捜索(1)

 芙雪の母親は電車に揺られながら、スマートフォンの画面で時間を確認する。画面には「22:03」と表示されている。家に帰るのは二十二時半までには帰れるだろうとため息をついた。

 娘のために働いているというのに、肝心の娘と過ごす時間が失われているジレンマに嫌気が差す。しかし芙雪も二十二時半ならまだ起きているかもしれない。寝る直前かもしれないが、娘の顔を見れるなら今日一日が報われるというものだ。

 残業のせいで遅くまで働き、二十三時を超える日もざらにある。そういう日は遅くまで働いたというのに娘の顔を見れずに泥のように布団に入るのだ。そんな悲しみに比べれば今日の残業はかわいいものだろう。

 残業がここまで多いと転職を視野に入れたくなるものだが、なまじ給料が良いので頭を悩ませる。そうやって先延ばしにしてきて、母親は今日を迎えていた。

 娘が小さい頃は一緒にいたいなどと駄々を捏ねていたが、今ではさっぱりなくなり良い子にしてくれている。昔はよく困って頭を抱えていたが、それが無くなったら無くなったで少しの寂しさを感じる。

 ママ友から、育児は可愛いだけではやってられないとよく聞くが、それでも娘は可愛いものだ。仕事に明け暮れていて娘と触れ合う機会が少ないことが、より強くそのように感じさせるのかもしれない。


 金曜日だからであろう、電車の中には仄かにアルコール臭がする。酒の臭う電車から開放され、彼女は自宅への帰路を歩き始める。我が家が見えてきたところで、部屋の窓から光が漏れてきていないことに気づく。

 部屋の大きな窓にはシャッターがついているため中の様子は分からないが、芙雪が起きているなら部屋の小さな窓から照明の光が漏れているはずだ。もう寝てしまったのかと肩を落とすも、それ以上気に留めること無く自宅のドアを開ける。

 部屋の電気をつけ、いつものように冷蔵庫を開けて目的のアルコール缶に手を伸ばす。そこで芙雪のために用意していた肉野菜炒めが残っていることに気がついた。不審に思った彼女はアルコール缶を手に取ることをやめ、娘の部屋を確認することにする。

 部屋のドアから光は漏れておらず、物音もしない。嫌な予感がした。自分の考えが杞憂で、芙雪が何もなく寝ているだけなら良い。しかしなにか事情があるようなら確認しなければならない。寝ていたら申し訳ないと思いつつ部屋を叩き、声をかける。

 しかし部屋の中からの返答はない。もう一度声をかけてから返答がないことを確認し、部屋の中を覗き込む。


 彼女は息を飲んだ。娘がいないのだ。途端に心臓が早鐘を打ち、血液が凍るような悪寒が全身を駆け巡る。脈が十を刻む前に部屋を飛び出し、家の中の至る所を探し回った。そこにいるはずはないと思いながらも、探さずにはいられなかった。

 全ての部屋を探し終えた後、思い出したかのように慌ただしくポケットからスマートフォンを取り出す。110番を液晶に叩き込み、ほとんど叫ぶように言った。


「娘が、娘がいないんです……!」


 対応した警官は落ち着いて対応し、詳しい説明を求めた。彼女は深呼吸をして求められた情報を話していく。小学四年生の娘が家に帰ってきていないこと、それに気がついたのは今現在であるということ、家に帰ってきた痕跡はないこと。


 連絡を受けて、教員や警察、近隣住民など、合計二百人近くの人員によって芙雪の捜索が始まった。

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