20 守られたもの
香しい花の香りがする。
明け方の浅い眠りの中の夢で、
ナーは昨日を思い出していた。
ふたつの月が浮かぶ空、花が咲く木の下でシーと約束をしたのだ。
一緒に旅に出ると。
長い長い旅だ。
その果ては新しい世界だ。
そこで二人はまた仲良く暮らすのだ。
今までの様に笑い合って。
温かな手の感触を夢の中でナーは思い出す。
幸せな夢を見ている彼女の目から涙が零れた。
そしてナーは目を覚ます。
自宅の別の部屋からカタカタと音が聞こえた。
母親や父親が朝の準備をしているのだろう。
いつもなら隣のシーの家からも何か聞こえる。
それは生活の音だ。
だが今日は隣からはなにも聞こえない。
妙にしんとして気配がなかった。
ナーははっとして起き上がった。
慌てて隣を見ると庭越しにぴったりと窓が閉められた家が見えた。
人の気配が全くない。
彼女は慌てて寝具から出て台所へと向かった。
そこには父親と母親がいた。
「お母さん、シーは!」
ナーは慌てて母親に走り寄った。
父と母は顔を見合わせて複雑な顔をする。
「その……、夜明け前に行ってしまったわ。」
「えっ、ウソ!」
それを聞いてシーの眼から涙が溢れた。
「昨日約束したの、一緒のロケットに乗るって!
今からロケットに行く!」
だが母親は首を振った。
「そんな事出来ないわよ、
コールドスリープ装置は人数分しかないのよ。」
「だって、だって、そうしないとシーともう会えなくなる!」
ナーは大声で泣き出した。
それを母親は立ち竦んだまま彼女を見下ろした。
どうしたらいいのか分からなかったからだ。
父親がナーのそばに来て彼女をそっと抱いた。
ナーが住む惑星は星としての寿命が尽きかけていた。
恒星は赤く大きく膨れていた。
有害な電波が徐々に増えて地上の生き物にも影響が出始めていた。
そしてその星の人類はある決定を下した。
他の居住可能な星に移住する事を。
それは全員ではない。
そして皆が同じところに行ける訳ではない。
いくつかの星が候補に挙がり、人々は選別された。
あまりにも辛い選択だ。
そして次々と人は旅立って行く。
そのロケットの一つにシーが乗り、
別の物にナーが乗る事になっていたのだ。
やがてナーは泣き止む。
「お父さん、もうシーとは会えないよね。」
父親は悲しそうな顔をする。
「それは分からない。
目的の星に行くまで大変な時間がかかるが
そこに着いて今の様な科学力が使えたら
もしかしたら会えるかもしれない。」
「ほんと?」
それはただの慰めかもしれない。
だが今はそう言うしかないのだ。
この小さな子には。
ナーは窓の外を見た。
赤く染まった空には月は無かった。
かつてはこの空も赤くはなかった。
巨大に膨れ上がる恒星のせいで空はいつも赤い色をしていた。
その光の中には有害なものも含まれているのはナーも知っていた。
別の星に行く事も理解していた。
外に出ても安全なのは直接恒星が出ない夜だけだ。
ふたつの月が優しく光る夜だけが
生き物を優しく照らした。
そしてその下で交わした昨日の約束は果たされなかったのだ。
もうどうしようもなかった。
そして翌日ナーの家族もその星を旅立った。
星に残っているのはもう先の長くない者ばかりだ。
それでも彼らは手を振る。
命が続く事を願って。
そしてナーのロケットはとてつもない時間の後にある星についた。
また年若い星だ。
海の多い星で陸地を探してロケットはそこを目指した。
だがあまりにも古いロケットだ。
あの星を旅立ってから10万年経っていたのだ。
ロケットは着陸に失敗をし、本体は爆発してしまった。
全てが飛び散る。
それでも死傷者は一名もいなかった。
とうの昔に皆死んでいたからだ。
過酷過ぎる宇宙旅行。
ロケットは何度も危機に陥り故障も繰り返した。
その事故のひとつにコールドスリープ装置に致命的な故障が起き、
何万人と乗っていた乗員は全てその時に死んだ。
そしてその時に起きていた乗務員もやがて寿命が尽きた。
