9 さようなら
「もしもし、」
『あんた、全然電話に出なかったね。
いい加減にしなよ。』
「……知らない番号には出ない事にしているから。」
『生意気言うんじゃないよ、
ところでさ、お願いがあるんだけどさぁ。』
母親の声が妙に甘ったるくなった。
『悪いんだけどお金、100万ぐらい出してくんない?』
菜月は返事をしない。
『ちょっと聞いてんの?』
「この番号って誰から聞いたの。」
『おばさんだよ。何度か家に行ったら教えてくれたよ。』
「そう。」
『でさ、お金、』
「考えとく。」
と言って彼女は電話を切った。
そして青い顔をして震える手で叔母の番号を探し電話をした。
相手はすぐに電話に出た。
『ああ、菜月ちゃんかい、久し振りだね。』
「久し振りです。
ところで最近母に会いました?」
すると向こうが無言になる。
「母から電話がかかって来たんです。
教えないでって言ったはずですけど。」
『……悪かったよ、でもあんたの母さん、
ここんとこ毎日家に来て金貸してくれって。
断っていたんだけど。』
「でも困ります。」
『困るったってこっちだって困ってるんだよ。
第一親の面倒は子が見るものだろ?
それをほったらかして逃げたくせに何言ってんだい。
大迷惑だよ。
二度とかけて来ないで。』
と電話が切れた。
菜月がため息をつく。
そしてまた母親から電話がかかって来た。
仕方なく菜月はそれに出ると
いきなり母親が怒鳴って来た。
『勝手に切るんじゃないよ!100万もって来い!
育ててやったんだ、金を返せ!』
と電話が切れた。
二人はしばらく座ったまま何も言わなかった。
「菜月……、」
シューがぼそりと言った。
「親子ってこんなものなの?」
菜月がため息をついた。
「違うと思う。私の家族が特別だと思う。
多分普通の家族はもっと仲良くしているんじゃないかな。」
「仲良く?」
菜月はふと毎日のシューとのやり取りを思い出す。
お互いに押し付け合う事なく、家庭の仕事をこなしている。
金銭的にもそうだ。
元々このマンションは菜月のものだ。
シューはいわゆる居候だがちゃんと出すものは出している。
感覚的にはフィフティフィフティだ。
「なんかよく分からないのよ、私。普通の家族って。」
「普通かぁ。」
「シューの星だと普通の家族関係ってどんな風なの?」
シューが首をひねる。
「家族って言うか全部が仲間と言うかみんな一緒かなあ。」
「親子ってないの?だって生き物って増えるでしょ?」
「増えるよ、でもいつの間にかいるって感じかな。
現れてすぐに知識とかそう言うの全部伝達するから、
みんな一緒。」
菜月がトントンとスマホを指先で叩いた。
「その方が楽なんじゃないのかな。
親だから子の面倒をみて、子は親の面倒をみてって
ちゃんとした親子関係だったら全然良いけど、
うちみたいだとどうしてって思っちゃう。」
「逃げちゃえばいいじゃん。」
菜月が難しい顔になる。
「親の面倒を見る義務みたいなものはあるのよ。
でも母は今は46歳だし、妹は28歳なのよ。
健康だし働こうと思えば働ける。」
「お母さんは早く結婚したの?」
「そう。父も今は48歳だよ。結婚が早かったの。
でも結婚が早い人でもちゃんとした人は多いし、
むしろそう言う人の方が家族を大事にする気がするのよ。
でも私の両親は違ったの。
毎日喧嘩しかしていなかった。
父からは私に母さんを怒らせるなっていつも言われたわ。」
「怒らせるなって菜月は子どもだろ?
