18 背脂ましまし益子さん




シューが姿を消してから3週間が経った。


確かに彼はしばらく出かけるからね、と笑って言った。

一度彼の世界に帰ったのだ。

彼が無責任にいなくなる性格ではないのは分かっていた。

だが全く連絡がない。


「一度連絡を取ったけど

何だか忙しいと言っていたけどなあ。」


心配になった菜月が大川家の部屋にやって来た。


皆はテーブルを囲み座っていた。

菜月は少し俯き気味で元気がない。

茜は心配そうに彼女を見ているが、直斗は呑気そうな顔で言った。

菜月は少し顔を上げた。


「でも直斗さんの世界の人達は心で通じ合えるんでしょ。

報告すると言ってもすぐ済むんじゃないの?」

「色々あるんだよ。しばらくすれば帰って来るよ。」

「でも……、」


茜が彼女の前にコーヒーを持って来た。

彼女のお腹は目立つようになっていた。


「菜月、心配なのは分かるよ。でも仕事だから。」

「……、」


菜月はまた俯いた。そしてしばらくすると涙がぽたぽたと落ちて来た。

その様子を見て二人は驚いた。


「ち、ちょっと菜月、大丈夫?」


茜が慌てて彼女の隣に座ってその肩に手を掛けた。


「ご、ごめんなさい、分かっているんだけど、

忙しいんだなとは思うんだけど、

全然連絡が無くて。電話したけど出ないし。

その、星に行っているなら電話は通じないのは当たり前だし、

無理とは分かっているんだけど。

それに昔私を助けた事が問題かもって……。」


菜月の言葉はしどろもどろだ。

それほど心配しているのだろう。

直斗が心配そうに聞く。


「昔助けた話はシューから聞いたのか?」


菜月が頷くと茜が近くのティッシュを彼女のそばに持って来た。

彼女はそれを抜いて鼻をかむ。


「……あの、」


茜が何か言いたげに話し出したが、

それを見て直斗が首を振った。

それを菜月が見る。


「やっぱりなにかあるの?」


鼻を押さえたまま菜月が言う。

直斗が首を振った。


「ないよ、何もない。」

「もしかしてそれがいけなくてシューは消されちゃったとか……、」

「そんなのある訳ないよ、

いつもより時間がかかっているだけだと思うよ。」


菜月の目が潤む。


「まあ、菜月、あまり深く考えないでもう少し待ってみたら。

明日は土曜だしお休みだから買い出しに行こうよ。」


菜月は無言で首を振った。

それを見て二人は顔を合わせた。


「取りあえず今日は何も考えずよく寝て、

また明日声をかけるから。

出掛ける用意しておいてね。」


菜月は仕方ないと言う様子で頷くと部屋を出て行った。

それを茜と直斗が見送る。

そして茜が怒った顔で直斗を見た。


「一体いつまで黙っていればいいの?

