4 来た男




夕方のマンションの廊下だ。

直斗が菜月を見た。


「見えるんだろ?俺の後ろの奴。」


直斗がにやりと笑った。

菜月がはっとして彼を見た。


「う、後ろってその、」

「男だよ。シューと言うんだ。」


彼は菜月に近づいて踏んづけられた紙袋を持って中を見た。


「あいつ、食べ物を踏んずけやがって。

でもパッケージされているから食べられるよ。

あそこのケーキ屋の焼菓子だろ?

もったいないから食べようぜ。

俺はあそこの菓子が好きなんだ。」


菜月は直斗を見た。

向こうにシューと言う謎の人物が見えた。

その彼もにこにこと笑いながら菜月を見ている。


菜月は思わずその彼を指さし、口をパクパクと動かした。

なにか言いたいのだが声が出なかった。

その手が少し震えている。


「とりあえずうちにおいでよ。」


と茜が菜月の肩を持ち彼女達の家に招いた。

中に入ると食事の前だったのか夕食の準備がされていた。


「ほら菜月。ご飯を自分の好きなだけ盛って。」


と茜が新しい茶碗を出して菜月に渡した。

菜月はぽかんとしたままそれにご飯を盛る。


「味噌汁は別のお椀に自分で注いでね。

箸は今日は割りばしで良いよね。

その引き出しから自分で出して、その席に座ってね。」


茜はポンポンと菜月に指示をする。

あっけにとられた菜月は彼女の言われた通りにして椅子に座った。


「じゃあ、いただきまーす。」


直斗と茜が手を合わせると菜月もつられて手を合わせた。

直斗の後ろの光の中のシューも手を合わせると

その途端、菜月が顔を押さえた。

それを二人が見て不思議そうな顔をした。


「どうした、菜月さん。」

「大丈夫?調子悪いの?」


菜月は顔を押さえたまま肩が震えている。

そして手を外すとげらげらと笑い出した。


「しゅ、守護霊が手を合わせてる……。」


直斗と茜が顔を合わせてぽかんとすると二人も笑い出した。


「そうか、菜月さんには守護霊に見えるんだな。」


菜月は笑い過ぎたのか涙を拭きながら直斗を見た。


「こいつは守護霊じゃないよ。いわゆる宇宙人だ。」

「宇宙人?」


菜月はシューを見た。

彼は手を振っている。


「宇宙人と言っても地球人みたいに体がある生き物じゃないんだよ。」


直斗が箸を持ちご飯を一口食べた。


「菜月さんも食べろよ。食事しながら説明するよ。」


菜月は頷くと箸を持った。

シューと言う宇宙人が食事前に手を合わせた時から

何もかもがどうでも良くなっていた。

そして直斗もシューも全然怖くなくなったのだ。


「実は俺とシューは地球人じゃない。」


直斗が言った。


「宇宙人って……、」

「でも俺は今は茜と暮らしている地球人だ。

そしてシューは今は地球の調査に来ている。」


菜月はふと色々なSF映画を思い出す。


「まさか、侵略?」

「違うよ、二人はなんか純粋に地球を調べているみたいだよ。」


茜が笑う。菜月は彼女を見た。


「そう言えば茜さんは私と一緒と言ったわね。」


茜が頷いた。


「茜って呼んでよ。

わたしももう菜月って呼んでるし。

それでそうだよ、わたしも子どもの時からシューみたいな人が見えたんだ。

それでここに越して来た時の菜月の様子を見て、

もしかしたらシューが見えているのかもと思ったよ。」

「もしかして子どもの時は霊が見えると思った?」

「そうだよ。それで菜月も親に言うと叱られたんじゃない?」

「ええ……、」

「でも霊が見えるというのもあながち間違っていないんだ。」


直斗が言う。


「俺達は精神生命体なんだ。

肉体はもう必要がないと高次の次元に移った一種の生命体だ。

だからこのシューは精神だけここにあるから、

地球人の眼には霊体の様に見えているんだよ。」


菜月はシューを見た。


「でも、直斗さんは体がある。」


直斗が少し顔を赤くして茜を見た。


「それが、その、俺も何年か前にここの調査に来たんだ。

そこで茜と会って、好きになって……。」

「肉体を手に入れてわたしと地球に住む事にしたんだよ。」


茜がにこりと笑った。


「肉体って誰かの体を?」

「いや違う、ちゃんと申請して新しい体を貰った。

ちゃんとした地球人の体だよ。」

「そんな事出来るの?信じられない。」


と言っても目の前には直斗がいる。

そしてそれが嘘と言ってもシューはそこに浮いている。

本当の事なのだ。


「なんか混乱して来たわ。」

「そうだよね、とりあえずご飯を食べなよ。

それで月曜から仕事に行くの?」

「え、ええ、そのつもり。」

「じゃあこの土日でしっかり食べて体力を戻さないと。」


茜がにっこりと笑う。


「じゃあ、菜月、洗い物はよろしくね。」


と食後に茜が言った。

食事に誘われたのだ。

手伝うのは当たり前の話だが、

そのような家事をこなすと現実に戻されて冷静になれる。

それは茜の気遣いだろう。


「コーヒーで良い?」

「ええ、ミルクがあれば入れて欲しいけど。」

「牛乳しかないけど。」

「良いよ、お願い。」


二人は既にすっかり慣れていた。


「よーし、菜月さんが持って来た菓子だ。」

「直斗はこの店のケーキやお菓子、好きだよね。」

「ああ、バターが美味いんだよ。」

「あの、潰れた物は私が食べます。」

「いや、俺が食べる。5つぐらいあるだろ?全部食べるよ。」

「でも……、」

「良いの、直斗は沢山食べる口実が出来て嬉しいんだよ。」


茜と直人が顔を合わせて笑った。

それを見て菜月が少しため息をついた。


「どうしたの?」


茜が菜月を見た。


「なんか仲良くていいなあって。

玄関先でもその、仲良くしてるでしょ?

何回か見ちゃったから。」


直斗が手を上げて頭を掻いた。


「いや、その、俺達ラブラブなんだよ。」

「ラブラブかあ。」


菜月も少し笑った。

ここまであっけらかんと話されると妬むどころか感心するしかなかった。

そして彼女は羨ましかった。

自分が知っている夫婦の世界と全く違ったからだ。


「なんか羨ましい。」


茜が菜月を見た。


「菜月って不器用なんじゃない?

