3 月の姫




「月子さん、この前のお話、またしてくれる?」


とても暑い日だ。

御簾の奥の部屋にいるが風が通らず汗が流れる。

仕事中なので仕方なく十二単を着ているが、

すぐにでも脱いで楽になりたかった。


伊予いよさん、月のお姫様の話のこと?」

「そうそう、五人の男に求婚されてその後は帝にも求婚される話よ。」


もうすぐ夕方だがとても暑い。


「月子さんは良いわよね、字がしっかり読めるから。

そのお話も本を読んだんでしょ?」

「そうねぇ、字はお父様が面白がって教えてくれたのよ。

お母様は怒っていたけど。

でも読めたらこちらのものよ。」

「私も読めるようになるかしら。」


伊予は言うが首を振った。


「だめね、本は見た事はあるけどなんだか目がくらくらしたもの。」


月子がふふと笑った。


「お母様があなたはこのままでは行き遅れるというのよ。

字を読む女は生意気だって。」

「でもあなたが字を読めるから私はあなたからお話を聞けるのよ。

さあ、月子さん、聞かせて。

宝を持って来てって姫が言う所、私好きよ。」


斜めの光が御簾越しに入って来る。


「でも暑いわねぇ。」


伊予が胸元をはだけて手で仰いだ。


「伊予さん、みっともないわよ。」


月子が横目で彼女を見て言った。


「だって暑いもの。風も通らないし。せめて御簾を上げたいわ。」

「だめよ、どこで誰が見ているか分からないし。

男の方に見られたら恥ずかしいわよ。」

「見られてもいいわ。

誰でもいいからここから連れ出して欲しい。自由が無いわ。

月の姫は良いわよね。

月からお迎えが来たんでしょ?」


伊予は大きくため息をついた。

その時だ、遠くから伊予を呼ぶ声がする。


「はぁい。」


彼女は慌てて胸元を整えると立ち上がり部屋を出て行った。

御簾が一瞬上げられる。

風が通り過ぎた。


その時だ。


月子のそばに気配がする。

彼女は目を上げた。


そこには薄く光る人影があった。


それはいつも彼女のそばにいるものだ。

小さな頃から。

それは当たり前に自分のそばにいた。

だからみなそうだと思っていたが母に聞くと、


「そんな事は人に言ってはいけません。」


ときつく注意をされた。

なのでそれから彼女は何も言わなかった。


その光に包まれた男はいつも優しくこちらを見ている。

全然怖くなかった。


だが今現れた光は御簾から庭に出て行った。


今までにない事だ。


彼女は驚いて思わず御簾を動かして庭を見た。

光はそこに立って焦った顔をして手を振っている。


月子は思わず部屋から出た。


少し離れた所に伊予がいる。

彼女は立ち止り不思議そうに月子を見た。

月子は何かに取り憑かれた様に庭を見ている。


光は何度も大きく手を振っている。

こちらに来い、という様に。


月子は思わず庭に飛び降りた。


「月子さん!」


伊予が思わず声を上げた。大変はしたない行動だ。

だが月子が伊予を見た。


「伊予さんも早くこちらに!」


すると遠くから大きな音が近づいて来る。

そして地面が揺れた。

立っていられない程の揺れだ。


激しい音と共に所々で悲鳴が聞こえる。


土煙が立ち、周りが見えなくなった。




揺れはしばらく続いた。


月子は慌てて伊予がいた方に近寄った。

彼女の着物の上に折れた木材が落ちているのが見えた。

一瞬月子はぞっとした。

だが、


「月子さぁん……、」


伊予の声がする。


「伊予さん!」

「動けないの……。」


よく見ると彼女の着物の裾が木材に挟まれていたのだ。


「大丈夫?伊予さん!」

「あなたに言われて飛び降りたけど足を捻ったみたい。」


月子は木材を動かそうとしたが重くて動かない。


「着物が挟まれているのよ、それを脱いで早く逃げましょう。」


月子が彼女の着物を脱がす。

すると真横に光が来た。

そして口が動く。


『早く!』


と聞こえた気がした。


月子は動けない伊予を庭の中に引きずって行った。

その時余震が来る。

かなり大きなものだ。

屋敷が倒れた。

伊予の着物が瓦礫に隠れる。


土煙の中二人は身を寄せて耳を押さえそれを見た。


月子はふと自分のそばに光がいるのに気が付いた。

彼女は顔を上げた。

優しい表情の男性の顔がある。

その口は言った。


『もう大丈夫。』