もう可哀想じゃない。」


直斗が首の後ろを掻いた。


「いやー、黙っていてくれって言われたからさあ。

でも多分明日何かあると思う。」

「ほんと?」

「俺も今は連絡が取れないからさ。

でも行く時に聞いたから多分だけど。

それにちゃんと手続きもしてあるから。」

「まあそれがあるから、いつかは戻るとは思うけど。」


茜が直斗を見た。


「それでも明日何もなかったら

本当の事を話すからね。菜月が可哀想過ぎる。」


直斗は複雑な顔をした。


「シューの野郎、早く連絡ぐらいして来いよ。

どうなっても知らんぞ。」


直斗が小さな声で呟いた。





菜月はなかなか眠れなかった。

真っ暗な中で彼女は目を開けている。


ついこの前は隣にシューがいた。

そしてお互いの気持ちが通じ合いやっと結ばれた。

彼と菜月の気持ちは一緒だったのだ。

ぎこちない彼の様子を彼女は思い出す。

それすら愛おしかった。


そしてその翌日、彼は家を出た。

一度自分の世界に戻ると笑いながら。

だから最初は不安ではなかった。


だがそれから3週間が経つ。

連絡は取れず相手からも何も言ってこない。

さすがに心配になるのは当たり前だろう。

それに自分を助けた件だ。

どう判断されたのか気になって仕方がなかった。

彼が自分を助けたことで歴史が変わってしまったのなら

ただでは済まないだろう。


もしかすると自分にも何かあるかもしれない。

だがそれよりシューの身に何かあったとしたら。

それを考えると背筋が寒くなった。

このまま二度と会えなくなったらどうしようと。


自分に何かあるよりそれが本当に怖かった。


彼女は布団の中で丸くなり、また泣いた。

不安で淋しくて仕方がなかった。




翌朝、彼女は目が覚めた。

いつの間にか眠ってしまったのだろう。

スマホの目覚ましはもうセットしていなかった。

いつもはシューが作った朝食の香りで目が覚めるのだ。


ぼんやりとした頭で起き上がった。

顏も泣き過ぎて腫れているかもしれない。

そして冬でもないのに部屋がとても寒く感じられた。


今日は休みだ。

彼がいればしばらく布団の中で仲良くしているか、

シューが朝食を作ってくれたかもしれない。


「私が作れば良かったのかな……。」


彼の言葉に甘えていつも作ってもらっていた。

彼が戻らないのはそれもいけなかったのかもしれない、

甘え過ぎたのだ、

と彼女は思いのろのろと立ち上がった。


朝食を摂ろうと冷蔵庫を見たが大した物が入っていなかった。

食欲も無い。


彼が心配で連絡があるかもと、

最近はろくに買い物もせず家に帰っていたのだ。

昨日茜が買い出しに行こうと誘ってくれたのを菜月は思い出した。

さすがにそろそろ買い物に行かないといけないかもしれない。

彼女は仕方なく水だけ飲んだ。


すると廊下から人の声が聞こえた。


「直斗、車は28番に停めれば良いの?」

「ああ、俺の車の隣だ。ちゃんと停められたみたいだな。」

「そうだよ、僕は優秀な成績で卒業出来たんだ。」


それはシューの声だ。

菜月は慌てて廊下に出た。

彼女はぼさぼさ頭でパジャマのサンダル履きだ。

だが今はそれどころではない。


するとそこにはマンションの駐車場を廊下からのぞき込んでいる

シューと直斗がいた。


「あー、菜月、おはよう。」


シューが呑気に菜月を見て笑った。

一瞬菜月はあっけにとられた。


だが急に怒りが湧いて来た。


3週間もなしのつぶてで戻って来たら

にこにこしながら普通におはようと言ったのだ。


菜月はしばらく無言で立っていた。

その異様な気配を感じたのかシューと直斗の顔がすっと真顔になる。

そして菜月がかつかつとシューに近づくと、

その腹に拳を打ち込んだ。




「当たり前よ、それはシューが悪い。」


菜月の家に直斗と茜とシューがいた。

台所のテーブルを囲み、菜月はタオルを顔に当てて泣いている。

ぼさぼさ頭のままだ。


「びっくりさせたかったんだよ。菜月も喜ぶと思って。」

「でも普通3週間も連絡がなければ何かあったと思うよ。

あっちに報告に行くと言ったんだから。

しかも昔やった事が問題かもと言われたらさあ。

菜月も心配で仕方なかったんだよ。」


茜がぎろりとシューを睨むと、彼は身をすくめて菜月を見た。


「……ほんとそうよ、私にやった事が何かいけなくて、

罰されていたらどうしようとずっと思ってた。」


菜月が真っ赤な目でシューを見る。

するとさすがに彼も申し訳ない顔になった。


「ごめん……、」


直斗がため息をついた。


「ごめんな、菜月さん、俺達事情は知っていたんだよ。

でもシューから口止めされていたんだ。」

「わたしも止められていたんだ。

でも今日戻ってこなかったら言うつもりだった。

だって可哀想過ぎるもん。」


茜が男2人を睨んだ。


「それでシュー、菜月にどうしてなかなか戻って来なかったのか

言いなさいよ。」

「そうだね。」


と言うと彼は胸元から一枚のカードを取り出した。


「運転免許を取ったんだよ。」


シューは菜月に免許証を渡した。

それを菜月は見る。


天塚あまつか修作しゅうさく……、」


彼の写真と名前がある。

そして住所はこのマンションだ。


「名前ってあの、住所も……、」


シュー、修作はにやりと笑って菜月を見た。


「これから僕を修作って呼んでよ。

それで車も買ったんだ。

直斗の車の隣に停めてあるよ。軽自動車だけど。」

「俺は修作、から頼まれて駐車場の申請をしたんだよ。

ちょうど隣が空いていたから。」


茜が手を合わせて菜月を見た。


「ほんとに、本当に菜月ごめん。

全部知っていたんだ。

でもだんだん菜月が辛そうになって来て……。」

「ううん、良いの、黙っているのも辛いよね。」


そして直斗が立ち上がる。


「本当に菜月さん、悪かった、

でも修作も考えている事があるんだよ。

後は二人で話をした方が良いと思う。」


茜も立ち上がる。


「わたしもそう思うよ。でも何かあったら連絡して。」


菜月が頷く。


「修作、俺が教えたルートはちゃんと覚えてるか?」

「ああ、ナビにちゃんと入れたよ。ありがとう。」


いまだに菜月は皆が何を話しているのかよく分からない。

二人は手を上げて家を出て行った。

そんな菜月を見て修作は言った。


「菜月、ドライブに行こう。」


菜月ははっとする。


「ドライブってついこの前免許を取ったんでしょ?