どうしてお父さんが子どもにそう言うんだ?」
「面倒くさかったんでしょ。
母がヒスを起すと家から出て行ったし。
その後は私がサンドバックよ。
自分さえ無事ならそれで良かったんじゃない?」
菜月がうっすらと笑う。
「それである時妹が言ったの。
お姉ちゃんは長女だから虐められるって。」
「長女?どうして。」
「お母さんは長女で虐められたから
長女は虐めて良いんだって、
それで妹は可愛がられてたからあたしは妹を可愛がる、
って言ったらしい。」
シューはあっけにとられた顔になる。
「訳が分からない。
妹さんはいわゆる次女だよね。
妹さんは虐められてなかったんだよね。」
「うん、二人でにやにやしながら嫌な事をいっぱい言われた。」
シューが頭を抱えた。
「ごめん、全然理解出来ない。
だって家族だろ?しかも菜月は子どもだろ?
子どもが二人いてどうして差別するんだ?
子どもって小さいヒトだろ?スーパーとか公園で
ちょろちょろ遊んでるよね。
大事にしないと壊れそうでものすごく可愛いよな。
なんでそんなものを虐めるんだ。」
「それは、その……、」
「喋ると声が高くてあの声聞くとなんかしてあげなきゃと思うよ。
あれはいわゆる生き物としての生存本能だろ?
守ってもらわないと子どもって弱いじゃん。
だから大人は守るんだけど、
それでも泣いててイラっとしても、
子どもが笑ったりすると全部消えるぐらい破壊力あるよな。」
ぽかんとして菜月がシューを見た。
「シューって子ども好きなの?」
彼がにっこりと笑う。
「好きだよ、
最初は特に何も思わなかったけど、
色々と見ているうちにどんどん可愛くなったよ。
僕の世界じゃ大きい小さいは無いから。
大人とおんなじ形なのに小さいだけであれだけ可愛くなるんだな。」
「……、でも子どもを虐める大人は結構いる。」
「そうだな……。」
二人はしばらく黙り込む。
「僕は思うんだ。」
シューが静かに話し出す。
「大人子どもに限らず人を大事に思うって、
本能もあるけど後から学習する部分が多いのかなって。」
「学習なの?」
「うん。
僕も最初は子どもは何とも思わなかったけど
見ているうちに可愛くなったから、
子どもの行動とか見て可愛いなあって学習したんだよ。
要するに経験したんだ。
それでお母さんをかばう訳じゃないけど、
お母さんは自分が虐められたから歪んだ愛情を
学習しちゃったんじゃないかな。」
菜月が少し考えこむ。
「虐めの連鎖ってことだよね。」
「そう。でも菜月はそこから一度は逃げたんだよね。」
「うん。」
「なら菜月は連鎖から外れようと努力したんだ。」
彼女ははっとする。
「だけどまた捕まっちゃったんだよね。
だから僕はそれをどうにかしたい。
菜月は辛い思いをしたんだから幸せになっていいと思うよ。」
菜月はじっとシューを見る。
そしてその目に涙が浮かんでポロリと落ちた。
「菜月、それは悲しいから?」
彼女は頬を拭う。
「ち、違う、胸が詰まったの。
悲しいんじゃない。……その、ありがとう。」
「ありがとうの涙?」
菜月はどう説明して良いのかよく分からなかった。
話を聞いてくれた彼への感謝もあるだろう。
だがほっとしたのと自分を認めてくれたこと、
自分の幸せを願う彼の気持ちと複雑なものだ。
だが一つだけ菜月ははっきりと分かった。
シューは自分のそばに寄り添ってくれたのだ。
「よく分からないけど、
シューがいてくれて良かったと思う。」
それを聞いて彼はにっこりと笑った。
「良かったのならそれでいいよ。
それに僕は涙って綺麗だなあと思うよ。」
「綺麗なの?悲しくて泣く時もあるのよ。」
「そうなんだけどさあ、
気持ちが涙になって外に出て来る感じだからかな。」
それは精神生命体としての感覚だろう。
「まあ何にしてもどうにかしないと。どうする、菜月。」
「うーん、無視しても良いけど……。」
彼女はしばらく考え込んだ。