わたしも人の事言えないけど。」

「不器用?」

「人との付き合いもそうだけど特に異性とは。

あんな人に引っかかってたから。」


菜月ははっとする。


「多分そう。仕事ばかりしていたから、

その……、男の人と交際した事ない……。」

「男の人と付き合った事が無いからどうしていいのか分からないし、

かと言ってやたらと付き合っても変な男だったり。

わたしもそうだったなあ。

でも直斗と会って色々あって考えが変わったんだよ。」

「考え?」

「一発逆転ホームラン。」


菜月がぽかんと茜を見た。


「下手な鉄砲数打ちゃ当たるじゃない。

そう言う人には一発だけホームランを打つ手もあるって話だよ。」

「でも相手がいなきゃ……、」


茜は微笑んだ。


「大丈夫。

いつか道は開けるよ。

さあ、コーヒーを飲んで少しゆっくりして、

今夜はぐっすり眠ること。」


菜月はさっぱり訳が変わらなかった。

そして相変わらず直斗の後ろに男がいる。


正直異様な景色だ。

だがいつの間にか気にならなくなっていた。

そして彼女は自分の部屋に帰って行った。

大川家の隣だ。


大川家を出る時に大川夫婦とシューが

にこにこと笑いながら彼女を見送った。


正直菜月は今でも何が起こったのかよく分からなかった。

ぽかんとしたまま寝る準備をして布団に入った。

元カレがあんな事をしたベッドには入る気がしなかった。

いずれ売ってしまおうと彼女は思った。


部屋の中も変えてしまおう。

あいつが使っていたものも処分して全然違う部屋にしよう。

まだ少しマンションのローンは残っている。

その足しにしてしまえ、ここは私の家だ……。


真っ暗な部屋の中で目を開けたまま、

色々と考えているうちにはっと思考が止まった。


「……宇宙人?えっ?」


菜月は闇の中でかっと目を開いた。

彼女は直斗の後ろに見えたシューと言う男を思い出す。


ぼんやりとずっと浮かんでいた。

こちらを見て皆と一緒に無音で笑い、

帰りには夫婦と共に手を振っていた。

あれは陽気な守護霊と言われた方が宇宙人より現実感があった。


「……、」


彼女はしばらくそのままくうを見ていたが、

やがてごそごそと布団にもぐった。


そんな事よりまず大川夫婦に

きちんとお礼をしなければならないと彼女は思った。

とてつもない迷惑をかけているのだ。

今日もあの忌々しい元カレから自分を守ってくれた。

だがどうしてそこまでしてくれるのか分からない。


「どこか怪しい団体の勧誘をされたらどうしよう……。」


そして彼女は入院していた時に聞いた茜の言葉を思い出す。


- あなたが倒れていたのを見つけたのはシューよ


シューはあの光の男だ。

あの男にも礼を言った方が良かったのだろうか。

今日も自分の危機を夫婦に教えたのはシューらしい。


やがてとろとろと彼女に眠りの気配が訪れる。

もう部屋には元カレの気配はない。


それがこの前までとても淋しかった。

だが今は一人の方が気が楽だった。


あの男との縁は完全に切れたのだろう。


もう未練は全くなかった。






翌朝、菜月は珍しく寝坊をしたようだった。

その日は土曜日だ。

いつもはスマホの目覚ましより前に起きる。

さすがに疲れていたのだろう。

何か長い夢を見ていた気がした。


目は閉じているが明るさを感じる。

そして何か匂う。


ご飯を炊いている匂いだ。そして電子音が鳴る。

炊けたのだ。

その香りは食欲を誘う香りだ。

