19 やがて来る月
食事も終わり、二人は再び車を走らせた。
そして車は港に着く。
「あー、なんか久し振りに来たわ。」
彼女達は港の前にある公園に来ていた。
今日は休日で遊びに来ている人達が所々にいた。
近くには白い帆船のような目立つ建物があった。
天気は良く、遠くの海を船がゆっくりと動いているのが見えた。
空の東には上弦の月が出ている。
青空に白く浮かんでいた。
「修作、月が出てる。」
菜月が月を指さした。
「あ、白いなあ。昼間の月も綺麗だね。
これから毎日大きくなって少ししたら満月だ。」
修作が笑って菜月を見た。
「地球は月が一つだけだよね。
ふたつあるとどんな風に見えるのかな?」
「ふたつの月……。」
菜月は考える。
「遠い感じがする。」
修作ははっとした表情になり菜月を見て微笑んだ。
「僕も何だか遠い感じがするんだよ。」
あまり考えずに答えてしまったが、
にこにこと笑っている彼の顔を見て彼女は嬉しくなった。
それは多分二人にしか分からない感覚なのだろう。
修作は周りを見渡す。
「僕はここに来るのは初めてだな。」
「ここも直斗さんに聞いたの?」
「そうだよ。」
二人は少しばかり高い所にあるベンチに座った。
風が微かに吹いて菜月の髪の毛を揺らした。
「ねぇ、戻ってみてどうだったの?
全部報告したの?」
隣に座っている修作を菜月は見た。
「ああ、僕が地球で調べた全てを報告したよ。
主に君の事だけどね。」
菜月が少しばかり複雑な顔になる。
「正直なところ色々知られてしまうのは恥ずかしいし嫌だけど、
仕方ないわね。」
「ごめんね、でもその全ては僕達にとってはただの現象なんだ。
肉体と魂を持つ生命体のね。」
多分その中に彼との初めての夜も含まれているのだろう。
「それでどうなったの?」
「どうなったと言うか報告して終わりだよ。
精神生命体と地球の生き物は違うねと。
まあ結局は精神生命体としては肉体があるものは
理解しがたくめんどくさーいじゃないかな。」
「面倒くさい?」
「そうだよ、面倒だよ。
精神だけなら一瞬で分かる事が言葉を尽くしたりしないと理解出来ない。
それでも通じ合わない時もあるし、
精神生命体としてはそれはあまりにも不合理ではないかと。」
「まあ、それはそうかもね。」
もし彼の言う精神生命体なら
彼が何週間かいなくなる理由も説明する事なく分かっていただろう。
そして彼女が思い悩む事も無かったはずだ。
「その方が楽は楽よ。
今まで悩んでいた出来事のほとんどは無かったかも。」
修作がふっと笑う。
「そうかもな。
報告をしたらほとんどの人がそう思ったみたいだよ。
それと地球人の愛についても報告した。」
「愛?」
「人の愛は肉体と精神の二重構造だって。
だから面倒くさくて分かりにくいんだけど、
それが一緒になるととてつもない喜びがあるって。
だから人になりたがる者がいる理由の一つかもと報告したよ。」
彼は彼女を見た。
「僕はそれで地球人になりたいと言ったんだよ。」
「えっ?」
「日本人になって戸籍を下さいと言ったんだ。
だから免許も取れたんだよ。」
菜月が驚いた顔で彼を見た。
「なんで……、」
「なんでって住民票が無いと自動車学校に行けないし。
それで勝手に本籍と住民票をマンションにしたけど良いよね。」
「それは、構わないけど……。」
遠い所で船の汽笛が鳴る。
「私からすれば行き違いとか何もない世界の方が羨ましいのに。」
彼女は色々思い返す。
自分の人生は楽しい事もあったが辛い事も沢山あった。
それらはもしかすると修作がいた世界なら
起きなかったかもしれない。
菜月にすれば彼の世界は悩みも何もない
平安な世界に思えるのだ。
「僕もそう思う。」
修作は彼女を見た。
「それでも僕はこちらを選んだ。
平和でつるんとしたみんな同じの世界より、
複雑で面倒くさくてうまく行かない事の方が多い
こっちの世界が良かったんだ。」
二人の目が合う。
「みんな別々の人間なんだよ。
それぞれ別の事を考えている。
それも簡単に他人には分からない。僕はそれが良いんだ。」
「向こうの人に止められなかった?」
「やっぱりね、と言う感じだったよ。」
菜月はあっけにとられた様な顔になった。
「要するにはまるんだよ。
僕が元々いた世界は全部同じ色なんだ。
それが良いと言う人がいるのは確かだ。
だけどこちらは沢山の色がある。
しかも心の中はまた違う色なんだよ。
難しくて複雑で混乱でややこしくて悩んじゃうけど面白くないか?」
「そんなものなの?」
修作が隣で彼を見上げている菜月を見た。
「それにこっちには菜月がいる。」
「私?」
「ああ、菜月がいるのに戻らないってあるわけないだろ?」
彼の指がすうと彼女の頬を撫でた。
「やっと菜月に会えた気がするんだ。
それが一番の理由だよ。」
「やっと?」
「そう。直斗と茜があのマンションに引っ越して
