私たちが好き勝手してよいのですからね。その女は、ここに置いておきなさい!」
彼女のことを物と言ったことでフュンはうんざりした。
怒りも通り越し、彼はあきれるばかりであった。
「はぁ、お分かりいただけないようなので。ここははっきりお伝えします。王妃様。メイドは僕らの為に働いてくれる人達。という事は反対に僕らはこの方たちを大切にしなければならないのですよ。王妃様こそ何をおっしゃっているのやら。彼女を万全な状態にしてどこに出しても恥ずかしくないようにすれば、彼女は自分の仕事を全うできるようになり、また僕らの為に、働いてくれるのです。こんな当たり前のことを……なぜお分かりになられ・・・いや、その様子だとこの先も分かってはもらえないのでしょう。ですからここははっきり言います!」
フュンは、怒りのあまりに早口で言い過ぎたので、ここで話のタメを作り相手を威圧する。
「彼女を連れて行くことに、口を挟んでもらいたくない! あなたに何と言われようとも私はこの方を治療します! ですから、そこをどいて頂きたい。一刻も早く治療したいのです。女性の顔に傷が残ったらどうするのですか。あなたも顔に傷が残ったらどう思いますか。嫌でしょう」
普段とは違う王子の立派な姿に部屋の中にいるメイドたちまでも感動していた。
当然そばにいるマーシャはもっと感動していた。
目が潤み王子の顔が見えなかった。
「な、生意気な……いい加減にしな・・・」
通り過ぎようとするフュンの肩をカミラが掴む。
カミラは、振り向いた彼の顔を見てしまったら、次の言葉を出せなくなってしまった。
フュンの鬼の様な形相に体が固まった。
しかもこの顔。
アハトの戦闘時によく似ていて、さらに目があの忌々しい女にそっくりだった。
「・・・あの・・・忌々しい小僧が・・・・」
最後に歯ぎしりだけは出来たのだった。
◇
アサイン城の医務室。
フュンは、メイドのマーシャに治療を施すため、入室早々に準備をする。
「これくらい・・・じ、自分で治療できますから。王子はお部屋にお戻りに」
と言った彼女の言葉を完全に無視して、フュンはテキパキと動き出す。
消毒液や綺麗なガーゼを棚の中から手早く取り出していった。
彼はどこに何があるかを完璧に把握しているみたいで、普段からこういう事をするのが当たり前であるらしい。
珍しい王子もいたようだ。
「王子。私のような…駄目なメイドをかばうせいで、また王妃様に嫌われてしまうのでは」
「あははは。またですか……まあ、マーシャが僕のことを気にしなくていいんですよ。それにマーシャは駄目じゃありませんよ。あなたは立派なメイドさんですよ」
フュンは怪我の治療のための薬品を揃えて、マーシャに近づく。
「いいですか。王妃様と僕が仲良くなることは今後一切ないんですよ。最初から嫌われていますからね。ですから、さっきのやり取りをマーシャが気にしないでくださいね。それにですね。あれ以上、君があそこにいればもっとひどい怪我をしちゃいそうです。僕はそっちの方が嫌ですからね。だから気にしないでください」
王子様直々の治療を受けるなんてと、困った顔をしたマーシャにフュンは微笑んだ。
彼の慈愛に満ちた笑顔。
これだけで、マーシャは自分の傷ついた体よりも先に心の傷の方が治りそうであった。
「それじゃあ、少し痛むかもしれないけど我慢してくださいね」
フュンは、マーシャの唇付近に出来た擦り傷を消毒する。
同時に綺麗なガーゼを口に当てて、唇の下の血もふき取る。
彼女の口元からの血は、少量だった。
さらに傷口自体は大したことはなかったのだが、フュンは心配そうな顔をした。
「ああ。ああ。こんな所にも血がついてる。でもよかった。女性の顔に傷が残ったら大変だったよ。綺麗に治りそうでよかったね」
とフュンは最後に優しくそう言った。
フュンは、城で傷つく者たちをよく治療していた。
それはズィーベに傷つけられたメイドたちだけでなく、執事なども含む。
それにまたズィーベの無茶な訓練に付き合う兵士たちの治療も行っていたのである。
王子でありながらこのような行為をすることはよくないのかもしれないが、フュン自身は皆の為に何かしてあげたいと心から思っている行動だった。
為政者としては間違っている。
そう王宮の誰かに言われたとしても、人としては何一つ間違えていない。
フュンは、王族の常識に捕らわれない考えをしている人間であった。
しかし、そういう考えを持っているからなのか。
王宮の者たち。
特に武官たちからは蔑まされている面もある。
ただ、一部の王宮の者たちからは熱烈に尊敬されてもいる。
執事やメイドらの中には、この王子の為に生涯を懸けて尽くしていきたいと思う人がいるのだ。
「い、いた……」
「あ、痛かったかい。ご、ごめんね。今度は上手くやりますからね」
「いえ。いえいえ。フュン王子のせいじゃありません。私が痛がったのは私のせいなのです。王子は決して悪くありません」
頬を赤らめるマーシャは王子のせいではないと必死に首を振って弁明した。
「そうですか。でも痛みを我慢しちゃったら駄目ですよ。いいですね」
「わかりました」
フュンは用具を片付けて、彼女の顔を見る。
「マーシャ。いいですか。またどこかが痛み出したら、夜中でもいいからこっそり僕の部屋にきてくださいね。僕は寝てても起きますからね。また治療してあげますよ! この部屋は、君たちのような王妃様のメイドさんたちは勝手に来ちゃいけない場所でしょう。あの人は他の部屋に入ることを許可しませんからね。困ったものですよね。ですから、僕を呼んでもらえれば、ここには簡単に入れちゃいますよ。マーシャ。いいですか。僕が王子だからって遠慮しないでくださいよ。あははは」
いつでも優しいフュンのその言葉だけで、マーシャの心は救われたのでした。
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