良い匂いだと思いつつ、

昨夜はその準備をしたか彼女は考えた。


何もしていない。


菜月はぎょっとして目を開けた。

すると目の前に男の顔が見えた。

彼は正座をして彼女の顔を覗き込んでいるのだ。


「ぎ、ぎゃーーーーっ!」


菜月は声を上げると男がびっくりして後ずさった。


「だ、誰よ!」


菜月が起き上がり布団を抱きかかえると

男が目を丸くして彼女を見た。


「昨日、会ったでしょ、ボクだよ、ボク。」

「ボクって、昨日って、し、知らないわよ!」


すると男ががっかりした顔をする。


「手を振って挨拶したじゃん。シューだよ。」


菜月の顔がぽかんとする。


「ほら、菜月、ご飯出来たよ。

茜から教わったから作ったよ。

この体を昨日貰って分かったけど肉体ってお腹が減るんだね。」


シューがにこにこと彼女を見る。


「シューって浮いてた人?本当にシューなの?」


彼は立ち上がりにっこりと笑った。


「そうだよ、ほら、ご飯を食べよう。

ボク、お腹がぺこぺこだよ。」


と彼は彼女に手を差し出した。

ぽかんとしたまま菜月はその手を握り立ち上がると、

彼は優しく彼女を助けた。

菜月は起き抜けで髪の毛はぼさぼさ、パジャマは乱れていた。

だがそれどころではなかった。


「人間ってこうやって手を使ってコミュニケーションをとるんだろ?

直斗と茜もいつも手を繋いでるし。」

「あ、あ、いや、その、直斗さんと茜は夫婦だから。」

「えっ、手を繋ぐのはダメなの?」

「だめと言うか、その……、」


菜月は彼の言う事がよく分からなかった。

元カレの手は冷たい手だったが彼の手は大きく温かい。

その感触は少しばかり心地良かった。


彼に連れられて台所のテーブルに行くと、

朝食が用意してあった。


「味噌汁と卵焼きとコールスロー……。」


茶碗にご飯をよそいながらシューが笑った。


「どう?完璧でしょ?

冷蔵庫にあるもので作ったよ。

地球に来る前にちゃんと調べたし、

茜にも聞いたから美味しいと思うよ。」


そして彼は椅子に座ると手を合わせた。

その途端、菜月は昨日の光るシューが手を合わせたのを

思い出して笑い出した。

それをシューが見る。


「昨日も笑っていたけど変かな?

菜月達はご飯を食べる前にこうするんだろ?」

「そうだけど、昨日はあなた光っていたじゃない、

それで手を合わせたから可笑しくて。

でも食事の前に手を合わせるのは変じゃないわ。」


と菜月も手を合わせて食事を始めた。


「でも昨日までふわふわ浮いていたのに

今はどうして体があるの?」


菜月は向かいに座って食事をしているシューを見た。


「ああ、前から申請していたんだよ。

それで昨日それが通ったからすぐに体を貰ったんだ。」

「ど、どこで……、」

「そう言う所があるんだよ、

それで今の日本の平均的な男性の容姿を元に

この体をデザインしたんだ。

直斗が背は高い方が良いって言うから背は高めにしたよ。」


彼の様子は日本人で黒髪の鼻筋の通った綺麗な顔だ。

いわゆるイケメンだ。


「身長が高い方がモテるってこと?」

「いや、茜が高い所の物を取ってってよく言うから、

背が高い方が便利だぞって直斗が言ったんだ。」

「はぁ……、」


そんなものかと菜月は思ったが、

彼に言わなくてはいけない事があると彼女は思い出した。


「あの、シュー、」


食事をしながら菜月がシューを見た。


「茜から聞いたけど部屋で倒れていたのを見つけたのは

シューでしょ?