だがロケットはそのまま飛び続けた。
それはあてのない旅だった。
ロケットは故障続きで既に目的地を見失っていたのだ。
それでもロケットは使命は果たした。
やがてある惑星の近くにたどり着く。
青く輝く星。
だが辿り着いたその星も人が生きるには難しい環境だった。
あまりにも若すぎたのだ。
ナーを始めとする彼らの体は徐々にその大地に交じっていく。
そしてそれはそこで生命が生まれる苗床となった。
そしてシーのロケットは無事に目的の地に着いた。
元の星から旅立ってそれほど時間は経っていなかった。
その頃はまだ本星とは連絡は取れていた。
やがて時が経ち人々は生まれ変わった。
無事に文明が開かれて発展をする。
そしてシーもすでにこの世にいなかった。
彼が死を迎えた時に思い浮かべたものは何だっただろうか。
遠い約束を彼は覚えていたのか、ナーを思い出したのか、
それはもう分からない。
そこでは本星の事は全て伝説になっていた。
今ではその場所すら誰も知らない。
そして何万年経った頃か。
物質文明が極まり、人としての進化や発展に行き詰まりを
皆が感じ始めていた。
巨大な銀河の全貌がその星の人々の目に映る。
その中心には巨大なブラックホールが見えていた。
それは奈落だ。
この星の物質の全てを飲み込む穴だ。
飲み込まれたものはどうなるのか。
色々な説があり議論された。
だがそれは全て物質の話だ。
いわゆる精神的なものについてはどうなるのか。
やがて精神世界について理解が深まっていた。
そしてブラックホールに近づくにつれて
全てが歪んでいく。
恐ろしい引力が全てを引き延ばして破壊するのだ。
空間も時間も何もかもがゆっくりと変形する。
その時、扉は全ての人の心に突然開かれた。
肉体は全て消えていわゆる精神だけが
違う次元へと導かれたのだ。
生き物としての一つの進化の形なのだろう。
肉体は捨てられて全ての者が精神だけの存在となった。
その星の者は大きな一つの精神エネルギー体となり、
違う次元へとその生を全うするものとなった。
それは遥か昔の話だ。
元々あった本星は既にない。
大きく膨らんだ恒星に吸収されて、やがて大爆発を起こした。
もう誰も覚えてはいなかった。
かつてシーが移住した星も忘れ去られていた。
全ては原子に還り宇宙を漂い別の星を作る。
花が咲き誇る、月がふたつある星から放たれた命は
様々な星にたどり着きそれぞれに進化して
違う生き物となった。
だがふたつの月が輝く庭で交わされた遠い約束は、
知っている者がいなくてもそれは永遠のものなのだ。
交わした二人には魂の奥底に残っている。
芳しい香りを放ち夕日の中で花びらを輝かせて咲く花、
木からこぼれ落ちそうなほどに花は咲き誇り、
その下に座っている二人の子どもの上に
時々花びらを音もなく落とす。
小さな頃から一緒に育った二人は
その花びらを拾ってお互いの頭に乗せて遊んだ。
他愛のない小さな話をして一緒に笑い、
家から持って来た菓子を分け合って食べた。
綺麗な石を並べてゲームをして勝っても負けても二人は笑った。
そしてもしかすると二度と会えなくなるかもしれないと言う時に、
一緒に旅立つことを約束した。
その時温かい手は繋がれていたのだ。
それは二人がずっと一緒にいると言う意味だ。
離れてしまう事は考えられなかったのだ。
だが二人は再び出会う事なくその寿命を終えた。
それも誰も知らない話だ。
だが、その約束は記憶の彼方に残っていたのだろう。
時間の波に消されもせず、
本人は忘れていても二人の魂は覚えているのだ。
それは遠い未来で叶うかもしれない。
それがいつになるか。
無意識に二人は呼び合い惹かれ合い、
出会った時に本人達だけが分かるのだろう。
あまりにも広い宇宙のどこかで、
奇跡の様に二人は出会い願いは成就する。
いつかはその約束は守られ果たされるのだ。
必ず。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます