16 身体の記憶
小学生三人組は小さな子を連れて横断歩道を渡っていた。
大きな交差点だ。
小さな子が一人で国道を渡っているのを
菜月は見た事が無かった。
それに小さな子が一人でいたら皆が気にして見るだろう。
だが今は大きな子どもといる。
見た人も気にはしないだろう。
三人は幼子を引っ張るように歩いて行く。
その時、直斗が後ろから走って来た。
「シュー、何があった。」
少し離れた所にいるシューと菜月が目で前を歩いている三人を指した。
「茜から聞いたが子どもの連れ去りか?」
「まだ分からないけどものすごく嫌な気がするの。」
菜月が少しばかり青い顔をして言った。
「茜は?」
「俺だけ先に走って来た。」
と彼が後ろを見る。
すると交差点の向こうで信号が変わったので立って待っている茜がいた。
彼女は手を上げる。
「多分後から来ると思う。一応無理するなと言ってあるから。」
「そうね、何かあったらいけないし。」
菜月が手を上げて茜を見た。
子ども達は裏道に入って行く。
その方向には古い大きな団地があった。
時間が進み周りの街路灯に明かりが点いた。
団地内も所々明るくなるが食事時が近いからか人気は無かった。
三人組は薄暗い自転車置き場に子どもを連れて行った。
そして顔を合わせて何か示し合わすと
何台か自転車を避けてその奥に小さな子を押し込んだ。
一瞬子どもの声がする。
だが恐ろしさで声も出せなくなったのだろう。
動かなくなった子どもをもっと奥に押し込むと、
子ども達は上から自転車を乗せて身動きできないようにした。
そして三人は顔を合わせてにやにやと笑う。
その時だ、彼らの後ろから声がかかる。
「おい。」
ぎょっとした三人が恐る恐る振り向くと、
そこにはシューと直斗がいた。
「何してるの?」
呑気な様子でシューは言うがその顔は怒っていた。
菜月がそこに走り寄る。
驚いた三人はだっと走り出すがそのうちの一人のパーカーの
フードを直斗が掴み取り押さえた。
それを二人の子どもが見て怒った顔で近くにいた菜月に駆け寄る。
「菜月!」
とシューが菜月の前に立ちはだかるが、
二人の子どもがシューに思いっきり体当たりした。
さすがに二人の力はシューでも防げなかった。
彼は止めてある自転車の中に倒れ込んだ。
「お前ら、動くな!逃げられんぞ!」
直斗の一喝だ。
逃げようとした二人が声に動けなくなり立ち竦んだ。
少し離れた所に茜がいて電話をしている。
警察だろう。
騒ぎに気が付いた団地の人が何人か出て来た。
茜が直斗に近寄って来る。
「そこの自転車の所に子どもがいる。出してやれ。」
茜は頷いてすぐに閉じ込められた子どものそばに行った。
菜月はシューが突き飛ばされた勢いで尻もちをついていたが、
シューを見てすぐに立ち上がった。
「シュー!大丈夫?」
彼女が彼に近寄ると彼がゆっくりと起き上がった。
「何ともないよ、大丈夫だよ。」
と彼は笑う。
だが頭からかなりの血が流れてだらだらと顔と服を汚していた。
倒れた時に自転車の何かで頭を切ったのだろう。
彼は菜月の驚いた顔を見て自分の額に触れた。
ぬるりとした感触がしたのだろう、少し手でこするとそれを見た。
「わぁ、血だぁ、」
「わあって、シュー、すごい出血だよ!すぐ救急車を呼ぶよ!」
立ち上がったシューがまた頭に触れた。
「痛いのかなあ、よく分かんない……。」
「シ、シュー、しっかりして!」
とシューが言うと彼の体がふらふらとした。
菜月が必死でシューを支え彼を座らせた。
「あ、茜!救急車も呼んで!」
直斗が慌てて叫ぶ。
騒ぎでやって来た団地の人達が小さな子を助けて
小学生を取り囲んでいた。
三人はその真ん中で座り込んで小さくなっている。
やがて遠くからサイレンの音が聞こえて来た。
シューが気が付くと病院にいた。
そのすぐそばに菜月がいて彼を覗き込んだ。
「シュー、大丈夫?痛くない?」
彼は自分の頭に触れた。
包帯が巻いてある。
「あっ、怪我したんだよね。」
「そうよ、憶えてる?血を見て貧血を起こしたみたいよ。
倒れた時に頭を自転車のどこかでスパッと切ったって。痛い?」
「今は痛くないけど……、でもどんよりしてる。
こう言うのが怪我をしたって事?」
「そうよ。」
菜月が少し笑う。
「今は痛み止めを打っているからそんなに痛まないだろうけど、
かなり切れたから結構縫ったよ。」
「血が出るとあんなになるんだ。ぬるぬるしたよ。」
とシューは感心している。
「呑気ねえ。」
