14 陥れた女




休みの日、

菜月とシューは自宅でのんびりとしていた。

午前中に大川家といつもの買い出しに行き、

午後はそれぞれ好きな事をしている。


「シューは本当にそのドラマが好きねぇ。」


少しばかり呆れたように菜月が言った。


「だってさ、面白いし、格好良いし。

それに仲間を大事にする人なんだよ。」

「仲間を大事にするのは良い事よね。」


菜月は今まで親しくする人はいなかった。

だがこのマンションに来て大川夫婦に会って、

初めて仲間と言える人が出来たのだ。


特にシューは一緒に住んでいる。


一緒にと言っても男女の仲ではない。

シューがホームステイをしているのだ。

だがそれでも生活をしていると

時々どうしたらいいのか焦る時が菜月にはあった。


例えば入浴時や着替えの時など

見られたり見てしまう時がある。


それはお互い様なのだが、

正直菜月は心臓がドキリとする。


彼女は以前ここで男性と同棲していた。

それなりの経験がある。

大人なのだ。


そしてシューは見た目はわりと良い男性だ。

以前一緒にいた男性と全然違い、菜月を大事にしている。

そんな異性と一緒にいて意識をしないようにするのは難しい。

しかも彼は何度も菜月を助けている。


「でも助けるのはただの観測対象だからかも……。」


と菜月は思わず呟いた。

何しろ菜月にとっては恥ずかしい状況でもシューは、


「ああ、ごめん、ごめん、」


とははと笑って行ってしまうのだ。

多分何も感じていないのだろう。脈は無いように見えた。

菜月が意識しても地球人とシューはやはり違うのだ。

変に意識している菜月は自分がおかしく思えた。


「そうだ、私、ちょっと買い物に行ってくる。

買い忘れがあったの。」


菜月はシューを見て言った。


「え、僕が行こうか?」

「良いよ、近くのスーパーだから。」

「でも……、」


シューは心配したのだろう。


「大丈夫。帰りにシュークリーム買って来ようかな。」


それを聞いてシューの顔がぱっと明るくなる。


「ホント?

じゃあコーヒーを淹れて待ってるよ。」

「うん、お願い。直斗さんと茜もおやつだって誘ったら?