昨日も危ない時に直斗さん達に言ってくれたって。」

「そうだよ、菜月が大変な時はボクは助けるよ。

今まで何度もあったなあ。」

「ありがとうございました。」


菜月が頭を下げる。シューが少し笑った。


「君に何かあったらボクは嫌なんだ。絶対に君を守る。」


彼は爽やかに笑って菜月を見た。

シューはかなりのイケメンだ。

そんな男から君を守ると言われるのは彼女は初めてだった。


ここにいた元カレも最初は甘い言葉は言ったが

守るという言葉は無かった。

すぐに金くれと言い出したのだ。

だが目の前のシューはまっすぐ彼女を見て守ると言った。


彼女の心臓がドキリとする。


「ま、守るって、そんな大袈裟な……、」


と彼女はコールスローを一口食べた。

少しばかり甘味のあるドレッシングがとても美味しい。

彼女の口元が少し緩む。


「美味しいよ、私が作るより上手いかも。」

「えっ、ホント?良かった。ちょっと牛乳を入れたんだよ。」


シューがにこりと笑う。


「喜んでくれてうれしいよ。

君に何かあったら大変だもん。ボクには大事な観測対象だし。」


彼女の口が止まる。

そしてしばらくするとごくんと飲み下した。


「観測対象?」

「そうだよ、君の魂をずっと調べているんだ。

魂の定点観測だよ。」


菜月は箸をそっと置いた。


「どういう事?」


声が低くなる。

だがシューはにこにこしたまま喋り出した。


「ボクは地球人の精神と肉体について調べに来たんだ。

ボク達は魂だけの生命体だけど、

君達は肉体があって精神や魂も心もある。

それがボクらにとっては不思議なんだよ。

だって肉体と精神のバランスをとるのは難しいと考えられているんだ。

肉体は衰えるし、壊れるし、でも精神はそれとは違う。

体が壊れても精神は壊れなかったり、その逆もある。

ボク達にとっては精神と肉体は別々の物に思えるのに、

君達はそれを両方持っている生命体なんだよ。」


菜月の顔がぽかんとなった。


「ボク達にとってはそれは不便極まりない気がするんだ。

それなのに直斗みたいに地球に来て

地球人になるという人が結構いるんだよ。」

「えっ、宇宙人が地球にいるの?」


シューがははと笑う。


「菜月達も地球人と言う宇宙人だよ。」


それは確かにそうだ。

昔から宇宙人はいるかという論争は尽きない。

今のところ別の星に住む生命体は否定されているが、

宇宙にはとてつもない恒星があり、

そこにその数以上に惑星もあるはずだ。

なのにこの宇宙で生命が存在するのはこの地球だけという方が

ナンセンスだ。


この地球人がいる事自体が

宇宙には他の生命体がいるという証明だろう。

ただまだ知的生命体は発見はされていない。


「それはそうだけど……。でも沢山いるの?」

「そんなにはいないんだけど、

直斗もこの星に調査に来たんだ。

その間に茜と出会って恋に落ちたんだよ。

それで申請して体を貰って地球人になった。」

「そんな簡単になれるの?