と菜月が笑うが彼女の服は血で汚れていた。
「菜月の服が汚れた。」
シューの目が菜月を見る。
「何言ってるの、シューも結構汚れたよ。
でも……。」
菜月が彼の手にそっと触れた。
「そんな事より無事でよかった。」
菜月が彼の手をぎゅっと握るとシューの心臓がドキリとする。
その時、そこに直斗と茜がやって来た。
「大丈夫か、シュー。」
直斗が心配げにシューを見ると彼は身を起した。
「うん、少し痛い気がするけどよく分からないな。」
皆が少し笑う。
「それでどうなったの?」
菜月が聞く。
「ああ、連れ去った子ども達は警察が連れて行った。
閉じ込められた子も保護されたよ。
いなくなって親が警察に届けていたからすぐに親御さんが来た。」
「良かった。」
菜月がほっとする。
「それでシュー、」
直斗が少し申し訳なさげに言う。
「お前の怪我なんだが、その、これは無い事になる。」
「無い事?」
「あの子達がお前を押して怪我をしたんだが、」
直斗が声を潜める。
「お前はこの星の人間じゃない。」
皆ははっとした。
しばらく皆は何も言わない。
「怪我をしたのに?」
菜月が低い声で言う。
「仕方ないんだ。色々と面倒な事になる。
だから今回は俺が閉じ込められた子どもを見つけたと言う話になる。」
「でもみんなシューを見てるよね。」
直斗が菜月を見た。
「すぐにでもその記憶や記録は消えるよ。
でも俺達は関係者だから消えない。」
茜が菜月を見た。
「事情は菜月も分かるよね。」
「でも……、」
菜月は納得できない顔をする。
だがシューが彼女を見た。
「仕方ないよ。それでも僕は小さな子が
無事で良かったと思うよ。」
「シューはそれで良いの?痛い思いをしたんだよ。」
「良いよ、それで。
もし傷が残ったら新しい体にしてもらう。」
だがそれを聞いて菜月が彼の腕を強く握った。
「だめだよ、それは。今の体でないと。」
「えっ、だって傷が残るんだよ。
綺麗な方が菜月も良いだろう?」
「ち、違う、そうじゃなくて……。」
菜月が少し彼を顔をじっと見て赤くなり俯いた。
「あの、あの時、私をかばったんでしょ?」
「僕が倒れた時?そうだよ。
だって菜月に何かあったら僕は絶対に嫌だから。」
「だからその……、」
するとそれを見て直斗が笑い出した。
「残しとけよ、傷。」
「なんで、無い方が良いんじゃないの?」
「いやいや、菜月さんは残して欲しいんだよ。」
菜月が赤い顔をして直斗を見た。
茜もにやにやと笑いだした。
シューだけが訳も分からない顔をしている。
「どういう事?菜月。」
だが菜月は返事をしなかった。
菜月とシューは自宅に帰って来たが直斗と茜は警察に行った。
事情を聞かれているのだろう。
ただ茜は身重だ。それほど長くはかからないはずだ。
もうすっかり夜だ。
「お腹空いたよ。
それとちょっと頭が痛くなって来た。傷が痛むって事だね。」
シューがキッチンのテーブルについて言った。
「ご飯を食べたら痛み止めを飲むと良いよ。
貰って来たから。」
菜月が薬の袋を出す。
「打撲も無くて傷だけだから良かったね。
でも抜糸まで一週間ぐらいかかるから、
しばらく洗髪は無理だね。」
「うーん、仕方ないね。
でも大川の親父さんから連絡あって一週間休んでいいって。」
「えっ、そうなの?」
「まあ、今のところ僕は本当に働いている訳じゃないからね。
この地球に調査に来ているんだよ。」
二人で食事の用意をしながら話をしていた。
菜月はふと思う。
シューがマンションに来て一年になると。
「それでこの一週間である程度観測結果をまとめようかなと思って。」
「私の事よね。」
「まだしばらく観測は続けるけど、
一度まとめておかないと資料は膨大だよ。」
それを聞きながら菜月は少しばかり複雑な気分になる。
「なんか人に色々と私の事を知られるのは何だか嫌だな。」
「平気だよ。」
彼にとっては自分はあくまで観測対象なのだろう。
菜月は少しばかり面白くない気がした。
「じゃあ、早くまとめて自分の世界に帰ったら。」
少しばかり不機嫌そうな菜月の言い方だ。
シューがはっとする。
「えっ、なんで怒ってるの?」
「怒ってないわよ。」
「いや、怒ってるよ。」
菜月はむっつりとして返事もせず食事を続けている。
「ところでさ、どうして病院で傷を残してって言ったの?」
「あの、それは……、」
菜月が複雑な顔になる。
「いや、いいのよ、私の我儘だし。
シューが嫌なら新しい体にしたら?