二人の分も買って来るよ。

いつも車を出してくれてるし。」

「そうするよ。」


とにこにこと笑っているシューを見て

菜月は手を上げて部屋を出て行った。


「要するに見た目は大人でも子どもなのよ、

シュークリームが大好きな可愛い弟なの。」


菜月は自分に言い聞かせるように呟いた。

彼女の目的地はすぐ近くだ。

必要なものと約束をしたシュークリームを買った。


「あのお店の物は特別な時だけね。」


少しばかりお安いスーパーのシュークリームだ。

菜月がマンションのそばに来た時、

彼女の腕がぐいと掴まれた。


菜月はぎょっとする。


彼女の腕を掴んでいる手を見ると男のものだ。

見上げると以前同棲していたあの男がいた。







明治時代が終わり、世の中は西洋文化が浸透して

ハイカラなものが増えた。

日本と言う国も徐々に力をつけて豊かになっていく頃だ。


薫子かおるこちゃん、また母さんに殴られたのか。」


書生の三郎が下宿先の娘、薫子にそっと話しかけた。

薫子は頬を押さえながら涙目で三郎の顔を見た。


「うん……。」

「お前の母さんだけどほんとひどいな。」


二人はため息をついた。


三郎は薫子の親の元で書生として生活をしている。

薫子の父親は経済的に成功しており家はとても裕福だった。

なので三郎のような苦学生を書生として家に置いている。


ただ、その父親はめったに家に帰って来ない。

別宅があるのだ。家には薫子の母親と薫子しかいない。


ただ、書生の世話は下女がしている。

母親と薫子はいわゆる富裕層の奥様とお嬢様だ。

家には何人も使用人がいた。


だがその薫子の母親はいつも薫子に当たり散らしていた。

夫婦仲が上手く行っていないからだろう。

気に入らない事があれば薫子を平手打ちにする。

それはその家の者はみな知っていた。

だが雇われている身だ。何も出来ない。


そして三郎も薫子の父親の伝手でここに来た。

薫子の母親の当りも強い。

そして勉学も色々と行き詰っていた。


「薫子ちゃん、話がある。」


三郎が真剣な目で薫子を見た。


「逃げよう。」

「えっ……、」

「ここにいても先はない。

もう俺もお前の母さんに虐められるのは嫌だ。

田舎に帰る。

だから薫子ちゃんも行きたかったら一緒に帰ろう。」

「……、」

「親父さんも全然帰って来ないんだろ?」

俺の家は農家だ。喰うには困らん。」


二人の目が合う。

彼らは既に道ならぬ恋に堕ちていた。

富豪の娘と貧乏学生だ。

それに三郎は留年が決まっていた。

どちらにしてもいずれは家に戻らなくてはいけない。


「来週俺は田舎に帰る。その時一緒に行こう。

用意が出来たら教えるよ。」


薫子が三郎に抱きついた。

彼は彼女を強く抱き締め、

二人の手が絡みつくようにお互いの体をまさぐり合う。


廊下には人がいないはずだった。

だがその廊下に一人の少女が気配を消して無言で立っていた。

そしてその目には怒りがあった。

彼女はしばらくそこにいるとそっと立ち去った。




それから一週間過ぎた頃、

三郎はがらんとなった下宿部屋を見た。

この日彼はここを出て行くのだ。

ふと廊下を見ると一人の少女がいる。

この屋敷の下女だ。


「よいちゃん。」


三郎が彼女を見て笑いかけた。


「三郎さん、やっぱり行っちゃうの?」


よいと呼ばれた少女が淋し気に言った。

その顔を見て三郎が彼女の頭をポンポンと撫でた。


「色々とありがとうな。

よいちゃんと離れるのは淋しいけど仕方ないよ。」

「あたしも淋しい。」


よいは少しうるんだ目で彼を見た。

彼女は三郎が好きだったのだ。

だが三郎は薫子とお互いに思い合っている。

よいが入り込む余地はなかった。

泣きそうなよいを見て三郎がははと笑った。


「俺には妹はいないけど

妹がいたらこんな感じかといつも思っていたよ。」

「妹、って……。」


よいは俯いたがすぐに顔を上げた。


「行かないで欲しい。」


三郎は少し無言になる。

だが呟くように言った。


「結局学問もだめだったし。

やっぱり俺は頭が悪いんだよ。」

「でも三郎さんはあたしに字を教えてくれた。」

「まあそれはね。でも落第したからな。」


よいの顔が少し険しくなる。


「それはお嬢様のせいだ。

何かあると三郎さんになんか言いつけてた。

だから勉強が出来なかったんだ。」


それを聞いて三郎が怒った顔になった。


「それは関係ない。そんな事言うな。」