大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。昨日一日練習したし。」

「昨日って、昨日帰ったの?どこで寝たの?」


彼の顔が気まずくなる。


「あの、夜遅くに直斗ん家に行って泊まった。」


菜月の眉がきっと上がる。


「もう、ホント、昨日私がどんな気持ちでいたか分かる?

その隣でいたなんて、信じられない!」

「ごめん、僕の考えが浅かったよ。

こんなに怒るなんて、本当に申し訳ない。」


彼は深々と頭を下げた。


確かに菜月は腹が立っていた、

だがそれは彼がどんな目に遭っているか

分からなくて不安だったのだ。


とりあえず今は彼はここにいる。

生きていたのだ。


菜月は仕方ないと言う様にため息をついた。


「だからお詫びという訳じゃないけどドライブに行こうよ。

直斗から良いルートを聞いたんだ。」

「本当に大丈夫?」

「任せて。」


そして二人はドライブに出かけた。

軽自動車だ。


「これしか買えなかったんだよ。お金がなくてさ。」


菜月は車内を見渡す。


「別に軽でも悪くないけど、

修作には少し小さいんじゃない?

お金が足らなかったら私も出したのに。」


運転しながら修作が首を振った。


「それは駄目だよ、自分で買わなきゃ。

今回は時間がなかったから中古の軽自動車だけど、

働いてお金を貯めて買うよ。」


彼は焦る事なく丁寧に運転をしていた。

初心者とは思えないぐらいだ。


「何だかすごく運転が上手いのね。」

「結構前からあらかじめシミュレーターで練習してた。

だから初めて運転した時に教官がびっくりしてたよ。」

「それってカンニングじゃない?」


修作がにやりと笑う。


「だって初ドライブは菜月と行くって考えていたからさ。

その時に慣れていなかったらドライブが台無しだろ?」


菜月は修作の横顔を見た。

少し前の彼の雰囲気と何かが違う。


その時だ。


「あっ、店がない!」


少し焦った顔の修作の目線を見るとそこには


『背脂ましまし益子さん』


と言う名前のラーメン屋があった。


「ラーメン屋があるじゃない。」

「ち、違うよ、アン・ボン・レストランと言う店があるって

直斗から聞いたんだよ。おしゃれな店だって。」

「おしゃれな店?」

「直斗が俺も茜とそこに行って、って、あ、」

「???」

「何でもない、良いよ。別の所探そう。」

「いいよ、美味しそうじゃない。入ろうよ。」


菜月が店を見た。

ここのところ彼女はあまり食欲がなかった。

だが修作が帰ったので急に食欲が湧いて来たのだ。


「えーーー……、」


と言いつつ仕方なく彼は「背脂ましまし益子さん」の駐車場に車を停めた。


「えーと背脂ましましチャーシュー麺と

ニンニクましましましまし餃子、で、修作は?」


修作が苦虫を潰したような顔で菜月を見た。


「修作、どうする?」

「あー、ネギネギ盛り盛り塩ラーメン。」

「それだけで良いの?」


少し彼は考える。


「僕もニンニクましましましまし餃子。」


昼に近い時間か店内には客が結構いた。

むうとする熱気が店内に立ち込めている。

美味しそうな気配だ。


「茜のお腹、結構大きくなって来たね。」


修作が嬉しそうに菜月を見た。


「昨日直斗の所に泊ったけど、

もう赤ちゃんの準備がしてあったよ。ベビーベッドとか。」

「そうね、もうそろそろよね。」

「昨日、超音波の映像を見せてもらったよ。

ちゃんと手足があるんだよ。もぞもぞ動いてるし。

おなかも触らせてもらったよ。

見ていてもお腹がぐにゃーと動くんだね。」


修作にはとても興味深いのだろう。

そして菜月にとってもまだ知らない世界だ。


「赤ちゃんの服も見せてもらったわ。

下着は縫い目が外側にあるのは知らなかったわ。」


菜月が思い出すように呟いた。

修作がその顔を見る。

するとラーメンとニンニクがテーブルに運ばれてくる。


「これ、修作が奢ってね。」

「えっ?」

「3週間心配させたんだから。これで勘弁してあげる。」


菜月が餃子を食べながらにやりと笑った。


「仕方ないな。」


修作も彼女を見ながら餃子にかぶりついた。






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