君と会った時から。」
それは一年半前だ。
隣に直斗と茜が引っ越して来た時に挨拶に来た。
その時に菜月はぼんやりとした光を直斗の後ろに見たのだ。
「その時、菜月は驚いた顔をして僕を見ただろ。」
「あまり覚えていないけど、
その後も何度も直斗さんの後ろに光が見えて正直怖かった。」
「幽霊だと思ったんだろ?」
「そうよ、精神だけの生命体なんて分かる訳ないじゃない。」
「それはそうだよね。」
修作が笑う。
「その時から僕は菜月を調べ始めたんだ。
時を遡って色々な時代に生きた菜月の魂を調べたんだよ。
一人の人がどう生きてその心はどんなものか、
生まれ変わると人はどうなるのか。」
「それで何が分かったの?」
二人の目が合う。
「はっきり言ってよく分からない。」
「なにそれ?」
「複雑なんだ、一言では言い表せないんだ。
それが一番すごいと思った。
そして僕がここに来たのは菜月と会うためだと思ったんだ。」
「私と……?」
「そう、もう絶対に菜月から離れたくない。
今までみたいに菜月が一人で死んで行くのは見たくないんだ。」
彼の口から菜月の以前の人生の話を聞いた事がある。
全員結婚もせず一人で死んだのだ。
彼はそれを言っているのだろう。
「それで昔私を助けた事が歴史を改ざんしたかもって、」
「ああ、あれか。」
彼はふっと笑う。
「過去の菜月は誰も結婚したり子どもを作っていないんだ。
だからそれほど大きな変化はないって。
むしろ僕が助けなければいけなかったらしいよ。」
「えっ、どういう事?」
「何ともないんだよ。むしろ必要だったんだ。
多分出会うために僕は菜月を助けたんだよ。
それは必然なんだ。」
二人の目が合う。
菜月にはいまだに全てがよく分からない。
だがそれでも修作が今ここにいる事は
運命の一つなのではないかと感じた。
彼と出会った時から自分の何かががらりと変わった気がする。
修作が菜月を見た。
「だからこれから僕は君と一緒に生きる。
もう絶対に一人にしない。」
彼女ははっとして彼を見た。
二人の目が合う。
「菜月、結婚して。」
菜月は息を飲んだ。
「あ、あの、」
「だから地球人になったんだよ。戸籍も取った。
すぐに結婚出来るよ、だから、その……、」
じっと菜月を見ている彼の顔がどんどん赤くなる。
「修作、急過ぎる。」
「急じゃないよ、一緒に住みだしたのは一年前だけど、
僕は君と会った時からずっと一緒に居ると決めたんだ。
これは運命なんだよ。
だから魂の定点観測の対象にしたんだ。それは一年半前だよ。」
「は、半年しか違わないじゃない。」
「僕は千年前の菜月から知っているんだよ。」
彼の目は真剣だ。
「結婚して、菜月。」
彼は彼女の手を強く握った。
「……あの、仕事ってどうするの?
今は茜さんのお父さんの町工場だけど、
あそこは訓練所みたいな所で地球人になったら
別に探さなくちゃいけないと言っていたじゃない。」
「あ、それもちゃんと決めたよ。
来週から仕事に行くよ。
今の仕事場と関係している所で誘われたんだ。
営業職だから車の免許も必要だったし。」
「就職していきなり結婚なんて、」
「だからその前に入籍するんだよ。
最初から妻帯者ですの方が面倒くさくない。」
「でも、」
「手続きが楽になるように名前も天塚にして
住所もマンションなんだよ。
菜月がうんと言ってくれればそれでオッケーなんだ。
だから結婚して。」
菜月は大きく息を吸った。
「それとも菜月は僕と結婚したくないの?」
彼女はゆっくりと息を吐く。
それを見る修作の目が大きく見開かれて
少しばかりうるんでいた。
「……したくない訳じゃない。」
その声は小さい。
「菜月、もっと大きな声で言って。
ちゃんと言葉で言ってくれないと分からない。
この世界はそうだろ?」
「……結婚する。」
「もっと大きな声で。」
菜月が彼を見てはっきりと言った。
「結婚する。」
それを聞いて修作はにっこりと笑った。
「菜月、ありがとう!」
と彼は言うと彼女を強く抱きしめた。
そして顔が合う。
「修作、私ニンニク臭いかも。」
「良いよ、だから僕もニンニクましましましまし餃子を食べたんだ。」
菜月は思わず笑いだし、修作も笑った。
そして二人はそっと顔を寄せて唇を重ねた。
柔らかく温かい感触だ。
それは体が表す喜びの感情だ。
菜月は彼の頭に触れた。
そこにはあの傷がある。
「体はそのままね。」
「そうだよ、思い出が刻まれた大事な体だ。」
修作が彼女の耳元に口を寄せる。
「それに子どもも作れるよ。」
菜月がはっとして修作を見た。
「この前は正式な地球人じゃないから繁殖能力は無かったんだよ。
でももうちゃんと地球人になったから、子どもが作れるよ。
直斗と茜みたいに子どもを作ろうよ。人類を増やそう。」
「あの、子どもって、結婚もまだなのに修作はほんとせっかち……。」
「だって菜月も茜と一緒で繁殖可能だろ?