その彼の様子によいは少し怯む。


「……ご、ごめん、三郎さん。」

「まあいい。薫子さんの悪口は言うな。」


三郎が少し俯いた。


「よいちゃん、お願いがあるんだ。」


彼は懐から何かを包んだ小さな紙を出した。


「これを薫子さんに渡してくれるか。」

「なんだこれ?」

「渡せば分かる。

それで今日の午後三時駅で待つと伝えてくれるか。」

「駅?」

「頼むぞ。」


と彼はよいに紙を押し付けると部屋を出て行った。

彼を見送った後、よいは包んだ紙の中身を見た。


そこには切符が入っていた。

そして紙には何か書いてある。

彼女は難しい漢字は読めないがひらがなやカタカナは読める。


「……三ジ……デ…ツ……。」


先程三郎が言った言葉を彼女は思い出した。


― 午後三時駅で待つ


彼女の目が暗くなる。

そして紙を畳むと自分の懐に入れた。




結局よいはその手紙を薫子には渡さなかった。


「三郎さんが午後五時に駅でと言ってました。」


薫子はそれを聞いて青い顔で頷いた。

キップの話は出なかったが、

向こうで受け取ると思ったのだろう。


そして午後になると薫子の姿は見えなくなった。

少しばかり家の中がざわざわとし始めた頃、

よいは薫子の母に三郎から渡された手紙を見せた。


母親の顔つきが変わる。


しばらくすると三郎が家まで連れ戻された。

顏には殴られた跡がある。


さすがによいは姿が見られないよう奥に隠れていた。

だがちらと三郎が引きずられるように

蔵に連れて行かれるのを見た。


その時ぼんやりとした青い光が彼女の前に立った。

光の中には人の顔がある。その顔は酷く険しい顔をしていた。


「ひぃーーーっ!」


よいが思わず悲鳴を上げた。

その声が聞こえたのか、三郎が叫んだ。


「よい!お前!」


よいは強く目をつむり自分の耳を押さえて座り込んだ。


そして午後五時に薫子は駅に現れたらしい。

家の者に連れられて戻って来た。


母親が恐ろしい顔で彼女を家の中に連れて行った。

そして悲鳴が聞こえる。

よいははっと気が付く。

周りの使用人が自分を見ているのだ。


「あんたが奥様に言いつけたらしいな。」


みなが白い目で彼女を見ていた。


「あ、あたしは……、」

「駆け落ちは良くないけどそれでもやり様があっただろ。」


三郎は結局は田舎に帰ったが、

そこでもこの出来事が伝えられたのか勘当されて

どこに行ったか分からなくなった。

薫子はしばらくすると資産家の後妻になった。


よいはあの日から皆から無視をされた。

当たり前だろう。

あのようなやり方で人を陥れたのだ。

誰からも信用されなくなった。

そして彼女はひと月もしないうちに屋敷を去った。


田舎に帰ったが居場所もない。

そして大雨の夜に姿が見えなくなり、

それきりだった。






腕を掴まれた菜月はそれを振りほどこうとした。

だが男の手はがっちりと掴んでいる。


「痛い!」

「うるさい、お前は今男と住んでるのか。」

「あんたには関係ないでしょ。」


ここはマンションのすぐそばだ。

あまり騒ぎは起したくはない。


「いったい何?まだ私に用があるの?」


男は酷く怒った顔をしていた。


「当たり前だろう。

あれだけ俺が色々としてやったのに、

あんなひどい事をしたのはお前だろう。」

「どこがひどいの?悪い事したのはあんたでしょ。」


男の手がますます強く菜月を掴む。

彼女の顔が苦痛で歪んだ。




シューがスマホで直斗に連絡をするとすぐに直斗がやって来た。


「良いのか?」

「良いよ、菜月が呼んだらと言ったし、話もしたいから。

シュークリーム買って来るって。

あれ、茜は?」

「すぐ来るよ。用事を済ませてる。」


その時だ、玄関が開く。


「直斗、シュー、菜月が大変!」


茜が叫んだ。

シューと直斗はすぐに廊下に出て、

茜が指す下を見ると菜月とあの男がいた。

シューの顔色が変わる。


「なつきーーー!今行く!」


大声でシューが叫ぶと菜月の腕を掴んでいた男が

ぎょっとして上を見た。


「シュー、飛び降りるな!」


今にもそこから下に降りそうになったシューを見て

直斗が焦って言った。

シューは物も言わずすごい勢いで階段に向かった。


「茜、ここにいて様子を見て警察に電話してくれ。

俺も下に行く。」

「分かった、気を付けて。」


直斗がその場に行くとシューが男のシャツの首根っこを持って

体を持ち上げていた。