元々あなた達がいた星でもこうやって地球人になる事って

不都合があるんじゃないの?」


シューが首を振る。


「君達の考える星という単位と違う次元だからね、

特に問題はないんだよ。

むしろそれぞれの自由を尊ぶ方が大事だから。」


しばらく菜月はぽかんと彼を見ていた。


「ほら、菜月、冷えちゃうよ。食べなよ。」


とシューが進める。

菜月は気が付いたように食事を始めた。

そして思い出す。


「それでさっき、私の事を観測対象って言ったよね。」


正直その言葉は彼女はかなり不快に感じていた。


「そうだよ、君の魂をずっと調べてる。最初は平安時代だな。」


彼女の口がぽかんと開く。


「へ、平安?」

「そうだよ、その時君はあるお屋敷の教育係の女性だった。

大きな地震があって大変だったよ。

あっ、ほら、また口がお留守になってる。

食べちゃいなよ、コーヒー飲もうよ。」


彼は既に食べ終わっていた。

菜月は慌てて再び食べ始める。

それをシューが見てにっこりと笑った。


「でもご飯を食べるって嬉しいね。

ボクは地球に来てから皆が食べるのを見ているだけだったけど、

今日初めて食べたら皆がにこにこする意味が分かったよ。

食べるとお腹がいっぱいになるんだ。」


彼の顔は明るい。

それを見ると菜月は先ほど感じた不快感は

消えてしまった。


ともかく彼から話を聞かなくてはいけない。

彼女はそう感じた。




彼が洗い物をしている間彼女は着替えた。


「いいよ、ボクが洗うから用意しておいでよ。」


とシューが言う。

今までは家事は全部自分がやっていた。

あの男はゴロゴロしているかゲームをしているだけだった。


なんと出来た男だろうと彼女は思ったが、

いつかは豹変するかもしれない。

それに観測対象と言う言葉だ。


「平安時代?教育係?」


いわゆる輪廻転生だろうか。

だがなぜシューがそれを知っているのか。

今から千年以上前の時代だ。

昔の話なのにどうやったらシューはそれを調べられるのか。

嘘を言っても証明するすべはない。

何にしても観測対象と言う言葉は気分が良くない。

はっきりさせないとだめな気がした。


「コーヒー入ったよ。」


台所からシューが呼ぶ。


「あ、ありがとう。」


と菜月が台所に行くとコーヒーと

ちょっとしたお菓子が置いてあった。

本当に至れり尽くせりだ。


「菜月、着替えたんだね、すごく可愛いよ。」


菜月が苦笑いをする。

その顔にシューが気が付く。


「えっ、なんかダメだった?直斗は毎日茜に言ってるよ。」

「いや、それは二人は夫婦だし。」

「夫婦じゃなきゃ言っちゃだめなの?」


菜月ははっとした。

彼は地球人ではないらしい。

人の行動について詳しく知らないのだ。

今のところ彼がよく知っているのは直斗と茜の生活だけだろう。


「えーと、直斗さんと茜は夫婦で愛し合ってるのよ。

だからお互いを大事に思っているから、

そうやって褒めるのよ。

茜もきっと直斗さんに格好良いとか

直斗がいると助かるわとか言っていなかった?」


シューが少し考える。


「なら夫婦でないと相手を誉めてはいけないの?」

「そう言う訳じゃないけど、

可愛いとか素敵とかは相手に好意がある時なのよ。

特別な気持ちがない人にそんな言葉を使うと勘違いされるわ。」


シューがにっこりと笑った。


「なら間違ってないよ。

ボクは菜月に好意を持っているから。」


菜月の顔が熱くなる。


「い、いや、それは、その、」

「平安の時にさ、菜月は夜に月が出るといつもそれを見ていたんだよ。」


彼女ははっとする。


「ボクが隣に行くと月の姫の話をよくしてくれたよ。

月からお迎えが来ないかなあっていつも言ってた。

ボクはそれを聞くのが好きだったなあ。

それで菜月は優しい人なんだなと思った。」


彼女はしばらく彼の顔を見つめている。

そしてその目にうっすらと涙が湧いた。


「あっ、ごめん、なんかボクいけない事を言った?」


彼女が瞬きをする。

ほろりと涙が落ちた。

それをシューが見た。


「涙だ。人は悲しい事があると涙を流すんだよね。

なんて綺麗なんだ。」


彼はうっとりとした顔をしている。

彼女は慌てて頬を拭うと彼を見た。


「その人ってどうなったの?」

「あ、ああ、お屋敷で指導役のまま亡くなったよ。

優しい人で皆に好かれていてさ、

亡くなったらみんな泣いてたよ。」


菜月がため息をつく。


「それでその人って結婚したの?」

「ううん、ずっと一人だったよ。

でも周りにはいつも人がいたなあ。」

「淋しくなかったの?」


彼は首を振った。


「淋しくなかったみたいだよ。」

「……そう。」


彼が言った話は本当かどうか分からない。

ただ月を見て生涯を過ごした女性の話は

心のどこかに残る気がした。

彼女も月を見ると切なくなるのだ。


「あの、シュー、」


彼女が彼に話しかける。


「あっ、菜月、ボク、服を買いに行きたいんだ。

それにご飯で色々使っちゃったからさ、

買い物に行かないと。」


菜月はぎょっとする。

もしかするとこちらがお金を出さなくてはいけないのか。


「あの、あの、物を買うにはお金がいるのよ。」

「知ってるよ、自分で出すし。

これからここでお世話になるから、

その分ちゃんと出すものは出すよ。」


菜月はぽかんとなった。


「お世話?」

「うん、今まで直斗と茜の所にいたけど、今日からここに住むよ。

だから家賃代わりに食費とか出すから。

欲しい物があったら菜月も言ってよ。

茜からちゃんとしなさいよって言われてる。」

「え、ええっ、ここに住むって?な、なんで……、」


シューはにっこりと笑った。


「だって菜月はボクの観測対象なんだよ。

今まで精神だけのボクだったけど、今度は肉体を手に入れたんだ。

もっと近くで観察出来るんだよ。ボク嬉しくてさあ。」


菜月は何も返事が出来なかった。






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