そうしたら痛くもなくなるんじゃない?」
「そうだけど……、」
シューが菜月を見た。
「そう言えば菜月は江戸時代に一度攫われてるんだよ。」
「えっ、そうなの?」
「うん。お金持ちの子どもを攫ってお金を出させるんだよ。」
「身代金狙いって事?ひどいわね。
でもその時私はお金持ちの子どもだったの?」
「いや、違う、いわゆる物乞いの子どもだった。」
「えーっ。」
「たまたまお金持ちの家の外にいて
間抜けな悪い奴が間違えてかどわかしたんだ。
でもぎりぎりの時に僕がぴかっと光って男達を気絶させたんだ。」
「そうなの、でも私っていつも貧乏とかそんな感じよね。」
「平安の時は良いとこのお嬢さんだったよ。」
「そうだけど。」
菜月がぶつぶつと呟く。
シューが食後の食器を片付けだした。
菜月が機嫌を悪くした話題はもう忘れているようだ。
「それで僕が小さな菜月を育ててくれそうな家に連れて行って
そこの子になった。」
「そうなの?本当の親は?」
「どこかに行っちゃったよ。」
菜月がため息をつく。
「私は昔から肉親の縁が薄いのねぇ。」
「でも育ててくれた人はとても菜月を大事にしたよ。
でも流行り病でみんな死んじゃったんだよ。」
「そう。」
菜月がシューの入れたコーヒーを持って呟いた。
「でも私ってずっと淋しい人生を送っていたのね。
結婚もしていないんでしょ。」
「そうだなあ。一緒に暮らす人はいたけど。」
「多分今の人生でもずっと一人なんだろうな。」
菜月が寂しげに言った。
「そ、そんな事言っちゃだめだよ。今は僕がいるし。」
「でもいずれは自分の世界に帰るんでしょ?」
シューは一瞬何とも言いようがない顔になった。
「あ、それはその、報告はしないと。」
「そうよね、まあそれでさよならなら
別に私の事を報告していいわよ。
もう二度と会わないなら恥ずかしくないし。」
シューはしばらく返事をしなかった。
そして彼は彼女を見た。
「あの、どうして身体の傷を残してって……。」
菜月がふっと笑う。
「今まで何度もシューは私を助けてくれたんでしょ?
でも私は全然知らない。
でも今度は私をかばって怪我をしたじゃない。
シューは今まで守る守ると言うだけだったけど、
本当に私を助けてくれた。その証拠よ。」
彼の顔がはっとなる。
「証拠……、」
その彼を見て菜月は苦笑いをした。
「あんまり考えなくていいわよ。
正直私もよく分かってないから。
さあ、茜から連絡来たよ。話を聞きに行かない?」
「う、うん……。」
しばらくすると直斗と茜が帰って来た。
「連れられた子どもは無事親の元に帰った。
親に黙って外に出たらしいよ。
連れて行った悪ガキ3人はやっぱり
ここのところ起きていた連れ去り犯人だった。
小学生だから逮捕はされないけどな。」
「そうなの。大変な事件だけど。」
「3人の親も来て謝りまくってた。
でも様子を見ると普通の親御さんだったよ。」
「なのにどうしてそんな事をしたんだろうね。」
シューが不思議そうに聞く。
「ただ面白いって言う浅い考えだと思うよ。
でもきついお灸は据えられたからな。
警察からも次は無いと言われて真っ青になってたよ。」
「でもほんとバカだよ。」
茜が少しばかり憤慨して言った。
「小さい子がホントに可哀想だった。
自分の子にはあんな思いはして欲しくないわ。」
「だよな、それにあんな事をする子にもなって
欲しくないよな。」
直斗と茜が顔を合わせて頷いた。
「それで直斗、会社から連絡があって一週間休めって言われた。
だから明日から休むよ。」
「そうなのか?」
「うん、その間に観測結果をまとめようと思って。」
「そうか、お前が来て一年半ぐらいだな。」
「そうだよ、そろそろ報告に行かないと。」
「もう終わりってことか。」
直斗が菜月を見た。
「それって菜月さんも聞いた?」
「ええ、さっき聞いたの。」
直斗が少しばかり複雑な顔をした。
「菜月さん、それで良いのか?」
菜月がそれを見て手を振った。
「良いの、シューにも予定があるだろうし。
珍しい経験をしたと思うわ。それだけ。」
何となくあっけらかんとした菜月の様子だ。
「疲れてるのに話を聞かせてくれてありがとうね。
じゃあ、シュー帰るわよ。」
「あ、ああ、直斗、茜の親父さんによろしく言っといて。」
「ああ、伝えるよ。」
と二人は大川家を出て行った。