「どこかでけじめをつけたい気がする。
このままではまたいつかこんな事が起きる気がする。」
翌日二人は大川夫妻の所に行った。
「そうか、茜さんの一人暮らしにはそんな訳があったんだな。」
直斗が頷き茜が菜月を見た。
「そんな事があったんだ…。辛かったね。」
「ありがとう、でも今は普通に暮らしているから。」
昨日シューに話したからだろう。
今の菜月は落ち着いて話すことが出来た。
「それで菜月さんはどうしたい。」
「シューにも話したけど、無視しても良いけど
それでは根本的な解決にならない気がして。
どこかで決着がつけたい。」
直斗は真剣に菜月を見た。
「そうだな、俺もそう思う。」
それを聞いていたシューと茜も頷いた。
「それで母にお金を渡しても良いと思っているの。」
「えっ?」
「手切れ金と言うか、確かに高校に行かせてもらったりはしているから
その分をきっちりと返せば文句もないでしょみたいな感じで。」
「手切れ金、か。」
直斗が少し考えこんだ。
「じゃあ、今度の休み、お金を持って菜月さんの実家に行こう。
みんなで。」
「みんな?」
周りは不思議そうな顔をして直斗を見た。
「みんなきちんとした格好でだぞ。
菜月さんはいつもスーツだからそれで良い。
俺とシューは背広。茜もスーツにしろ。
それで朝早く行くぞ。
茜、前日に有名菓子店の高い土産買って来てくれ。」
「良いけど、どうして?」
茜が不思議そうな顔をする。
「露骨に有名店と分かる派手で高いのだぞ。
身なりもピシッと高級感を出せ。」
直斗が急ににやにやし出す。
「はったりを利かすんだよ、はったり。
それで茜さん、相手には連絡しなくていいからな。
突然行くから。」
「えっ?」
「あっちはお金がないって言ってるんだろ?
休日の朝だ、大抵家にいる。寝起きを襲う。
ぼんやりしているからその時に一気に攻める。」
「襲う、って」
菜月がぽかんとした顔になった。
それを茜が見る。
「直斗は元々この星に動物の調査に来たんだよ。
生き物の生態には詳しいの。」
その週の日曜日の朝、皆は菜月の実家のそばの駅にいた。
タクシーを呼び、そこから実家に向かった。
「自分の車の方が早かったんじゃないか?」
とシューが言うと直斗が首を振った。
「タクシーで乗り付けるんだよ。これもはったりだ。
それに自分の車でナンバープレートを見られたらまずいだろ。
で、菜月さんは普通にしていていいけど、
他の奴は余計な事は言わずににっこり笑えよ。スマイルだ。」
やがて古い家の前に着いた。どことなく煤けた感じだ。
菜月は見る。
自分が出た10年前とあまり変わっていないと。
ただ庭木が伸びていてぼさぼさになっている。
タクシーはその家の前に待たせた。
呼び鈴を押すが何も鳴らない。
壊れているのだろう。
「おはようございます。菜月です。」
そう呼びかけながら菜月が引き戸を叩くと、
しばらくするその向こうに人の気配が現れた。
「うるせえ、菜月!」
女性の声だ。
「金、持って来たんか!」
「……、ええ。」
すると引き戸が勢いよく開く。
そこには菜月の母だろう女性が立っていた。
その年齢は40代と聞いていたがそれより老けて見える。
痩せて目つきの悪い女性だ。
ひどく怒った顔をしていたが、菜月の後ろに三人立っているのを見ると
急に顔つきが変わった。
「えーと、あんたさん方は。」
皆はスーツを着てきっちりとした格好をしている。
そして直斗とシューは今時の爽やかな男性だ。
その時階段からぼりぼりと腹をかきながら若い女性が降りて来た。
「バカ菜月?」
だが菜月の後ろを見てぎょっとして階段をまた上がっていった。
そして直斗がにっこりと笑って前に出て来た。
「わたくし、菜月さんの友人で大川と言います。
彼女のたってのお願いで朝早くで申し訳ありませんでしたが
お伺いしました。
上がってもよろしいでしょうか。」