そして光は消えた。




彼女達はその後助けられた。

屋敷では何人か建物の下敷きになって亡くなった。

建物が倒れた所は沢山ありその上に火事も所々で起きて、

被害は甚大だった。


余震は何ヶ月か続いたがやがて静かになった。


「本当にあの時は月子は死んだかと思ったわ。」


月子が勤めていた屋敷は崩れてしまったのだ。

建て直すまではしばらく仕事はない。

月子は実家に戻っていた。


季節は冬だ。

火桶を前に月子は母と話をしていた。


「でもこの家は無事だったのね。」

「そう、所々壊れてしまったけど助かったわ。」


母親は彼女を見た。


「でも月子はよく庭まで出られたわね。」


あの地震の時にあのまま部屋にいたら月子は死んでいただろう。

そして伊予も。


彼女はふっと思い出す。

あの時光の男が庭に呼ばなかったらここに自分はいない。

だがそれを母に言っても理解はしてくれないだろう。


「何となくね。」


と彼女はふっと笑った。


「ところで伊予様だけど、」


母が月子を見た。


露顕ところあらわしされたそうよ。」

「えっ?」


伊予は結婚をしたのだ。


「いつ?」

「少し前よ、伊予様もそうだけど

あの地震のおかげで考えを変えた方は多いみたいよ。」


ちろと母親は月子を見た。


「ねえ、月子、私も思うわよ、人って死んでしまう時は

あっさり死んでしまうものよ。」


月子はため息をついた。


「お母様、はっきりおっしゃったら?」


母親はきっとした顔をする。


「あなたも早く添い遂げる方を見つけなさい。」

「嫌です。どうせ字の読める女は生意気だって

嫌がられるのがおちだから。」

「知らない振りをすればいいじゃない。」

「嘘をつくのは嫌です。

またお仕事が出来るようになったら行きます。」


母親は呆れた顔になった。


「ほんと可愛げがない子。」


母親とは折り合いが昔から良くなかった。

やがて月子は以前勤めていた所に再び戻った。

そして時々伊予と会った。


その頃には伊予には子どもがいた。


「でも旦那様は良くて月に一、二回しか来ないわ。

ほんとつまんない。」

「でもお子さんがいるじゃない。」

「女の子だし。可愛いけどやっぱり本妻さんの男の子が大事なのよ。」


伊予はため息をついた。


「あの地震でこのままじゃと思ったけど、

前とあまり変わらないわ。女はつまらないわね。」


この時代は男が女の元に通ういわゆる通い婚だ。

伊予がいずれ男を産めば何かが変わるかもしれない。

だが今は女の子しかいない。

立場的にはあまり強くないのだ。


今の時代でこそ女性の地位はそれなりに強くなった。

だが平安時代だ。今とは感覚が違う。


伊予はうっすらと笑った。


「月の姫みたいに誰か攫ってくれないかしら。」


そのような事を言っていた伊予も蝋燭の火が消える様に

いつの間にか死んでしまった。

月子も歳を取り、両親はとうの昔に亡くなって今では一人ぼっちだ。


だが長年勤めあげたおかげで、

勤めていた屋敷で余生を過ごすことが出来た。


次々と来る女房の教育と世話だ。

その仕事はそれなりに楽しかった。


「月子様はお一人で淋しくないのですか?」


と彼女はよく聞かれた。


「淋しくないのよ。」


と彼女は笑った。

そして夜になると彼女は御簾を上げて月を見た。


伊予が行きたいと言っていた月だ。

それを見ているとかならず彼女のそばには光が現れる。


あの光の男だ。

彼女の横にそっと寄り添い、一緒に月を見ている。


それはずっと続いていた。

月子を助けてくれた時から。


人と契りを結べばそれなりに付き合いが増える。

もしかすると伊予の様に月に数度しか会えない相手かもしれない。

だが月子の隣にいる光の男はいつもいるのだ。

彼は優しい顔をして彼女を見る。


それで彼女は満足だった。

そっと寄り添うだけで良かったのだ。


「月の姫は月からお迎えが来たのよ。

私も宝より月には一度は行きたいわね。

伊予さんも言っていたけど私もそう思うわ。」


と月子は光の男に言った。

彼は何も言わず微笑むだけだ。


やがて彼女の寿命は尽きた。


周りの者は彼女の死を悼み涙を流した。

人に慕われた良い人生だった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る