それを見て茜が腕組みをしてちらと直斗を見た。
「ねぇ、直斗、あれで良いの?」
「いや、良くない。」
直斗も難しい顔をする。
「シューは元々鈍い奴だからな。
人の心を調べると言いながら一年半あいつは何を調べていたんだ。」
「わたしもそう思う。」
二人の目がギラリと光った。
それからしばらくはシューは家で色々と何かをしていた。
菜月は仕事から帰って何もする事はない。
全ては用意されていた。
ある意味とても楽な生活だった。
だが徐々に菜月の元気がなくなって来た。
「直斗、なんか菜月の元気がないんだよ。」
菜月が帰る前にシューが大川家に来て言った。
ちょうど帰って来た直斗が上着を脱ぎながら彼を見た。
「元気がないってどんな風に。」
「なんかすごく静かなんだよ。喋らない。目も合わせないし。」
直斗と茜が顔を見合わせる。
「嫌われちゃったのかな、僕。」
シューが肩を落とした。
それを見て直斗が苦笑いをする。
「あのさ、それってお前が帰るとか言い出した頃からだろう。」
「え、あ、そうかも。怪我した後かな。」
シューは毎日直斗に傷口の消毒など治療をしてもらい、
その日シューは直斗に抜糸をしてもらった。
その傷口を鏡で見ながらシューは言った。
「ここはもう毛が生えないから禿げるんだよね。」
「それは仕方ないな。それは菜月に言ったのか。」
「話したよ、そうしたらふうんと言っただけだよ。
やっぱり傷があるとダメかな。
禿げてると格好悪いの?」
「駄目じゃないだろ、そんなに大きな傷じゃないし。
それに菜月さんが残してくれって言ったんだろ。」
「だよね。ならどうして菜月は機嫌が悪いのかな。」
茜がシューのそばに座った。
彼女のお腹はかなり目立ってきた。
「ねえ、シューは菜月の事どう思ってる?」
彼女が彼を伺うように見ると思わずシューは少し後ろに身を引いた。
「あ、その……、」
「ただの観測対象?」
シューが首を振る。
「違う、最初はそうだったけど菜月の昔を知ったり、
一緒に暮らしたらそんなんじゃないというのは分かる。」
「なら元の世界に帰ったらどうする?」
「また戻ろうかなと思ってる。」
「どうして?」
「……あの、」
シューが思わず口ごもった。
それを直斗が見る。
「俺みたいに地球人になるか?」
「直斗みたいに?」
「ああ、戸籍を貰ってここで生活するか?菜月と。」
「菜月と?」
シューの顔が真顔になる。
「菜月と……、」
シューが呟くように言った。
「お前さ、いつも人に物を聞く時はド直球だろ?
菜月さんにも聞けば良いだろ。」
「それが、その、なんか聞きにくくてさ……。」
「それにお前、どうして地球に来たんだ。」
直斗がシューを見た。
「俺が地球人になった事や
ここに来た人の中には地球人になる人がいるから
その理由を調べに来たんだろ?」
「あ、まあそうだけど。」
「で、お前は今なんて言った。」
「なんて、って……、」
「報告に行ったのにどうして地球に戻るんだ?」
その時だ。
「シュー。菜月が帰って来たみたいだよ。」
茜が外を見た。
「あっ、帰らないと。
それと直斗、もう一つ相談があるんだよ。」
「なんだ。」
「その、僕が昔の菜月を観測している時に、
菜月を何度か助けたんだよ。
それが歴史を改ざんしたかもしれないって
調べられる事になったんだ。」
「シュー、それってかなり問題だぞ。」
「うん。一応こちらの内容はもう送ってあるんだ。
それで精査すると言われた。
だから向こうに戻った時にその結果が知らされる予定なんだよ。」
直斗の顔が難しくなる。
「お前、呑気にしゃべっているけど
もしかすると大変な事になるぞ。」
「うーん、確かにそうだけどしょうがないよね。
もうやっちゃったし。あ、菜月が家に入ったよ。じゃあね。」
と慌ててシューが出て行った。
「ちょっと直斗。」
茜が彼に近づく。
「さっきの話、結構ヤバいんじゃないの?」
「うーん、何とも言えんが、
もし歴史に関わる何かがあったらシューはただではすまんかもしれん。」
「えっ?」
「菜月さんも少しばかり手を加えられるかもな。」
「ち、ちょっと、それってかなりまずいよ。」
直斗が茜を見た。
「俺も問い合わせてみるよ。多分大丈夫だと思うが……。」
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