僕は子どもが大好きだからさ、
早く自分に似たヒトの幼体が欲しい。」
「幼体って、」
「遺伝情報を僕達から半分ずつ貰うんだよね。
どっちに似るのかなあ。」
その時だ、
「お二人さーん。」
抱き合う二人の後ろから声がかかる。
はっとして後ろを見るとそこには直斗と茜がいた。
「直斗さんと茜……、どうしてここに。」
菜月が少し赤くなり、修作から離れた。
だが茜が菜月の横に座る。
「別にいいでしょ、菜月だって朝、
わたし達がキスしているのを見てるじゃない、ねえ、直斗。
それにこの場所は直斗が教えたんだよ。
だからここに来たの。」
修作の横に直斗が座る。
ベンチはぎゅうぎゅうだ。
「だよな、
俺もここで茜にプロポーズしたんだ。
修作達も仲良しで俺は嬉しいよ。
ところで二人とも物凄くニンニク臭いな。」
「それが直斗が教えてくれたアン・ボン・レストランは
無くなってたよ。
代わりに背脂ましまし益子さんと言うラーメン屋になってた。」
「あー、そうか、すまん、3年近く前の話だったから。
でもラーメンの後にプロポーズか。」
両脇から大川夫婦が二人を押す。
まるでおしくらまんじゅうだ。
茜がそれを聞いて笑った。
「直斗がプロポーズしてくれた時のルートだよ。
おしゃれな店で食事して港に来て
わたしにプロポーズしてくれた。」
「直斗からばっちりだぞ、と言われたけどラーメンだったよ。」
それを聞いて菜月が笑い出した。
「私はラーメンとニンニクましましましまし餃子を注文したのよ。
だから修作も注文したのね。」
「だって多分オッケーしてくれたらキスするつもりだったからさ、
おんなじ臭いでないと……。」
直斗と茜が大声で笑った。
「こうやって気を使う修作はいい男だぞ。
菜月さんはいい男を捕まえたな。」
直斗は笑いながら菜月を見た。
「わたしと同じ一発逆転ホームラン打ったね。」
茜が言うと菜月が笑って頷いた。
「じゃあみんな、今から役所に行くよ!」
修作が立ち上がる。
「えっ、」
菜月は驚くが直斗は嬉しそうに言った。
「ああ、行こう、保証人が要るだろ?」
「そのつもりで来たんだからわたしも印鑑、持ってるよ。
修作も持って来たよね。」
「昨日買って来た。」
「あ、あの、私……、」
「茜も持っているよね。
性格的にそう言うものはいつもちゃんと持ってる。」
茜がこくこくと頷く。
「じゃあ全然問題ない。行くぞ。」
直斗と茜がベンチから立ち上がり歩き出した。
「そうだ、修作、
今日はお祝いだからあのケーキ屋でケーキを買おう。
お前と菜月さんのめでたい日だから俺が奢るよ。」
「えっ、ホント?」
修作が嬉しそうな顔になる。
「じゃあ、シュークリームが良いな。」
「今日はもっと高いのでもいいぞ。」
「高いのにしなよ、修作。」
茜が少し呆れて言った。
「スワンのシュークリームが良い。」
修作が腕を組んで言った。
それを見て菜月が笑う。
「修作はあれが好きなんだよね。」
修作が菜月を笑いながら見て頷いた。
「僕達も行こう。」
修作が菜月に手を差し出した。
彼の顔は明るい。
その後ろに青い空と雲が菜月には見えた。
爽やかな地球の色だ。
「うん。」
彼女は笑いかけると彼の手を取り立ち上がった。
修作の手が彼女の手をしっかりと握る。
そして菜月もその手を強く握った。
大きな手だ。
初めて彼と会った時から変わらない温かな手だ。
遠くで茜が手を振る。
二人は顔を合わせて速足で歩き出す。
そして青空には白い月が浮かび皆を見降ろしていた。
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