そして無言で男を睨みつけている。


「く、苦しい……、」


男が呻くように言った。


「シュー、もう良い、降ろせ。」


直斗が言うとシューがその場で手を離した。

男はどさりと落ち、座り込んだ。


「くそっ、馬鹿力め。」


男は忌々しそうにシューを見た。


「菜月、僕、この人に言いたい事があるから

家に連れて行って良い?」


シューが菜月を見た。


「え、えっ、何を話すの?」

「どうしてこの人がいつまでも菜月に執着するか

覚えがある。」


シューはじろりと男を見た。




菜月の前の彼、鈴木はなぜか菜月の家のテーブルについていた。

だがその周りにはシューと直斗と菜月が座っている。

茜は何かあってはいけないので別の部屋からそこを見ていた。


鈴木は周りをきょろきょろと見渡した。


「部屋が前と違う。」

「当たり前でしょ。

あんたがあんな事をしたベッドなんて汚くて捨てたわよ。」


菜月が怒ったように言った。

家具はずいぶん前に買い換えていた。


「汚いってお前、」


鈴木が少し怒る。

だがシューが二人の間にそれを留める様に手を出した。


「あのさ、二人って前の時代に知り合いだったんだよ。」

「「え?」」


二人がシューを見た。


「大正時代かな、

鈴木君は貧乏書生で菜月は書生が下宿しているお屋敷の下女。」


菜月がはっとする。


「また私は貧乏人なの?」

「そうだよ、それで鈴木君はお屋敷のお嬢様と懇ろになった。」


鈴木は少しばかり薄気味悪い顔になった。


「何言ってんだよ、お前。

何の事かさっぱり分からん。」

「それでさ、菜月がちょっと横やりを入れちゃったんだよね。

それで鈴木君は親から勘当されちゃって碌な生き方が出来なかったの。」

「碌な生き方……。」


鈴木がぽかんとした顔になった。


「でも菜月も碌な人生が送れなかったんだよ。

ある雨の日に行方不明になった。」

「死んだってこと?」

「うーん、それは実は僕も分からない。

この時はあまりいい感じじゃなかったから

菜月の前に出たのは一回だけなんだよね。

後から探しに行ったらもう菜月はいなかったんだよ。

死んじゃったんじゃないかな。

どれだけ探しても見つからなかったから。

書生の鈴木君がいなかったらそうはならなかったと思う。

素直そうな良い子だったんだけどね。

前の菜月は書生の鈴木君が好きだったんだよ。

でも鈴木君はお嬢様と交尾してたから嫉妬していたんだよね。」


鈴木と菜月はぽかんとした顔になった。


「それでさ、鈴木君と菜月はいわゆる悪いめぐりあわせなんだよ。

悪い意味で結ばれちゃったの。

何かあるとお互いに謝れ償えってくっついちゃうの。

悪縁ってやつ。」

「お、お前、何言ってんの?」


鈴木が薄気味悪そうな顔をして怒って席を立った。


「これってしゅーきょー?宗教の集まりなの?

訳分かんねぇ、前世?碌な人生?

菜月、妙なものにハマったの?

それに俺の事、碌な人生って、馬鹿にしてる?」

「ううん、僕は鈴木君を全然馬鹿にしてないよ。

でも前の事に引きずられてるなあと思うよ。

詐欺は犯罪だけど色々と考えなくちゃいけないだろ?

鈴木君はそういう工夫が出来るのにそれは良い事に使わないと。

頭が良いのにもったいないよ。」

「詐欺って、なんで知ってるんだよ……。」


鈴木は立ったまま顔が青くなった。


「前にここに来た時にお巡りさんが確認していただろ。

忘れたのか?」


直斗が鈴木を見て言った。

菜月が入院していた時にこの家の前で騒いだのだ。

その時は警察に通報したので警官が何人もやって来た。


「やっぱり変なシューキョーだろ、気持ち悪い。」


鈴木がぼそぼそと呟くように言った。


「いや、宗教でも何でもないけど……、」

「菜月、変なものに俺を巻き込むなよ。」

「鈴木君。」


シューが鈴木を見た。


「もうこれで菜月との縁は終わりだよ。

これから鈴木君が頑張ればきっと良い事があるよ。」


その顔は真剣だ。


「うるせえ!もう来ねぇよ!」


と言うと鈴木は慌てて家を出て行った。

皆はしばらくぽかんとしている。

そして奥にいた茜がくすくす笑い出した。


「変なものに巻き込むなって言っても自分が来たのにね。

まあ天然ボケのシューのおかげだね。」


シューが少しふくれた。


「ボケてないよ、本当の事だもん。」


直斗がははと笑った。


「んじゃ、お茶でも飲みながら詳しく聞こうか。

大正時代だろ?