「あ、いやその、」
母親は少しうろたえる。
「彼女からはお母様からお願いがあったと聞きました。
生活に困っていらっしゃると。」
母親の顔がはっとなり菜月を見た。
菜月は頷く。
「えーと、まあ、色々と物入りで。」
「ここではなんですので上がってもよろしいでしょうか。
ご近所に色々と詮索されるのもと思いまして
朝早く伺ったのですが……。」
「ああ、でしたらどうぞ、散らかってますが。」
と皆は家に上がった。
菜月にとっては懐かしい家のはずだ。
だが嫌な事ばかり思い出した。
今は早く帰りたいだけだ。
そして通された居間はかつての姿ではなかった。
くしゃくしゃの服ばかりが落ちている。
台所もコンビニの弁当の容器が重なっていた。
通って来た廊下にも物が落ちていて横に押し付けてあった。
廊下は何やらざらざらとしていた。
席に着くと茜がにっこりと手土産を母親に渡した。
真っ赤なパッケージの見た目は高そうな土産だ。
「すまないねえー。」
母親はにこにことして受け取る。
「さて、菜月さん、出して頂けますか?」
直斗が菜月に言うと彼女は鞄から少し厚みのある封筒を出した。
母親の目がギラリと光った。
「菜月ぃ、それ、」
その時に直斗が言う。
「すみませんが、録画録音させていただいてよろしいでしょうか。」
「えっ、なんで、」
「悪用はしませんよ。よろしいですか?」
母親は少し考えるが頷いた。
ここで断るとお金がもらえないかもしれないと考えたのだろう。
「それと領収書にご記入をお願いします。」
「領収書?なんで。」
少しばかり母親は声を上げる。
だが封筒はまだ菜月が持っていた。
直斗は微笑みながら書類を出した。
「ただの受け取りですから。
お名前と日付をお願いします。」
菜月は無表情だが、他の三人はにこにこと笑っている。
菜月は領収書に金額を書き込むと母に差し出した。
皆は何をしている訳ではない。菜月のそばでただ笑っているだけだ。
それでも徐々に何かしらのプレッシャーを彼女は感じたのかもしれない。
菜月が差し出したペンを取り日付と名前を書いた。
菜月はそれを受け取る。
「はい、ありがとうございます。
それでは失礼します。」
直斗がそれを受け取り明るく言った。
それを聞いた菜月は封筒をテーブルに置いた。
「お母さん、さようなら。」
と彼女が言うと皆は立ち上がり部屋を出た。
その行動は素早い。
だが母親はそちらは少しも見ずさっと封筒を取り中身を覗き込んだ。
確かにお金が入っている。
彼女は満面の笑みになった。
そして皆が玄関に来た時だ。
階段から妹が降りて来た。
「おねぇちゃーん!」
にきびが浮いている顔で笑いながら甘えた声を出した。
着替えて来たのだろう、派手な服を着ていた。
「帰っちゃうのぅ?」
誰も返事をせず靴を履く。
だがシューだけがにっこりと笑って振り向き優しく言った。
「働けよ。」
それを聞いた彼女の顔がぽかんとなる。
だがすでに皆外に出て行ってしまった。
玄関先に止めてあったタクシーに皆は乗り込み、
直斗が運転手に話しかけた。
「運転手さん、ありがとう。」
「良いけど戻って来なかったらどうしようと思ったよ。」
「悪いな、心配させて。」
タクシーは走り出す。
そしてすぐに駅につき、料金を払ったが直斗がチップを渡していた。
その間菜月は白い顔のまま無言だった。
シューが心配して彼女を見た。
「菜月、大丈夫?」
皆は心配そうに彼女を見た。
「うん、大丈夫。
でもやっぱり結構ショックだった。」
茜が彼女のそばに寄り、そっと手を握った。
「そうだよね、当たり前だよ。
今日は家に帰ってゆっくりしよう。」
「いや、その前にショップに行って新しいスマホだ。
前の番号は終わり。断捨離だ。」
菜月はそれを聞くと力なく頷いた。
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