菜月さん、シュークリームを買って来てくれたんだよな?」


ぽかんとしている菜月がはっとする。


「あ、ええ、もう温くなっちゃったかも。」

「良いよ、食べようよ、僕がコーヒーを淹れるよ。

茜はお茶にする?」

「うん、ありがとう。」




シューから話を聞いた後、菜月はどんよりと俯いた。


「なんか私ってひどい……。」


かなり落ち込んでいる様子だ。


「そんな人を陥れるような事をしたのね。

それじゃあ私があんな目に遭っても仕方ない。」


茜が苦笑いをして菜月を見た。


「まあ、そんなに落ち込まないで。

確かにやった事はひどいけどその三郎さんが好きだったんでしょ?」

「私は覚えはないけど多分そうだと思う。

それであの鈴木とこうなったのもそれがあったからかも。

仕返しされてたのね……。」

「まあそれは菜月さんが知らない前の話だからな。

それをどう償うかだけど、

これで縁は切れたんじゃないか?」


皆が直斗を見る。


「もう来ねーよと言ったし。」


皆がため息をつく。

そして笑い出した。


「鈴木君、気持ち悪かったのかな?

しゅーきょーとか言ってたし。

僕は変な事を言ったつもりはなかったけど。」

「そうね、宗教は人の救いではあるけど

人によっては警戒されてしまうから。

でもシューが言ったのはそうじゃないのにね。」

「人の精神を語るとやっぱり宗教の教えに近くなるからな。

まあそれでなくても真面目に生きなきゃだめって事だな。」


直斗が笑いながら言った。

菜月がため息をつく。


「でも私ってシューの話ではずっと貧乏なのよ。

平安時代は貴族の娘だったみたいだけど。」

「わたしがテレビで見た人は

私の前世はどこかの姫の生まれ変わりよ!と言っていたけどね。」

「姫がそんなにゴロゴロいる訳ないでしょ?

私はバーのママさんとか下女とかすごく庶民的よ。」

「下女の話は大正時代だけど、バーのママさんはいつの話だ?

興味深いな、菜月さん、詳しく話してくれよ。」

「菜月は知らない話だから僕が話すよ。太平洋戦争の話だよ。」

「シュー、止めて、恥ずかしい。」

「なんで。僕が助けた話ばかりだよ。」

「ダメ、止めて!」


直斗と茜がにやにやとしながら二人を見た。




結局シューの口から菜月の前世の話は全て

直斗と茜に話された。


「もうほんと恥ずかしい。

特にあいつとの因縁は自分が恥ずかしくて……。」


菜月は頭を抱えてしょぼんとしていた。


「前世で悪い事したのが返ったって感じ?」


茜が腕組みをして言った。


「と言う事よね。

あいつにされたのは腹は立つけど、

それは結局は私が引き起こしたなら仕方ないとは思う。」


直斗も難しい顔をして言った。


「何でもかんでも報いとは言わないけど、

そう思ってあの男の事は忘れた方が良いと思うぞ。」

「そうだよ、それに鈴木君はもう来ないと言ったし。

それに鈴木君が信じるかどうかは分からないけど、

多分何か感じていると思うよ。

鈴木君はきっと変わるはず。」


シューが呑気に言った。


「と言うかシューはどうして私の事をみんなに全部話すのよ。

恥ずかしいじゃない。」

「だってどっちにしても直斗は僕の報告はそのうち見るし。」


菜月が直斗をはっと見る。

直斗は苦笑いをして頷いた。


「一応シューが地球にいる時は俺が監督責任者だからな。」


菜月が何とも言えない顔になる。


「でもさ、シューの話では多分わたしは菜月に

助けられたんじゃない?」


茜が菜月を見た。


「銀山での話だよ。

旦那が死んじゃった後に子どもを産んだ女の人と一緒にいたんでしょ?

出産した人ってわたしじゃないの?」

「私は全然覚えはないけどそうかも。」

「それにその旦那って俺じゃないか?」


直斗が言った。


「その時は死んだけどこの前はシューが助けてくれただろ。」

「この前?」

「出張した時に料理屋に行けって言っただろ。

だから電車で事故に遭わなかった。」

「ああ、そうだったね。でも偶然じゃないの?」

「どうだろうな。でも俺は思うんだよ。

この世に起きる事の中には自分達が知らない

昔からの因縁がある気がするんだよ。」

「今度の菜月と鈴木君もかつての出来事が原因かって話だよね。

因果応報ってやつかな。」

「宗教的な考えだけどな。」


シューが少し考え込んだ。


「菜月を調べていて思った事があるんだ。

菜月は何度も生まれ変わっている。

そしてそこで出会った人とまた違う時代に会っている事がある。

深い縁があるんだよ。

それに銀山では精神世界に生まれた直斗がこの星にいたみたいだ。

菜月や茜のいる世界と僕や直斗がいる世界は

全然違う所にあって全然違う歴史を持っているけど、

繋がりがあるんじゃないかって。

もしかするとこの銀河にいる生き物全体は

なにかしらの結びつきがあるのかもしれない。」


菜月はプラネタリウムで見た銀河の様子を思い出す。


とてつもなく巨大で人類にとっては未知の世界だ。

そんな膨大なものの全てが

関係があるかもしれないとシューは言うのだ。


「あまりにも話が大きくて頭がくらくらするわ。」


菜月は額を押さえて苦笑いをした。


「そうだね、僕もそう思うよ。

でもどこかの時代に僕や直斗は地球に生まれていて、

菜月や茜も僕達がいた世界に生まれた事があったかもしれないよ。」

「そうかな?」

「どこかで会った気がする人っているだろ?

そんな風に出会っていたかも。」


シューがふふと笑った。

まるでおとぎ話のような事を言う彼の顔はとても優しい。

菜月は思わずシューを見つめた。


「じゃあ、そろそろ俺達は失礼するよ。」


シューは直斗を見た。


「出来事は偶然かもしれないけど、

何か意味があるのかも。

僕はまだまだ調べなきゃいけない事が沢山ある気がして来た。」

「そうだな、調査頑張れ、シュー。」


直斗がシューの肩をポンと叩いた。

そして二人は席を立ち菜月の家を出て行った。




二人が返った後は家の中は静かになった。


シューがカップを片付ける。その後ろ姿を菜月が見た。


「あの、シュー、」


おずおずと菜月が声をかけた。


「なに?」


とシューはカップを洗いながら菜月に背を向けたまま返事をした。

彼女は彼の背中を見た。

大きな背中だ。

シューは今日も菜月を助けてくれた。


「ありがとう、助けてくれて。」


食器を洗い終わった彼は手を拭きながら菜月を見た。


「良いよ、別に。

それに最初に見つけたのは茜だし。」


彼はにこにこと笑いながら菜月に近づいて来た。


その時彼女の気持ちがふっと上がった。

それは突然心に湧いたものだ。

彼に触れたいと。

それは本能に近いものかもしれない。


だが、彼が菜月をどう思っているかよく分からなかった。


相変わらず彼の言動は少しばかり子どもっぽい。

本当に何も知らないただの少年かもしれない。

そのような人に自分のこの気持ちをぶつけて良いのか躊躇があった。

それは大人としての欲望だからだ。


それに彼にとって自分は観測対象なのだ。


大事に思っていると言う言葉は本当だろうが、

今彼女が感じている気持ちとは全然違うかもしれない。

なのに自分が思うまま彼に触れて良いのか。


菜月はシューを信用していた。

そして近くにいると安心出来るのだ。

彼の態度は変わらず安定している。

その彼に自分の気持ちを告白して良いのだろうか。

今まで安定していたものが変わり、

菜月に呆れていなくなってしまうかもしれない。


菜月は彼に拒絶されるのが怖かった。


それならばこの気持ちに蓋をして

彼が観測を終えていなくなるまで我慢すればいいのだ。

それまでは仲の良い二人でいたい。


彼はいずれここを去るのだから。


菜月は近くに来た彼を見上げた。

微笑ながら菜月を見ている。


綺麗な優しい顔だ。

どことなく胸が詰まる。

彼女はついに我慢が出来ずに思わず彼の胸元に頭を寄せた。


「ありがとう。」


そしてさっと離れて別の部屋に行った。

シューがどんな顔をしているのか菜月には分からない。

そして今の自分の顔も彼に見られたくなかった。


良いのだ、これだけで良いのだ。


菜月は彼に対する自分の気持ちをはっきりと理解していた。

だがもうこれ以上進んではいけない。

いずれいなくなってしまう彼と自分の心を守るためだ。

お互い傷つかないために。


菜月は自分に言い聞かせた。






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